魔導の書

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19

 多くの死を見てきた。
 冷静冷酷を貫くことで、自分を保ってきた。
 しかし今回ばかりは、冷酷でなどいられなかった。
 ホムラの死を受け入れられないでいたのだ。
 アイスドールと呼ばれたアイーシャの瞳から、熱い涙が零れ落ちた。
 何故そのように思うのか、何故涙を流すのか・・・
 アイーシャはまだその答えを知らなかった。
 それでもやらなければならないことだけは分かっていた。
「マハマンでホムラを生き返らせる」
「今から?」
「ああ。死者の蘇生は一刻を争う。アイツを倒して地上に戻ってからでは手遅れになりかねない」
「でも、魔導の書に集中している間にアイーシャを護る盾が・・・」
 ラウドが口籠る。
 アイーシャを護るべき盾はもういないのだ。
「あっ、それならあたいが時間を作るよ。なんとかアイツを引き付けて、アイーシャには手を出させない」
「エアリー、頼めるか?」
「任せて。それじゃ!」
 小さな勇者は再びマイルフィックへと向かって行った。
「本当にやる気だね?」
「無論だ」
「分かったよ。それじゃあ僕もエアリーと一緒にアイツの相手をしてこよう」
「すまない」
「ううん、それよりホムラを頼んだよ」
 ラウドはありったけの巻物を取り出すと、エアリーの後を追った。
 エアリーはマイルフィックに対して剣を振い、ラウドも巻物を読み上げ魔法を発動させていた。
 二人がどのくらい時間を作れるか・・・
 急がなくてはならない。
「ホムラ、待っていろ。今助けるからな」
 アイーシャは魔導の書第7ランクにあるマハマンの項を開いた。

 マハマンの発動式自体は、他のものに比べるととても短いものだった。
 それは、この魔法が緊急時にこそ必要とされるものだからだろう。
 発動式の意味するところは「神よ、我に奇跡を」だけである。
 しかしマハマンを発動させるためには、一定以上の体力や精神力が求められる。
 その為に、長い時間を掛けて修行し、自らを鍛えてきたのだ。
 だがマハマンを使った者は、今まで鍛え上げた体力や精神力を、大きく減退させてしまうという。
 そうなると再度マハマンを使用するためには、減退した力を取り戻すための修行をし直さなければならない。
 また、マハマンによって受けられる恩恵は、何も死者の蘇生だけではない。
 守備力の向上や怪我の完全回復など、いくつかの種類があるのだ。
 その中で目当ての恩恵を引き出す確率は半々とされている。
 どの恩恵を授かるかは、術者の運によるところが大きいのだ。
 チャンスは一度しかなく、成功する確率は半分程度。
 失敗すれば、ホムラは二度と目を覚ますことはないだろう。
 それでもアイーシャは賭けに出たのだ。
 ホムラを失いたくないという一心で。
 呼吸を整え、精神力を最大限にまで高める。
 他の恩恵は一切必要ない、ホムラの蘇生だけを強く願った。
 魔導の書に書かれた、ほんの短い発動式を読み上げる。
 そして発動させるべき魔法の名前を叫んだ。
「マハマン!」
 アイーシャの願いを受け、魔導の書が強烈な光を放った。
 マハマンが発動した瞬間である。
 アイーシャの目の前に翼の生えた子供のような姿が舞い降りる。
 神の使い、天使だと思われた。
 果たして何が起こるのか、本当にホムラは生き返るのか・・・
 やるだけのことはやった、あとは願うばかりだった。
 そして。
「うっ、うう・・・」
 アイーシャの目の前で横たわっていたホムラが、小さな呻き声をもらしたのだった。
「ホムラ? ホムラ!」
 アイーシャは慌てて膝から崩れ落ちると、ホムラの身体を抱きかかえた。
 何度もホムラの名前を呼び続ける。
 するとそれに応えるように、ホムラがゆっくりと目を開き始めた。
「アイーシャか・・・俺はどうしてたんだ?」
「どうもしていない。ただ眠っていただけだ」
「眠っていただけなら、どうしてアイーシャは涙を流しているんだ?」
「これは・・・ただの汗だ。さっきのヤツは熱かったからな」
 アイーシャの精一杯の強がりである。
 それを見たホムラは、アイーシャの涙の意味を理解した。
 マイルフィックのティルトウェイトの爆炎を浴び、そこで意識を失った。
 おそらくは命を落としたのだろう。
 それをアイーシャがマハマンを使って救ってくれた、そんなところか・・・
「けっ、こんな時くらい素直になったらどうだ?」
「うるさいぞ、ホムラは」
 悪態をつくホムラの顔を見たアイーシャは、自分がこの上なく安堵していることに気付いた。
 儚くも手のひらからこぼれ落ち、目の前で大切なものを失おうとしていた。
 しかし、その失いかけた大切なものを、再びこの手につかみ取ることができたのだ。
 何故ホムラを失いたくないと思ったのか、今ならその理由が分かる。
 この感情の正体に、はっきりと気付いたアイーシャだった。
 だが今は甘い想いに酔いしれている場合ではない。
 しっかりと気持ちを切り替えるために、まずはいつもの冷静さを取り戻すことにする。
「ホムラ、目が覚めたのなら早く起きろ。まだ戦いの途中だ」
「戦い・・・そうだ! ヤツは?」
「向こうでエアリーとラウドが相手をしてくれている。だが、おそらくもう限界だ」
 アイーシャが指差す方向で、マイルフィックを相手に奮闘するエアリーとラウドの姿があった。
 既にラウドの持つ巻物は切れ、エアリーのみが肉弾戦を挑んでいた。
 巨大な悪魔相手に小さなエアリーはよく戦っていた。
 フットワークを活かし、付かず離れずの距離を保って撃っては逃げるの一撃離脱戦法を繰り返す。
 そしてエアリーが傷を負えば、すかさずラウドが治療の薬を持ち出す。
 しかし、ラウドの治療薬も在庫が尽き、エアリーの体力もとうに限界を超えていた。
 これ以上戦うのはどう考えても無理だった。
 それでもエアリーは動くことを止めない。
 アイーシャとホムラが戦線に復帰するまで、懸命にマイルフィックを引き付けていたのだ。
「戦いに戻るぞアイーシャ」
「ああ。だが・・・」
 アイーシャは何故かその場を動こうとしない。
「どうした?」
「私の魔法ではヤツを倒せないかもしれない。マダルトは通用せず、かと言って第7ランクのティルトウェイトは使えない」
 悔しそうに歯噛みするアイーシャ。
 魔物であるマイルフィックが使ってみせた魔法を自分が使えないとは・・・
 魔導師としてこれほど屈辱的なことはなかった。
 自分の力が足りないばかりに、パーティの仲間たちを苦境に追い込んでいるのかと思うとやり切れない気分だった。
「その間の魔法はどうなんだ?」
「第6ランクでもラカニトやジルワンは通用しないだろう。あれは使用する機会が限られている」
「それじゃあ打つ手なしなのか? マダルトよりも強力な魔法はもうないのか」
「マダルトよりも強力な魔法・・・」
 そこでアイーシャはハタと考える。
 アイーシャには、以前から不思議だと思っていたことがあったのだ。
 マハリトの上位魔法としてラハリトがある。
 マカニトの上位に位置するのがラカニトなのだろう。
 だとすれば何故存在しないのだ?
 マダルトの上位に位置すべき魔法が・・・
 それに、である。
 魔導の書第6ランクに、不自然に白紙のままのページがあったはずだ。
 あのページには本来なら何が記されているのか。
 もしかしたら、そのページに書かれているはずの魔法こそが、マダルトの上位に位置する氷系の魔法なのではないか・・・
 第7ランクのティルトウェイトは、マハマンの使用によって精神力が大きく減退してしまった今のアイーシャには習得できないだろう。
 しかし、第6ランクの魔法なら。
 アイーシャはゆっくりと歩き出した。
 向かった先は、ワードナが眠るガラスの棺の前である。
「ワードナ、聞いているか? いや、キサマはどこかで私たちの戦いを見ているはずだ」
 魔よけを胸に下げたバンシーは、バンパイアロードと共に姿を消してしまっていた。
 しかしアイーシャはワードナの気配を、その存在をひしひしと感じていたのだった。
「ならば答えろ。魔導の書第6ランクのこのページには何が書かれている?」
 アイーシャが魔導の書の白紙のページを広げて差し出す。
「答えろワードナ。あるはずだ。マダルトの上位に位置する氷の魔法が。その発動式を私に教えろ。ワードナ!」
 棺の中で眠るワードナに対してアイーシャが叫ぶ。
 すると。
 アイーシャの手にある魔導の書が、眩いばかりに輝き出したのだった。
「そうでなくてはな」
 アイーシャの顔に不敵な笑みが浮かんだ。
 こんな時にも笑えるのだなと、我ながら呆れもする。
 しかしそれと同時に、ワードナと自分とは同類なのだと痛感した。
 自らが研究した魔法の力の行く末を見たいがために、肉体と精神を分離させたワードナ。
 ひたすらに魔導の書の扱いを修行し、魔法の力を求め続けたアイーシャ。
 二人は共に魔法に魅せられ、魔法の力を追い求めた同志のようなものではないか、と。
 同類で同志だからこそ、アイーシャにはワードナが残したであろう未知の魔法の存在を確信できたのだ。
 やがて。
 白紙だったページに新たな魔法の名前とその発動式が浮かび上がる。
 新しい魔法の名前はラダルト。
 マダルトの上位に位置する、氷系最強の魔法である。
「よし。ホムラ、行くぞ」
「おうよ」
 新たな魔法を得たアイーシャが、ホムラと共にマイルフィック目掛けて走り出した。

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