魔導の書

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18

 バンシーの胸に下げられた魔よけが、妖しくも禍々しい輝きを放った。
 それと同時に、アイーシャたちの目の前の床に、巨大な魔方陣が浮かび上がったのだった。
「ワードナ様、一体何を・・・」
 この事態はバンパイアロードにも予想外だったらしく、慌てた様子で魔方陣と魔よけの間で視線を彷徨わせていた。
 バンパイアロードの呼び掛けに応えるように、魔よけが明滅する。
「そうですか・・・分かりました」
「ワードナが何か言ったのか?」
「ああ。ワードナ様は魔導の書の力を直に見たいと仰せである。つまり・・・」
「今から出て来る魔物と戦え、と?」
 魔方陣を睨みながら問うアイーシャに、バンパイアロードは無言で頷いた。
 魔よけの光が更なる輝きを増すのに呼応して、魔方陣が強く輝く。
「来るぞ!」
 ラウドが叫ぶと同時に、魔方陣から巨大な影がせり上がった。
「あれは・・・まさかマイルフィックか」
「マイル・・・フィックだと?」
 その名前を聞いたアイーシャの眉がピクリと反応した。
 あくまで伝承としてではあるが、その名前が記憶の片隅に残っていた。
「たしか・・・遥か太古の時代に、神々との戦いに敗れて異界に封じられた邪神の中の一柱だったはずだ」
「そんな物騒なヤツが何故こんなところに?」
「何だか知らないけど、やばそうなヤツだね」
「ああ」
 驚いているのはアイーシャだけではない。
 ラウド、エアリー、そしてホムラも突然目の前に現れた魔物を見上げていた。
 そう、魔物は見上げるばかりの巨体だったのだ。
 鳥のようなくちばしと頭部にはトサカ状の突起を持ち、背中からは四枚の翼が生えていた。
 手足の各指から鋭く伸びる爪は、人間の胴体をも簡単に貫けるであろう。
「ワードナ様、悪魔族は人間にとっては大いなる脅威のはず。
 今までも巨人や龍は召喚しても、悪魔だけは召喚しなかった。それは、人間はまだ悪魔に対抗しうる力を持っていないからだったのでは?」
 バンパイアロードの問いに魔よけは数度明滅して答えた。
「御意に」
「魔よけは、ワードナは何と言った?」
「構わぬ、と。それから、我々は手を出さぬようにとも。これは魔導の書を持つ貴女の戦いなのだから」
「あのクソジジイ、いつか殺す」
 ガラスシリンダーに眠るワードナの肉体を睨みながら、アイーシャが吐き捨てた。
「では、我々はしばし身を隠すとしよう。ティア」
「はい」
 バンパイアロードがさっとマントをひるがえすと、バンシーと共にその姿が闇に溶けるように消えていった。

「みんな、呆けてなんかいられないよ。戦うんだ!」
 ラウドの号令で一同ハッと我に返ると、すぐさま戦闘態勢に入る。
 エアリーが動きまわり、ホムラが盾を構え、その後ろでアイーシャが魔導の書を開く。
 まずはエアリーが跳び、マイルフィックの太ももの辺りを切り付けた。
 しかしその一刀は、まるで鉄板のように固いマイルフィックの筋肉にあっけなく弾き返されてしまった。
「クッソー」
 それでもエアリーは攻撃の手を緩めない。
 アイーシャが魔法を発動させるまで、少しでも時間を稼ぐのだ。
 マイルフィックが振り回す腕を掻い潜り、突き出される爪を間一髪のところでかわす。
 そしてカウンター気味に二の太刀、三の太刀を放つ。
 与えられるダメージはごくわずかなものにしかならないが、その蓄積がやがてこの巨大な悪魔を倒すことに繋がるはずだとエアリーは信じていた。
「エアリー。そろそろアイーシャが魔法を放つ。早く離れて!」
「了解!」
 ラウドが叫ぶのに合わせてエアリーが戦線から離脱する。
 アイーシャが発動式を読み上げる間、エアリーは充分にマイルフィックを引き付けることに成功したと言えるだろう。
 一方、盾を構えるホムラの後方で、アイーシャが発動式を完成させていた。
「マダルト!」
 魔導の書第5ランクに属する魔法、マダルトである。
 第6ランクの魔法は使い勝手が悪く、なおかつ第7ランクの攻撃魔法は未収得な状態。
 アイーシャが放てる魔法の中で最も信頼でき、攻撃力が高いのがこの魔法であった。
 激しい氷の嵐がマイルフィックに襲い掛かる。
「決まったか・・・」
 アイーシャたちは、魔法の成否を固唾を飲んで見守った。
 氷の嵐に巻き込まれたマイルフィックの動きが止まった・・・
 かに思えた次の瞬間、マイルフィックは背中にある四枚の羽を大きく動かし、まとわりつく氷の嵐を吹き飛ばしてしまったのだった。
 結果的に、アイーシャの魔法はマイルフィックの表皮をわずかに凍らせただけに留まった。
「クソっ、なんてバケモノだ」
「アイーシャ、遠慮することはねえ! もう一発お見舞いしてやれ」
「言われなくてもそのつもりだ!」
 ホムラの背中を見ながら叫ぶアイーシャ、次は第4ランクのラハリトの発動式を読み上げ始めたのだが・・・
「何だ? 誰が発動式を読み上げている?」
 しん、と静まった部屋の中に独特の韻律が響いていたのだ。
 それは魔導師であるアイーシャですら聞き覚えのないものだったが、間違いなく発動式の一節だと思われた。
 発動式を読み上げているのはアイーシャではない。
 もちろん魔法を使えないホムラやエアリーでもない。
 ラウドによる巻物でもない。
 となると・・・
「まさか、ヤツか?」
 アイーシャが目の前の巨大な悪魔を見上げて愕然となった。
 間違いない、発動式を口にしているのはマイルフィックだったのだ。
 その事実に、ラウドたちも驚愕する。
「魔物が魔法を使うだなんて・・・バカな」
「ねえアイーシャ、アレって何の魔法なの?」
「私にも分からない。が、私が知らない魔法が一つだけある。それは・・・」
 アイーシャはマイルフィックの放とうとしている魔法の正体に気付いた。
「ティルトウェイト・・・魔導の書の中で最大の破壊力を誇ると言われる魔法だ。私ですら使えない魔法だぞ」
「ティルトウェイトだって? マズイ、二人ともそこから逃げて!」
 魔法の正体を知ったラウドが叫ぶ。
 ラウドとエアリーはマイルフィックからかなりの距離を取っていたが、アイーシャとホムラは間違いなく魔法の射程圏内だ。
「ホムラ、逃げるぞ」
「いや、今から逃げても間に合わねえ。敵に無防備な背中を見せるだけだ。
 それくらいなら俺が受け切ってやるから、アイーシャは俺の影に隠れていろ」
「ホムラ、無茶だ。いくらなんでも耐えられない」
「俺は逃げない! 約束しただろ。何があってもアイーシャの前に立っているとな。お前は俺が護ってみせる」
「ホムラー!」
 その時、アイーシャの叫びをかき消すように爆音が轟いた。
 マイルフィックがティルトウェイトを発動させたのだ。
 大地を揺るがすかのような振動と、山をも吹き飛ばしそうな衝撃が走る。
 それと同時に襲い来る、炎を含んだ爆風。
 アイーシャはとっさにホムラの背中にしがみ付き、ぎゅっと目を閉じた。
 炎が渦を巻いてアイーシャのすぐ脇をすり抜けていくのが肌で感じられた。
 熱さで意識が朦朧となる。
 燃え盛る炎に酸素を奪われ、呼吸が苦しくなっていく。
 これが、最高ランクに属する魔法の威力なのか。
 その破壊力は、マダルトの比ではないことが容易に想像できる。
 アイーシャはなす術もなく、ただホムラの身体にしがみ付いていたのだった。
 やがて衝撃が収まり、急速に熱が引いていく。
 アイーシャの周囲に焼け焦げた臭いが燻っている。
 ゆっくりと目を開けると、そこはまるで地獄絵図のようだった。
 そして・・・
 バタン、と前のめりに倒れるホムラ。
「ホムラ、どうした? ホムラー!」
 アイーシャの悲痛な声が響いた。
 懸命にホムラの身体を揺するもピクリとも動かない。
 ホムラの身体を抱き起こし、鎧の隙間から手を差し入れ胸部を探るも反応がない。
「バカな・・・」
 炎に焼かれたホムラの顔に耳を寄せて呼吸の有無を確認するが、何も感じられなかった。
「ホムラ、冗談はよせ。寝ているふりなんかするんじゃない。ホムラ・・・」
 アイーシャの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「アイーシャ!」
「ウソ・・・ホムラ、死んじゃったの?」
 異常を察知したラウドとエアリーがアイーシャの元に駆け寄った。
 ラウドが素早くホムラの状態を確認する。
「ダメだ。既に息が切れている。バンシーの死の予兆は本物だったんだ」
「それじやあホムラは・・・」
 ゆっくりと首を横に振るラウド、エアリーも信じられないとばかりに激しく頭を揺すった。
「アイーシャ、エアリーも。ホムラはもう死んだ。残念だけど、死んでしまった人間は生き返らない。それよりも今はマイルフィックを・・・」
「いや、ホムラは生き返る」
 ラウドを遮ってアイーシャ、その声はか細く、そして振るえていた。
「ホムラ、生き返るの? でもどうやって・・・」
 エアリーがアイーシャの顔を見つめる。
 サファイアのように蒼く煌めくアイーシャの瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「ホムラは生き返る。私が生き返らせてみせる」
 ホムラの身体をその場に横たえると、アイーシャはゆっくりと立ち上がった。
 その顔には決意が漲っている。
「アイーシャ、まさか・・・」
 ラウドもハッと思い当たった。
「マハマンを使うぞ。私たちは・・・いや、少なくとも私は、ホムラを失うわけにはいかないのだ」

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