魔導の書
12
そこにいたのは、赤い鱗を持つ巨大なドラゴンだった。
その身体はガスドラゴンを遥かに凌ぐ大きさである。
ドラゴン特有の長い首と頭部から生えた何本もの角、そして背中にある巨大な翼が見る者に恐怖を与える。
そして室内にこもる熱気。
アイーシャたちの額にも、たちどころに汗が滲んだ。
ファイアードラゴンがこちらをギロリと睨んだ。
一行を敵として認識したのだろう。
「さあエアリー、行ってみようか」
「うん」
ラウドが促すと、エアリーは短剣を抜いてファイアードラゴンへと走り出した。
「さて、僕もできることをしなきゃね」
ラウドは懐から巻物を取り出す。
魔導の書に書かれた発動式を、より簡易な形で記した巻物なら魔導師でなくても扱えるのだ。
巻物に書かれた発動式を一気に読み上げるラウド。
「カティノ!」
ラウドが使ったのは、魔導の書第1ランクに属するカティノだった。
これでファイアードラゴンが眠りに落ちてくれれば話は早い。
巻物に書かれてあった文字が消え、それと同時に魔法が発動する。
カティノの効果はファイアードラゴンへと届く。
瞬間、ファイアードラゴンがその目を閉じたように思われたが・・・
やがて全身を大きく震わせて、暴れ出した。
どうやら眠気を感じてそれを振り払ったらしい。
「やっぱり、そううまくは行かないか」
舌打ちするラウド。
「アイーシャ、あとは任せた」
「ああ」
次は自分の出番とばかりに、アイーシャが魔導の書を開く。
「アイーシャよ、援護ったって、なにをするつもりだ?」
「ヤツを仕留めない程度の魔法を放つ。少しでも体力を削ればエアリーの援護になるだろう」
「なるほどな」
「分かったらホムラ、頼むぞ」
「おおよ」
いつものようにホムラがアイーシャの前に立ち、盾を構える。
これでアイーシャは安心して魔導の書に集中できるのだ。
アイーシャが読み上げている発動式は、魔導の書第4ランクのダルトだった。
本来ならばもう1ランク上のマダルトを使うべきところだが、今はエアリーの援護に徹するためにあえて抑えることにする。
ホムラたちに付き合って、地下迷宮の4層で魔導の書の扱いをおさらいした効果は確実に出ていた。
発動式を読み上げるのが圧倒的に早くなっていたのだ。
なおかつその内容も完璧となれば、発動した魔法の威力も以前よりパワーアップしていた。
ファイアードラゴンが大きく口を開け、周囲の空気を吸い込む。
ブレスが来ると、ホムラが身構えた。
次の瞬間、ホムラの読み通りファイアードラゴンがブレスを吐き出した。
地獄の火炎が一行を襲う。
エアリーやラウドはそれを見切ってかわすものの、魔導の書に集中しているアイーシャは動けない。
それを護るのがホムラの役目である。
しかし今回は話が違った。
ブレスがホムラに到達する直前。
「ダルト!」
アイーシャが魔法を発動させたのだ。
アイスドールと呼ばれるアイーシャが得意とする氷の魔法。
ダルトが引き起こした氷の嵐が、ファイアードラゴンの炎のブレスを巻き込み、そして包み込む。
氷と炎がぶつかり合い渦を巻き、激しい勢力争いを展開する。
果たして勝ったのは氷だった。
灼熱の炎を圧倒的な冷気で抑え込み、そして消失させてしまったのだ。
「すげえ、アイーシャ、こんなこともできるのか・・・」
ブレスが来るとばかり思っていたホムラが唖然とする。
しかしアイーシャの魔法はこれで終わりではなかった。
「もう一発だ」
間髪入れず、ダルトの冷気がファイアードラゴンへと走った。
アイーシャは一回の発動式で発生した魔法を二つに分断していたのだ。
一発目でブレスの炎を消し、そして二発目でファイアードラゴンを攻撃する。
当然威力は落ちるが、今はエアリーの援護が目的である。
これで十分役目は果たしているはずだ、とのアイーシャの読みだった。
ダルトの嵐がファイアードラゴンへ四方八方から降り注いだ。
氷の欠片がドラゴンの身体を傷付け、冷気が体力をすり減らす。
苦しみ、もがくファイアードラゴン。
そこへ
「たぁー!」
エアリーが短剣を振りかざし、飛び上がった。
その狙いはファイアードラゴンの首筋だ。
ファイアードラゴンの身体をうまく足場に使い、軽やかなフットワークで登って行く。
エアリーはファイアードラゴンの左の肩口で大きく踏み切り、更に上へと飛ぶ。
そこから落下の勢いを借りて、渾身の一撃を叩き込んだ。
しかし・・・
パキーンという乾いた音と共に、エアリーの持つ短剣が根元から折れてしまったのだった。
ドラゴンの鱗は鉄以上の硬度を持つと云われている。
短剣程度では貫通どころか、傷を付けることすら難しかったのだ。
「この! クソっ!」
エアリーはそのままファイアードラゴンの首元にしがみ付いて、拳を叩き付けたりしていたが、それでどうなるものでもない。
ファイアードラゴンがぶるんと身体を揺さぶると、エアリーはバランスを崩し落下してしまった。
どすん、と鈍い音を立てて背中を痛打する。
「エアリー!」
叫んだのはアイーシャ。
かつてのアイーシャなら、こんなふうに仲間の名前を叫ぶなど考えられないことだった。
今までと違い、エアリーとホムラの成長を待ちながらじっくりと戦い、共に長い時間を過ごしたことで情が沸いたのか。
それとも、ウェインの忘れ形見であるエアリーには、特別な思い入れがあるからか。
はたまたそれ以外の感情がアイーシャの中に生まれたのか。
いずれにしても、アイーシャ自身はまだ自分の変化に気付いてはいなかった。
とにかく、今はそれどころではないからである。
アイーシャは早く次の魔法をと考えるが、エアリーが近くにいては巻き添えにしてしまうかもしれない。
一方のラウドも何とかエアリーに治療をと焦るのだが、何しろファイアードラゴンの足元とあっては近付くこともままならない。
魔導師と治療師は、共に魔物との接近戦には不向きだった。
「ホムラ・・・」
自然、二人の視線がホムラに向けられた。
「ここで俺が手を貸すのは簡単だが・・・それじゃあエアリーの気が済まないだろうよ」
「それじゃあホムラは黙って見ているのか?」
こんな台詞も今までのアイーシャなら絶対に口にしなかっただろう。
常に冷静で冷酷、時には味方を見捨てることも平気でやってきたアイーシャである。
それが仲間を救いたいと焦っているのだ。
「勘違いするな。俺は手は貸さないが得物は貸してやれるぜ」
言うやホムラは腰に差していた長剣をスラリと抜いた。
「エアリー、使え!」
ホムラがエアリーの元へと剣を投げる。
ホムラの手を離れた剣は真っ直ぐに宙を走り、エアリーの目の前すぐの所にグサリと突き刺さった。
「みんな・・・ありがと・・・あたい、まだやれるから。絶対にお姉ちゃんの仇を討つ!」
ホムラの剣を掴み、それを杖代わりに立ち上がるエアリー。
「アイーシャ、エアリーの援護を」
「分かった」
ラウドの指示に、アイーシャが素早く魔導の書を広げる。
読み上げる発動式はまたもダルトのもの、その言葉は先ほどよりも早く、そして正確に紡がれていく。
「ダルト!」
またも巻き起こった氷の嵐がファイアードラゴンに降り注ぐ。
アイーシャの狙いは火龍の頭部、その視界を遮り、ブレスを封じ込めることが目的だった。
その思惑はピタリと的中する。
ブレスを吐こうと口を大きく開けようとしたところで冷気を吸い込んでしまい、さしものファイアードラゴンもむせ返ってしまっていた。
そして視界を白く覆われたため、飛び上がったエアリーの姿に気付かなかったのだ。
「たぁー!」
中空で姿勢を保ったまま、小さなその身体には不釣り合いな巨大な剣を振り上げるエアリー。
そのままファイアードラゴンの首筋へと狙いを定め、一気に叩き付けた。
その剣は吸い込まれるようにファイアードラゴンの首へと沈んでいった。
落下速度に剣の重さと切れ味が加わり、ファイアードラゴンの固い鱗をものともせずに切り裂いたのだ。
渾身の力で剣を振り抜くエアリー。
空中で回転しながらバランスを保ち、ファイアードラゴンの肩や背中を伝って華麗に舞い戻る。
そして。
胴体から切り離された首が、ズンと地面に落下した。
ぐらり。
首を失い、生命活動を停止した龍の躯がバランスを崩したかと思うと、その場にズダーンと崩れ落ちたのだった。
「お姉ちゃん、見ててくれたかな? あたい、やったよ」
エアリーの目からポトリと涙が零れ落ちる。
それを見ていたアイーシャの目にもまた、同じように涙が浮かんでいたのだった。