ジェイク7
15
回廊を進むオレの額にじっとりと汗が滲んでいる。
「ねえ、少し暑いと思わない?」
「そうだな。火口でも近いんじゃねえか。すぐ側で溶岩でも噴出してたりしてな」
「溶岩! ねえ、もしも向うから溶岩が流れてきたらどうしよう」
「どうしようったって、逃げるしかねえだろ」
エイティ相手にそんなバカ話でもしていないと間が持たない。
ついさっきこの先から聞こえたのは、間違いなく巨大なドラゴンの鳴き声だ。
なんたってコモドドラゴンが一目散に逃げ出すような大物だからな。
額に滲む汗は何も暑さのせいばかりじゃないって、オレもエイティもとっくに気付いているけどな、だけどあえてそれを口にしなかったんだ。
さらに回廊を進むとまたも広い空間に出た。
そこにはむっとするような熱気が満ちている。
「ねえジェイク、あれナニ?」
エイティが指さすほうに目を凝らす。
そこにあるのは漆黒の闇だった。
いや、ちょっと待て。
「なんだアイツは・・・」
オレも思わず息を飲んでしまった。
漆黒の闇の中で、巨大な闇が蠢いている。
赤く光る二つの光源はヤツの目玉か?
目玉はオレ達の姿を捉えたらしい、巨大な闇そのものがのっそりとこちらへ一歩を踏み出した。
灯りの呪文に照らされた範囲に闇が踏み込んできた。
それは全身が漆黒の鱗に覆われたドラゴン。
「ブラックドラゴンとは大物を引いたもんだぜ」
精一杯強がりを言ってみても、全身がガクガクと震えている。
数あるドラゴンの中でもブラックドラゴンは恐怖と脅威と凶兆そのものだ。
漆黒の鱗に覆われた身体は黒く輝き、赤い目玉と巨大な牙のはえた顔を見れば誰だって身がすくむ思いをするはずだ。
巨大な骨格からなる背中には無数のトゲが伸び、発達した前脚や太く長い尻尾を振り回せばあらゆるものを叩き潰すという。
さらに背中にはえた翼をはためかせて宙を舞うというから始末に終えない。
ランバートは『ドラゴンの神に会う』とか言ってたけどとんでもない、コイツは神の遣いどころか災厄の象徴、それはまさに邪竜と呼ばれる存在だ。
「ジェイク、どうする?」
「どうするったって・・・やるしかねえだろ」
「だね」
どうせオレ達には戻る道なんて無いんだからな、だったら目の前のブラックドラゴンを倒して活路を開くまでだ。
ついさっきまで怯えておどおどしていたはずのエイティの顔が、突然戦う者のそれに変わる。
「それじゃあ行くわよ。ジェイク、援護をお願い」
「任せろ!」
聖なる槍を構えたエイティが走り出し、ブラックドラゴンとの戦いが始まった。
オレはまずコルツを唱えた。
上級ドラゴンともなればこちらの呪文を無効化し、なおかつ自らも呪文を使ってくることが予想される。
オマケに高熱のブレスを吐いてくるとなれば、まずはそれに備えるのが鉄則だ。
オレ達の周囲に敵が放った呪文を弾く障壁が作り出される。
この障壁の強度は術者のレベル次第でいくらでも強くなる。
逆に言うと術者の力量が低ければ、簡単に障壁は打ち破られてしまうんだ。
果たしてオレの魔力はブラックドラゴンのそれを凌げるんだろうか?
オレだって魔法使いの端くれだからな、たとえドラゴン相手でも魔力勝負となったら意地でも負けられないぜ。
先手を取ったのはブラックドラゴン、いきなり呪文を放ってきやがった。
灼熱の業火、ラハリトだ。
「せいっ」
呪文障壁を維持するためにさらに魔力を集中させる。
ここが勝負どころだ。
まずは防御を固め、敵が攻撃の際に見せた一瞬の隙を突いて逆襲する。
特に呪文を放った後は次への切り替えが難しいのは、魔法使いならずとも冒険者なら誰でも知っている話だ。
だから冒険者は皆パーティを組むと言って良い。
前衛の連中が身体を張って護ってくれるからこそ、オレ達魔法使いは安心して呪文に集中できる。
一方、後衛の仲間達の援護があってこそ、前衛に就く者は身体を張れるんだ。
しかし、敵は一体のみ。
当然そこに付け入る隙がある、エイティの狙いは正にそれだった。
ブラックドラゴンの放ったラハリトの炎が、コルツによる呪文障壁に弾かれて霧散する。
その瞬間を狙ってエイティが飛び出した。
呪文を放った直後のブラックドラゴンの反応が遅れている。
「たぁーーー!」
突き出された聖なる槍がブラックドラゴンの額へと吸い込まれる。
これは勝った、と思ったんだけどな・・・
ガツンと鈍い音がして、聖なる槍が弾き返されたんだ。
「チッ」
エイティが舌打ちをするのも無理はない。
確かに聖なる槍はブラックドラゴンの額、生物の急所中の急所とも言うべき眉間を捉えていたはずなんだ。
しかしブラックドラゴンの表皮は並みの戦士の装甲を遥かに上回る固さだった。
ここで再び攻守が反転、ブラックドラゴンが目の前にいるエイティに向かって丸太のような前脚を叩きつけてきた。
エイティは素早く反応して横へ転がって逃げる。
間一髪、さっきまでエイティがいた場所にドスンとブラックドラゴンの前脚が落ちてきた。
その衝撃で一瞬地面がガツンと揺れたくらいだからな、あの直撃を食らったらひとたまりもない。
ブラックドラゴンの攻勢はまだ続いた。
転がって逃げたエイティが体勢を立て直す前に、前脚を続け様に叩き込む。
「クソッ、しつこい!」
必死に逃げ回るエイティ、そこへエイティの死角から鞭のようにしなった尻尾が飛んできた。
エイティはその尻尾をかわせない、背中への直撃を食らって吹っ飛ばされてしまった。
「キャー!」
尻尾の直撃によるダメージと地面に叩き付けられたダメージがエイティの五体に強烈な負荷を掛ける。
「うっ、ううう」
その場でうずくまるエイティ。
チクショウ、やっぱりエイティだけじゃブラックドラゴンの相手は務まらないか。
こんな時にベアがいてくれたらと思うけど、ここはオレが何とかしないと。
「ブラックドラゴン、こっちだ!」
叫ぶと同時にマハリトを放つ。
もちろんマハリト程度の呪文でヤツを倒せるなんて思っていない。
少しでもブラックドラゴンの気を引いて、エイティが自分で回復呪文を唱えるだけの時間を稼がないと。
マハリトの炎はブラックドラゴンに直撃するも、あっけなく無効化されて消失してしまった。
くっ、こんな時魔法使いの無力さを感じるぜ。
しかしここで引き下がってなんかいられないんだ。
少しでもダメージを与えて反撃の糸口を掴まないとな。
ブラックドラゴンの顔目掛けてハリトを放つ。
これはダメージというよりも、ヤツの気を引くためだ。
小さな火球が目の前でちらつけば誰だって気になるもんだろ?
案の定、ブラックドラゴンはそれに乗って来た。
うっとうしそうに顔を振っている。
そしてその赤い目がオレを捉えた。
よしっ、これで完全にヤツの気をこちらに引き付けられたぜ。
チラリとエイティに目をやると、ゆっくりとはいずりながらブラックドラゴンから離れていく。
オレが呪文を唱えても巻き込まれないように、との配慮だ。
エイティがブラックドラゴンの下から抜け出たのを確認してから、更なる呪文の詠唱に入った。
その呪文はラダルト。
マダルトよりもさらに強烈な冷気の嵐を生み出す呪文だ。
その時ブラックドラゴンが大きな口を開け思いっきり息を吸い込み始めた。
ブレスを吐く前兆行動だけど、オレは構わず呪文に集中する。
「効けよ、ラダルト!」
ぶおぉぉぉぉぉ
オレの放ったラダルトとブラックドラゴンの灼熱のブレスとが激突する。
氷が炎を消し、そしてまた炎が氷を溶かす。
オレは呪文の威力を上げるべく魔力を集中させた。
ブラックドラゴンの肺活量とオレの魔力、先に尽きた方が負けだぜ。
「うおぉぉぉ」
やがてブレスの威力が弱まってきた。
ここがチャンスとばかりに魔力を注ぎ込む。
そして。
灼熱のブレスを突き破ったラダルトの冷気が、ブラックドラゴンの身体を飲み込んだんだ。
たまらず、ブラックドラゴンが身体を仰け反らせた。
「ジェイク、よくやってくれたわ!」
オレがブラックドラゴンの相手をしている間に、バルキリーであるエイティは自らの治療呪文で体力を回復させていたんだ。
戦いの場に猛然と走り込んできたエイティがオレの目の前で大きく跳んだ。
両の手でしっかりと握り締めた聖なる槍を、無防備にさらされたブラックドラゴンの喉へと突き刺した。
グサリ。
手応えあり。
鋼のような表皮を持つブラックドラゴンといえども、さすがに喉はその範疇にはなかったようだ。
深々と突き刺さった聖なる槍をエイティがグイっと捻ると、ブラックドラゴンの喉から大量の鮮血が吹き出した。
ぐえぇぇぇ
これぞ断末魔といった悲鳴を上げて、ブラックドラゴンの巨体が大きく揺らいだ。
それと同時にエイティは素早く聖なる槍を引き抜いて、倒れ掛かったブラックドラゴンの下敷きにならないように逃げている。
ずしーんという鈍い音が響いて、ブラックドラゴンの身体が崩れ落ちた。
そのまま、ブラックドラゴンはピクリとも動かなくなる。
「やったかしら?」
「ああ、やったみてえだな」
オレとエイティでパチンと勝利のハイタッチを交わした。
一時はどうなるかとヒヤヒヤしたけどな、何とか難敵を退けることに成功したってわけだ。