ジェイク7

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11

「あたっ、たたたー」
 気が付くとエイティが苦しそうに顔をゆがめてうずくまっていた。
 ランバートの呪文に気を取られて忘れていたけど、何しろワイバーンに組み敷かれて押さえ付けられたんだからな、怪我のひとつや二つあってもおかしくないはずだ。
「どうしたエイティ」
「エイティさん、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっとね。ボビーは平気だった?」
「ボクはなんともなかったです」
「そう、良かった。あたっ・・・」
 ボビーの頭を撫でようと腕を伸ばしたエイティだけど、痛みからかその腕を反射的に引っ込めてしまった。
 右手で左の上腕部を押さえたその下からは、赤い血がポタポタと流れ落ちている。
「怪我してるじゃねえか」
「大丈夫よこれくらい。自分で・・・」
「見せてみろ」
 不意にランバートがグイっとエイティの腕を取った。
「ちょっと、自分で治療するから離して」
「黙ってろ」
 ランバートは言葉少なにエイティを制すると、傷の具合を調べ始めた。
 そうなるとエイティもおとなしくされるがままになっている。
「傷は浅いが・・・毒を注入されているな」
「そっか、毒を食らったんだ。どうりでさっきから身体がだるいなって思ったんだ」
 迷宮に出没するモンスターの中には、その体内に強力な毒素を持っているものも多い。
 たいていは遅効性で毒素はゆっくりと身体の中を回るのだが、放っておくと確実に死に直結する危険なものでもある。
 特に動き回るのが一番悪く、毒を受けた場合はその場にじっとしてすぐに呪文や薬などによる治療を受けるのが鉄則だ。
 ランバートが毒素を中和するラツモフィスと傷口を治療するディアルの呪文を続けて唱えた。
 これが戦闘時などの緊急の場合や怪我の程度が酷い場合なら、究極の治療呪文マディを使うところだ。
 でも今はそこまで緊急というわけでもないし怪我もそれ程でもないみたいだからな、マディを温存するのは冒険者の感覚としても正しいものと言えるだろう。
「これで良いだろう」
「あ、ありがと・・・」
 いくら二人の仲が険悪だからって、エイティは治療をしてくれた相手に対してお礼を言わないとか、そんな礼儀知らずな女じゃない。
 ただ、伏し目がちだし言葉も最後が途切れ気味なのは、イマイチ素直になれないからなんだろう。
 一方のランバートも「フン」と相変わらずだ。
 やれやれ・・・と思ったんだけどな。
「ほら、これでも食ってろ」
 ランバートがゴソゴソと自分の懐を漁って、何やら葉っぱで包んだものを取り出した。
「これは?」
「干し肉だ。それからこっちがビスケットだな」
「へぇ」
 そう言えば今日はこんなふうに洞窟探索なんてする予定もなかったからな、オレ達は特に食料などの用意はしていなかった。
 ここで食料にあり付けるのは何ともありがたいことだ。
 エイティは素直に包みを受け取ると、それを開いて中にあった干し肉にじっと見入っている。
「食べないのか?」
「よしっ、食べる」
 意を決したエイティ、干し肉を一切れ摘んで恐る恐るという感じで口に入れた。
 ゆっくりと味を確かめるように咀嚼する。
「んっ!」
「どうしたエイティ?」
「おいしい、これ。普通の干し肉と違うわ」
「どれどれ」
 オレもエイティが持つ包みから干し肉を取って食べてみた。
「なるほど、うまいなコレ」
「でしょ」
「どれ、ワシもひとつ」
「ボクも」
 みんなで干し肉を摘んで食べる。
 なんだかんだでみんな腹が減っていたからな、うまい肉を目の前にして黙っていられるはずがない。
「このお肉、どうしたの?」
「うまいだろ。普通の干し肉はただ肉に塩を振って干すだけだが、それは塩コショウの他に何種類かのスパイスやハーブ使って味を付けてから燻製にしたものだ」
 ランバートが得意そうに干し肉の作り方を説明する。
「ねえランバート、この干し肉ひょっとして・・・」
「ああ、俺の手作りだ。お茶もあるぞ。これも飲んでおけ。気持ちが休まるはずだ」
 ランバートは水筒を取り出して、蓋の部分にお茶を注いでエイティに渡した。
 お茶を受け取ったエイティ、まずはクンクンと香りを楽しむ。
「良い香りね。これも?」
「ハーブティだ。俺が今朝淹れたものだ」
 エイティがすうっと一息にハーブティを飲み干した。
 それは単に喉が渇いていたからってだけじゃなくて、きっとお茶そのものがうまかったからなんだろうな。
「おいしかったわ。ありがとう」
 お手製の干し肉とハーブティでエイティの気持ちもだいぶやわらいだみたいだな。
 その後オレもハーブティを貰って飲んだけど、これは確かに香りが良くてうまかった。
 不思議と精神が落ち着いてきて、これなら呪文の詠唱にも良い影響が出そうだ。
 次にエイティはビスケットの包みを開いてその中の一枚をサクッとかじった。
「サクサクしていておいしいわ。これも?」
「ああ、俺が作った。ビスケットは日持ちが良いから携帯食にはもってこいだ」
 なんとこのビスケットもランバートの手作りかよ。
 オレもエイティが持つ葉っぱの包みからビスケットを一枚拝借して食べてみた。
「うん、悪くないな」
 ビスケットにはレーズンが焼き込んであって、サクサクとした歯触りが心地良かった。
 それにしても、さっきまで大振りの剣を平気で振り回していたヤツが、こんなふうにビスケットやお茶を作ったりするなんてな。
 ランバートが一生懸命小麦粉をこねてビスケットを焼いている姿を想像したらなんだかおかしくなってきた。
「ん? どうかしたジェイク?」
「いや、別に」
「変なの」
 クックと笑うオレを見てエイティは一瞬首を傾げるものの、またビスケットを食べ始めた。
「でも意外。私、ランバートってただ乱暴で怖いだけの人かと思っていたのに。こんなふうにお料理やお茶の仕度もできるなんてね」
「長く生きていればそれなりに色々なことができるようになるものだ。それは身を護るための戦いの術も生活のための術もそう変わりはない」
「あー、ショックだわ。ひょっとしたら女の私よりお料理が上手なんじゃないの?」
「料理をするのに男も女も関係ない。それに人間だろうと魔族だろうと生きるためには食わなきゃならんのは変わらんからな」
「なるほどね」
 エイティがクスクスと笑うとそれに釣られるようにランバートもフッと笑った。
 それまでまともにランバートの顔も見ようとしなかったエイティだけど、今は何の躊躇もなくランバートと会話をしている。
 あまりの変わり様に思わず首を傾げてしまう。
「なあオッサン、一体どうなっているんだ?」
「ワシにもさっぱり分からん」
 誰とでもすぐに打ち解けてしまうのはエイティの特技のようなものだけど、今回ばかりは落差があり過ぎるからな。
 まさかうまいお茶とお手製のお菓子で餌付けされたわけじゃあるまいし、全く女心なんて分からねえもんだぜ。
 もっとも、ベアやオレだってランバートの剣技や呪文を見て感心していたからな、お互い人のことは言えないだろう。
 その後もエイティとランバートは料理の作り方やお茶の淹れ方なんかの話をしていた。
 思い掛けない場所での思い掛けないお茶会に、オレ達はしばし時間を忘れて過ごしたんだ。
 そして。
「さて、お茶会の時間はそろそろ終わり。行きましょうか」
「だな」
 オレ達がよっと腰を上げた、その時だった。
「ゴホッ、ゴホゴホ・・・」
 ランバートが激しく咳をしながらその場に崩れ落ちたんだ。
 銀色の髪を振り乱しながらゴホゴホと苦しそうに顔をしかめ、口を押さえた手から赤いものがドロリとこぼれていた。
 血だ。
 魔族の血も赤いんだなと、妙なことに感心する。
 いや、今はそんなことに感心している場合じゃねえだろ。
「ちょっとランバート、どうしたの?」
 すかさずエイティがランバートの身体に手を差し伸べようとしたのだが・・・
「触るな!」
「えっ?」
 ランバートはピシャリとエイティの手を払い除けてしまったんだ。
 エイティの顔が凍り付いたのがはっきり分かったぜ。
 それまでの和やかな雰囲気は一変、再びピリピリとしたものに逆戻りしてしまった。
「ランバート、どうしたの? 大丈夫なの?」
「俺は平気だ。だから俺に構うな。俺の身体に触るんじゃない」
 手を貸そうとするエイティを振り払ってよろよろとした力無い足取りで歩き始めるランバート。
 元々白かった顔が今は青く沈み、息遣いもぜいぜいといかにも苦しそうだ。
 誰がどう見たって大丈夫そうじゃねえだろ。
「ちょっと、どうしよう・・・」
「落ち着けよ、エイティ」
「そうだ、しばらく様子を見よう」
「うん・・・そうね。そうしましょう」
 エイティは自分に言い聞かせるように、うんうんと頷いている。
 それからしばらくの間、オレ達は前を歩くランバートの背中をただ黙って見つめていたんだ。

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