魔導の書
4
アイーシャを襲った件の少女が目を覚ましたのは、もう翌日の日が高くなってからだった。
ガバリとベッドから跳ね起きて周囲をキョロキョロと見回すと、そこは見たこともない部屋の中で・・・
「えっ? ここ何処?」
自分は何故こんなところにいるのか・・・理解が及ばず一瞬にしてパニックに陥る。
「おはよう。よく眠れたかな?」
少女に声を掛けたのはラウド、見張りも兼ねて様子を見ていたのだ。
しかし少女にしてみれば、見知らぬ男がいる部屋で眠っていたのかと思うと背中に冷や汗が走る思いだった。
「ちょっと待っててね。今食事の準備をさせるから」
「食事・・・」
その言葉を聞いた少女のお腹がぐうと鳴った。
腹の音を聞かれた少女の顔が瞬時にして赤くなる。
「ははっ。それじゃあ待っててね」
ラウドは少女に微笑んでから部屋を出て行った。
簡単な食事を終え身支度も整えたところで、少女は大僧正の間へ連れて来られていた。
昨夜のアイーシャ襲撃の一件について話を聞くためだ。
室内にいるのは大僧正の他に、アイーシャとラウド、そしてホムラである。
事情聴取とは言え、もしも大僧正の怒りを買うような発言があれば厳罰に処せられるかもしれない。
実質裁判のようなものである。
少女は抵抗する様子もなく、おとなしく椅子に座っていた。
それ程長くない赤に近いブラウンの髪を側頭部で二か所に縛った髪型に、薄いブラウンの瞳。
少し幼くすら見えるあどけない顔立ちに小柄な身体。
衣服はかなり擦り切れていて、あまり裕福ではない暮らしぶりがうかがえた。
アイーシャに襲い掛かってきた時の、あの動きは只者ではないと思われたのだが・・・
「そこの君、名は何と申すかな?」
大僧正がやんわりと話を切り出した。
「エアリーです」
「ほう、エアリーと申すか。年はいくつだ?」
「16になります」
「16ぅ? もっとガキだと思ったぜ」
ホムラが驚きとも呆れともつかない声を上げた。
「ガキで悪かったな! このデカブツ」
エアリーと名乗った少女はキッとホムラに食って掛かる。
「エアリーとやら、静かになさい、ホムラ殿も言葉を慎みたまえ」
「すみません・・・」
「うむ」
大僧正に注意され押し黙る二人。
場が整ったと見るや、今度はラウドが諭すように話を聞き出す。
「それじゃあ話してもらえるかな。どうしてあんなことをしたの?」
「あんなこと?」
「そう、あの女の人に襲い掛かったよね。しかも『魔導師、覚悟』なんて叫びながら」
「うん」
「あの人が魔導師だって知ってたんだ。どうして襲ったのかな?」
「それは・・・」
うつむいたりアイーシャの顔を見たり、エアリーの視線はせわしなく動き回る。
やがて意を決したのか、堰を切ったように話し始めた。
「あたいのお姉ちゃんは魔導師だったんだ。でも風のうわさで死んだって聞いて。
うわさだとね、ライバルの魔導師が自分の出世のために殺したんじゃないかって。だってその魔導師は冷酷な女だって有名だから。それで・・・」
「それでアイーシャを襲った。でもどうして彼女が魔導師だって知ってたの?」
「それは、お姉ちゃんに聞いていた特徴と同じだったから。昨日、寺院から皆さんが出てくるのを見たんだ。その時ピンと来たんだ。『あの女がお姉ちゃんを殺した魔導師だ』って」
「なるほど。それで後を付けて、人気のない路地で襲い掛かった、と」
「ゴメンなさい」
シュンとうなだれるエアリー。
「オイ、本当なのか? お前があの小娘の姉貴を殺したってのは」
ホムラがアイーシャに囁いて聞く。
すると、それまで興味なさそうに腕組みをしながら壁にもたれていたアイーシャがゆっくりと動き出した。
アイーシャはそのままエアリーの前へ出ると、いつもの抑揚のない声で話し始めた。
「エアリーと言ったな。お前の姉さんは何ていう名前だ?」
「あたいのお姉ちゃんの名前はウェインてんだ」
「ウェイン!」
「ウェイン、そうか・・・」
エアリーの姉の名前を聞いて、驚きの声を上げたのはラウド。
そして、冷静に見えるアイーシャの顔が一瞬だけピクリと反応したのを、ホムラは見逃さなかった。
「心当たり有りって顔だな」
「ああ。ウェインは優秀な魔導師だった。魔導の書にある魔法をより完璧にマスターするのは、私よりもウェインだろうと言われていた」
「それじゃあやっぱり、あんたがお姉ちゃんを?」
アイーシャを見つめるエアリー。
言われてみればなるほど、エアリーにはどこか、今は亡きウェインの面影が残っている。
「そうじゃない。私はそんなことはしていない。聞きたいなら教えてやるが。エアリー、お前の姉さんの最後を」
「教えてください!」
「大僧正様、よろしいですね?」
アイーシャが確認すると、大僧正は無言のままウムと頷いた。
「あれは1年前、魔導の書を使っての実践訓練の時だった・・・」
1年前、アイーシャたちは今と同じように、魔導の書の扱いの訓練のために地下迷宮に下りていた。
その時のメンバーはアイーシャ、ラウドの他に、エアリーの姉のウェインと、もう一人剣士がいた。
パーティは地下迷宮の第9層で魔物と戦い、実践訓練を積んでいたのだった。
その時遭遇したのが、数ある魔物の中でも最凶最悪と恐れられるファイアードラゴンである。
その日魔導の書を扱っていたのはウェインだった。
アイーシャは魔法の発動式が書かれた巻物を持参し、ウェインのサブに回って戦うことになっていた。
ファイアードラゴンは三体いたが、魔導の書の力を以てすれば決して勝てない相手ではない。
ウェインは魔導の書を開き、発動式を読み上げたのだった・・・
「だが・・・」
そこまで語ると、アイーシャは言葉を切って大きく息を吐いた。
「だがナニ? 何が起こったの?」
続きを促すように、エアリー。
「避けたのだ」
「避けたって・・・誰が?」
「ウェインを護るべき剣士だ」
「なっ!」
アイーシャの言葉に、ハッと息を飲んだのはホムラ。
その戦いでウェインが選んだのは、魔導の書第5ランクに属する魔法、マダルトだった。
発動式が難解で複雑だが、強力な冷気の嵐を巻き起こす魔法だ。
これが決まれば、たとえ炎の龍と言えど瞬時に凍り付いてしまうだろう。
ウェインは魔導の書に集中する。
そこへファイアードラゴンが、炎のブレスを吐き出した。
灼熱のブレスは一直線にウェインへと襲い掛かる。
しかしそれは盾を構えた剣士が前に立ちはだかり、ウェインを地獄の業火から護る・・・
はずだった。
だが剣士は、とっさのところで炎から身をかわした。
いや、かわしてしまったと言うべきだろう。
迫り来る灼熱の炎に対する恐怖に、一瞬心が屈したのだ。
護るべき盾が逃げてしまった以上、炎は容赦なくウェインを襲った。
魔導の書に集中していたウェインは、炎に対して完全に無防備であった。
アイーシャやラウドはかろうじて炎から逃れたものの、ウェインだけは炎の直撃を受けてしまった。
悲鳴と共に崩れ落ちるウェイン。
一方魔導の書は地獄の業火に焼かれても、焦げ目一つ付かないでいた。
その場はアイーシャがウェインの手から魔導の書を拾い上げ、同じくマダルトの魔法を発動させてドラゴンを始末することができた。
アイーシャが魔導の書を扱っている間にドラゴンが再び襲って来なかったのは、幸運だったとしか言いようがないだろう。
「これがウェインの最後だ。すまない。私がしっかりとサポートしていれば」
アイーシャの話はそこで終わった。
「で、その避けたっつう剣士はどうなったんだ?」
「国外追放になったんだったかな」
「げっ、マジか?」
「ああ。魔導師育成は寺院の最重要施策の一つだしね。まあ打ち首にならなかっただけマシだったかと」
ホムラとラウドが小声でささやく。
昨夜ラウドが言ったことは、案外冗談でも脅しでもなかったらしいと、ホムラは身震いする思いだった。
「それじゃあ・・・お姉ちゃんは迷宮で魔物に殺されたんだね」
エアリーの瞳にうっすらと涙が浮かぶ。
「そういうことになる。だか、それを護ってやれなかった私たちにも責任はある。どうするエアリー、私を殺すか? それでお前の気が済むのなら」
「ううん」
首を大きく横に振るエアリー。
「昨日はごめんなさい。いきなり襲い掛かったことは謝ります」
「だそうですが大僧正様、この娘の処遇はいかがいたしますか?」
話をまとめる形で、ラウドが大僧正に意見を求めた。
それに対する大僧正の答えは
「アイーシャさえ良ければ、今回のことは不問に付したいと思うが、どうかな?」
というものだった。
「私は、別に。許しを請わねばならぬのは、むしろこちらのほうだ」
「あたいこそごめんなさい」
「ふむ。これにてこの件は解決だな。エアリーに対する処分は特に行わないこととしよう」
大僧正が大きく頷く。
「あの大僧正様、それなら一つお願いがあるのですが・・・」
「何かな、申してみよ」
「ハイ、あたいをみんなの仲間にしてください」
「仲間って、一緒に地下迷宮で戦うってことかい?」
「見たいんだ。お姉ちゃんが戦った地下迷宮とか魔導師のこととか。それにお姉ちゃんの仇も取りたいし」
「でも地下迷宮っていうのはねえ・・・」
「お願い! あたい、大道芸で軽業をやっていたから、身のこなしには自信があるんだ。それに手先も器用だし。きっと役に立つよ」
「うーん・・・」
エアリーの言葉に考え込むラウド。
「おもしろいじゃないか」
「アイーシャ?」
「盾の代わりならホムラ一人で十分だ。何しろ図体だけはデカイからな。あと一人、ちょこまか動き回るようなヤツがいたほうが戦いの幅も広がるだろう」
「ホントに?」
「だがなエアリー、地下迷宮は本当に死と隣り合わせだ。もしもお前に何かあっても、私たちは平気でお前を見捨てるかもしれんぞ。それだけは覚悟しておけ」
「うん、あたい、頑張るよ」
これで四人目の仲間が決まった。
「地下迷宮に下りるのは明後日だ。当日になって逃げるなよ」
その時、アイスドールと呼ばれるアイーシャの顔に少しだけ笑みが浮かんでいるのを、ラウドとホムラは見逃さなかった。