魔導の書〜第二章〜

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 アイーシャらはソニア王女と共に尖塔を下りていた。
 ソニアを真ん中に挟むように前方をホムラとアイーシャ、そして後方をラウドとエアリーといった陣形である。
 先だってのスケルトンソルジャーとの戦いで、アイーシャは突然後方から襲われてしまっていた。
 地下通路の時もそうだったが、骸骨の兵士は何処からともなく突然湧いて出てくるようである。
 そうなると前方はもちろん、後方からの奇襲にも十分に警戒しなければならない。
 逆に言えば、奇襲さえ受けなければ、骸骨の兵士など恐れるに足りない相手である。
 ホムラが盾として護ってくれれば、アイーシャは魔導の書の力を十分に発揮できるだろう。
 エアリーの身の軽さは骸骨に付け入る隙を与えない。
 そして、不死の魔物に対する切り札が、ラウドのディスペルであった。
 かの大魔導師が眠る地下迷宮での修業時代、ラウドはまだ命の書を手にしてはいなかった。
 アイーシャのように数々の魔法を操って戦っていた訳ではないのだ。
 そんなラウドが磨きを掛けたのが、ディスペルと呼ばれる技能だった。
 これは、闇の力によって操られた亡者の群れを解き放ち、その魂を鎮めてしまうというものである。
 ゾンビなどの腐った死体から霊的なものまで、立ちはだかる不死の魔物は案外多いものである。
 アイーシャのように決して派手ではなかったが、迷宮での戦いを生き残るためには無くてはならない戦力なのである。
 やがて一行は尖塔を下り、王宮一階にある大広間へと辿り着いていた。
「ふう、何も出てこなかったね」
「だからと言って油断するのは早いぞ」
「はあい」
 安堵したように息を吐くエアリーと、それを戒めるアイーシャ。
 エアリーは常に後方からの奇襲に備えながら階段を下りていたので、かなり神経を使っていたのだった。
「さて、ソニア様、いかがいたしましょう? ソニア様にはこのまま王宮を脱出、寺院に避難してもらうという手もありますが・・・」
「そのような配慮は無用ですよ、ラウド」
 ラウドの提案をやんわりとした口調ながらもきっぱりと断るソニアである。
「どの道ラウドたちは、大臣と一戦交えるつもりなのでしょう?」
「それは、もちろんです」
 ラウドの言葉にアイーシャたちも無言のまま頷いた。
「ならばわたくしだけが安全な場所でのうのうとしている訳には参りません。父の仇を討つなどとは申しませんが、せめて皆さんと一緒に戦わせてください」
「ふっ、ただの小娘かと思っていたが、なかなか頼もしいじゃないか」
「アイーシャ! いくらなんでも王女様に失礼だよ」
 エアリーもアイーシャの性格は承知しているが、さすがに一国の王女相手の言葉としては礼を欠いている。
 しかしソニアは全く意に介していないようである。
「構いませんよ。今は王女だとか何だとか言っている場合ではありませんから。わたくしも皆さまの仲間の一人として扱ってください」
「気に入ったぞ王女。いやソニアと呼ばせてもらっても?」
「はい、そのように」
「ではソニアよ、約束する。貴女が大臣と・・・いや魔物と戦うと言うのなら、このアイーシャが全力で力になろう」
「あっ、あたいもあたいも!」
「もちろん俺もだ」
 はいはいっと手を上げるエアリーと、自らの胸を叩くホムラ。
「ふふ。ラウドは素晴らしい仲間に恵まれたようですね」
「ええ。ですがこれからはソニア様もその仲間ですよ」
「ラウド、『様』は無しです。何故ならわたしくと貴方は仲間なのですから」
「そうでしたね」
 ソニアとラウドの視線が交錯し、お互いの顔に笑顔が浮かんだ。
 それを見たアイーシャが話を切り出す。
「それでは今後の行動についてだ。おそらく大臣は自室に籠り、我々の動きを監視していると思う」
「あたいたち、見張られてるの?」
「そう思って間違いないだろう。だから小細工は無しだ。このまま直接大臣のいる場所に出向き、一気に叩く」
「大臣の居場所って?」
「おそらく自室、だと思うが・・・」
 アイーシャの言葉を受け、一同の視線がソニアに注がれた。
「分かりました。大臣が使っている部屋へ案内します」
 ソニアは大広間の西側にある扉を指す。
「あちらの扉から一度通路へ出ると、二階へ上がる階段があります。そちらから行きますよ」
「あの扉だな。よし、このまま大広間を突っ切るか」
 常に先頭を行くホムラが大広間の西側の扉へと歩き出すと、アイーシャらもそれに続いた。
 王宮の正面に据えられた大広間は、公式行事などでも頻繁に使用されるという。
 収容できる人数もかなりのものになる、広大な空間でもあった。
 先頭のホムラが大広間の中心付近に差し掛かった、その時である。
 大広間のあちらこちらの床の上に、黒い染みのような影が次々と浮かび上がってきたのだった。
「な、ナニあれ!?」
「落ち付けエアリー。どうやら大臣による歓迎の宴のようだ」
 黒い影は次から次へ、あっという間に大広間全体へと広がっていった。
 そしてそこから現れたのは、首の無い鎧の騎士たちであった。
 いや、正確に言えば首はあった。
 ただしそれは本来人間の頭部があるべき場所ではなく、騎士たちがそれぞれの小脇に抱えていたのである。
「骸骨の兵士の次は首無しの騎士か・・・次から次へと悪趣味だ」
 アイーシャが忌々しげに吐き捨てる。
 子供のころから地下迷宮に潜り魔物と戦ってきたアイーシャであったが、この首無しの騎士は初めてだった。
「こいつら何者だ? 分かるかラウド?」
「寺院にあった書物の中に記述があったかな。確かデュラハンという名前だったと思うよ」
 アイーシャも寺院に所蔵されている書物にはかなり目を通していたのだが、ラウドには敵わない。
 ラウドは記憶の中から、この首の無い騎士の記述を探り出していた。
「でもどうするのさ? 数が多過ぎるよ!」
「確かに。これは半端じゃねえな」
 エアリーが悲鳴を上げ、ホムラが嘆息する。
 大広間の床から次から次へと湧いて出る首無しの騎士は、次第にその数を増していく。
 あっという間にちょっとした軍隊とも言うべき規模に膨れ上がっていた。
「やるしかないだろう。ホムラ、頼むぞ」
「おうよ」
 ホムラがアイーシャに背を向けて立ち、敵の攻撃を防ぐべく体勢を取った。
 それを確認したアイーシャが魔導の書を開き、発動式を読み始める。
 こうなるとホムラとアイーシャはその場から動けない。
「エアリー、僕たちも」
「うん」
 もしも盾であるホムラが突破されてしまえば、魔導の書に集中しているアイーシャは無防備な身体を敵にさらすことになる。
 そこで、アイーシャの魔法が発動するまでラウドとエアリーが動き回って、少しでもホムラに対する攻撃を緩和するのである。
 更には、戦いに不慣れなソニアの身も護らなければならない。
 いくら銀の十字架に込められた聖なる力によって加護されているとはいえ、それが完全に敵の攻撃を退ける保証はないだろう。
 国王亡き後、ソニアはこの国を背負って立たなければならない身である。
 何があっても護らなければと、ラウドは心に誓っていた。
「はっ!」
 重い鎧をまとっているせいか、首無しの騎士たちの動きは遅い。
 エアリーが騎士たちの間を掻い潜って撹乱させ、次々となぎ倒していく。
「闇の力よ、鎮まれ!」
 このデュラハンもまた、不死の魔物である。
 ラウドのディスペルが聖なる輝きを放つと、まるで糸の切れた操り人形のように、首の無い騎士たちはその場に崩れ落ちていった。
 そして。
「マハリト!」
 魔導の書第3ランクに属する炎の魔法が発動し、デュラハンたちを焼き尽くしていく。
「やったか・・・」
 盾を構えて首無しの騎士たちの攻撃を受け止めていたホムラが、魔法の成否をじっと見守る。
「ホムラ、まだだよ。集中して!」
 叫ぶラウドの声にホムラが盾を構え直した、その直後。
「マハリトっ!」
 高めた集中を切らすことなく、間髪入れずに一気に発動式を読み上げたアイーシャ。
 連弾となって放たれたマハリトの炎が、後方に控えていたデュラハンたちにも襲い掛かっていた。
 ラハリトよりも若干威力は落ちるものの、アイーシャがこの魔法を選択したのには理由があった。
 限られた人数で目の前の多くの敵と戦うためには、こちらも手数で応じなければならない。
 あえて発動式の短い低ランクの魔法を使うことで、攻撃の回転率を高めたのである。
 また、不死の魔物には炎を弱点とするものも多い。
 長年の経験と勘により、マハリトでも十分に対応できるとのアイーシャの読みもそこにはあったのだが。
 マハリトの連発によって焼き尽くされ、葬り去られた首無しの騎士たち。
 しかし。
「うわっ、また湧いて出てきた。これじゃあ切りがないよ」
 エアリーが叫ぶのも無理からぬことだった。
 アイーシャが一気に敵を始末したにも関わらず、新たな敵があちらこちらの床に浮かんだ染みから現れるのである。
「まさに多勢に無勢、だね」
 ラウドのいつもの暢気な口調ではあるが、明らかに焦りの色が滲んでいる。
 アイーシャが発動式を読み上げる以上の早さで敵が現れ続ければ、そのうちに押し切られてしまうのは容易に想像できた。
 それでもやるしかないと、アイーシャが三度魔導の書を掲げたのだが・・・
「待ってください」
 それを制したのはソニアであった。
「ソニア、何故止める?」
「ここはわたくしに」
 強い決意を秘めたソニアの視線がアイーシャに向けられた。
 アイーシャは無言のまま、ソニアの次の行動を待つことにする。
 いくら信仰心に篤いとはいえ、これだけの不死の魔物をどうにかできるとも思えない。
 魔法が使える訳でもないし、ましてや武器を扱えるはずもない。
 そんなソニアに一体何ができるのか・・・
 一同、固唾を飲んで見守っていた。
 ソニアは大きく息を吐き、吸った。
 そして。
「皆の者、わたくしの声が聞こえますか? ソニアです。パナソール王が娘のソニアです」
 この小柄な身体のどこからこれだけの声が出るのか?
 威厳のある声が王宮全域に響き渡る。
「この王宮は今、ビクトル大臣に成り済ました魔物によって蹂躙されようとしています。
 王宮に集う兵士たちよ、そのような暴挙を決して許してはなりません」
 ソニアは兵士たちにと必死に呼び掛ける。
 魔物を恐れず、立ち向かえ、と。
「ソニア様?」
「御無事だったのですか?」
 大広間を囲む通路から、ガヤガヤと男たちの声が聞こえてくる。
 王宮に務める兵士たちであった。
「皆さん、わたしくはここに。お願いです、共に戦ってください」
「おおっ、ソニア様!」
「王女は健在であったか!」
「ソニア様を御救いするのだ。魔物を蹴散らせ!」
 あちらこちらから兵士たちの声が次々と上がると皆一斉に剣を抜き、首の無い騎士に斬りかかる。
 異形の魔物にも臆することなく立ち向かうその姿は、地下通路でスケルトンソルジャーを相手に混乱し、逃げ惑っていた兵士たちとは思えぬ戦いぶりだった。
 数に対してはやはり数で対応するのが戦である。
 兵士たちは次第に首の無い騎士の軍団を制圧していったのだった。
「さあラウド、今のうちに」
「ええ。行きましょう」
 活路が開けたと見るや、ラウドがソニアの手を取って走り出す。
 その周りでホムラとエアリーが剣を振るい、立ちはだかるデュラハンを蹴散らしていく。
 アイーシャも遅れないように、必死に食らい付いていった。
 大広間を突破して通路へ出て近くの階段を駆け上がると、大臣の居室は目の前に迫っていた。

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