魔導の書

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16

 ラウドのディスペルでバンパイアを切り抜けた一行は、六番目の部屋へと到達していた。
「ここも何もなし、か・・・どうにもおもしろくないな」
 ホムラがぼそりとつぶやく。
 その口振りからは、不満な感情がありありと滲んでいた。
「まあ良いじゃない。魔物に襲われないんだったらさ」
 一方のエアリーは気楽なものである。
「俺が言いたいのはそういうことじゃない。何て言うか・・・簡単すぎただろ、ここまで」
「確かにそうだねえ。さっきバンパイアと戦っただけで、あとは何もなし。
 ちょっと不用意に深入りし過ぎたかな」
 ラウドもホムラの言わんとしていることが分かった。
 ここにワードナなる人物が眠っているかはさておき、あまりにもことが簡単に運びすぎたような気がしたのだ。
「あれ、アイーシャ何やってんの?」
 アイーシャが拾った石ころで床に何やら描いているのに、エアリーが気付いた。
 見るとそれは図形のようで、四角い枠線の中に縦横に引かれた線が数本。
「うむ、この階層が他と同じ広さだと仮定して・・・
 通路の長さや曲がり方、それらに付随する各部屋の広さなどをパーツにして」
 アイーシャが説明しながら、更に図形を描き込んでいく。
「パズルの要領で当てはめているのだ。うん、だいたいこんなところかな」
 出来上がった図形を全員が覗き込む。
「スゴイね、アイーシャってこんなこともできるんだ。やっぱり頭が良いんだね」
「俺なんか通路の折れ曲がり方すら覚えてねえぞ」
 ただただ感心するばかりのエアリーとホムラだった。
「かなり大雑把だが、だいたいの割合が分かれば良いだろう。見てくれ」
 アイーシャがマップの右下を指差した。
「あくまで推測だが、この辺りにまだ広めの隙間が空いている。
 通路が短めならあと部屋は二つ。少し長めならあと一つといったところだと思う」
「なるほどねえ」
「むぅ・・・」
「へぇー」
 ラウド、ホムラ、エアリーの三人が、アイーシャの作った「地図」を見て考え込む。
「どうするラウド。今ならまだその転移の魔方陣で確実に帰還できるはずだ。だがこの先、魔方陣があるとは限らないぞ」
「そうだね。引き返すなら今なんだろうけど・・・」
 ラウドが二つの魔方陣を見比べながら逡巡する。
 一つはこの階層のスタート地点に戻る魔方陣。
 そしてもう一つは、まだ未踏のエリアに飛ばされるであろう魔方陣。
「大丈夫だよ。だってアイーシャは転移の魔法が使えるんでしょ? えーと、何て名前だっけ・・・」
「マロールだ。確かにそれを使えば魔方陣がなくても平気だろう」
「でも現在地が確認できないんだろ? それじゃあダメじゃねえか」
「いや、真っ直ぐ上に移動すれば良い。ここ以外の階層ならデュマピックで座標の確認ができるはずだ」
「それじゃあ問題ないじゃない。決まりだよ」
「そうだな。私が死ななければ問題はないと思う。ホムラ、せいぜい盾として私を護るのだぞ」
「結局そうなるのかよ。ったく、コイツは・・・」
 不貞腐れるホムラの様子にエアリーはケタケタと、そしてラウドやアイーシャもクスリと笑う。
 あのアイーシャがこれだけの軽口を言えるようになったのかと、ラウドは驚きもし、また嬉しくもなるのだった。
「それじやあ行こうか」
 ラウドの号令で一行は魔方陣から新たな通路へと転移する。
 慎重に歩き始めると、その通路は今までのものと比較してもかなり長めに造られていることが分かる。
 頭の中で、先ほどのアイーシャのマップにこの通路の形を描き入れてみる。
「ねえ、これはひょっとして・・・」
「うん、ひょっとするだろうね」
 エアリーの不安な声に、さすがのラウドも緊張の色を隠せないでいる。
「・・・」
 アイーシャは無言のまま、最後尾を静かに歩いていた。
 やがて一行は扉の前に辿り着く。
 先頭を歩いていたホムラが振り返り、「良いか?」と目だけで問い掛ける。
 それに対してラウドも無言のまま頷くのみ。
 ゴクリと息を飲み込んでから、ホムラは扉に手を掛け、ゆっくりと押し開けた。
 すると。
「君たちを待っていた。さあ、中へ入るが良い」
 威厳ある男の声が、中から響いたのだった。

 まさか話し掛けてくる者がいるとは思っていなかった。
 一瞬だけ驚いたが、しかし一行は逆にそれで落着きを取り戻していた。
「一気に踏み込んで攻撃、良いね?」
 ラウドが囁くのに全員が無言で頷くと、ホムラを先頭に部屋の中へとなだれ込んだ。
「たぁー!」
 相手の姿を確認すると、まずはエアリーが飛び跳ねた。
 長剣を振り上げ、切り付ける。
 しかし男は動じることなく、エアリーの剣を素手で受け流した。
 そのままエアリーの小さな身体を体当たりで弾き飛ばすと、盾を構えるホムラの元へ。
 次の瞬間には、真紅に伸びた長い爪がホムラの喉元にピタリと当てられていた。
「落ち着け。私は君たちと戦うつもりはない」
 男の声が響く。
「本当だね?」
「ああ。約束しよう」
「よし、武器を収めよう。アイーシャも魔導の書を閉じて」
「良いのかラウド?」
「うん。今はあの男の言葉に乗ってみようか」
「そうか」
 ラウドの指示で一時戦闘態勢を解く。
 一息ついたところで改めて男の姿を見ると、全身に蒼い衣装を纏い金色の髪をなびかせていた。
 その顔はアイーシャやエアリーも含めたこの世の女性全てをハッとさせるような美しさで、何とも言えない妖しさや艶めかしさをを秘めている。
「申し遅れたが、私の名はバンパイアロード。不死王として君たちの世界でも知られる存在だろう」
「バンパイアロード・・・そうか、あなたがあの・・・そうか」
 その名を聞いても驚きはなかった、むしろ予感があったと言って良いだろう。
 ラウドは妙に納得した思いで頷いていた。
「先ほどは配下の者が失礼をした。見回りをさせている途中で君たちと遭遇してしまったようだ」
「なるほど、さっきのバンパイアはあなたの部下だったと」
 ラウドは、予感の正体はアレだったかと気付いた。
 先にバンパイアと遭遇していたことで、その支配者である者の存在を感じていたのだ、と。
「そんなことはどうでも良い。バンパイアロードといったな。キサマに聞きたいことがある」
 相手が不死王だろうとアイーシャの態度はいつもと変わることはない。
 キッとつり上がった瞳でバンパイアロードを睨み付ける。
「良いでしょう。何なりとどうぞ」
「ここにワードナはいるのか?」
 アイーシャの質問はその一言だった。
 他にも聞きたいことは山ほどもある。
 そもそもこの迷宮は何なのかとか、魔物は何処からやって来るのかとか。
 しかし今はそんなことはどうでもいい話だ。
 まずはワードナの存在を確かめる、すべてはそれからだった。
「ワードナ・・・いやワードナ様は」
 不死王であるバンパイアロードが、わざわざ「ワードナ様」と言い直した。
 これは只者ではないと、一同息を飲む。
「ワードナ様は、あそこにいらっしゃる」
 バンパイアロードは踵を返すと部屋の奥を指し示した。
「あれは・・・」
「なんだ?」
 アイーシャたちの視線が一斉にそちらに向けられた。
 そこには、なんとも奇妙なモノが置かれてあったのだった。
「どうぞ、近くで見るが良い」
 バンパイアロードに促されて、一同その奇妙なモノに歩み寄る。
 それは大型のガラスシリンダーのようなものだった。
 大人一人が充分横になれる程、ちょうどベッドぐらいの大きさ。
 いや、ベッドと言うよりは棺と言うべきだろうか。
 その上半分が、半円筒形のガラスカバーで覆われてあった。
 ガラスカバーから中を覗く。
「これは・・・」
 棺の中にあるモノを見て、思わず絶句するアイーシャ。
「そこで寝ておられるのがワードナ様だ」
「これがワードナ・・・そうか」
 バンパイアロードの言葉を聞き、再度棺に目を落とす。
 そこには、全身が凍り付いた老齢の男が横たえられていたのだった。
「このワードナをマハマンで蘇らせる。それが私たちの使命だったな」
「でもアイーシャ、あのお爺さん、本当に死んでるの?」
 エアリーが不思議に思うのも無理からぬことだった。
 ガラスの棺に横たわるワードナは、遺体にしては瑞々しすぎたのだから。
 もしもワードナが完全に息絶えているならば、遺体はミイラ化していたり、あるいは骨だけになっていたりするはずである。
 しかし今アイーシャたちの目の前で眠っているこの老人は、ただ静かに寝ているだけのように見える。
 いや、それも当てはまらないように思えた。
 何故なら、ワードナの身体はピクリとも動かなかったからだ。
 ただ眠っているだけなら、多少の寝息を吐くこともあるはずなのだが・・・
「バンパイアロード、この御仁は生きているのか、それとも死んでいるのか?」
 ラウドが問う。
「ワードナ様は決して死んではおらぬ。だが・・・生きているというわけでもないのだ。
 ましてや魔法で生き返らせるなど、無理な話」
「どういうことだ?」
 鋭い口調でアイーシャが問う。
「全て話そう。ここまで辿り着いた貴女方には聞く権利がある。それがワードナ様のご意思でもあるからな」
 バンパイアロードがゆっくりと語り始めた。

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