ジェイク7
2
翌七月七日。
いよいよその日がやって来た。
オレの誕生日にして、十七年前に母親の死んだ日でもある。
宿の窓から外を見ると昨日までの真夏の太陽が嘘のように、朝からしとしとと雨が静かに降り続けていた。
「どうして今日に限って雨なのかしら?」
「これもジェイクのおふくろさんの涙雨かもしれんなあ」
朝から何度となく空を見上げてはため息をつくエイティとベア。
昨日までのバカンス気分なんて完全に吹っ飛んでしまって、重い空気が立ち込めていた。
「二人とも、そんなに深刻になるなよ。ちょっと行って挨拶してくるだけなんだからさ」
「でも・・・」
「オレなら平気だからさ。それより帰ってきたらオレの誕生日を祝ってくれるんだろ? 楽しみにしてるぜ」
浮かない表情のエイティとベアに対して、オレはことさら明るく振舞ってみせた。
別に無理に明るくしているわけじゃないぜ、晴れだろうと雨だろうと関係ないってだけさ。
それに、ここで沈んでたってどうにもならないからな。
「さあ、行こうぜ」
腰の重い二人を促して、もちろんボビーも連れて、港のそばにある宿を出た。
前の日のうちに用意していた白い百合の花束を持ち、宿から借りた傘をさして墓地を目指す。
服装は三人ともいつもの冒険者スタイルだ。
オレ達冒険者にとっては着慣れない礼服なんかよりも、鎧を着込み得物を持った姿こそが正装だからな。
島に着いた日に色々と聞いて回ったから、墓の場所はもう分かっている。
その時に母親に関する話もチラホラと聞いてみたけど、あまり詳しいことは分からなかった。
分かったことと言えば、母親の両親、つまりはオレの祖父や祖母に当たる人も、すでにあの世へ旅立っていたということくらいだろう。
他に親戚もいないらしいし、オレの父親に関する情報もない。
どうやらオレは本当に天涯孤独な存在らしい。
まっ、そんなの今更って感じだけどな。
海岸から少し丘を上がったところの雑木林の中に、島の人達が共同で使っている集団墓地があった。
島の人口なんてたかが知れてるし、墓地もこじんまりとしたものでしかない。
誰もいない雨に濡れた墓地の中をゆっくりと歩き、母親の墓を探す。
そして。
「これだ・・・」
『ジェシカ』と名前が刻まれた小さな墓石が墓地の隅に建てられていた。
ジェシカ、それがオレの母親の名前だとベインが教えてくれた。
「もうお花がお供えされているわね。それも新しいわ」
エイティが墓前に置かれた花束に気付いた。
「そうだな。他に誰かお参りに来てくれた人でもいるのかな?」
何しろ命日だからな、そんな人が一人や二人いてもおかしくないだろう。
エイティに傘を預けてから小さな墓石に視線を合わせるようにしゃがみ、持って来た百合の花束を供えて小さく十字を切って両手を組む。
「えーと・・・初めまして、かな。お、お母さん?」
思わず声が裏返ってしまった。
だって「お母さん」なんて呼ぶの恥ずかしいだろ。
「ジェイク、しっかりして」
「ああ」
後ろからエイティに小突かれて仕切り直しだ。
「母さん初めまして。オレがジェイクだ。あんたの息子・・・じゃなくて娘だよな。とにかくあんたの子供だよ。今まで墓参りにも来れなくてごめんな」
素直な気持ちで母さんが眠る墓に語りかける。
ベインと過ごした日々のこと。
冒険者として生きてきたこと。
そしていつも一緒にいる仲間達のこと。
今までゼロだった母親との時間を埋めるかのように、オレは話し続けた。
そして最後に。
「母さん、オレを生んでくれたありがとう」
そう締めくくって立ち上がった。
「もういいの?」
「ああ。話したいことは全部話したよ」
「そう、きっとお母さんも喜んでくれているわ」
見ると、エイティの目にうっすらと涙が浮んでいる。
「良かったな、ジェイク」
ベアがポンとオレの肩を叩いてくれた。
「二人ともありがとう。二人のおかげで母さんと話ができたよ」
「う、うう・・・ジェイクぅ」
「わっ、エイティ」
感極まったエイティがぎゅうっとオレの身体にしがみ付いてきた。
「エイティ、泣くな」
「だって、感動したんだもん」
「分かったから。分かったから行こうぜ。湿っぽいのは終わり。この後はオレのバースデーパーティだろ?」
「うん、そうだね」
「よし、行こう。なっ、エイティ」
(じゃあな母さん、また来るよ)
心の中でそう呟いてから、グズグズに泣きじゃくるエイティを抱えながら墓前から立ち去った。
墓参りを済ませたオレ達が墓地を出て宿屋へと歩き出した、その時だった。
「お前達、ここで何をしていた?」
突然背後から声を掛けられたんだ。
「えっ?」
「ハイ?」
「むっ?」
三者三様の返事をしながら一斉に振り返った。
するとそこには、雨に打たれた真っ黒なマントにフードを目深に被って顔を隠した背の高い男が立っていたんだ。
「アンタ、誰だ?」
「俺のことはどうでもいい。今はお前らのことを聞いているのだ」
自分のことを名乗りもせずにオレ達を問い詰めようとする、その威圧的な態度はどうにも気に入らないな。
それはオレだけじゃなくエイティやベアも同じだったらしい、一瞬にして周囲に緊張が走り抜けた。
「お前達は昨日浜辺にいた連中だな? 一体何者だ? ここで何をしていた? 答えろ」
黒マントの男の声が低く、そして冷たく響く。
オレ達に対して好意を持っていないのだけは間違いないだろう。
それに、前日オレ達が浜辺で過ごしていたことを知っているなんてな、まさかエイティの水着姿でも覗いていたんじゃねえだろうな。
オレはチラッとエイティの顔を見てみたけど、どうやら本人は見知らぬ男に水着姿を見られたかもしれない可能性については気付いていないらしい。
エイティはさっきまでの泣き顔から一転笑顔に切り替えると、黒マントの男へと進み出て答えた。
「えっと、私達は旅の者です。知り合いがこの墓地に埋葬されていると聞いてやってきました」
「知り合いだと?」
黒マントの男の視線がオレ達から離れ墓地へと向けられた。
その視線の先には、オレ達が供えた花が置かれている墓石があった。
「あれは、ジェシカの墓、か」
黒マントの男が母さんの名前を呼んだことにビクンとなる。
「お前、一体・・・」
オレが詰め寄ろうとした時、黒マントの男の視線が再びオレ達に向けられる。
そして。
男がフードを背中側へと下ろしてその素顔を曝したんだ。
雨の中、顕になった男の顔を見た瞬間、オレの心臓がドキンと跳ね上がった。
赤い瞳に長く伸びた銀色の髪。
そしてエルフのものよりも長く、先端が尖った耳。
ヤツは、まさか・・・
「魔族、か・・・?」
「そうだな。キサマら人間とは相容れぬ存在だろう」
やはりそうか。
今オレ達の目の前にいるこの男は魔族だ。
それもベインが話してくれた「あの」魔族の特徴と一致している。
十七年前、オレの母さんを殺してオレを連れ去ろうとしたという魔族の男と。
「お前達、あの墓の主とどんな関係だ?」
魔族の男が母さんの墓を指差して詰問してくる。
「どんな関係って・・・」
思わず口ごもってしまった。
だってそうだろ?
ヤツがベインが言っていた魔族の男と同一人物なら、その狙いは母さんの子供、すなわちオレだからだ。
一体何の目的かは知らないが、どうせロクなことじゃないのは間違いないはずだ。
ここで下手にオレの正体を明かすのは得策じゃない。
オレ達三人は言葉を交わさずに目だけで意思の疎通を図った。
魔族の男はそんなオレ達の思惑などお構い無しに、赤い瞳でオレ達を睨み、そしてまた母さんの墓へと視線を走らせる。
そして
「そうか、ついに来たか」
一人満足そうに頷くのだった。
「お前さん、一体どういうつもりだ?」
「そうよ。せめて名前くらい名乗りなさい!」
オレをかばうように、ベアとエイティがそれぞれの得物を構えて魔族の男の前へと進み出る。
しかし魔族の男は一向に意に介さずに、自信に満ちた足取りでオレ達へと近付いて来る。
その迫力に押される形で、ベアとエイティがじりじりと後ずさりする。
なおも間合いを詰めてくる魔族の男、やがてその視線がエイティへと向けられた。
「オイ女、お前に用がある。ちょっと来い」
「えっ、私・・・?」
一瞬何が起こったのか分からないエイティの動きが止まった。
そこへ間近に迫った魔族の男が、ギュッとエイティの手を取って捕まえてしまう。
「ちょっと、アナタ!」
「エイティに何を!」
抵抗しようとするエイティと、エイティを助けようと飛び出すオレ。
「邪魔をするな!」
しかし次の瞬間、魔族の男の赤い瞳が妖しく輝いた。
その瞳を見せられたオレの身体から、ガックリと力が抜け落ちる。
それはオレだけじゃなくエイティやベアも同じようだった。
「エイティ・・・待て・・・」
朦朧とする意識の中で、魔族の男がエイティを抱えて連れ去る後ろ姿が視界の端に映っていたんだ。