ジェイク5
4
登山道なんて嘘だった。
山肌を削っただけのその道は、広い所でも幅1メートルくらい。
狭い所になるとその半分も無い。
斜面はかなり急だし、何と言っても雪が積もっていて普通に歩く事すら出来やしない。
常に壁か斜面に手を付いて、ほとんど四つん這いの姿勢でなければとてもじゃないけど前に進めない。
登山というよりは崖登りといった方が正確に状況を表していると思う。
ディルウィッシュを先頭に、ルアンナ、エイティ、ボビー、オレ、そしてしんがりはベアが務めてくれた。
さすがにディルウィッシュは慣れているのか、わずかな手掛かり足掛かりを利用して苦も無く山道を登って行く。
しかし他のみんなが悪戦苦闘なのは言うまでもない。
幸いにして月明かりに恵まれ、念の為にルアンナがロミルワを唱えておいたので、視界だけは確保出来ていた。
万が一に備えて浮遊の呪文リトフェイトを唱えておくのも忘れてはいけない。
「ジェイク、大丈夫?」
「ああ。何とかな」
レマに来た直後は寒さに震え上がっていたエイティも、今ではすっかり回復したらしい。
顔色も良くなったし、何より後ろを付いて行くオレを気遣う余裕があるくらいだしな。
むしろ、いつものスカートよりは今穿いているスパッツの方が、動きやすくて無駄な体力を消耗しなくて済んでいるのかも知れないな。
それに対して、オレの体力の無さは相変わらずだ。
この一年程でずいぶん色々な体験をして、それなりに体力も付いたと思っていたけど、今回の崖登りはハンパじゃない。
降り積もった雪に足を取られたり、凍り付いた場所では危うく滑り落ちそうになったり。
身体はポッポと温かいのに、手足の指先は冷たいのは元より、痛いのすら通り超えて感覚が無くなっている。
前を行くルアンナもオレと似たような状態らしい。
しきりに足を取られたり転びそうになったりしながらも、懸命にディルウィッシュに付いて行っている。
オレの後ろにいるベアは、体力面では申し分ないのだろうけど、何と言っても短い手足が負担になっていた。
ヘビーアックスを杖代わりにしながら一歩一歩、雪道を踏みしめて山道を登っている。
そんな中でも雪山生まれのボビーだけは元気で、前へ出たり後ろへ下がったりしながらみんなに声を掛けて回っている。
「ルアンナさん、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ・・・キャー!」
足を滑らせたのか、ルアンナはその場にひれ伏す格好になっていた。
「大丈夫か、ルアンナ?」
「ええ、ありがとうディル」
ディルウィッシュがルアンナに手を伸ばすと、ルアンナはそれに捉まって立ち上がる。
「もう少し行くと開けた場所へ出るはずだ。そこまで行ったら休憩にしよう」
「そうね」
上から見下ろすディルウィッシュと下から見上げるルアンナの視線が一瞬だけ交錯する。
「ねえジェイク、あの二人良い雰囲気だと思わない?」
そんな二人の様子に、乙女心を炸裂させるエイティ。
しかし今のオレにはそんな戯言に応じるだけの余裕が無い。
「こんな雪山で遭難しかけているののどこが良い雰囲気なんだよ」
「もう。君ももう少しこういう話にでも興味を持ったら、ちょっとは変わるかも知れないのにねえ」
「変わりたくなんかねえよ」
出るのはそんな悪態ばかりだ。
それからしばらく山道を進むと広めに取られたスペースに出た。
自然に出来たというよりは、人の手によって造られた休憩の為のスペースなんだろう。
「ここで少し休もう」
ディルウィッシュが休憩を宣言すると、オレは雪の上にも構わずにドカッと腰を下ろした。
尻が冷たいとかも気にならないくらいに、身体はもう動いてくれそうもない。
ベアもオレと同じように雪の上に座り込んだが、エイティとルアンナが立ったままなのは、やはり尻を濡らすのを気にしたんだろう。
「どのくらい登ったのかしら?」
「ここで全体の五分の一だ」
「まだそれだけなの・・・」
絶句するエイティ。
オレも同じ気持ちだけどな。
「寒いわね」
ルアンナが自分で自分の肩や腕を擦り始める。
動くのを止めた事で急に身体が冷えたんだ。
「焚き火とか出来ないかしら」
「薪が無い」
ルアンナの提案をディルウィッシュが一言で却下する。
「でも本当に寒いわ・・・そうだジェイク、マハリトか何かでパッと温かくしてよ」
「あのなあエイティ・・・」
どこの世界に暖を取る為にマハリトを使う魔法使いがいるんだよ。
「ジェイク君、私からもお願いしたいんだけど」
「ルアンナもかよ」
どうする? と確認すべく、ベアとディルウィッシュに視線を送る。
ベアは「仕方ない」とばかりに肩をすくめてみせた。
「敵に見つかる恐れがある。本来なら火は使いたくないんだが・・・」
渋るディルウィッシュだったが、ルアンナの懇願するような視線で見つめられては折れざるを得ないらしい。
無言のままだが、オレに向かって大きく縦に首を振る。
「分かった」
貴重な攻撃呪文をこんな事で消費するのは気が引けたけど、正直オレも寒いしな。
「それじゃあ良いか?」
「いつでも良いわよー」
少し離れた場所でエイティが合図する。
一応周囲の安全を見てから慣れた呪文の詠唱を始めた。
「マハリト」
呪文の名を呼び、焚き火にしてはかなり豪勢な炎を生み出す。
「ひゃー、あったかーい」
「これは良いですね」
エイティとルアンナは早速マハリトの炎に当たり始める。
冷えた手足を炎にかざし、背中を向ける事で身体の芯から温まっているようだ。
ベアとディルウィッシュもホッとした表情で炎を見つめている。
オレは少しでも長く呪文を維持しようと、じっと魔力を集中させた。
が・・・
一番苦労しているオレが一番炎の恩恵を受けられないのは気のせいか?
何しろ炎から一番離れた所にいるのがオレだからな。
それでも照り返しの熱はここまで届くし、炎を見ていると多少は寒さもまぎれるような気がするから不思議だよな。
やがてマハリトの炎が鎮まる。
なまじ温かさを体験してしまっただけに、今度は一層寒さが堪える。
そして・・・
「あっ、雪」
上空から、はらはらと白いものが舞い降りてきた。
「さっきまであんなに良いお天気だったのに」
「山の天気は変わりやすいとは言え、ついてないな」
天を仰ぎ見るルアンナとディルウィッシュ。
「どうする? 先を急ぐか、それともしばらくここに留まるか?」
「今は下手に動かないほうが良い」
「分かった」
ベアとディルウィッシュが今後の方針を決めた。
しばらくは「待ち」だ。
「とは言っても、ここじゃあ雨宿り、じゃなくて雪宿りも出来ないわね」
「そうだな」
周囲には屋根のようなものはもちろん、一本の木すら生えていない。
このまま降り続く雪にさらされるのは、さすがに勘弁して欲しいところだ。
月も雲に隠された暗闇の中、不安だけがどんどんと圧し掛かってくる。
更に悪い事に。
「風が出て来たな」
さっきまで真っ直ぐに落ちてきた雪が、今では斜めに流されていく。
冷たい風に吹かれればそれだけ体力の消耗も激しくなる。
全員が一箇所に寄り添って、少しでも体力の維持に努めるも限界があった。
「マズイ、完全に吹雪いてきた」
風が更に強まり、冷たい雪を伴って容赦なくオレ達に襲い掛かる。
クソっ、これじゃあまるで天然のマダルトだ。
更に更に追い討ちが来た。
周囲がピカッと光ったかと思うと、ガラガラガラとけたたましい音がオレ達の頭の上で轟いた。
「落雷だ!」
ディルウィッシュが叫ぶ。
雷はオレ達の上方にある雪だまりを直撃し、そして・・・
ゴゴゴと低いうねりのような振動。
「まさか、雪崩か?」
見上げると、大量の雪の塊がオレ達目掛けて落下して来ている。
「マズイぞ」
「キャー!」
もしもあの雪の直撃を受けたら、その瞬間にペシャンコだ。
たとえ耐えられたとしても、止まる事を知らない雪の崩落は、オレ達を崖下まで突き落としてしまうだろう。
しょうがねえ、緊急事態だ。
「マロール!」
瞬時に魔力を集中させ呪文の詠唱を完成させる。
正に間一髪のところで雪崩の直撃を免れた。
次の瞬間、オレ達は全員さっきの洞窟の魔方陣の中に実体化していた。
この場所が転移先として一番イメージしやすかったからな。
「た、助かったみたいね・・・」
「そうですね」
エイティとルアンナがガックリとその場に崩れ落ちた。
「すまねえ、勝手な判断でマロールを使った」
「謝らないでよジェイク。君のおかげで全員助かったんだから」
「そうよジェイク君、ありがとう」
「その通りだ。助かったぞ」
「礼を言う。やるじゃないかジェイク」
みんなの言葉を聞いて、オレの判断が正しかったと分かって少しだけホッと出来た。
「結局振り出しに戻った訳だけど・・・」
大きく溜息を吐くルアンナ。
「仕切り直しだな。その前に・・・ベア、ちょっと手伝ってくれ」
「ああ」
ディルウィッシュはベアを連れて魔法陣の広間から出る。
しばらくすると二人は、資材として備蓄してあった薪を両手に抱えて戻って来た。
適当な場所に薪を組みオレがハリトの火球で着火させる。
メラメラと燃え上がる炎が全員の顔を照らし出した。
「ルアンナ、さっきの吹雪と雷、どう思う?」
「そうね、わずかだけど魔力の乱れを感じたような気がするわ」
「分かるのか?」
「ええ。ほんの少しだけどね」
ルアンナが感じたという魔力の乱れみたいなものは、オレには全く感じられなかった。
「という事は・・・」
「おそらく、さっきの天候悪化は何者かが魔力を用いて人為的に引き起こしたものでしょう」
「マハリトがまずかったのかな?」
「そうかも知れないわね。あの炎を肉眼で確認したか、あるいは魔力を感じ取ったか・・・」
「誰がやったか分かるか?」
ディルウィッシュがルアンナの顔を覗き込む。
それに対してルアンナは、無言のまま首を横に振るだけだった。