魔導の書

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 それは、犬のような顔をした亜人種の集団だった。
 右手にはその身体には不釣り合いなくらいに巨大な蛮刀、左手には小型の盾を持っていた。
 コボルドである。
 魔物の中でも比較的身近な存在のコボルドは、街の外にある森などでもその姿を見ることができる。
 ブタのような顔をした亜人種であるオークとは仲が悪いらしく、この地下迷宮内でも絶えず抗争を繰り返しているようである。
 もっとも、アイーシャやラウドにとっては、相手がコボルドだろうがオークだろうがたいして変わりはないのだが。
「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・あー、全部で5体か」
「ザコの中のザコだ。さっさと始末しろ」
 パーティの後方で暢気に敵の数を数えるラウドと、つまらなそうに腕組みをしているアイーシャ。
「分かってる。今倒すからな。手は出すなよ」
「ホムラ、大丈夫かな?」
 一方前列に立つホムラとエアリーは、かなりの緊張ぶりだった。
 肩に力が入りすぎで、動きがぎこちなくなっている。
 しかし、既に戦いは始まっている。
 コボルドはこちらの状況などお構いなしに襲い掛かって来るのだ。
 開戦直後、一番手前にいたコボルドが一気に距離を詰めたかと思うと蛮刀を振り上げ、ホムラに叩き付けてきた。
「クッ!」
 ホムラは何とか反応し、コボルドの放った一撃を鉄の盾で受け止める。
「うまいぞ。早速盾になる練習だな」
「アイーシャ、それは違うから」
「分かっている。皮肉だ」
 そんなやり取りがホムラの耳にも微かに届く。
 こっちは必死だってのに、と思わず言い返したくなったが、そんなことを言えばまたアイーシャにバカにされるだけだろう。
 それだけは我慢がならなかった。
 ここは意地でも自力で何とかするしかない。
「この野郎!」
 力任せに盾を押し返してコボルドの身体を引き離すと、ホムラは剣を振い反撃する。
 ぐさり。
 コボルドの肩口から胴体へ抜ける確かな手応え。
 ぐわっ、と悲鳴とも鳴き声とも付かない声を上げて、コボルドはその場に崩れ落ちた。
「はは・・・やったぜ」
 後ろを振り返って笑うホムラ。
 だがその顔は引きつり、笑い声はどこか力ないものだった。
「油断するな、次だ」
「お、おうよ!」
 あくまで冷静なアイーシャの声に押されて、ホムラは次のコボルドに向かって行った。
 初めこそ緊張で身体がうまく動かなかったが、慣れてしまえば何とかなるものだ。
 コボルドの攻撃は太刀筋など一切ない、ただ力任せに蛮刀を振り回しているだけだと気付く。
 これなら街のゴロツキとそう変わらない。
 見た目が人間離れしているので気遅れした部分はあったが、実力さえ分かってしまえば恐れる敵ではなかった。
「うおりゃー!」
 ホムラの振るう剣がコボルドの胴体を薙ぎ払う。
 巨漢が繰り出す一撃だ、コボルドはそれであえなく絶命してしまう。
 一方エアリーも、小さくて身軽な身体を生かしてコボルド相手にうまく立ち回っていた。
「よっ、とっ、はっ!」
 コボルドが振り回す蛮刀を確実に見切ってかわしていく。
 そして
「とぉりゃー!」
 一瞬の隙を突いてコボルドの懐に潜り込み、首筋の急所を短剣で切り裂き、また離脱する。
 ホムラのような豪快さはない。
 しかしエアリーはまた独自の戦い方で、確実にコボルドを倒していった。
 ホムラとエアリーがそれぞれ二体ずつのコボルドを倒し、残りは一体。
「俺が貰ったー!」
 勢いに乗るホムラが最後の獲物を狩ろうと一歩を踏み出す。
 しかし・・・
「あっ!」
 すでに絶命しているコボルドの流した血に足を滑らせ、バランスを崩してしまったのだ。
 敵を目の前にして片ひざを付いて崩れ落ち、背中を見せる格好になる。
 その隙を見逃すことなく、コボルドが襲い掛かってくる。
「ホムラ!」
「アブナイっ!」
 叫んだのはラウドとエアリー。
 その声はホムラにも届いてはいたが、それでどうなるものでもない。
 懸命に体勢を立て直そうとするが、間に合わない。
 せめて攻撃を防ごうと、身体を捻りながら盾だけを上へと差し出した。
 コボルドが蛮刀を振り上げ、今にもホムラ目掛けて叩き付けようとしていた。
 その時。
「カティノ」
 一瞬の静寂の中、滑らかな水面に一滴の水滴を落としたかのような静かな声が玄室の中に響いた。
 アイーシャが口にした魔法の発動式である。
 それと同時にコボルドの手から蛮刀がずり落ち、身体がグラリと崩れる。
「せいやー!」
 ホムラは倒れた体勢のまま、剣を突き上げてコボルドの身体を貫いた。
 既に意識を失っているのか、コボルドは悲鳴を上げることもない。
 ホムラが剣を引き抜くとわずかに身体を痙攣させ、生命活動を停止した屍がズンとその場に倒れた。
「ふぅ」
 大きく息を吐いたのはホムラ、どうやら命拾いしたと実感する。
「良かったぁ」
「無事で何より」
 エアリーとラウドもホッと胸を撫で下ろす。
 ホムラはまだ尻もちをついた姿勢のまま、後ろへと振り返る。
 その視線の先に何食わぬ顔で立っているのは、アイーシャであった。
「お前が・・・助けてくれたのか? すまなかった」
 最も意外な人物に助けられた、というのがホムラの正直な気持ちだった。
 アイスドールと呼ばれる程の冷酷非情、なおかつワガママ勝手で自己中心主義だと思っていたアイーシャが、自分を助けるために魔法を使ったのか、と。
「さっきのって、あたいが眠らされたヤツ?」
「ああ、そうだね」
 エアリーがラウドに小声で聞く。
 そう、アイーシャが使った魔法は、魔導の書第1ランクに属するカティノであった。
 このランクの魔法なら、アイーシャも魔導の書の力を使わずとも発動できる。
 それは同時に、アイーシャの取り得る最も素早い対応だったということを意味しているのだが。
「勘違いするな」
「勘違い・・・だと?」
 アイーシャが放った冷たい一言に、ホムラの顔が一瞬にして険しいものへと変わる。
「そうだ。もしここでホムラに死なれたらまた新しい人間を入れ直さなければならない。
 そうなったらまた『盾の役割』について一から教え直さなければならない。
 そんな面倒なことをするくらいなら、ここで私が手を出してホムラを助けたほうが話が早い。違うか?」
「それは違わないだろうが・・・だが、そんな言い方はないんじゃないか?」
「手を出さないという約束を破ったことは悪かった。だがまあ、ホムラもあの程度のザコ相手に私の手を煩わせるな」
「なっ・・・アイーシャ、人が下手に出ていれば!」
「それより早く立ち上がれ。それともホムラはそんなにコボルドの血にまみれるのが好きなのか?」
「うるせえ、分かってるよ」
 ようやくホムラは立ち上がる。
 見れば全身コボルドの血にまみれてベトベトである。
「うへえ・・・買ったばかりの鎧なのにな・・・」
「ひどい姿だな。だが、その血がホムラ自身の血ではなくて良かったな」
「お気遣い、どうも」
「間違っても私に近付くな。一滴でもコボルドの血を私のドレスに付けたら許さないからな。その時は本当にホムラの血でその鎧を染めることになるぞ」
「言ってろ」
 お互いに悪態をつきあうアイーシャとホムラ。
「やれやれ、二人とも素直じゃないよねえ」
 そんな二人のやり取りに、先が思いやられるとばかりに首を横に振るラウドだった。

「ねえねえ、アレって何?」
 エアリーが部屋の片隅に置かれたモノに気付いた。
「ああ、あれは宝箱だよ」
 ラウドが優しい声で答える。
 玄室で魔物と戦った後、こういった宝箱が見つかることはよくある。
 そもそも、何故宝箱が置かれてあるのか、ハッキリとしたことは分かっていなかった。
 異世界から呼び出された魔物が持ち込んだとも云われているが、微妙な説だろう。
 そもそもコボルドやオークなどは、異世界からの来訪者などではないはずである。
「宝箱・・・ってことは、お宝が入ってるの?」
 エアリーの瞳が好奇心で爛々と輝いた。
「お宝って言っても、大したものは・・・ああ、エアリー、不用意に触ったらダメだって」
 ラウドが止めるのも間に合わない、エアリーは既に宝箱に向き合っていた。
「えっと、ここがこうだから・・・」
「エアリー、ダメだって。宝箱には罠が仕掛けられているんだ。それに引っ掛かるとだねえ・・・」
 ラウドはエアリーを止めに掛かる。
 実際のところ、ラウド自身も過去に宝箱に手を出して罠に引っ掛かり、痛い目に遭ったことが何度かあった。
 しかし。
「罠ってこれのこと?」
 エアリーが小さな矢を取り出してニヤリと笑った。
「エアリー・・・」
「元・大道芸人の手先の器用さをナメてもらっちゃあ困るな。
 こんなのチャチな罠だよ。蓋の裏にバネが仕掛けてあって、そのまま開けると矢が飛び出すんだろうけど・・・
 蓋の隙間からそのバネを切ってやればもうお終いだね。楽勝、楽勝♪
 こんな罠に引っ掛かるなんて、よっぽどの不器用か、それとも運が悪いか、じゃないかな?」
 エアリーは愉快そうに、宝箱の中を漁り始めた。
「ん? これは剣かな。それに杖・・・なんだこりゃ? 捻じれていて使い物にならないよ。
 あっ、金貨もあるね。これは儲けた」
「どうやらいらぬ心配だったみたいだね」
「まったくだ。気楽なもんだぜ」
「ふっ・・・」
 無邪気にはしゃぐエアリーの様子に、思わず頬が緩む三人だった。

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