ジェイク6

戻る


 水の匂いを含んだ風が、オレの鼻先を吹き抜けていった。
「ジェイク起きて。ジェイク!」
 ゆさゆさと身体を揺すられて、ようやく意識が戻ってきた。
 ゆっくりと目を開ける。
 目の前には、オレの顔を覗き込んでいたと思われるエイティの顔があった。
「ここは?」
「ジェイク、見て」
 オレの問いには答えず、エイティは目の前に広がる景色へと視線を促した。
 重い身体をゆっくりと起こしながら、エイティの視線の先を辿る。
「・・・川、みてえだな」
「うん。川だよね」
 オレ達がいたのは川のほとりだった。
 まるで海かと思うほどに広大な川が、豊かな水を湛えてとうとうと流れている。
 うっすらと靄(もや)が掛かっていて、対岸までは見通せないみたいだな。
 グルリと周りを見渡せば、オレの胸くらいに伸びたアシが繁る川原が延々と続いている。
「ここが死者の世界、なのか?」
「さあ」
 エイティも訳が分からないと首を傾げる。
「他のみんなは?」
「えっと・・・」
 気が付けばここにいるのはオレとエイティだけだった。
 ベアもボビーも、そしてオレ達をここへ連れて来たはずのセインとエルメットの姿も見えない。
「どうすんだよ? オレ達だけじゃ帰れないぜ」
「そんなこと言われても」
「とにかくみんなを探そう」
 川のほとりギリギリまで近付き左右に視線を走らせる。
 すると
「お二人とも、こちらです!」
 30メートルくらい先だろうか、同じように川のほとりに立って大きく手を振っているセインの姿が見えたんだ。
「良かった。行こうぜエイティ」
「うん」
 オレとエイティはセインのいる方へと移動したんだ。

「申し訳ありません。お二人だけ少し離れた場所へ出てしまったようです。おそらく私の術が甘かったのでしょう」
 オレ達が合流すると、セインが申し訳なさそうに頭を下げてくれた。
「あっ、いえいえ。気にしないで下さい。こうしてみんな無事だったんですから」
 さっきまで泣きそうな顔をしていたエイティだったけど、それも何処かへ吹っ飛んじまったみてえだな。
「ほら、ボビー君もちゃんといますよ」
 エルメットが抱いていたボビーを放してやると、ボビーはエイティの足元に寄り添ってクンクンと鼻を鳴らし始めた。
「心配させちゃってゴメンね、ボビー」
 エイティがボビーを抱き上げてヨシヨシと頭を撫でる。
 これもいつもの光景だよな。 
 改めてその場にいるメンバーを確認する。
 オレ、エイティ、セインの他に、ベア、ボビー、エルメット。
 大丈夫だ、ちゃんと全員揃っている。
 仲間の無事を確認したらいつまでもこんな所にいてもしょうがないからな、いよいよ行動開始と行きたいところだ。
 だがその前に一つ確認しておこう。
「なあセイン、ここはいわゆる死者の世界なのか?」
「そうですね、厳密に言うとそれは違います」
「どういうことですか?」
「ここは生きる者と死している者とを分かつ川。東洋の信仰では三途の川などと云われていますでしょうか。私どもは単に死者の川と呼んでいる場所です」
「死者の川・・・」
 言われてみればなるほど。
 波一つ立てずにゆっくりと流れるその川は、いかにも死者の魂を乗せて運ぶ船が行き来してそうな感じがした。
 川原に延々と続くアシの原には生きるモノの気配を全く感じない。
 そんな寒々とした雰囲気に、ここはそういう世界なんだと痛感させられた。
「で、これからどうするんだ?」
「はい、皆さんこちらに」
 セインはオレ達を案内して移動を開始した。
 程無くしてオレ達が着いたのは、そこだけわずかに川に突き出た石造りの船着場のようなところだったんだ。
「ここから船に乗ります。死者の世界へ渡るための乗り物と言えばはやはり船ですから」
「ワシは船の類いは苦手なんだが」
 セインの言葉にベアがブルルと身体を振るわせた。
 そう言えば、以前船旅をした時にも、ベアは船室で青くなっていたっけな。
 ドワーフってのはやっぱり不安定な水辺よりもどっしりとした大地を好む種族なんだろう。
「大丈夫ですよ。見てのとおり水面には波もなく穏やかですから。船はほとんど揺れません」
「そうか。それなら・・・」
 しぶしぶながらも船に乗るのを承諾するベア。
 さすがにそれ以上愚図るつもりは無いんだろうけど、あまり乗り気でもないんだろうな。
「で、その船はどこにあるんだ?」
 見たところ、船着場には船は停泊していない。
 定期運行でもしているんだろうか?
「ご心配なく。今から船を呼びますから」
 言うやセインはローブの下から首に下げていた小ぶりな角笛を取り出した。
 角笛を口に当て、ゆっくりと息を吹き込む。
 ぶぉー、ぶぉぉー。
 単調な角笛の音が川一面に響き渡った。
 すると。
 どこから現れたのか、川をおおう靄を割いて一艘の小船がゆっくりゆっくり、オレ達のいる船着場目掛けて近付いて来たんだ。
 やがて小船は船着場に着岸する。
 黒いローブを頭からすっぽりと被った船頭が動きを止めると、オレ達へと顔を向けた。
 その顔を見たオレ達はハッと息を飲み込んだ。
 なんと船頭の顔はガイコツそのものだったんだ。
 その姿は、まるで絵本に出て来る死神がそのまま目の前に現れたかのようだった。
 いや、絵本でなくても過去にオレ自身も何度か戦っている、リッチやレイスといった高等なアンデッド系のモンスターとそっくりじゃねえか。
「敵か?」
 オレが叫ぶより早く、ベアとエイティはそれぞれの得物を構えて戦闘態勢に入っていた。
 しかし。
「待って下さい、皆さん。その者は決して敵ではありません」
 セインがオレ達と黒いローブのガイコツの間に割って入った。
「彼の名はカロン。この死者の川の渡し人です」
「カロンだ。どうぞよろしく」
 セインの紹介と共に、カロンと名乗るガイコツ船頭が恭しく頭を下げた。
 低くて抑揚のないその声は、いかにも死者の川の渡し人という感じだった。
「船賃は500ゴールドだ。乗るかい?」
「お願いします」
 あっけに取られるオレ達に構うことなく、セインが支払いを済ませていた。
「死者の世界へ行くにもお金がいるのね」
 妙なところに感心しているエイティだった。

「さあ皆さん、乗って下さい」
 セインに促されて船に乗り込むオレ達。
 最初はベアが恐る恐ると。
 次はボビーを抱えたエイティが、デニムのミニスカートから伸びる長い足を生かして難無く乗り込む。
 次はオレだよな。
 オレも泳ぎは苦手だけど、まあ船を怖がるほどじゃない。
 それはともかく、こんな時でも何となくパーティの並び順に船に乗り込むのが、なんだかおかしかった。
 エルメットがカロンに一礼してから、そして最後にセインが乗船する。
 全員が乗ったのを確認したところで
「お願いします」
 セインがカロンに告げる。
「承知」
 短い返事の後、カロンがゆっくりと竿を入れて船が動き出した。
 動き出してみればなるほど、水面には波もなく穏やかなものだった。
 これなら船が揺れて引っ繰り返る心配もなさそうだ。
 でも一番前に乗っているベアはゴツイ身体を丸めて縮こまっている。
 どうやら水を見ないようにしているらしいな。
「エイティさん、動いてますね」
 小声でささやくボビーだったが
「ボビー、お願いだから喋らないで!」
 エイティがピシャリと遮った。
 オレのいる場所からはエイティがどんな顔をしているかは直接見えないけど、エイティの背中越しに見えるボビーは引きつった顔でウンウンと頷いていた。
 まあな、喋るウサギなんか連れていたら、セインに変なヤツだと思われかねないからなあ。
 恋する乙女としては、少しでも不安要素は取り除いておきたいところなんだろう。
 後ろを見ると、エルメットは胸に下げた銀の十字架を手に持って、一心にお祈りを続けていた。
 さすがに身も心も神に捧げるとか言っていただけのことはある。
 エルメットの信仰心の高さは相当なものらしい。
 そして最後尾では、セインとカロンが何やら言葉を交わしていた。
 談笑する美男とガイコツ野郎。
 どうにも妙な取り合わせだ。
 それにだ、セインはどうやらカロンのことを以前から知っていたらしい。
 一体二人はどういう関係なんだろうな。
 オレがそんなことを考えていると、どうやら岸が見えてきたようだ。
 でも対岸とかじゃなくて、川の中にある小島みたいなところらしい。
「あれがミノス島だ。ワシが送ってやれるのはあの島までだ」
 カロンが抑揚のない声で告げる。
「おい、あんな島に置き去りにされるのか?」
「大丈夫ですよ」
 慌てるオレに対してセインはいつもの笑顔を絶やすことなく答える。
「そうそう。セインが言うなら大丈夫よ、ジェイク」
 振り返ってエイティ。
 でもな、良い男を目の前にして浮かれているエイティが一番の不安材料なんだよ。

続きを読む