魔導の書
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紫の巨人との戦いで前衛を務めていた剣士たちが死んでから数日後。
アイーシャとラウドは寺院内にある大僧正の部屋に呼び出されていた。
エルフ族出身のラウドは今年21歳。
スラリとした長身に背中まで伸びた金色の髪を後頭部で一つに束ね、種族特有の先端が尖った耳を持つ。
どちらかと言えば柔和な顔立ちの優男といった印象だ。
常にアイーシャと行動を共にするラウドもまた、寺院によって拾われた孤児の一人だった。
当初は魔導の書の力を引き出すため、魔導師としての訓練をさせられたラウド。
しかし、やがて自分の適性は攻撃よりもむしろ治療回復だと気付き、治療師の道へと方向転換したのだ。
治療師と言っても後の時代のように高度な回復魔法が使えるわけではない。
軽度な傷を癒す程度の魔法と、マヒや猛毒を治療する数々の薬品の扱い、それが治療師としてのラウドの仕事である。
また、巻物を使って攻撃に参加することもある。
この巻物とは、魔導の書の力を簡易的に引き出せるようにしたものである。
魔導の書に記された魔法を行使するための発動式はとても複雑で、そう簡単に使いこなせるものではない。
その発動式を簡略化した形で書き写し、誰でも使えるようにしたものだ。
ただし一度使うとその効力は失われ、巻物は白紙に戻ってしまう。
インスタント魔導の書といったところだろう。
当然のことながら魔導の書を使った場合と比べると魔法の威力は落ちる。
また、高度な魔法を巻物化する技術も開発されてはいない。
巻物として使えるの魔法は、せいぜい第4ランクのものまでだ。
だが、一回でも攻撃のための魔法が使えるのと使えないのとでは、天と地ほどの差があるのは明らかだろう。
厳しい実践訓練で生き残るためにも、ラウドにとって巻物の存在は欠かせないものだった。
「大僧正様の用事ってのは何なのだ?」
「例の『剣士募集』のお触れに応募してきた者がいるそうだから。その面会だろうね」
いつも通りの低くて抑揚のない声で聞くアイーシャに、ラウドがふんわりとした口調で答える。
「フン。どうせ盾でしかないのだ。誰でも構わん」
「まあそう言わないでアイーシャ。凄腕の剣士なら戦いそのものが楽になるんだし」
「これからは剣よりも魔法の時代だ。私はそのために日々戦っているのだからな」
「ごもっとも」
これ以上言い争いをしてアイーシャの機嫌を損なうのは得策ではないと判断したラウドは、彼女の言葉に頷くだけに留めることにする。
賢明な判断と言えるだろう。
寺院に見出されて以来、アイーシャとの付き合いももう10年になる。
いい加減その扱いにも慣れていた。
アイスドールと呼ばれるアイーシャは、当然のことながら人付き合いなども苦手だった。
特に初めて会った人とは、必ずと言って良いほど喧嘩になる。
そんな時、間に入って仲を取りなすのもまた、ラウドの役目のようなものだった。
やがて二人は大僧正の部屋の前に到着した。
「大僧正様、お呼びでしょうか?」
扉をノックしたのはラウド、アイーシャはその後ろでつまらなそうに腕を組んでいた。
「入りなさい」
「では、失礼します」
大僧正の呼び掛けに静かに扉を開けて部屋の中へ。
さすがのアイーシャも、寺院の頂点に立つ大僧正の前とあっては礼を尽くさざるを得ない。
一礼した後、ラウドに続いて室内へと入った。
部屋の奥にある大僧正の椅子に座るのは、70歳を超える高齢の男だった。
名をエオフンというが、誰もその名を呼ぶことはない。
皆が「大僧正様」と呼ぶからである。
その大僧正の傍らに、一人の男が立っていた。
ラウドよりもさらに背が高く、ガッシリとした身体つき。
この地方では珍しい黒い髪に黒い瞳、あごには若干の無精髭を生やしていた。
極東の地域に多く見られる人種のようである。
簡易ながらも鎧を纏い腰に剣を帯びたその姿は、立派な剣士そのものだ。
「大僧正様、こちらの御仁が・・・」
「ああそうだ。君、自己紹介してくれたまえ」
大僧正の呼び掛けに剣士はウムと頷く。
「名はホムラという。よろしく」
低音かつ重厚な声音が室内に響いた。
ホムラと名乗った剣士は、握手を求めてラウドとアイーシャに手を差し出す。
しかし、「よろしく」と手を握り返したのはラウドだけだった。
一方のアイーシャはというと、相も変わらずつまらなそうに腕組みをしているだけ。
「おい女、人が手を差し出しているんだ。握手ぐらいはしてくれても良いんじゃないのか?」
当然とも言えるホムラの反応である。
「ふん。キサマに女呼ばわりされる覚えはない。それにどこの馬の骨とも分からぬヤツに手など差し出せるか」
「なっ・・・何だと!」
アイーシャの返事に憤るホムラ。
しかし、こんな状況は慣れたものとラウドが二人の間に割って入る。
「まあまあ。すいませんね。コイツはこんなヤツでして」
ラウドに「こんなヤツ」呼ばわりされて、アイーシャの機嫌は悪くなる一方だ。
「私の名前はラウドと申します。寺院に属する治療師です。そしてこちらの女性は・・・」
「・・・アイーシャだ」
ラウドに視線を向けられ、しぶしぶながらも名乗るアイーシャ。
「ほっほっほ。まあお互いに仲良くやっておくれ。
さてホムラ殿、君の役目はこの二人に同行して地下迷宮へ下り、魔物と戦うことだ。引き受けてくれるかな?」
「なるほど。コイツらのボディーガードというわけか。
こう言っちゃあ何だが、ひょろっとした男と細腕の女の二人連れとなれば、俺のようなボディーガードが必要なのも頷ける。
良いだろう、引き受けた。どんな魔物が襲ってきても、この剣で一網打尽にしてくれるわ」
大僧正の問い掛けに自信満々に頷き、腰に帯びていた剣を抜くホムラ。
その剣を見てアイーシャの片眉がピクリと反応する。
「ほう、大層な剣を持っているな」
「分かるか? これは我が家に先祖から伝わるという名剣だ。炎の力を帯びていてだなあ、いざともなれば魔法同様の炎を・・・」
「そんな剣は必要ない。この場に置いて行け」
「ナニ・・・?」
「勘違いするな。キサマの仕事はその剣で魔物を倒すことではない。ただ私の前に立って魔物の攻撃を受け止めてくれればそれで良いのだ。
キサマに必要なのは剣ではない。ぶ厚くて大きな盾だ。その盾を持って私の前に立っていろ。そして文字通り盾代わりになってくれればそれで良い」
「くっ・・・この女、言わせておけば!」
「キサマが盾となって魔物の攻撃を受け止める。その間に私が魔導の書を操り魔法を発動させる。
どんな魔物でも私がたちどころに仕留めてみせるから、キサマは安心して突っ立っていろ」
自分より頭一つ分大きな男に対しても臆することなく言い放つアイーシャ。
しかしさすがに言い過ぎと見咎めた大僧正が、アイーシャをたしなめる。
「アイーシャ、少し言葉が過ぎるぞ」
「・・・申し訳ありません、大僧正様」
「ホムラと共に戦ってくれるな?」
「大僧正様の仰せとあらば」
「頼む」
「用はそれだけですね。では私はこれにて」
アイーシャは話が済んだと見るや、大僧正に深々と一礼してから退室する。
「なんだ、あの女は?」
アイーシャが出ていった扉を睨みながら、ホムラが吐き捨てる。
こんな風にアイーシャが起こした揉め事の後始末をするのは、ラウドの役目と決まっていた。
「見てのとおり、ちょっと性格にキツイところがあるけれども・・・あれでも悪いヤツじゃないから、さ」
「まあ良い。寺院直属の剣士となれば、それなりの栄誉は保障されるだろう」
「そう言えば先ほど『我が家に先祖から・・・』などと言ってましたね。さぞや名のある御家柄で?」
「いや、それほどのものじゃない。田舎で没落した貴族の、それも三男坊だ。
こんなご時世だ、家柄で食っていけるような状況じゃないからな。こうして剣で身を立てるしかないのだ」
「なるほど。それで『剣士募集』に応募してきたのですね」
「その通りだ。しかし・・・まさかあんな女と組まされるとは思ってなかったぞ」
「まあまあ。僕ができるだけ間に入りますから。よろしく頼みますよ。
それでは大僧正様、我々はこれで。ホムラ君も行きましょう。今後のことについて色々と話したいですからね」
「分かった。それと名前の呼び方は『ホムラ』でいいからな。では俺はこれで」
ラウドとホムラは大僧正に一礼してから部屋を辞した。
扉を開け廊下を進むと・・・
「遅かったじゃないか。行くぞ」
そこにはアイーシャがつまらなそうに腕組みしながら、壁に背をもたれて立っていたのだった。
「ひょっとして、待っていてくれたのかな?」
「たまたまだ。たまたま気が向いただけに過ぎない。そこのアナタも、ぐずぐずしてないで早くするが良いわ」
二人の顔を見て言うだけのことを言うと、アイーシャはスタスタと行ってしまった。
「なんなんだ、アイツは?」
「あれでなかなかカワイイところがあるでしょう。ねえ?」
アイーシャの言動に不思議そうに首を捻るホムラと、楽しそうにふふっと微笑むラウドだった。