魔導の書〜第二章〜
17
「ビクトル大臣、在室していますか? 開けますよ」
大広間を脱出して階段を駆け上がり、大臣の部屋の前まで辿り着いたところでソニアが扉をドンドンと叩いた。
返事はない。
ソニアは構わず扉を開けようと、ドアノブに手を伸ばす。
「あっ、ダメだよ!」
しかしその手を制したのはエアリー、ソニアの手をガシっと掴んで引き戻す。
「えっ?」
困惑するソニアにエアリーが説明する。
「扉に罠が仕掛けられているかもしれないでしょ? あたいが調べるからソニアちゃんは下がってて」
「そうね。気が付かなくてごめんなさい」
「ううん。それじゃあ、ちゃっちゃとやっちゃいますか」
エアリーはニパっと笑顔を見せてから扉を調べ始めた。
人懐っこい性格な上に年が近いこともあって、エアリーは早速ソニアを「ちゃん」付けで呼んでいる。
そんなエアリーの屈託のない態度と明るい笑顔に、ソニアの緊張も和らぐ。
こんな時でも笑顔を浮かべられるエアリーの明るさが羨ましい、と思うソニアだった。
「うーん、特に罠はないかな。鍵は・・・ごく普通のヤツだね。これなら簡単に開けられそうだよ」
一通り扉を調べ終わったエアリー、針金を取り出して鍵穴に差し込み、たちどころに鍵を開けてしまった。
「エアリーって器用なのね」
「こんなの簡単だよ」
新しくできた友達から感心されて、エアリーも満更でもないようである。
「さて」
エアリーはソニアに向けていた笑顔をキリリと引き締めると扉に耳を当て、慎重に向こう側の気配を探る。
しばらくそうしていたが、やがて振り返って無言のまま頷いた。
それを見たホムラがドアノブに手を掛け、一呼吸置いてからバンっと一気に開け放つ。
室内へと一気になだれ込み、すかさず戦闘態勢を取るのだが・・・
「やっぱり。誰もいないみたいだね」
室内をキョロキョロと見回すエアリー。
事前に気配を探って予想が付いていたとはいえ、もぬけの殻の室内の様子に拍子抜けしていた。
「油断は禁物だぞ、エアリー。それはそうと、大臣は何処に行ったんだろうな?」
アイーシャは軽くエアリーをたしなめてから、まだ夜明け前で薄暗い室内のあちらこちらへ視線を走らせた。
さすがに一国の大臣が使用していた部屋なだけあって、広さはもちろん調度品なども良質なものが揃えられてあった。
しかし、人間が隠れられそうな場所となると、なかなか難しいだろう。
「ここにはいないのかな?」
「うーん、どうだろうねえ」
エアリーとラウドもベッドの周りや飾り棚などを調べるが、大臣の姿は見つからなかった。
そこへ。
「おそらく・・・ここでしょう」
ソニアが書棚へと近づくと、一番下の段にある書物を抜き出していく。
「へっ? いくら何でもそんな狭い棚の中に隠れられるわけ・・・」
ソニアの行動に首を傾げるエアリー。
「いいえ、そうではなくて・・・あっ、やっぱり。ストッパーが外されてますね」
ソニアは抜き出した書物の裏に隠されていたストッパーが外されているのを確認すると、再び書物を棚に戻した。
一度出した書物をまたしまったのは、ソニアの几帳面な性格もあるだろうが、書物をそのままにしておくと追跡者に書棚に何か仕掛けがあるとバレてしまう恐れがあるからである。
普段から元に戻しておくことが、習慣づいていたのだ。
そしてソニアは腕まくりをしたかと思うと、書棚に手を掛け力を込めて押し始める。
「ストッパーを外して書棚を動かせば、隠し通路の入口があるんです。要人の部屋にはたいていこういった仕掛けがあるんですよ。
もちろんわたくしの部屋にもですが・・・っく、あれ? 動かない」
説明しながら必死に書棚を押すソニア。
しかし、書棚はピクリとも動かなかった。
「ホムラ」
「ああ」
見かねたアイーシャがホムラに目で「行け」と合図する。
この場には力自慢の巨漢がいるのだ。
細腕の少女が慣れない力仕事をしている姿を黙って見ているなど、無粋極まりないといったところだろう。
ソニアに代わってホムラが書棚に手を掛け押し始めると、書棚はあっけなく移動した。
「うわっ、向こうに隠し通路?」
目を丸くして驚くエアリー。
書棚の影に隠されていた抜け穴から通路へ出られるようになっているのだ。
通路は書棚のあった壁と並行方向に伸びている。
「あちら側が父上とわたくしの部屋に繋がっています。きっと大臣は反対側から王宮の外へ脱出したのではないでしょうか」
ソニアが通路を右、左と順に指差しながら説明する。
「それじゃあ大臣は外へ逃げちゃったの?」
「ええ、おそらく・・・」
エアリーが聞くとソニアが申し訳なさそうに答えた。
そのまま屋外へ繋がっているという方向へ歩き出したのだが。
「ねえソニア、あの扉は?」
しばらく歩いたところで、ラウドがとある扉の存在に気付いた。
鉄製のその扉は赤茶色に錆びてしまい、隠し通路とはいえ王宮の壁面には似つかわしくないと思われた。
「えっ? これは・・・開かずの扉ですね。確か今ではもう全く使われていないはず・・・」
「でもこの扉、最近開けられた形跡があるみたいだねえ」
ラウドが扉の前面の床を調べると、錆びた蝶つがいを動かしてこぼれたと思われる赤茶色の鉄の粉がこぼれていた。
「あたいに見せて」
エアリーが扉を調べる。
「罠は・・・ナシ。鍵も掛かってないね」
ドアノブに手を掛けて回すと、扉はギイと重い音を立てた。
ホムラも手伝って扉を押し開ける。
すると扉の向こうには、幅の狭い下りの階段が闇の中へと伸びていたのだった。
「ソニア、この階段は何処へ繋がっているのかな?」
「わたくしも知りません。こんな所に階段があったなんて・・・」
ラウドが問うも、ソニアは首を振るばかり。
開かずの扉の先にあった階段の存在に一番驚いているのは、他ならぬソニアのようである。
「どうするラウド? まあ聞くまでもないとは思うが」
「だね。行くしかないよねえ。ソニアもそれで?」
「はい。行きましょう」
ソニアの意思を確認したところで、ホムラを先頭に階段を下り始める。
誰も言葉を発しないまま、踊り場を二度、三度と折り返す。
灯りが差さないのではっきりとしたことは分からないが、階段はかなりの段数に達しているように思われた。
大臣の部屋があったのは王宮の二階である。
そこから一階に相当するであろう場所を超え地下一階、そして更に深くへと続いている。
地下迷宮に慣れているアイーシャたちはともかく、ソニアにとっては延々と奈落の底へ続いているように感じられたのだった。
やがて階段が尽き、平らな場所に下り立った。
「ねえアイーシャ、ここって・・・」
「ああ、地下迷宮そっくりだな」
きょろきょろと周囲を見回すエアリーにアイーシャが答える。
そこはまるで、アイーシャらが挑み続けたあの地下迷宮にとてもよく似ていたのだった。
「これも古代魔法文明の遺産、なのかねえ」
「おそらくそうだろうな。まったく、古代の連中はよほど地面の下がお気に入りだったらしい」
すっかり感心しているラウドに対して、アイーシャはどこか不機嫌なようである。
それでも冷静に、周囲の様子を確認する。
目の前には真っ直ぐに伸びる通路が一本あるだけで、他に分かれ道などもないようであった。
「取り敢えずは進むしかないだろう。ホムラ」
「よし、行くぞ」
アイーシャの指示を受けて、ホムラが歩き出す。
一本道なので、曲がり角の影に敵が隠れているといった心配こそないものの、用心するに越したことはない。
自然、その歩みはゆっくりとしたものになる。
やがて、扉に突き当たった。
例によってエアリーが罠の有無や鍵について調べるが、特に異常は見られなかった。
アイーシャとラウドが無言のまま「良し」と合図をしたのを受け、ホムラがゆっくりと扉を押し開ける。
全員が一気に扉を抜けたのだが・・・
「ひっ!」
驚きのあまりに思わず息を呑んだのはエアリー。
いやエアリーだけでなく、全員が目にしたものの異様さに度肝を抜かれる思いだったのだ。
「これは・・・人間の頭蓋骨、か?」
「いわゆるドクロってやつだね。それにしても大きいよねえ」
それは間違いなく、人間の頭蓋骨であった。
だだし、その大きさが異様である。
どう見ても、人間の上半身程の大きさがあったのだ。
「あんな大きな顔の人間なんて、いるはずがないよー!」
「落ち付けエアリー。あれは実体のない存在、いわゆる霊体のようなものだ」
「霊体? なんだ霊体かぁ」
「ああ。どの道悪趣味なのに変わりはないがな」
骸骨の兵士に首無しの騎士、そして巨大な頭蓋骨。
これまで相手にしてきた敵のラインナップに辟易とするアイーシャであった。
「あれはスクライルだね。人間の怨霊が集まって形になったもの、かな。どうするアイーシャ?」
「どうせアレも不死の魔物の類だろう。私が魔法を使うよりラウドがディスペルしたほうが早い」
「了解。それじゃあ僕がやっちゃいますか」
アイーシャとの相談の結果、ラウドがディスペルで浄化することで話は決まった。
念のためホムラの背後にアイーシャが立ち、いつでも魔導の書を扱えるように備え、エアリーはソニアをかばうように短剣を構えた。
スクライルと呼ばれた頭蓋骨はふらふらと宙を彷徨いながら、付かず離れずの距離を保っている。
そして突然方向転換をしたかと思うと、ホムラ目掛けて襲い掛かってきた。
「このヤロウ!」
ホムラは剣で払うも、スクライルはふわりとかわしてしまう。
「こいつー!」
エアリーも必死で短剣を振り回すが、相手は地に足が付いていないだけに、どうにも狙いが定まらない。
「二人とも深追いはするな。ここはラウドに任せて護りを固めろ」
「ああ」
「りょーかーい」
あくまで冷静なアイーシャの指示を受け、ホムラとエアリーはすぐさま陣形を固める。
そこへ。
「闇の力よ。消え去れ」
ラウドの浄化の言葉が響く。
聖なる輝きに照らされた頭蓋骨が次第にその動きを止め、やがて霧が晴れるように蒸発して消えていったのだった。
「ふう、ディスペル完了」
まるで何事もなかったかのような、ラウドの穏やかな口調である。
「すごいですねラウド。不浄な輩を瞬時に消し去ってしまうなんて。わたくしもあのようなことができたならと思います」
ラウドのディスペルにすっかり感心しているソニアである。
「そうだねえ。ソニアは筋が良さそうだから、ちょっと修業をすればすぐに身に付けられると思うな」
「本当ですか? それじゃあ頑張ってみようかしら。その時はラウドがわたくしに教えて貰えますか?」
「ええ。僕で良ければ喜んで」
ソニアの申し出に対して、ふっと微笑んで答えるラウドであった。