魔導の書〜第二章〜
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究極の治療魔法マディによって、ソニアは一命を取り留めた。
しかし、それで戦いが終わったわけではない。
アイーシャらの目の前には死神レイスと、その手下へと落ちぶれたパナソール王がいるのだ。
パナソール王はレイスに殺された上に魂を狩られ、更には屍と化した肉体をも操られているのである。
「くそっ」
「えいっ」
ホムラとエアリーも必死に剣を振るって応戦する。
しかし相手は死んだとはいえ国王その人なのだ。
つい一か月前には、直接その手から騎士の称号を授けられたばかりであった。
特にホムラにとっては、この身を呈して仕えようと心に決めた君主でもあった。
二人ともどう対応すれば良いのか・・・迷いながらの戦いだった。
「アイーシャどうしよう? 国王様、ううん、ソニアちゃんのお父さんだよ。何とかできないの?」
「何とか、と言われてもだな・・・」
アイーシャも必死に頭を巡らせ、この状況の打開策を模索する。
あくまで魔物と割り切って戦うべきか、それとも国王としての尊厳を護るべきか・・・
できることなら、アイーシャも後者を選択したかった。
パナソール王は既に命を落としている。
しかし、死者の蘇生行為は全く不可能という訳でもないはずである。
現にホムラは一度命を落としたのだが、アイーシャの操る魔導の書に記されたマハマンの魔法で再び息を吹き返したではないか。
同じことがパナソール王にも可能だろうか?
「やはり無理か・・・」
アイーシャの顔が苦悶に歪む。
前回マハマンを使用した際に、アイーシャ自身の体力、魔力、精神力などが、かなり減退しているのを感じていた。
これは神の奇跡と引き換えにした代償のようなものである。
再び修業を積み直し、マハマン使用前の状態まで復帰させなければ、マハマンの再使用は不可能なのである。
それが証拠に、魔導の書の第7ランクの項からマハマンの発動式の記述が消えていることに、アイーシャは気付いていたのだった。
魔導の書がダメならば、命の書ならどうか?
命の書の第5ランクにも死者を蘇生させることのできる魔法があるはずである。
「ラウド、命の書の力で王を生き返らせることができるか?」
前線での戦いをホムラとエアリーに任せたまま、アイーシャはラウドとソニアの所まで下がった。
「命の書で・・・生き返らせる、か。悔しいけど、僕の力ではとても難しいと思う」
「やはりそうか」
アイーシャもその答えはうすうす予想していたものだった。
そもそも、死者を生き返らせるなどというのが、神の奇跡にも等しい行為なのである。
いくら魔法の書物を使ったとはいえ、それだけの力を引き出すのは並大抵のことではないのだ。
更には対象となる王の状態にも大きく左右される。
ホムラの時は、命を落としてから蘇生行為までが迅速に行われた。
これが功を奏したと言って良いだろう。
しかし今回は話が違う。
既に王がレイスによって殺されてから丸一日以上が経過しているのである。
時間が経てばそれだけ遺体の状態は悪化するし、何より現在王の遺体はレイスによって操られている最中でもあった。
死肉を無理やり動かせば、少しずつではあるが肉はそげ落ち、皮膚は乾き、内臓の腐敗も早まる。
どう考えても事態が好転するとは思えなかった。
王を生き返らせるのが不可能となれば、次はどうすべきか?
アイーシャは瞬時に頭を巡らせ、そしてひとつの決断を下したのだった。
「ラウド、ソニアの容体はどうだ?」
「うん、一時は危なかったけど、今はもう大丈夫かな」
「そうか」
アイーシャはラウドに背を向けたまま、淡々と言葉を紡ぐ。
「ソニアよ、意識はあるか? 私の声が聞こえるか?」
「はい・・・平気です」
弱々しい声ではあるが、ソニアは返事をしてくれた。
「ならばソニアよ、今すぐこの場で覚悟を決めてもらうぞ」
「覚悟、ですか?」
「ああそうだ。ソニアはこれから女王として、この国を背負っていかなければならないだろう。その覚悟だ」
「そんな・・・わたくしにはまだ荷が重すぎます」
「いつまで甘えているつもりだ? 父王は既に死んでいる。他に誰がこの国を背負うというのだ」
「でも・・・」
ソニアにしてみれば、突然の父の死である。
その悲しみも癒えないというのに国を背負うなど、とても考えられる話ではなかった。
「アイーシャ、ソニアはまだ・・・」
ソニアを腕に抱いたまま、ラウドが言葉を挟む。
それでもアイーシャはソニアへ話し掛けるのを止めたりはしなかった。
「ソニア、現実を見ろ。そして受け入れるのだ。ソニアはこれから誰よりも強くならなければならない。違うか?」
くだらない慰めの言葉など不要である。
一見冷たく映るアイーシャの態度であるが、その奥には強い決意が秘められているのが伝わってくる。
もしもソニアが強くありたいと願うなら、アイーシャは持てるすべての力で応援するつもりであった。
「現実を見る・・・んですね?」
「そうだ」
「たとえ、それがどんなに辛く、悲しいことであっても」
「できるか?」
「ええ。わたくしは負ける訳には参りません。何故なら、わたくしの肩には、この国の民の命が掛かっているのですから」
ソニアの身体に次第に力が込められる。
ラウドの肩に腕を掛け、両足を踏ん張り、上体を起こす。
「ソニア・・・大丈夫?」
「ええ。わたくしはこんなところで寝ている訳にはいかないのです。しっかりと両の足で立って歩いて行かなければ」
ラウドの肩を借りながらではあるが、ソニアが自力で立ち上がった。
「ソニア、よくぞ立ち上がった。その勇気があれば、この国はきっと大丈夫だ」
「ありがとう、アイーシャ」
「私はこれから辛い現実をソニアに突き付けたいと思う。良いな?」
「はい。お願いします」
アイーシャの言葉に、ソニアがぺこりと頭を垂れた。
これから何が起こるのか・・・
それはソニア自身にとって、間違いなく辛い現実になるはずである。
それでもソニアは決して目をそらさずに、その現実を受け入れようと決意していた。
それがアイーシャの、仲間の想いに報いることになるのなら、と。
ラウドとソニアのそばを離れたアイーシャが前線に戻る。
ホムラとエアリーは、よく戦ってくれていた。
パナソール王の攻撃をうまくいなし、身動きのできなかったラウドたちから戦いの場をできるだけ引き離すべく奮闘していたのであった。
「ホムラ、私の前へ!」
「おう!」
パナソール王相手に剣を振るっていたホムラが、アイーシャの元へと下がり盾を構える。
エアリーは引き続きパナソール王を相手に、付かず離れずの距離を保ちながらの攻撃を繰り返す。
何もエアリー自身が相手を仕留める必要はない。
アイーシャが発動式を完成させるまで相手を引き付けておくのが目的であった。
状況が整ったのを確認すると、アイーシャは魔導の書を開く。
その中の第6ランクにある魔法の発動式を厳かに読み上げ始めた。
それは、アイーシャ自身ほとんど使ったことのない魔法であった。
この魔法が決まれば敵を一撃で葬り去ることができるはずだが、いかんせん使用する機会が限られている。
不死族にしか効かず、効果範囲も極めて狭いため、これまで使うことなどなかったのである。
しかし今、アイーシャはその魔法を選択したのだった。
炎や氷の魔法で仕留めることもできただろう。
だが、相手は死したるとはいえ、一国の王であった男なのだ。
アイーシャは最上級の敬意を込めて、自らの扱える最上級ランクの攻撃魔法の中のひとつを繰り出したのだった。
「ジルワン!」
発動式の完成と共に、その魔法の名が告げられる。
不死の魔物を粉々に砕く魔法、ジルワンであった。
炎でもない、氷でもない、ましてや聖なる光でもない。
それは闇の魔法であった。
毒を以て毒を制すという言葉があるように、闇を以て闇を制す。
闇の力によって支配された不死の魔物を、同じく闇の力で破壊するのである。
魔法を食らったパナソール王の身体に異変が起こる。
腕に胴体に、そして頭部に。
全身隈なくひび割れが走ったかと思うと、まるで積み木でできた家が崩れるように、その場に崩れ落ちていくのだった。
「お父様!」
父親の壮絶な最期の姿に、ソニアが悲痛な叫び声を上げる。
しかしアイーシャは、そんなソニアを顧みることさえしなかった。
ただ、魔法の成否をじっと見守っていたのである。
「ううっ、お父様・・・」
変わり果てた父の姿に、ソニアは思わず目をそむけそうになった。
しかし、ラウドがソニアの肩を抱く手に力が込められる。
「ダメだよソニア。ちゃんと見るんだ。アイーシャが言っていたでしょ。『覚悟を決めろ。現実を見ろ』って」
「そうですね・・・ちゃんと見なければなりません。それが、これからこの国を背負うわたくしに課せられた義務なのですから」
ソニアが見つめる先には、既に肉塊となり骨の破片となった亡き父の変わり果てた姿が散乱していた。
それは現実の厳しさと、これからソニアが背負うであろう物の重さを象徴しているのである。
無言のままこちらに向けられたアイーシャの背中がそう語っているのだと、ソニアは思うのだった。