魔導の書

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 魔導の書第7ランクに属する魔法マハマンの習得を目指し、アイーシャたちは連日地下迷宮第9層での戦いを繰り広げていた。
 具体的なことは分からなかったが、アイーシャの感覚としてはもう間もなくというところまで迫っているのではと思われた。
 第9層に出没する魔物はどれも手強いものばかりだ。
 ドラゴン、アンデッド、巨人など。
 どれ一つとっても一筋縄ではいかないものばかりであった。
 しかし、それ故にアイーシャの成長も早い。
 凶悪な魔物と対峙した時の並大抵でない緊張感が、魔導の書を扱うアイーシャを大きく成長させるのだった。
 成長したのはアイーシャばかりではなかった。
 盾としてアイーシャの前に立つホムラは、体力そして耐久力がかなり上昇していた。
 魔物が落とす宝箱から新しく手に入れた防具の恩恵も大きいだろう。
 また、精神面でも大きく成長したホムラは、どんな魔物を目の前にしても臆することなく立ち向かっていた。
 常にアイーシャを背中にかばい、決して逃げたりなどしなかったのだ。
 アイーシャにとっては、なんとも頼もしい存在になっていた。
 一方エアリーは、ファイアードラゴンとの一戦以来長剣を扱うようになっていた。
 身体の小ささとフットワークの軽さを生かすため、今までは短剣を使っていたエアリー。
 しかしこの階層に出没する魔物の固い表皮を貫くためには、短剣では物足りないと感じたからだ。
 最初のうちは長剣を扱いきれずに困惑していたが、今では自由自在に使いこなしている。
 元大道芸人の手先の器用さはさすがといったところだろう。
 三人が大きく成長する中、一人焦っていたのはラウドだった。
 各種の巻物や治療薬を扱ってはいたが、それだけでは今の戦いに対応するには厳しくなっていた。
 文献によると、魔導の書の対になる治療回復の魔法を発動できる書物があるらしいのだが・・・
 現在のところ、その発見には至っていなかった。
 そんなラウドが力を入れていたのが、不死の魔物の呪いを解くディスペルだった。
 これは古来から寺院の僧侶に伝わる秘術で、不死の魔物に掛けられた闇の呪いを解き放ち、活動を停止させてしまうものである。
 ナイトストーカーやライフスティーラーなどは、こちらの気力体力を大きく減退させるエナジードレインを使ってくる。
 そんな攻撃を受けてしまったら、せっかくの修行の成果が大きく後退してしまう。
 そうなる前に、ディスペルで仕留めてしまうのがラウドの役目になっていた。
 もちろん、パーティの要としてのまとめ役もラウドの仕事である。
 もっともそちらは、アイーシャとホムラがケンカをすることが減ったために、だいぶ役目が軽くなっていたのだが。

「マカニト!」
 魔導の書第5ランクに属する魔法マカニトが展開される。
 大地の巨人、アースジャイアントが一瞬にして塵になって消失した。
 パーティ内に満ちていた緊張感が弛緩する。
 それは勝利の後の清々しい瞬間だった。
「いつもながら、見事なもんだな」
「なに。大したことはない」
 感心するホムラにふっと微笑んでみせてから、アイーシャはパタンと魔導の書を閉じる。
「だが勘違いしないでくれ。私が凄いのではない。この魔導の書が凄いのだ。私は単にそれを操り、力を引き出しているだけにすぎない」
「それができることが凄いんだけどねえ」
 魔導師候補として寺院に拾われながらも途中で治療師へと転身したラウドは思わず苦笑する。
「あのさあ、ずっと気になってたことがあるんだけど・・・」
 エアリーが不思議そうな顔で、アイーシャの手にある魔導の書を覗き込む。
「アイーシャがさっき使ったマカニトって、魔導の書の第5ランクの魔法だよね?」
「ああ、そうだが・・・それがどうした?」
「うん。その他にもアイーシャがよく使うマダルトも第5ランクでしょ。ダルトとかラハリトになると第4ランクだよね」
「何が言いたいんだ、エアリー?」
 話が見えないと首を傾げるアイーシャ。
「だからね、第6ランクの魔法って、あたいまだ見たことがないんだよ」
「あー、それは俺もそうだな」
 エアリーの意見に納得とばかりにホムラが頷く。
「魔導の書を極める目標は第7ランクのマハマンて魔法でしょ? アイーシャはまだ第6ランクの魔法を使えないのかなって」
「あと2ランクもあるとなると、まだ先は長そうだしな」
「なんだ、そんなことか」
 エアリーとホムラの疑問を一言でバッサリと切り捨てるアイーシャ。
「私は第6ランクの魔法もちゃんと使えるぞ。ただ・・・」
「ただ?」
「そのランクの魔法は、イマイチ使い勝手が良くないのだ」
「と言うと?」
 姉が魔導師だっただけに興味があるのか、矢継ぎ早に質問してくるエアリー。
 それに対してアイーシャは丁寧に説明していく。
 魔導の書第6ランクに属する魔法で攻撃用なのはラカニトとジルワンである。
 ラカニトは効果範囲内の酸素を消失させて敵を窒息させる魔法である。
 一見強力なものに思えるが、肺活量の大きな魔物などは、無傷で生き残ることがしばしば見られる。
 非常にギャンブル性の高い魔法なのである。
 一方ジルワンはアンデッドモンスターを粉々に破壊するという魔法である。
 しかしこの魔法は魔物単体にしか効果が及ばないという欠点を持っていた。
 アンデッド限定で、しかも単体にしか効かないと、かなり制限の多い魔法なのだ。
 故にアイーシャは、これらの魔法を使うことはほとんどなかった。
 しかし、アイーシャにも気になる点はあった。
 魔導の書第6ランクに、不自然に白紙のページが残っているのだ。
 そこには一体何が書かれているのだろうか・・・
「とにかくだ。使えないのではない。使い勝手が悪いから使わないだけだ。分かったか、エアリー」
「うん。よく分かった。でも良かったよ。アイーシャがまだ第6ランクの魔法を使えないのかと思ってたから」
「私を舐めるな」
 アイーシャはおもしろくなさそうに吐き捨てた。
 と、その時。
 アイーシャの手にある魔導の書が淡く輝き出したのだ。
「な、何? どうしたのそれ?」
「ふっ、どうやら来たようだな」
「うん、ようやくだね」
 驚くエアリーに対して、アイーシャとラウドには見慣れた光景だった。
 アイーシャが手に乗せた魔導の書を目の前に差し出すと、魔導の書はひとりでにページを開き始め・・・
 まだ白紙のページのところでそれは止まった。
「さて、何が出るかな?」
 アイーシャの表情に笑みが浮かぶ。
 ページに文字が浮かび上がると、アイーシャがその言葉を読み上げる。
「マ・・・ロー・・・ル。そうか、マロール、転移の魔法だ。んっ、もう一つあるな」
 アイーシャはじっと魔導の書を見つめる。
「マ・・・ハ・・・マ・・・ン・・・やったな」
 魔導の書に新しく加わった魔法、それはマロールとマハマンだった。
「マハマンってアレだよね・・・」
「死者を蘇らせるっつうヤツか・・・」
「そうだ。ついにマハマンの使用が可能になった。この魔法こそが、寺院が求めるものだったのだからな」
「やった」
「やったな、オイ!」
 パーティに加わってまだ日も浅いエアリーとホムラだったが、マハマン解禁の瞬間に立ち会えたことは、まるで自分のことのように嬉しかったのだ。
「やったねアイーシャ。おめでとう」
「ああ。ラウド、ありがとう。エアリーもホムラも。三人のおかげだ」
「アイスドールのアイーシャがこうも素直にお礼を言うなんて・・・驚きだね」
「からかうな」
 少し照れた様子のアイーシャだった。
「さて。マハマンが解禁になったらもう地下迷宮に長居は無用かな」
「そうだな。あとは大衆の前で死者の蘇生の儀式でもしてみせれば、それで寺院の権威は天井知らずに拡大するだろう」
「でもさ、マハマンって犠牲を伴うんじゃなかったっけ?」
「少しばかり体力や精神力が減退し、しばらくこの魔法を使えなくなるらしいが・・・
 また修行を積み直せば回復するだろう。たいした問題じゃない」
「へえ、そうなんだ」
 アイーシャの説明に納得とばかりに頷くエアリー。
 ほとんど表情が変わらないアイーシャに対して、エアリーの表情はくるくる変わる。
 そこが見ていておもしろいと、ラウドはふっと微笑んだ。
「それじゃあ、今日はもう引き揚げようか」
「そうだ。せっかくだから転移の魔法を使ってみよう」
 言うやアイーシャは早くも魔導の書を広げ始めた。
 慌てたラウドがそれを制する。
「ちょっと待ってアイーシャ。いきなり長距離で試すつもり?」
「当然だ。一気に地下迷宮の出口まで移動するぞ」
「失敗したら大変なことになるんだよ。どこか安全な場所で練習してからのほうが・・・」
 もしも岩の中などに転移してしまえば、その瞬間生き埋めになって全滅してしまうかもしれない。
 ラウドはそれを心配していたのだ。
「なんだラウド、私が魔法を失敗するとでも?」
「前に魔法を失敗してえらく落ち込んだ時があったな」
「うっ・・・」
 さしものアイーシャもホムラにそれを言われると弱い。
「あー、あたいは体験してみたいな。一気に出口まで行けるなんて楽そうじゃない」
「そうだろう。エアリーはよく分かっている」
 エアリーの援護を得てアイーシャが復活する。
 女同士に結託されると、男はもう抵抗できなくなるものだ。
 ラウドとホムラは仕方ないと肩をすくめる。
「分かったよ。でも絶対に失敗しないでよ」
「任せておけ。それでは座標の割り出しに入る」
 アイーシャは魔導の書第1ランクのデュマピックでパーティの現在地を確認する。
「よし、出口までの距離と方位を確認した」
 次いで魔導の書を開き、転移の魔法マロールの発動式を読み上げる。
 今は魔物と戦っているわけではないので、ホムラが盾になる必要はない。
 アイーシャは一言一句違えずに、ゆっくりと発動式を読み上げていった。
「マロール」
 最後に魔法の名前を口にすると魔法が発動する。
「わっ!」
「おっ」
「へぇ」
 エアリーたちが三者三様の声を上げて驚く。
 次の瞬間、一行の姿はその場から消えていたのだった。

 その時。
 この階層にある例の開かなかった扉に異変が起こっていたことになど・・・
 誰も気づいてはいなかった。

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