魔導の書
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地下迷宮。
エセルナート国内のみならず、大陸の各地に点在するこの巨大施設はそもそも何なのだろうか?
古代王朝のファラオが自らの死後のために造った墓所だとも、戦争によって住む場所を失った民衆を収容するための地下シェルターとも云われている。
もっと変わった意見となると、一種の監獄だというものもある。
地下深くに罪人を置き去りにして入り口を塞いでしまえば、その罪人は暗闇の中でのたれ死ぬだけだ、という。
現在では魔物が出没することから、それらの魔物と戦うことで自らの技量を磨くための修行の場として利用されることが多いようではあるが。
新たに結成された四人のパーティも今、街外れの入口から地下迷宮へと下り立った。
アイーシャとラウドにとっては通い慣れた場所ではあるが、ホムラとエアリーには未知の空間である。
カビと埃と血と獣の臭いの混じった、なんとも形容しがたい臭いがそこには充満していた。
初めての者にとっては、その臭いに慣れるまでが辛い時間となるだろう。
壁材に使われている岩石がほのかに発光しているため、日の当たらない場所でも最低限の視界は確保できる。
感覚としては、月明かりに照らされた街中を歩ける程度の視界であろう。
もちろんそれだけでは足りないので、ランタンや灯りの魔法の効果を発揮する巻物といった照明器具は必須ではある。
しかしどちらも高価な品であることには違いないので、節約できるところでは節約したいところだ。
いくら寺院がバックに付いているとは言っても、その資金にも限度がある。
「さーて、みんな良いかな? それじゃあ今日は何処まで行こうか?」
その場を仕切るように話を始めたのはラウドであった。
現在分かっているだけで、地下迷宮は全9層の構造をしていた。
当然のことながら、深い層へ行けば行くほど出没する魔物は凶悪なものになる。
「もちろん第9層だ。それ以外では修行にならない」
いつもの通りの低くて抑揚のない声で答えるアイーシャ。
その声音は、「何を当り前のことを聞くのだ?」と怒っているようにも聞こえた。
「うーん、アイーシャにとってはそうなんだけどね。でも今日は新人さんもいることだし」
「構わん。どうせホムラは立っているだけが仕事だ」
アイーシャのこの言い草にはムッとなるホムラだったが、ここはあえて黙っていることにした。
あらかじめラウドにそう言い含められていたからだ。
「まあそう言わないで。ホムラもエアリーも少し地下迷宮に慣れてもらう必要があるのはアイーシャも分かっているはずでしょう」
「それは・・・まあ」
「今までも急ぎ過ぎて、初心者をいきなり地下深くに連れて行って死なせちゃったりしたしね」
「ああそうだ。自分一人が死ぬだけならまだしも、魔物の攻撃から逃げ回られては後ろにいる私も安心はできなかったな」
「だよね。だから今回はじっくり行こうか」
「それもそうだな・・・よし、分かった、ここはラウドに任せよう」
あのアイーシャがラウドの言葉に頷いた。
これにはホムラもエアリーも驚きを隠せなかった。
それと同時に、このパーティを取り仕切るのはラウドなのだと改めて認識させられたのだった。
協調性皆無なおかつ唯我独尊の女魔導師をうまく操り、パーティの方針を決めていくのはあの男の仕事である、と。
「ホムラとエアリーもそれで良いよね。今日はこの辺りで魔物と戦ってみよう」
「ああ、俺は構わないが」
「うん、あたいもそれで良いよ」
「それじゃあ出発しようか」
ラウドの、号令とも言えない暢気な声で歩き始める一行であった。
パーティは通常、前衛と後衛の二列に分かれて行軍する。
常にパーティの先陣に立ち、魔物と直接剣を交え、その攻撃を受け止めるのは前衛の務め。
対する後衛は、前衛陣の後ろから魔法などによる支援をすることになっている。
もっともアイーシャに言わせれば、「前衛に立つ者は私の盾にすぎない」となるのであろうが。
戦いの主役は前衛ではない、魔導の書を操り強力な魔法を繰り出す自分である、と。
前衛を務めるのはホムラとエアリーの新人コンビ。
そして後衛はラウドとアイーシャである。
肉弾戦を得意とする者、魔法の扱いに長けた者。
それぞれの特性を生かした配置と言えよう。
ホムラが身に付けているのは、先日買い込んだ防具一式である。
上下揃ったフルプレートに鉄製の盾、腕を護る篭手に頭部を護る兜。
そして先祖から伝わったと豪語する自慢の剣がその手に光る。
軽業を得意とするエアリーは、ホムラよりはずっと軽装である。
動きの妨げにならないような身体にピッタリとした衣服に、肩や胸部などの要所を護る軽い革製の鎧を身に付け、武器は短剣のみ。
ちなみにその短剣は、先日アイーシャを襲った時のものだ。
ラウドはいつもの緑を基調とした法衣に、魔法の効果を記した巻物を数点。
その他には各種治療薬などを持ち歩いている。
アイーシャはお気に入りの白いドレス姿。
胸元や袖口そしてスカートにまで、いたるところにヒラヒラとしたレースの飾りがしつらわれてあった。
ホムラに言わせれば「無駄にチャラチャラした衣装」ということなのだが、そんな戯言に耳を貸すアイーシャではないだろう。
エアリーはむしろ「可愛い服だね」などと褒めてくれる。
アイスドールと呼ばれるアイーシャも女である、着ている服を褒められればそれなりに嬉しいものだ。
そしてアイーシャの手にあるのは、例の魔導の書である。
この魔導の書の力を最大限に引き出すことこそが、アイーシャのみならず寺院の目的なのである。
しかし、魔導の書はただの本ではない。
秘められた魔力を解放し、自在に操るためには、相応の能力が求められる。
体力的なことはもちろん、魔法を制御するための精神力を更に高めなければならないだろう。
その為の修行であり、魔物を相手とした実践訓練なのだ。
程なくして一行は、とある扉の前までやって来た。
「さて、この扉を開けると玄室がある。玄室には魔物が潜んでいることが多い。当然戦いになるよね。
訓練とは言え、命がけなことには変わらない。準備は良いかな?」
ホムラとエアリーの新人二人に最後の確認をするラウド。
「ああ、いつでも来い、だ」
「あたしもヘーキだよ」
それに対する二人の返事は、なんとも心強いものだった。
「心配するな。この辺りに出てくる魔物などたかが知れている。私の魔法で一瞬にして・・・」
「あー、それなんだけどねアイーシャ、今回はホムラとエアリーの二人に攻撃してもらおう」
「どういうことだ?」
「だから二人の訓練だって。アイーシャだけじゃなく、二人にも攻撃に回ってもらえれば、それだけ戦いの幅が広がるでしょ?」
「そんな必要はない。魔物は全て私が始末する。魔導の書の力を信じろ」
ラウドの提案にも頑として拒絶の姿勢を崩さないアイーシャである。
そもそも地下迷宮で戦うのは、全て魔導の書のためである。
なのに魔導の書の力を使わず、仲間に入ったばかりの素人の訓練に協力するとは、アイーシャには納得のできる話ではなかった。
しかしラウドはまた、違う考えも持ち合わせていた。
確かに魔導の書の力は圧倒的なものがある。
それは、ドラゴンや巨人族を一瞬にして片付けてしまうほどの力だ。
しかし今後は、魔法が通じないような魔物が出現しないとも限らないのだ。
そのためにも、肉弾戦で敵を蹴散らせるような戦力も確保したいというのがラウドの思惑であった。
しかしそれをアイーシャに納得させるにはどうすれば良いか・・・
「そうだね。魔導の書の力は本当にスゴイよ。だからアイーシャにとっては、この辺りの魔物なんて倒したって何の訓練にもならないでしょう」
「それは・・・そうだが」
「ザコ相手に魔導の書の力を使うなんて、むしろ魔導の書に対して失礼だと思わない?」
「むぅ・・・」
「ザコなんてさ、入ったばかりの新人に任せてアイーシャは後ろで高みの見物でもしていれば良いんだよ。『フン、そんなザコにてこずるなんて、お前らはザコ以下だな』とか思いながらさ」
ラウドの取った作戦は、アイーシャのプライドを利用するというものだった。
寺院直属の一流の魔導師が、ザコ相手に本気になるのか? と。
「いくら私でもそんなことは思ったりしない。分かった。今日はおとなしく後ろで見ている。
だが、もしもホムラたちが見ていられないほど苦戦するようなら手を出させてもらうからな。それで良いな?」
「うん、上出来。二人もそれで良いね」
「ああ・・・」
「うん・・・」
二人のやり取りを、ポカンとしながら見ていたホムラとエアリーである。
「スゲエな、あの女を言いくるめちまったぜ」
「ラウドっておっとりしているようだけど、実は只者じゃないよね」
それが素直な感想であろう。
「それじゃあ行きますか。ホムラ、扉を開けてくれるかな」
「了解だ」
ラウドに促されて、ホムラは玄室の扉に手を掛けた。