魔導の書

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 紫の肌を持つ巨人が吐き出したブレスがパーティを襲った。
「うわぁー」
「ぎゃー」
 身を焦がす灼熱の業火とブレスに含まれた猛毒を浴びた鎧の男二人が、バタバタと続け様に倒れる。
 鎧の男たちの後ろに隠れてブレスを切り抜けたのは、緑を基調とした法衣を纏ったエルフの男。
 素早く巻物を広げるとそこに書かれてある発動式を一気に読み上げた。
 エルフの男が発動式を完成させたその瞬間、巻物に書かれていた文字は消え、その代わりに目の前に紅蓮の炎が噴き上がった。
「行けー!」
 紫の巨人目掛けて発現した炎を放つ。
 が・・・
 炎は紫の巨人に届く前に、霧のように消失してしまった。
「ヤツには普通の魔法は効かないぞ」
 冷静に言い放ったのは、もう一人の仲間の白いドレスを着た女。
 左手に持った書物を広げ、ページに書かれてある発動式に右の手のひらをかざしながら読み上げる。
 その韻律は時に高く、そして時に低く。
 複雑な発動式を一言一句違えることなく正確に読み上げた。
 そして。
「マカニト!」
 女が魔法の名を叫ぶと、紫の巨人の身体に異変が起こった。
 まるで操り人形の糸が切れたかように動きを止め、足元から身体が塵と化していく。
 紫の巨人が完全に塵になって崩れ落ちるまで、それは一瞬のできごとだった。
 魔法の成果を確認した女が「ホゥ」と息を吐き、開いていた書物をパタンと閉じた。
「さすがだねえ」
「これくらい、できて当然だ」
 男の賛辞にも女は冷たい声で応じる。
 その言葉づかいはどこかぶっきらぼうで、まるで男のようでもある。
「それにしても・・・コイツらどうする?」
 男が指差したのは、紫の巨人が吐いたブレスに倒れた鎧の男たち。
 確認するまでもない、既に事切れて生命活動は停止している。
「捨て置こう。どうせ連れ帰ったところでどうなるものでもないし」
 それに対して女は、倒れている男たちに目をくれることもない。
「そう・・・だね。僕たちでコイツらの屍を担いで移動するのは、ちと無理か」
 倒れている男は二人、そして生き残って立っているのも二人。
 しかし、屈強な大男がさらに鉄製の鎧を纏っているとなれば、その重量はかなりのものになるはずである。
 女はもちろん、エルフの男も担いで運ぶ自信はなかった。
 それに女の言うとおり、たとえ遺体を連れ帰ったとしても、鎧の男たちが生き返るわけでもない。
 元々が身寄りのない、寺院に雇われただけの流浪の剣士たちだ。
 苦労して連れ帰ったところで誰に感謝されるわけでもない。 
 共に行動するようになってまだ二週間にも満たない、その程度の間柄。
 白いドレスの女はもちろん、エルフの男もそれほど未練があるわけでもなかった。
「彼らは盾の役目は果たしてくれた。それで十分だ」
「それもそうだけど・・・そうなると、また新しい人間を雇わないとだねえ」
「そんなのは寺院がやってくれるだろう。私たちは、いや私は私のすべきことをするだけだ」
「なるほどね。冷静かつ冷酷な判断力。『アイスドール』と呼ばれるのは伊達じゃない、か」
「ふん。分かったなら帰るぞ。グズグズしていてまた魔物に出くわしたら敵わないからな」
 アイスドールと呼ばれた女が面白くなさそうに吐き捨てる。
 そして二人は鎧の男たちの遺体をそのまま放置し、その場から立ち去ったのだった。

 狂王トレボーがその名を轟かせた時代から、さらに500年ほど昔に遡る。
 大陸の中にある小国、エセルナートはまだ魔法文明の黎明期にあった。
 どんなに高名な魔法研究家と言えど、手のひらに小さな火の球を作り出すことが精一杯だった。
 また、どんなに高名な僧正と言えど、手のひらにできた小さなかすり傷を癒す程度の術しか行使できないでいた。
 そんな時代である。
 しかしある日、エセルナートの魔法研究家たちを衝撃が襲った。
 王宮地下にある書庫の奥深くから、一冊の書物が発見されたのだ。
 その書物の名は「魔導の書」となっていた。
 そこには誰も知らなかった数々の魔法について、その原理や効果、更には発動させ自由に操るための方法などが詳しく記されていたのだ。
 魔法研究家たちは我先にと未知の魔法について研究し、そして実験を繰り返した。
 しかし、魔導の書に書かれた魔法を実際に使用するのは大変に難しかったのだ。
 高度な魔法理論を理解するための高い知性。
 魔法を発動させるための集中力。
 そして発動させた魔法に耐えるための体力など。
 あらゆる条件が必要になってくる。
 ある者は理論を理解できずに終わり、またある者は精神的に追い詰められ、またある者は発動した魔法が自らに逆流して襲い掛かられ命を落としたりもした。
 魔法の力は欲しいが、自らの命はもちろん惜しい。
 魔法研究家たちはこの書物の扱いについて、次第に二の足を踏むようになっていった。
 しかし、魔導の書に対して強い関心を寄せたのは、何も研究家だけではなかったのだ。
 その中の代表格がカント寺院である。
 カドルト神に信仰を捧げることで有名なこの寺院は、エセルナート各地に多くの信者を抱えていた。
 信者が多いということはすなわち、多額の金が集まるということである。
 結果的にそれは、国内でも王宮を凌ぐほどの大きな力を持っているということを意味する。
 その寺院が、魔導の書の研究に全力を上げて取り組み始めたのである。
 寺院が特に注目したのは、魔導の書の中にあるひとつの魔法だった。
 魔導の書には第1から第7まで、難易度や効果に応じて魔法が7段階に分類されてあった。
 その中の最高ランクに属する魔法、それがマハマンである。
 自らの身を犠牲にして神の恩恵を授かるこの魔法には、死者をも生き返らせる効果を発揮することもあるという。
 もしも、である。
 手のひらの傷を治療するだけでも奇跡と称えられるこの時代に、死者の蘇生という神の所業にも等しい奇跡を引き起こすことができたらどうなるであろうか。
 寺院に対する信仰は留まるところを知らず、国の中においてもその権威は更に強大なものになるに違いないであろう。
 王宮に代わって国の政治を牛耳ることも決して夢物語ではない。
 自らの権威拡大のため、魔導の書の研究は他の勢力を退けた寺院によって正式に引き継がれることになった。
 しかし、寺院に属する僧侶たちに魔導の書を扱わせてしまっては、先の魔法研究家たちのような悲劇を繰り返しかねない。
 寺院の中でも重責を担う貴重な人材を、そう易々と失うわけにはいかないのだ。
 そこで寺院は国内から、身寄りのない孤児たちを多数集めることにした。
 戦争や流行病で親を亡くした子供たちは、それこそ国中に溢れていた。
 実際、寺院が各地に設置していた孤児院からも、多くの子供たちが集められたのだった。
 子供たちは色々なテストを受けさせられ、魔法に対する才能のあると思われる者が選び出されていった。
 そして選抜された子供たちに、寺院は厳しい魔法訓練を課したのだ。
 子供たちにしても、孤児の身から寺院直属の魔導師への出世の道が開けるとなれば、真剣に訓練に打ち込む者が多数出てきた。
 しかし、魔法研究家たちが次々と挫折していったように、魔導師への道は決して簡単なものではなかったのだ。
 理論の段階で付いて行けなかった子供。
 精神的に追い込まれ参ってしまった子供。
 魔法の力を扱いきれずに、逆に飲み込まれてしまった子供。
 そして、魔物相手の実践訓練の中で命を落とす子供。
 多くの子供たちが、魔導の書の犠牲となったのだった。
 孤児の中から選び出された子供の中に、一人の女の子がいた。
 名前をアイーシャという。
 ずば抜けた才能を持つアイーシャは、他の子供たちが次々と脱落していくのを尻目に、着実に力を付けていった。
 そして、アイーシャが寺院に見出されてから10年の月日が流れた。
 20歳になったアイーシャは透き通るような白い肌と青い瞳を持ち、銀色に煌めく長い髪をなびかせた美しい女性に成長していた。
 それと同時に寺院随一の魔導師として、今や魔導の書を操るエキスパートになっていたのだ。
 アイーシャ以上に魔導の書を使いこなせる者がいないため、今や魔導の書は事実上アイーシャの専用物として扱われていた。
 白い肌と銀色の髪、そして白い衣装を好むアイーシャ。
 常に冷静で、時に見せる冷酷とも言える言動。
 そして氷の結晶のように冷たく光る青い瞳。
 そのいでたちや性格、更には「アイーシャ」という名前のもじりから、いつしか「アイスドール」と呼ばれるようになっていた。
 7段階ある魔法の中で、現在アイーシャが扱えるのは第6ランクのものまでである。
 最終目標であるマハマンの習得までは、あと少しに迫っていた。
 魔物と戦うことで経験を積み、技術や精神を鍛え上げる。
 そしてそれが一定のレベルに達した時、今は空欄となっている魔導の書のページに新たにマハマンを行使するための発動式が浮かび上がるはずである。
 それを目指し、魔導の書を携え実践訓練のために地下迷宮に下りて魔物と戦う日々が続く。
 そんなアイーシャだったが、魔導の書の著者として「ワードナ」という名前が記されていたことになど・・・
 何の興味も示さなかったのだった。

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