ジェイク7
1
白く伸びる砂浜に、小さな波が次々に寄せては引いている。
オレは靴を脱ぎ捨てローブの裾が濡れないようにたくし上げると、そっと水の中に足を浸した。
冷たい海の水が暑い太陽に照らされて火照った身体に気持ち良い。
波が移動するたびに足元の砂が動く感触が何とも言えずにこそばゆい。
目の前、どこまでも続く空は青く澄み渡り、空の青を反射するかのように海面もキラキラと青く輝いていた。
「おーい、ジェイクー!」
「エイティさん、待ってー」
数十メートル沖合いでボビーと共に波に戯れているエイティが、オレに向かって大きく手を振っている。
「ったく。溺れんじゃねえぞー」
「だーいじょうぶよー」
オレが叫ぶのに手を振って応えると、エイティはまたしなやかに泳ぎ始めた。
エイティはオレと違って泳ぎは得意みたいだからな、そう心配したもんでもねえだろ。
ここは南海の孤島アルビシア。
オレの母親の故郷と云われる島だ。
レマで女王の結婚式が執り行われる数日前、オレ達はひょんなことから街の占い師の館を訪ねたんだ。
そこで出会ったのが占い師のセインと治療師のエルメットだった。
そのセイン、何でも変わった術の使い手で、オレ達を死者の世界へと導いてくれたんだ。
死者の世界での冒険の果てに、オレの育ての親であるベインに会うことができた。
そのベインの口からオレの出生の秘密が語られたんだ。
オレの母親の名前やオレが生まれた場所、そして生まれた時の様子について。
それはかなりショッキングな話だったけど、今まで分からなかったことが分かったからな、それはそれで良かったんだと思う。
結婚式が終わってレマからダリアへ戻ったオレ達は、早速行動を開始した。
何しろ時間が無かったからな。
孤島アルビシアについての情報収拾とそこへ向けての旅の準備。
とにかく孤島ってくらいだからな、当然のことながら船旅になる。
航路の確認やら旅費の確保やら、かなりバタバタしたけど何とか目処が付いたんだ。
船が苦手なベアは最初ぐずっていたけど、今回はそんなことも言っていられないってエイティが説得してくれた。
やっぱりベア抜きでの旅なんて考えられないしな、ベアが同行を申し出てくれた時は嬉しかったよ。
準備が出来たら出発だ。
ダリア近郊の港町カザックから船を出て五日、途中の島で船を乗り換えてさらに三日。
途中天候不順で船が大きく揺れたりしたこともあったけど、ようやくこの島に辿り着いたのが昨日の話だ。
何とか目的の日に間に合ったってのが正直なところだ。
今日の日付は七月六日。
そして明日になればオレは十七の誕生日を迎えるんだ。
同時に、その日はオレの母親が死んだ日だとベインは教えてくれた。
母親の命日に墓参りをする。
これが今回の旅の目的だ。
「あー、気持ち良かったー」
「エイティさん、また泳ぎましょう」
オレが物思いにふけっている間に、エイティとボビーが海から上がってきた。
「ジェイクも一緒に泳げば良かったのに」
「オレか? んなの無理に決まってるだろ」
「良いじゃない別に。水着だってちゃんとあるんだから」
「いや、だって、アレは・・・」
思わず言葉を飲み込んでしまった。
顔がカァっと熱くなったのはきっと、南の島の太陽のせいばかりじゃねえんだろうな。
確かに、生物学的にはオレは女に分類されている。
しかしオレの育ての親のベインは、オレを男として育てちまったんだ。
少し前までのオレは自分が男だと思っていたし、男として生きてきた。
でも最近ではそれも少しずつ変わってきたと思う。
オレはやっぱり女だし、男として生きていくのは難しいんじゃないかってね。
何しろ初めて会った人間に「あなたは女でしょ?」なんて言われるくらいだしな。
だからっていきなり女として生きられるかって言うと、これはまた別の話だ。
結局オレは男でもなく、かと言って女にもなりきれない、どうにも中途半端な状態なんだ。
ましてや女物の水着なんて着られるはずもないだろう?
ダリアを出る前、せっかく南の島へ行くんだからって、エイティがオレ用に水着を買ってくれたんだよ。
もちろん女物で、上下繋がったいわゆるワンピースタイプってやつ。
ヒラヒラとかフリフリの付いてないシンプルなデザインの物を選んでくれたのは、少しでもオレに抵抗が無いようにって考えてくれたんだろうけど・・・
色が薄いピンクなんだよなあ。
どうして女ってのは赤とかピンクみたいな色が好きなんだろうな?
とてもじゃないけどそんな水着、恥ずかし過ぎて着られるわけがない。
イヤ、色が青とか黒でも着ないけどな。
かと言ってまさか、下だけ男物の水着を穿いて胸にはサラシを巻く、なんて恰好が許されるはずもない。
そんなの絶対にエイティが許さないし、オレだってそれはさすがに勘弁してほしいしな。
結局いつものローブ姿で身体を隠したまま、波に足だけをちょこんとひたすのが精一杯ってわけだ。
そんなオレに対してエイティはというと、目が覚めるような赤いビキニタイプの水着姿。
これがまた大胆に肌を露出させていて、見ているこっちが恥ずかしくなるようなデザインだ。
間違いなくオレのよりは大きいだろうなって胸を申し訳程度の面積しかない布で隠し、キリッと引き締まったウエストは見事なくびれのラインを描いている。
そしてビキニパンツからはすらっと伸びた長い足。
自慢の長く伸びた金色の髪は、泳ぐのに邪魔にならないように三つ編みにまとめて背中に垂らしている。
一言で言うとスタイル抜群の美人ってヤツで、いつも見慣れているエイティとはまるで別人みたいだ。
っと、別にいつもがヒドイって意味じゃねえからな。
これなら海岸にいる男どもがほっとかないだろうって思うけど、オレ達の他には誰もいない。
完全な貸し切り状態だ。
残念だったな、エイティ。
そしてエイティの足元には、ボーパルバニーのボビーがいつものように控えている。
果たして普通のウサギってのが泳げるのかどうかは知らねえけど、このボビーは泳ぎは達者なようで、エイティと一緒に海水浴を楽しんでいた。
海水浴を楽しむウサギってのもどうかと思うけどな。
そしてもう一人。
「ベアは相変わらず?」
「ああ、あそこだ」
オレは海岸から少し離れた場所にある木陰を指差した。
そこでは朝から酒を呑み続けたベアが良い気分で昼寝をしている最中だった。
いつもの暑苦しいフルプレートを脱ぎ捨てたラフな恰好のベア。
ドワーフ族の特性故かどうにも水の類いが苦手なようで、今回の船旅でも終始気持ち悪そうにして船室にふせっていた。
しかし一旦丘に上がってしまえば船酔いなんて吹っ飛んじまうらしい。
港に酒場があるのを見つけると一目散に飛び込んで、ご機嫌に酒をあおり続けていた。
船で酔うのと酒に酔うのとでは雲泥の差なんだろうな。
灼熱の太陽で火照った身体を冷まそうと、ベアの寝ている木陰へと移動する。
適当な場所に腰を下ろしたところでエイティが話し掛けてきた。
「いよいよ明日だね」
「そうだな」
「気分はどう?」
「んー、よく分かんねえよ」
それが正直な気持ちだった。
一夜明けて明日になれば、オレはひとつ年を取る。
それはそれで素直に嬉しいと思う。
だけど七月七日という日は、オレの誕生日であると同時にオレの母親が死んだ日でもあるんだ。
でもさ、それが全くピンと来ないんだよ。
だってオレは生まれてから一度も母親の温もりなんて知らずに過ごしてきたんだからさ。
そんなオレが顔も知らない母親の墓の前に立った時、果たしてどんな気持ちになるんだろうか?
どうにも想像がつかなかった。
「そっか。でもさ、そんなに難しく考える必要もないと思うな。素直な気持ちでお母さんに話しかけてみると良いと思う」
「そうだな。そうしてみるよ」
エイティと二人、輝く海をぼんやりと眺めながらそんな会話を交わす。
それは何とも言えず静かで落ち着いたひとときだった。
でも・・・
この時のオレ達はまだ気付いていなかったんだ。
背後にある小高い丘の上から、オレ達を見下ろしていた男がいたことを。