ジェイク6

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 どうやらベインは今いるミノス島ではなく、殿堂という場所にいるらしいという話になった。
 問題は、どうやってそこへ移動するかなんだけど・・・
「これで行くしかないですね」
 セインが案内したのは、あの島の北側に申し訳程度に備え付けられていたイカダだった。
「なあセイン、カロンに頼んで運んでもらうわけには行かないのか?」
「残念ながら。カロンは彼の持ち場を離れることも、他の仕事をすることも許されてはいないのです」
 そうだろうとは思っていたけどな、あまりにも予想通りの答えが返ってきたから笑うに笑えない気分だよ。
「さあ、皆さん早く」
 セインに急かされてイカダへと乗り込む。
 慣れているのか、一番に行動したのはエルメットだった。
「大丈夫ですよ。さあ」
 そう言われてはもう逃げられない。
 ここは覚悟を決めて行くしかねえだろ。
 オレ、エイティとボビーと乗り込んだが、やはり水が苦手なベアは躊躇しているらしかった。
「ベア!」
「オッサン、しっかりしてくれよ」
 一度イカダから戻って、エイティと二人でベアを羽交い絞めにして強引にイカダへと乗せてしまう。
「うおっ、勘弁してくれ・・・」
 普段は酒の飲み過ぎのせいで赤茶けた顔をしているベアだが、今は真っ青になっていた。
 まっ、気持ちは分かるよ。
 正直、泳ぎが苦手なオレもあまり良い気分じゃないからさ。

 人間が五人乗っても、イカダはまだ広さに若干の余裕があった。
 それでもただ丸太を組んだだけの代物だ、いつ引っ繰り返ったりバラバラに分解したりするか分かったもんじゃない。
 川の流れが穏やかなのが唯一の救いだろうな。
 全員がイカダに乗り込むと、セインが舫っていたロープを外し、竿を入れる。
 岸から離れたイカダはすぅと流れに乗ると、オレ達はまた川の上を移動することになる。
 イカダの前方にはエルメットとエイティの女二人が陣取っていた。
 ベアは水から出来るだけ離れたいのか、イカダのど真ん中で愛用のグレートアックスを抱えたまま小さく丸まっている。
 どこにいても変わらねえと思うけどな。
 セインは後方で竿を操り、うまい具合にイカダを安定させてくれている。
 オレはまあ、適当なところに腰を下ろさせてもらおう。
 しばらくすると、イカダにも慣れてきたのか、前の方で女達のおしゃべりが始まった。
 女ってのはどんな時でも喋るのが好きな生き物らしい。
「ねえエルメット、お母さんとはどんな話をしていたの? 良かったら聞かせてもらえないかしら」
「そうね。お母さん、謝ってたわ。私を一人残して死んでしまったことをすごく後悔していたみたい」
 川の流れは穏やかで他に騒がしいものも見当たらない。
 別に聞き耳を立てるわけでもないけど、自然二人の会話が耳に届く。
「お母さん、やっぱり魔物に襲われたんだって」
「あっ、それであの時『バケモノが』って」
「そう。死んだ時の恐怖の記憶に苦しめられていたみたいね」
「辛かったでしょうね。死ぬこともだけど、エルメットと離れてしまったこととか」
「ええ。あとはその後の私の暮らしとかかな。寺院に引き取られたこととか、セインとの生活とか」
 エルメットの口から出た「セインとの生活」という言葉にピクンとエイティの身体が反応した。
 とは言っても、別に色っぽい話なんて無さそうだけどな。
 何よりエルメットは信仰というものをとても大切にしているようだ。
 それはきっと、死んでしまった母親に対する供養の意味も大きかったんだろう。
 エルメット自身が「神に身も心も捧げる」なんて言っているうちは、セインとエルメットの間に特別な関係はないんだろう。
 もっとも、今のエイティがそこまで考えが回るとも思えねえんだけど。
「あのねエルメット、セインのことなんだけど・・・」
 意を決したエイティがいよいよ話の本題を切り出したかに思えた、その時だった。
 ガツンという衝撃と共に
「きゃあ」
 エイティの隣に座っていたエルメットが突然悲鳴を上げた。
「何事ですか!」
 後方からセインの声が飛ぶ。
「イカダの縁に、蟹のハサミが・・・」
「蟹?」
 エルメットの視線の先を辿る。
「!」
 何だアレは?
 エルメットの目の前、オレが座っていた場所からは影になって見えなかった場所に、人の胴体ほどもある巨大な蟹のハサミの上半分があった。
 残りの本体部分はおそらく水の中だろう。
 ハサミの大きさを見るだけでもこの蟹がとんでもないバケモノだってことは容易に推測できる。
 今まで生き物の気配すらなかったこの川に、こんなバケモノが棲んでいるとは思ってもみなかったぜ。
「ジャイアントクラブです。まずいヤツに捕まりました」
 さすがのセインも顔から余裕の笑みが消えている。
 蟹、改めジャイアントクラブのハサミはエルメットの膝元、ギリギリのところでイカダの縁を掴んでいた。
 あと少しでもずれていたら、エルメットが大ケガをしていたはずだ。
 ジャイアントクラブはハサミでがっしりとイカダを捕まえているらしい。
 ギシギシとイカダがきしむ。
 冗談じゃねえぞ、おい!
 丸太を結ぶロープが切れたら、イカダは川の真ん中でバラバラになってしまう。
 そうなったらベアはもちろんオレだって溺れるのは確実だ。
「放しなさい! このっ」
 エイティがファウストハルバードをジャイアントクラブのハサミに突き立てる。
 が、もともと足場が不安定かつ狭いイカダの上では、思うようにファウストハルバードを振り回すのは難しい。
 結局たいしたダメージを与えられずに、ジャイアントクラブを振り切るまでには至っていない。
「ジェイク、何とかして!」
 ベアは頼りにならないからな、必然的にオレに指名が回ってくるわけだが・・・
 こんな狭いイカダの上でラハリトやマダルトなんてぶっ放したら、それこそイカダごと巻き込んでしまうのは目に見えていた。
 そこでオレが唱えたのは
「リトフェイト!」
 浮遊の呪文リトフェイトだった。
「ちょっと、真面目にやりなさい!」
「オレは真面目だって」
 少なくとも浮遊した状態なら、イカダがバラバラになっても川に落ちて溺れる心配はないだろう?
 川に落ちてからじゃ唱えられないんだからな。
 そうは言っても、浮遊したところでこのジャイアントクラブから逃れられるわけでなし。
 何とかして倒すか、せめてハサミだけでも放してもらわないと。
「しゃあねえ、みんな、できるだけヤツから離れてくれ」
 オレの言葉に全員がイカダの後方に固まる。
「よし、行くぜ。ツザリク!」
 普段の戦闘なら効果範囲が狭くて敵一体にしか効かない呪文だが、こんな時はかえって効果範囲の狭さが役に立つ。
 天から降り注いだ一条の光の矢が、寸分たがわずジャイアントクラブのハサミに命中した。
 ツザリクを受けたジャイアントクラブがたまらずイカダからハサミを放し、水の中へと姿を消した。
「やったか?」
 ジャイアントクラブが潜んでいるであろう、水の中を覗き込む。
 あれで諦めてくれれば良いんだけど・・・
「うわぁ!」
 そうは甘くなかった。
 ジャイアントクラブは水の中から完全に姿を現し、両のハサミを広げてイカダの前に立ちはだかったんだ。
 ジャイアントクラブの名前は伊達じゃなかった。
 とにかくデカイ。
 甲羅の部分だけでも高さ3メートルくらい、手足を伸ばしたら優に10メートルはあるんじゃないだろうか。
 とにかく巨大な蟹がオレ達の目の前にいるんだよ。
 えーと、こんな時にはどの呪文を使えば良いんだ?
 考えるオレの後ろから、セインがジャイアントクラブの前へと躍り出た。
「シオス!」
 サイオニック独自のものなのだろうか、聞いたことのない呪文だった。
 セインの唱えた呪文を受けたジャイアントクラブは一瞬その動きを止め、まるで人間が酒で酔った時のように身体をふらつかせている。
「精神にダメージを与えて一時的に混乱させたのです」
 なるほど、精神に直接ダメージを与えるとは、いかにもサイオニックらしい呪文だな。
 そして、感心しているオレの後ろから、エルメットが銀の十字架を掲げながら呪文を放った。
「バディ!」
 敵の心臓を止めて一瞬にして死に至らしめる恐怖の呪文、それがバディだ。
 耐久力なんて一切関係ない、無効化できなければ確実に相手を仕留めとしまう。
 ましてや獲物はいかにも知能の低そうな水棲生物だ、これは決まったはずだぜ。
 数瞬の後、ジャイアントクラブはブクブクと泡を吐きながら川の中へと沈んでいった。
 今まではおとなしくしていたけど、セインとエルメットの二人はなかなかの呪文の使い手のようだな。
 これは今後の戦力として大いに期待できそうだ。
 それはともかくだ。
 沈んでいくジャイアントクラブを見ながらボビーがポツリとつぶやいたんだ。
「食べたらおいしかったんでしょうねえ・・・」
 ったく、大物だよ、ボビーは。

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