魔導の書
17
「ワードナ様は、今から200年ほど前の人物であった」
バンパイアロードがワードナについて語り始めた。
アイーシャたちは皆息を飲み、静かに次の言葉を待つ。
200年前、ワードナは超古代魔法の研究を続けていたという。
そして数々の魔法関連の書物を書き上げた。
ワードナは研究の成果を世に発表したのだが、それは受け入れられなかった。
時代が早過ぎたのだ。
ワードナが提唱する高度な魔法理論は、当時の人たちには到底理解できる内容ではなかったのだ。
そればかりか、荒唐無稽とすら蔑まれたのだった。
失意のワードナは、この地下迷宮の奥深くに籠ったのだが。
「ちょっと待て。そもそもこの地下迷宮は誰が造ったんだ? まさかワードナが引き籠るためにわざわざ造ったわけでもあるまい」
アイーシャがバンパイアロードの話を遮って聞いた。
「この地下迷宮はもちろんワードナ様がお造りになったわけではない。これも、超古代魔法文明の遺跡なのだ」
「超古代魔法文明など・・・そもそも、そんなものが本当にあったのか?」
「それは間違いなく実在した。何しろ私はこの目で見ていたのだからな。当時の人間は地下に巨大都市を造り上げたのだ」
「地下巨大都市、だと・・・」
バンパイアロードの答えに、アイーシャは今一つ納得できなかった。
「でもさ、この階層の構造って、ちょっと変わっていたよね」
「どういうことだ、ラウド?」
「考えてみてよ。転移の魔方陣が何箇所も設置されていたよね。アレを使えば簡単に地上まで戻れる」
「そうだったな」
「何であんな仕掛けを作ったんだろうね? 単に侵入者を排除するためとは思えないよ。
その他にもエレベーターとか、あまりにも便が良過ぎると思わない?」
「それは・・・確かに」
「この地下迷宮そのものが、巨大な都市だったと言われれば、納得できる部分も多いかな」
ラウドに説明されて、アイーシャは改めてこの地下迷宮の全体像を思い描いた。
もしも今のように、魔物が存在しなかったと仮定してみる。
そしてそこに、遥か昔ここで多くの人々が暮らしていた様子を重ねてみる。
エレベーターによって結ばれた上下の階層、多くの部屋に住む人々。
外敵も無く、夏は涼しく冬は暖かい独特な環境。
なるほど、当時の人間にとってこの空間は、かなり快適なものだったのかもしれない。
しかしいつしか超古代魔法文明の時代は滅び、この地下迷宮だけが廃墟として残された。
「よし、この地下迷宮についてはだいたい分かった。それで、ワードナはどうしたのだ?」
「地下迷宮に籠ったワードナ様は、更なる魔法の研究を続けた。そしてその研究の成果が・・・」
バンパイアロードの視線がアイーシャに向けられた。
「この魔導の書というわけか」
「ワードナ様の研究の成果は多岐に渡っている。その魔導の書以外にも何冊かの書物を作成されたのだ」
「ひょっとして、その中に「命の書」なんてあったりするのかな?」
「ある」
「それは何処に・・・」
「慌てるな。まずはすべてを話してからだ」
「良いだろう。続きを聞こう」
アイーシャがバンパイアロードの話を促す。
「ワードナ様は偉大なる魔導師であったと同時に、すぐれた預言者でもあった」
ワードナの預言、それは当時から数えて700年後、この地に強大な力を持った王が現れるというものだった。
その王の名はトレボー。
あくなき野心を持つ狂王の元、魔法文明は一気に花開くことになるのだが・・・
「ワードナ様はその時代をご自分の目で直接見たいと思われたのだ」
「自分で見たいって、その時から700年も後の時代でしょ? そんなの無理に決まってるじゃない」
当たり前だよと言わんばかりのエアリー。
「しかしワードナ様はそれを可能にしたのだ。超魔術によって自らの肉体と精神を分離させ、肉体をああやって冷凍保存させたのだ」
「精神と肉体の分離だぁ? そんなバカな・・・」
「冷凍保存って・・・だからあのお爺ちゃん氷漬けなんだね」
常識を超えるバンパイアロードの話に、ホムラとエアリーは困惑していた。
「待て。精神と肉体の分離が仮に可能だとして肉体はそこにある。だが分離させたというワードナの精神は何処にあるのだ?」
アイーシャが更なる話の核心へと踏み込む。
「それはだな」
バンパイアロードはそこでパチンと指を鳴らす。
「ティア、出て来なさい」
「はい・・・」
静かな声が響く。
一同ハッと後ろへ振り返った。
果たしていつからいたのか、そこには一人の娘が立っていた。
赤い髪に薄手のドレスを纏っただけのその娘は、しずしずとバンパイアロードの元へと歩み寄る。
「バンシーのティアだ。ティア、皆様にご挨拶を」
「はじめまして」
バンパイアロードが紹介すると、ティアと呼ばれたバンシーが丁寧にお辞儀をした。
下げられた頭がゆっくりと上げられ、そのうつろな視線がアイーシャたちを一巡して・・・
「うっ・・・」
突然、そのルビーのような瞳に大粒の涙が浮かんだのだった。
「バンシーとは嘆きの精のことだね。人の死を予兆して泣くと云われる」
「えっ? 人の死を予兆して泣くって・・・今泣いてるじゃない! ということは?」
「この中の誰か、もしくは全員が死ぬ、とか?」
「そんなー!」
「下らない。私はそんな迷信じみたことは信じないぞ」
ラウドの説明に大変だとばかりに跳び上がるエアリーと、つまらなそうに吐き捨てるアイーシャ。
「バンシーの死の予兆を信じるかどうかは、君たち次第だ。話を戻して構わないか?」
「ああ、続けてくれ」
「ティア、アレを出しなさい」
「はい」
バンパイアロードが命じるとバンシーはドレスの胸元からペンダントを取り出してみせた。
一同の視線がバンシーの手にあるペンダントに集まる。
それは、金と銀をふんだんに用いて精巧に細工が施された台座に、妖しい輝きを放つ宝玉がはめ込まれたものだった。
「アミュレット。いや魔よけと言ったほうが分かりやすいかな」
「魔よけ、だと? それがどうしたと言うのだ」
「この魔よけこそワードナ様の創った最高の品なのだ。あらゆる災いから持ち主を護るであろう」
「そんな能書きはいい。早くワードナが何処にいるのか教えろ」
「だから、貴女方の目の前に」
「まさか・・・この魔よけが?」
アイーシャの片眉がつり上がる。
「そう。ワードナ様は肉体と切り離した精神を、この魔よけの中に封じたのだ。 私はワードナ様の肉体とこの魔よけとを護り通さなければならない。あと500年の後、トレボーがこの地に誕生するまではな」
「それじゃあワードナを生き返らせる・・・いや精神と肉体を再び融合させて叩き起こすことは」
「それだけはこのバンパイアロードが許さない。
たとえ力ずくで私を排除しても無駄だ。ワードナ様自らの意思がなければ、肉体との再融合は不可能なのだからな」
バンパイアロードの言葉に、さすがのアイーシャも息を飲むしかなかった。
頭の中でゆっくりと、状況を整理する。
200年前、ワードナ、超古代魔法、地下迷宮・・・
現代、魔導の書の発見、寺院による魔導師の育成、マハマン・・・
500年後、預言された狂王の誕生、魔法文明の爆発的発展・・・
そして、ワードナの精神と肉体の再融合による復活?
「ワードナ様は更にこう予言された。
『狂王トレボーの命で多くの冒険者がこの地下迷宮に挑むことになる。彼らの目的は、この魔よけだ。
そして冒険者の中でも魔法使いと呼ばれる者たちは、魔導の書など使わずとも自分の力で数々の魔法を使いこなすだろう』と」
「ひょっとして魔導の書を王宮の地下書庫に置いたのは、お前だな? そしてその目的は・・・」
「そうだ。ワードナ様の望みを叶えるには、人間に魔法について理解してもらわなければならない。
こちらの思惑通り、人間は魔法に興味を持ち、魔導師の育成に励んだ。
そしてアイーシャ、君はとうとう魔導の書第7ランクの魔法を扱うまでに成長した。これこそワードナ様が望んだ未来だ」
「今まで開かなかった第9層の扉が開いたのも関係があるのだな?」
「うむ。一通りの魔法を習得する者が現れた時、あの扉の封印を解きこの部屋まで招き入れるよう、ワードナ様から命じられていた」
「それも200年も昔の話だ」
「悠久の時を過ごす私にとっては、まるで昨日のことのようだよ」
「バンパイアロード、何故お前はワードナの身体とその魔よけを護るのだ?」
「それはワードナ様と私の間の話だ。君たちには直接関係はない」
「ふっ、結局私たちはワードナの手のひらで遊ばされていたようなものか」
すべてはワードナの思惑通りだったのかと、アイーシャはやり切れない思いを噛みしめていた。
アイーシャとバンパイアロードのやり取りをじっと聞いていたラウドたちも、複雑な思いを抱かずにはいられなかった。
「これでほとんど話したはずだが、他に聞きたいことは?」
「ワードナは・・・ワードナは何のために私たちをこの部屋に招いたんだ?」
「それは・・・私も聞いていなかったな。ワードナ様のご意思は海よりも深い。君たちには及ばぬ何かがあるのだろう」
バンパイアロードがそう結論付けた、その時。
「あっ!」
か細い声ながらも悲鳴を上げたのはバンシーのティア。
その胸に下げられた魔よけの宝玉が、今までになく燦然と輝いていたのだった。