魔導の書〜第二章〜
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ごく短い発動式の韻律が、地下迷宮の一室に木霊した。
自らの手のひらに、人の頭ほどの大きさの火球が浮かび上がるのを見て取った女の顔に、薄らと笑みが浮かぶ。
白い衣装を身にまとった女魔導師は銀色に映えた髪をなびかせながら、手のひらの火球を目の前の対象者に向けて放った。
火球は真っ直ぐに、ブラウンの髪を両サイドで束ねている少女へと走る。
「はっ!」
少女は特に怯えるようなこともなく、後方へ宙返りをして迫りくる火球をやり過ごす。
「えへっ、そんなの当たらないよアイーシャ」
「そうか、ならばこれならどうだ?」
アイーシャと呼ばれた銀色の髪の女が、左手に持った書物を目の前に掲げる。
開かれたページに記されている発動式を一気に読み上げ、最後にその魔法の名を告げる。
「メリト」
氷のように凛と澄んだ声が響くと、アイーシャの右の手のひらには再び火球が浮かび上がった。
「これをかわせるか、エアリー?」
アイーシャが不敵な笑みを浮かべると、火球が次々と分裂していく。
ひとつが二つに、そして二つが四つに。
四つに分裂した火球がアイーシャの手から放たれた。
火球はそれぞれが独自の軌道を描き、四方からブラウンの髪の少女エアリー目掛けて襲い掛かった。
「アイーシャ、それ反則・・・って、うわー!」
上下左右から迫りくる火球の群れをかわしきれないと判断したエアリーは、両腕を構えてしっかりと護りを固める。
じゅっ、と肉が焦げたような音がした。
「くっ・・・」
急所への直撃は免れたものの、防具に護られていない腕や足をかすめた火球が鈍い痛みを与えてくる。
たまらずその場に膝を付くエアリー。
「エアリー、平気か?」
「もう、ヒドイよアイーシャ」
「済まなかったな」
エアリーの抗議の言葉にも特に悪びれる風でもなく、アイーシャは開いていた書物をパタンと閉じた。
「ねえ、今のって? 見たことない魔法みたいだけど・・・」
「ああ、メリトだ。いわゆる『裏の魔法』だな」
「裏の・・・魔法?」
初めて聞く言葉にキョトンとするエアリーに、アイーシャはふっと笑ってみせるのだった。
狂王トレボーの時代から遡ることおよそ500年、大陸の中にある小国エセルナートは未だ魔法文明の黎明期である。
そんな時代でありながらも、自在に魔法の力を操る魔導師がいた。
魔導師の名はアイーシャ。
青い瞳に銀色の髪を持ち、常に冷静冷酷な性格から「アイスドール」と呼ばれる女である。
そしてアイーシャの手にある書物こそが「魔導の書」であった。
魔導の書の中にあるマハマンによる死者の蘇生行為。
アイーシャはその習得のために、カント寺院によって見出された孤児の中の一人だった。
寺院によって課せられた過酷な修行の日々。
そして魔物を相手にした実戦訓練。
多くの魔導師の卵たちが命を落とし脱落していくのを尻目に、着実に魔法の力を身に付けていったアイーシャ。
やがてアイーシャは、エセルナート国内でただ一人の魔導師となったのだった。
「ここを見てみろ」
アイーシャはエアリーに、魔導の書の冒頭のページを開いて見せた。
そこには、この書物に掲載されている魔法の一覧が記されてあった。
魔法のランク、名称、魔法の内容などが、表組みになって書かれている。
「このページに書かれた魔法が、今まで私が習得してきた魔法だ。エアリーも知っている魔法がほとんどだろう」
「えーと・・・マハリトに、ダルト。そうそうマダルトなんかもあるね」
エアリーの姉はアイーシャと同じく魔導師を志していたのだが、魔物との戦いで若い命を落としていた。
死んだ姉とは違ってエアリーは魔法の力は持っていない。
その方面での才能に恵まれなかったのだ。
しかしながらも、アイーシャがよく使うそれらの魔法についてはすでに馴染みのものとなっていた。
「あれ・・・? マイルフィックを倒した時に使ったラダルトの魔法がないみたいだけど・・・」
エアリーは必死に一覧に目を走らせる。
しかし、目当ての魔法の名前は見つからなかった。
「それはラダルトが裏の魔法だったからだ」
アイーシャはパラパラとページをめくる。
その手は魔導の書の後半のとあるページで止まった。
「これがラダルトの発動式だ。分かるかエアリー?」
「えっ、えーと・・・ダメだ。全然分からないよー」
エアリーは最初の一行に目を通しただけで、お手上げとばかりに両手をあげてしまう。
魔導の書に宿る魔法の力を導き出し発動させるための術式、それが発動式である。
発動式は大変に難解かつ複雑で、その内容を理解できない者にとってはまったく意味不明の文字や記号の羅列にしか見えないのであった。
アイーシャはよく「発動式は数学に用いる数式に似ている」と言う。
ごく簡単な方程式ならば、特に計算などしなくてもすぐに答えを導き出せるだろう。
しかしそれが高度な数式となるとどうか?
数学を理解しない者にとっては、それは何の意味も持たない数字と文字の羅列にしか見えないものである。
魔導の書にある発動式も、ごく初歩のものなら書物に記された発動式を読む必要もないだろう。
ある程度魔法の才能を持ち、基礎を学びさえすれば、比較的簡単に目的の魔法を発動させることが可能ではある。
しかし魔法のランクが高いものになればなるほど、発動式もそれに伴って複雑化してくる。
複雑化した発動式を読みこなし魔法の力を正しく導き出すためには、それ相当の技量というものが必要になってくる。
難解な発動式の内容を完璧に理解し、正確な手順を踏んで一言一句違わず読み上げることによって魔導の書に秘められた魔法の力を解放、そして発動させる。
それができるのは、アイーシャだけなのである。
「このラダルトの魔法は冒頭の一覧にその名前が記されていなかったな。だがこうして発動式は存在する。
あのクソジジイがどういう訳で一覧にラダルトを加えなかったのかは分からない」
アイーシャが「クソジジイ」と言った時、エアリーの脳裏にこの地下迷宮の奥深くで氷漬けになっていた老人の姿が思い起こされた。
古の大魔導師ワードナ。
魔導の書の著者にして、遥か未来の世界での復活を夢見て自ら眠りに就いたという奇妙な老人だった。
実際に自分の目で見たにも関わらず、エアリーにとってはワードナの存在は夢か幻だったのではないかと思えるのだった。
「この一覧にある魔法を便宜上『表の魔法』と呼ぶとしよう。そして一覧にない魔法が『裏の魔法』となるわけだ」
「そうするとラダルトも裏の魔法なんだね」
「そうだな。あくまで推測だが実用化が難しいとか、ひょっとしたらクソジジイ自身も使いこなせない魔法だったとか・・・そんな理由なのかもしれないな」
そこで説明は一段落とばかりに、アイーシャはパタンと魔導の書を閉じた。
「さあエアリー、地上へ戻ろう。軽度とはいえ火傷しているはずだ。早く治療したほうがいい」
「そうだね。行こうか」
2人は連れ立って地下迷宮から地上への帰路に付いた。
あの戦いから約一か月が経っていた。
ここ最近、アイーシャとエアリーはよく地下迷宮の一室で模擬的な戦闘訓練を繰り返していた。
地下迷宮とは言っても一番浅い第1層の、それも入り口から一番近い部屋を利用する。
この辺りなら出没する魔物もたかが知れている。
オークやコボルドなどの亜人種や、せいぜいが街を追われた盗賊などだ。
エアリーが剣を振って始末しても良いし、数が多ければアイーシャが魔法で一気に焼き払ってしまっても構わない。
まるっきりの初心者ならばともかく、アイーシャやエアリーがそんな輩に遅れを取ることなど考える必要もないだろう。
地上ではなく地下を利用するのは、周囲の建物や人に被害を及ぼさないためである。
まさか街中で魔導の書を広げ、強烈な炎や冷気の魔法を発動させるわけにもいかないだろう。
通い慣れた通路を辿り、入り口から外へ出る。
地下迷宮の暗闇を抜け出た二人を、春の日差しが温かく迎えてくれた。
街外れから城門を潜り、大通りを抜ければそこにはカント寺院の豪奢な建物がそびえていた。
元々が寺院によって見出されたアイーシャである、今も寺院直属の魔導師として日々の生活の拠点はこの寺院に置いている。
国中に多くの信者を持つこの寺院は、王宮をも凌ぐ権力を持っているという。
その寺院の直属の魔導師ともなれば、決して公式なものではないにしろ、アイーシャの身分もかなりのものと言って良いだろう。
そしてエアリーもアイーシャの仲間として、更には王宮から騎士の称号を与えられているという身分を持つ。
寺院の中でもとりわけ顔の知られた有名人と言って良いだろう。
新入りの僧侶などは「大僧正の顔は知らなくても、アイスドールの顔は忘れるな」と教えられるほどである。
そしてその教えの先には「決してアイスドールを怒らせてはならない」と続くのだが。
門番を務める下級の僧侶を、アイーシャの氷のように冷たくそして鋭い視線が射抜く。
それだけで彼は緊張して背筋を伸ばし「ど、どうぞ」と二人を寺院内へと導いてくれた。
その様子がおかしくて、エアリーはくっくと笑いをかみ殺している。
勝手知ったるとばかりに寺院内の廊下を迷うことなく移動し、もう一人の仲間の部屋を訪れる。
「ラウド、いる?」
コンコンとドアをノックするエアリー。
「開いてるよ、どうぞー」
すると部屋の中から、どこか暢気な男の声が返ってきたのだった。