魔導の書
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それから数日間、アイーシャたちは地下迷宮の比較的浅い層で魔物との戦いを繰り返していた。
ホムラとエアリーの戦闘訓練が主な目的である。
コボルドやオークといった亜人種、ゾンビやスケルトンなどの不死の魔物、更には闇の力に当てられて暴れ出したクマやオオカミなど。
修行の相手には事欠かなかった。
当然のことだが、アイーシャにとっては物足りない日々が続く。
もっと深い層まで下りて行ってより凶悪な魔物と戦い、魔導の書の力を思う存分発揮させたいところなのだが・・・
アイーシャ自身、よく我慢しているものだと半ば呆れたりもしていた。
それでも日を追うごとに確実に成長するホムラたちを見るのは、アイーシャにとって嬉しいことでもあるのだが。
一方のホムラとエアリーも、毎日の厳しい戦いにもめげずによく付いて行っていた。
もし何かあっても、後ろからアイーシャやラウドが支えてくれるという安心感があるから、思いっきり暴れられる。
一日の戦いを終えた後は身体は疲労でクタクタだったが、精神的にはとても満足できるものだった。
またエアリーにとっては、戦いの後で見つかる宝箱の中身が何よりの楽しみになっていた。
手先の器用さを生かして罠を外し、お宝を漁る時のあのワクワク感がたまらないのだ。
日々のちょっとしたお小遣いはもちろん、時にはランタンや各種の巻物など、迷宮でのサバイバルに役立つアイテムなども発掘することもあった。
そして、そんな三人をうまくまとめているのはラウドである。
ちょっとしたことですぐケンカになるアイーシャとホムラの間に入ったり、また治療師として傷ついた仲間の傷を癒したりと。
パーティの要として欠かせない存在になっていた。
そんな日々が続いていた、ある日のこと。
「今日は第4層まで下りてみようか」
地下迷宮に下りるなり、ラウドが提案した。
「良いだろう。いや、そうでなくてはな」
即座に賛同したのはアイーシャ、表情には出さないが今までの鬱憤を晴らそうと息巻いているのがハッキリと分かる。
地下迷宮第4層ともなれば、かなりの強敵と遭遇するのは避けられない。
もう今までのように、ホムラとエアリーの肉弾戦だけではやっていけないだろう。
当然、魔導の書の出番になるはずだ。
「久しぶりに暴れさせてもらうぞ」
実際に身体を動かして暴れるわけではないのだろうが、とにもかくにも魔導の書の力を思う存分使いたい、というのがアイーシャの本音だった。
それに対して
「だ、大丈夫かな・・・」
「うむ、多少不安ではあるが・・・」
今一つ乗り気になれないエアリーとホムラであった。
「そうだねえ、不安なのは分かるけど・・・でも、いつかは行かなきゃならないんだから。
それに、今日はアイーシャがいつも以上に飛ばしてくれるはずだから、どーんと大船に乗ったつもりで、ね」
「ああ、私に任せておけ。エアリーは適当に逃げ回ってくれてて構わない」
「そっかー、なら安心かな」
ラウドとアイーシャの説明に、ホッと胸を撫で下ろすエアリー。
しかし、一方のホムラは。
「おい、エアリーは逃げ回っても良いって、俺はどうなんだ?」
「そんなのは決まっている。ホムラの立ち位置は常に私の前だ。お前は盾を構えて私の前に立っていろ」
「ったく、やっぱりそれかよ!」
「間違っても攻撃なんかするな。余計なことをすればかえって隙ができるからな」
「うっ・・・」
「何だったら剣なんかこの場に置いて行け。今日のホムラにはまったく必要ないものだ」
「テメエ、言わせておけば! この剣は我が家に代々伝わるだなあ」
「ホムラの実家は田舎で没落した貴族だと聞いているぞ。その剣の出どころも怪しいものだな」
「くっ・・・」
いつものようにアイーシャと言い合いになり、そしていつものように言い負かされるのだった。
言葉での喧嘩となると、ホムラはどうしても頭の回転が速いアイーシャには敵わないのだ。
「まあまあ二人とも。そのくらいにして」
そんな二人をなだめるのも、ラウドの仕事の一つなのである。
「そうそう、喧嘩はダメだよ。それに、アイーシャはちょっと言い過ぎかな」
ちょっと大人びた言い方をするエアリーに、かつての同僚だったウェインの面影を見出してドキっとするアイーシャ。
思えばウェインが生きていた頃は、こんなふうに怒られることもたびたびだった。
あのちょっと困った風なウェインの怒った顔に弱かったものだ。
「・・・そうだな。悪かったホムラ」
「あ、ああ」
アイーシャに素直に謝られて、かえって困惑するホムラであった。
「よーし、それじゃあ行ってみようか」
話が落ち着いたところで、一行は第4層へと向かった。
地下迷宮の内部には、各階層を結ぶエレベーターが設置されてあった。
一体いつから、そして誰が設置したのか?
今もって謎なのだが、地下迷宮を利用する者にとっては、これ程ありがたいものはないだろう。
エレベーターは二本ある。
第1層から第4層を結ぶものと、第4層から第9層を結ぶものだ。
各階層を結ぶ階段もあることはあるのだが、それらを利用するためにはかなりの遠回りをしなければならない。
特に必要がなければ、不便なのであまり使われることはなかった。
一行は、第1層の中央を南北に走るメイン通路を抜け、エレベーターへと乗り込んだ。
この通路はほとんどが一切光を通さないダークゾーンになっている。
しかし基本的に一本道であり、通い慣れたアイーシャやラウドにとっては、何の問題もなかった。
ホムラとエアリーにしても、最初のうちはダークゾーンに戸惑ったものだが、慣れてしまえばどうということもなくなっていた。
エレベーターに乗り込み、ラウドが一番下にある「D」と書かれたスイッチを押す。
するとエレベーターは音もなく、静かに動き出す。
そもそも、このエレベーターの動力からして謎だった。
機械式ではないので、魔法によるものだろうとは推測される。
しかし、その魔力の源はと聞かれると、これに答えられる者は誰もいないというのが実情である。
アイーシャたちも初めてエレベーターを利用した時は不思議に思ったものだが、今はもう「そんなものか」という程度の認識しか持っていなかった。
そこにあって当たり前、動いて当然の存在。
エレベーターの謎を解くということは、地下迷宮の存在意義そのものを解くのと同義であるとも言える。
そんな無駄なことに頭を悩ませるくらいなら、魔導の書の解析にでも時間を費やしたほうがよほども建設的だろう。
やがてエレベーターが静かにその動きを止めた。
エレベーターから下りれば、そこはもう第4層である。
アイーシャとラウドにとってはお馴染みの光景ではあるが、ホムラとエアリーがこの階層に足を踏み入れるのは初めてだった。
今まで戦っていた上の層階とは、どこか違う空気が二人を包み込む。
それは単に温度や湿度の違いといったようなことではなく・・・
何とも言いようのない禍々しさが、そこには満ち溢れているように感じられたのだ。
「上とはずいぶん雰囲気が違うね」
「ああ、ここは地獄の三丁目ってところだな」
慎重に周囲の様子に目を配る新人二人。
その様子にラウドがふっと微笑む。
思えば自分たちも初めてこの階層に下り立った時は、今のホムラたちと同じように思ったものだった。
ただ一人、眉ひとつ動かさなかったのはアイーシャである。
それでも久しぶりに魔導の書を使えるとなれば、表情には出さないものの、心の内に静かな闘志を燃やしているのだが。
「ここから南へ通路を辿ると第二エレベーターがあるんだけど、今日は北へ向かおうか」
ラウドが方針を決め、みんなでその方角に向けて歩き出す。
パーティの前列を歩くのは、やはりホムラとエアリーである。
いつ、どこで魔物に出くわすかと、その歩みはゆっくりとしたものにならざるを得ないだろう。
ランタンの灯りを頼りに少しずつ通路を進むと、やがて突き当りに扉を見ることになる。
「この扉を開けるとたいてい魔物がいるんだけど・・・心の準備は良いかな?」
「ああ、平気だ」
「あたいも大丈夫」
ラウドが問い掛けたのは前衛の二人に対してだ。
ホムラもエアリーも多少緊張してはいるものの、魔物と戦えないというようなことはないだろう。
もちろんアイーシャはと言えば、魔物との戦いを今や遅しと待ちわびているのが傍で見ていてひしひしと感じられる。
「それじゃあホムラ」
「うむ」
ラウドに促されて、ホムラがゆっくりと扉を開けると、一行は素早くその向こう側へとなだれ込んだ。
ガル・・・グググ・・・
それは動物の唸り声のように思われた。
「ナニ? 今の何の音?」
慌てたエアリーがランタンをあちらこちらに向けて振り回す。
そして。
「あっ! あれは・・・何?」
思わず声を上げるエアリー。
ランタンの灯りが照らす先に、緑色の鱗を持つ巨大な生物の姿が浮かび上がったのだった。