ジェイク7
5
一体何がどうなっているんだ?
ランバートから逃げたい一心で巨大なドラゴンのレリーフに両手を付いた瞬間、異変が起こった。
突然どこかでドラゴンの鳴き声がして、さらにはレリーフに描かれたドラゴンの目が光り出した。
さらにはオレが手を付いている場所を中心にして、まるで湖に石を投げ込んだようにドラゴンのレリーフが波紋を打ち始めたんだ。
波紋はやがてレリーフ全体に広がっていく。
それはまるで、湖の底からドラゴンに見つめられているかと錯覚してしまうような光景だった。
そして。
「う・・・ウソだろ?」
オレの両手が少しずつレリーフの中にめり込み始めたんだ。
「ジェイク!」
「早く手を引き抜け!」
エイティとベアが叫ぶ。
オレだってこの状況がただごとじゃないのは分かっている。
一刻も早く脱出しないと、このままレリーフの中に飲み込まれてしまう。
だが・・・
「ぬ、抜けない!」
いくら手を引き抜こうとしてもがいても、レリーフにめり込んだオレの手はビクともしなかった。
「チクショー」
レリーフに右の足を付けて抜こうとしたけど、その足もレリーフにめり込んでしまってはどうにもならない。
両手と右足を封じられて完全に身動きが取れなくなった。
「ジェイク、今助けるからね」
エイティがオレの腰にしがみ付き懸命に引っ張る。
「力仕事なら任せろ」
さらにエイティの腰にベアがしがみ付いて、バカ力で引き抜きに掛かった。
「ボクも手伝います」
そしてボビーまでもがエイティの足にしがみ付いて、小さな身体で懸命に引っ張り始めた。
「痛いってエイティ、無理に引っ張るな」
「キャー、ベア! 変なところ触らないでって、そんなにしがみ付かれたら、イタタタタ・・・」
「ぬおぉぉぉ!」
「頑張るデス・・・」
もう何がなんだか分からない。
まるで畑に植わった巨大なカブラを引き抜く童話みたいに、大勢でオレの身体を引っこ抜こうとする。
しかし状況は全く好転しないどころか、むしろ悪くなっている。
オレの身体はどんどんレリーフにめり込み、腕と足はもちろん、もう身体までもが飲み込まれ掛けている。
まるでドラゴンが待つ湖にゆっくりと沈んでいく小船だ。
「ちょっと、アナタも手伝いなさい!」
エイティがランバートへと叫ぶ。
しかし、だ。
「いや、これで良い。これで封印が解けるはずだ」
なんとランバートは最後尾にいるベアの身体を押さえつけると、そのままレリーフへと押し込み始めやがったんだ。
「や、やめろー」
オレの周りのレリーフが大きく渦を巻く。
それに伴ってレリーフがオレを飲み込むのが加速度的に早くなった。
もうダメだ。
オレの身体はすっかりレリーフに飲み込まれてしまい、最後の抵抗とばかりに後方に伸ばしていた首まで沈んでしまった。
「きゃー」
「うおー」
後ろでエイティとベアの悲鳴がする。
どうやら状況はオレとたいして変わらないらしい。
そのままオレ達は全員、レリーフの中に吸い込まれてしまったんだ。
宝箱のテレポーターに引っ掛かって石の中に放り込まれると、パーティの誰も身動きできなくなって全滅してしまう。
(このままここに閉じ込められて死ぬのか・・・)
そんな情景がオレの頭に浮んだ次の瞬間、急に空間が開けた。
オレの身体はレリーフに吸い込まれた時の勢いのまま、つんのめるような形で前方へと倒れる。
そこへ。
「ひゃあ」
「ぬおっ」
エイティとベアが立て続けにオレの上に覆いかぶさるように転げてきたからたまらない。
「ぐわっ」
気分は岩に押し潰されたカエルだぜ。
「何なんだよ、もう!」
「あー、ごめんジェイク。ほらベアも早くどけてよ」
「すまん」
ベアとエイティがオレの上から避けてくれて、やっとオレの身体が自由になった。
「ったく、一体何なんだ?」
両手を踏ん張ってひざを付き、ようやくのことで身体を起こした。
「フン、騒がしい連中だ」
背後からの声に振り返ると、ランバートが呆れたような顔でオレ達を見下ろしていた。
「チッ」
そんなランバートには構わず、周囲の暗闇に目を凝らす。
「ここは・・・どこだ?」
「明るくするわ」
エイティがロミルワを唱えると、それまで闇に閉ざされていた周囲の様子が浮かび上がってきた。
そこは今までの神殿風の建造物とはまるで趣が違っていた。
ゴツゴツとした岩肌が剥き出しになった地べたに荒く削り出された壁面。
天井まではかなりの高さがあり、そこから鍾乳石のようなものがぶら下がっているのが見える。
一言で言えば洞窟だ。
それもかなり巨大な洞窟だと思われた。
「わー」
試しに大きな声を出してみると、『わー』と洞窟の中で反響する。
「ちょっと、どうなっているのよ?」
エイティがランバートに詰め寄った。
おそらく状況を一番理解しているのがランバートだろうからな。
しかしランバートはエイティを無視して、逆にオレに迫って来た。
「そんなことより、キサマは何者だ? どうやってこの封印を解いた? 答えろ」
「そっちこそ何なんだよ? 一体どういうことなんだ?」
「キサマ、言うことを聞かんか!」
ランバートがオレのローブの首元をむんずと掴んで吊り上げる。
「ちょっと、ジェイクに何をするつもり!」
それを止めようとエイティがオレ達の間に割って入る。
「女、邪魔をするな」
「ジェイクに手出しはさせないわよ!」
ランバートとエイティが至近距離で睨み合う。
そこへ。
「みんな、静まれー!」
ベアの一喝が洞窟の中に響いた。
「みんな落ち着け。エイティよ、まずは落ち着け。ジェイクも良いな」
「うん」
「ああ」
ベアに諭されて、ここはおとなしくしておくことにする。
「あんたも落ち着いてくれ。まずは話し合おう」
「分かった」
ランバートもおとなしく引き下がってくれた。
「とにかく一時休戦だ。ワシらはワシらの持っている情報を全て提供する。だからあんたも知っていることは全て教えてくれ。それからどうするべきか考えよう」
「でもベア、そんなことをしたらジェイクが・・・」
「エイティよ、お前さんの言いたいことは分かる。だがもうジェイクのことを隠してことを済ませられるような状況ではない。違うか?」
「でも」
ベアの提案を聞いて、心配そうな瞳でオレの顔を見つめてくるエイティ。
その気持ちは嬉しいし、ありがたいと思う。
でも。
「分かった。ここはオッサンの言う通りにしよう」
オレはベアに賛同することにした。
「ジェイク、良いの?」
「ああ。確かにもうオレのことを隠しておけるような状況じゃないと思う」
「そう。ジェイクがそう言うなら」
不承ぶしょうながらもエイティが折れてくれた。
これでこちら側としては話し合いの態勢になったわけだが。
「あんたはどうかね?」
ベアがランバートの意思を確認する。
もしもここでランバートが否を突き付けてくれば、話は振り出しに戻るわけだが・・・
「良いだろう。こちらとしても非礼があったことは認めざるを得ないしな」
どうやら話し合いに応じてくれるつもりらしい。
張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
「ありがとう。それでは話を進めよう。だがその前に改めて自己紹介をさせてくれ。いつまでも『女』だとか『キサマ』などと呼ばれるのでは、さすがに不信は拭えないからな」
いつもならエイティが相手との交渉役に当たるところだが、あいにくエイティはまだランバートを完全には信用していない。
オレにしてもランバートが何を企んでいるのか分からない以上、ある程度の警戒はさせてもらうぜ。
必然、ベアがランバートとの交渉役になって話を進める。
こんな時は、男同士のほうが腹を割って話せるものなのかもしれないよな。
「ワシの名前はベアリクス、ベアと呼んでくれて構わない。ドワーフの戦士だ」
ベアは愛用のグレートアックスを掲げてみせた。
「お前さんが連れ去った槍を持った女がエイティ、バルキリーだ」
エイティはおもしろくなさそうにしていたけれど、それでも「どうも」と最低限の返事をした。
「そしてこれが・・・」
ベアがオレの背中に手を添えて前へと促してくれた。
「ジェイクだ。魔法使いさ」
しっかりとランバートの目を見据え自己紹介をする。
「分かった。ベアにエイティ、そしてジェイクだな?」
ランバートは腕組みしたままオレ達の顔と名前をひとつずつ確認する。
「それでは改めて俺からも自己紹介させてもらおう。俺の名前はランバート、魔族だと既に話したな」
「ああ。それでランバート、あんたの職業は?」
「職業? ああ、お前達が言う戦士とか魔法使いとかってヤツか」
ランバートはそこでクッと笑いを漏らした。
「俺はお前達のような冒険者ではない。故に職業などという概念は関係ない。
まあ、俺は剣も使えるし呪文もほとんどのものを習得している。言ってみれば『全能者』ってヤツだろうな」
「全能者とは大きく出たな」
「魔族の寿命はお前達人間よりも遥かに永い。こう見えて俺も既に200年以上は生きている。
それだけの時間があれば、剣だろうと呪文だろうと、いくらでも身に付けられるものだ」
「なるほどな」
確かにそれだけ生きていれば修行の時間に困るってことはないだろう。
だけど、いくら時間があっても本人が努力しなければ結局は何も身に付くものではない。
ランバートがそれだけの努力をしたことに、オレは素直に感心していた。
「自己紹介はそれくらいで良いだろう。では本題に入ろう。まずは何から話すか・・・」
ベアが話を切り出す。
「そうだな。まず確認させてもらいたいのは・・・」
ランバートがそこで言葉を切り、赤い瞳がオレへと向けられた。
「ジェイク、お前についてだ。お前は一体何者だ? お前は男か、それとも女なのか? 答えろ」
「オ、オレは・・・」
いきなり来やがった。
だが、この話はもう避けては通れない重要な問題だ。
オレは意を決してランバートに答えることにした。
「オレは女だ。正真正銘のな。そして、おそらくランバートが探していたのはオレのことだと思うぜ」