ジェイク6
10
イカダに乗ってさらに川を下り続けると、やがて周囲の景色にも変化が見られるようになってきた。
今までは川幅も広く流れも穏やかだったのに、川幅は次第に狭くなり流れも早くなってきた。
おまけに、ところどころに川面から飛び出た岩まで見られるようになってくると、さすがにのんびりなんてしていられなくなる。
「セイン、気を付けて。右に岩が」
「分かってます」
見張り役のエルメットとイカダを操るセインのコンビでなんとか乗り切っていく。
一方オレ達はと言うと、イカダの真ん中で出来るだけ体勢を低くしてしがみ付いているのがやっとだった。
ジャイアントクラブと戦った時に唱えたリトフェイトはまだ効果が続いているとはいえ、こんな場所でイカダが分解したらたまったもんじゃないぜ。
今は二人を信じるしかねえだろう。
それにしても・・・
「なんか変だよな」
「な、何が?」
こんな時でもキチンと聞き返してくるエイティ、ある意味立派だよな。
「普通川ってのは下流へ行けば行くほど流れが穏やかになるものなんだ」
「そっか。私達は川の流れに乗ってきたはずなのに」
「ああ。だけど今はまるで川の上流にいるみたいだ」
「私達の世界とは物理的法則が違うってセインが言ってたわよ」
「なんでもそれで通ったら苦労はないな」
「アハハ、きゃあ」
「おっと!」
突然バシャーンと水しぶきが上がってイカダが大きく跳ねた。
幸いそのまま着水したけど、なんとも心臓に悪い。
「もう少しで急流を乗り切れます。頑張って下さい」
必死に竿を操りながら叫ぶセイン。
オレ達は返事もできずに、ただただ神に祈るだけだった。
やがて流れが穏やかになってきた。
人心地ついて辺りを見渡すと、こっちの世界へ来た頃とは景色が一辺しているのに気付く。
初めはのうちは川岸はアシの生えた広い川原だったのに、今では切り立った岩壁がそびえている。
もしも岩壁に激突でもしたらと思うと、まだまだ安心とは言えない状況だろう。
さらに進むと、川幅がより狭く、岩壁もずっと高くなる。
なんとも言えない威圧感のようなものがあって息苦しい時間が続いた。
そんな感じで川を下ることしばし
「囲まれてしまいましたね」
セインがゆっくりとイカダを岩壁に付けて泊めた。
「何、何かいるの?」
キョロキョロと辺りを見回すエイティ。
オレの目にも特に何かいるようには思えないんだけど。
そう思った矢先のことだった。
水の中から巨大な魚が跳ね上がった。
「な、なんだアレは・・・」
よく見るとそれは魚なんかじゃあなかったんだ。
上半身は女のもので、しかも一糸纏わぬ生まれたままの姿。
生まれたままったって子供のそれじゃない。
成人女性の裸だから、形良く膨らんだ胸なんかも白日の下にあらわになっている。
そして下半身は魚のものだった。
それはまるで、おとぎ話に出て来る人魚そのものだった。
おまけにだ、人魚は一人きりなんかじゃなかったんだ。
水の中から次から次へと。
こちらから飛び跳ねては着水したと思うと、またあちらからも飛び跳ねる。
あっと言う間にイカダの周りは人魚の群れに取り囲まれてしまったんだ。
『我らはサイレン 水の姉妹』
サイレンと名乗った人魚達が、美しい声で歌い始める。
『我らの歌う 悲しみの歌』
多くのサイレンが歌い続ける中、頭にティアラを乗せたサイレンがオレ達の前に進み出て来た。
「我はサイレンが女王。旅の者よ、いずこから来ていずこへ向かう?」
自らを女王と名乗るサイレン。
以前ピラミッドを探索した時にも女王が支配するアマズールという国に迷い込んだことがあった。
その国では、政治を司るのは女王以下全て女で、男達は近くにある炭坑で奴隷のように働かされていたらしい。
このサイレン達も女王を筆頭に、ここにいるのはどうやら女ばかりらしい。
世界中のいたるところで、女が支配する女だけの国というのは、案外多いものなのかもしれない。
「我々は生者の世界から来た者です。訳あって死者の殿堂を目指していますが」
「ほう、よく見ればそなた、以前にもここを訪れたことがあったな」
「覚えていてくれましたか」
セインがサイレンの女王と言葉を交わしている。
どうやら丸っきりの初対面というわけでもないらしい。
「ならば我らのしきたりも知っているであろう。ここから先は、サイレンの哀歌を知らぬ者は通せぬぞ」
「御意に」
セインが恭しく頭を垂れるとエルメットがすっと前に躍り出た。
「サイレンの哀歌は私が」
胸の前で手を組み一礼するエルメットにサイレンの女王が微笑む。
「聞かせてもらおう、サイレンの哀歌を」
女王が号令するとサイレン達が再び歌い始める。
『我らはサイレン 水の姉妹
我らの歌う 悲しみの歌』
そして、サイレン達の歌声にエルメットの澄んだ声が重なっていった。
「そよ風を超えて たとえ心に愛ありても
我らを解き放つは狂気
悪夢へ誘わん 男達を
その優しき祈り聞かせて」
エルメットの声は時に高く、そして時に低く。
見事にサイレン達のコーラスに溶け込んでいる。
「恐ろしき時 我らの喉より躍り出る
死の定めから逃れん
我らを舞い上がらせるは狂気」
今やサイレン達のコーラスは最高潮に達していた。
「姉妹達よ 我らは何者?」
『我らはサイレン』
サイレンの中の一人の呼び掛けに全員がコーラスで答える。
「我ら何ゆえ歌う?」
『我ら狂気ゆえ』
「姉妹達よ 我ら何を歌う?」
『サイレンの哀歌!』
「ではサイレンの哀歌とは何か?」
最後のソロに対しては他のサイレン達は何も答えなかった。
水の中からじっとエルメットを見上げている。
さらに女王が問う。
「生ける者達よ サイレンの哀歌とは何か?」
エルメットがじっと目を閉じ、精神を集中させると大きく息を吸った。
そしてパッと目を見開き高らかに歌う。
「我らを解き放つ狂気」
エルメットの歌声に、『おお』とサイレン達がどよめいた。
「見事なり。よくぞサイレンの心を歌い上げた」
サイレンの女王も満足そうに頷いている。
「死の恐怖から我々を解き放つもの、それは狂気に他ならぬのだ。
サイレンの哀歌とは死の恐怖からの解放の歌である」
「ありがとうございました」
胸の前で十字を切って手を組み一礼するエルメット。
「さあ行くが良い。死者の集う殿堂はこの先にある。道中の無事を保障するため先導を付けよう。皆の者、さあ」
女王が手を挙げて合図すると、イカダの周りを取り囲んでいたサイレン達がすうっと動き進路を空けてくれた。
「それでは」
セインが女王に一礼してから竿を入れる。
「あ、どうも」
「それじゃ」
オレ達も間抜けな挨拶を残して、イカダは再び川を下り始めた。
イカダの進む先に、二人のサイレンが水の中から飛び跳ねている。
どうやらあれが先導部隊らしい。
先導のサイレンは上手い具合に岩を避け、オレ達を安全に導いてくれている。
「ふう、一時はどうなるかと思ったけど、エルメットのおかげで助かったわね」
「初めて、という訳ではありませんでしたから」
「いやいや、なかなかの歌いっぷりだったわよ」
「それほどでも」
イカダの前方に陣取った女二人は、「アハハ」「ウフフ」と笑いあう。
何をしゃべることがあるんだか、しばらくはおしゃべりに花が咲いていた。
やがて。
オレ達の行く手を遮るようにして、川から岩山がそびえ立っていた。
「見えました。あれが死者の島です。死者の殿堂はあの島にありますから」
セインの言葉と同時に先導役のサイレン達が横に退いて道を譲る。
イカダはサイレン達を追い越して、死者の島へと吸い込まれていった。