ジェイク5

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19

 レマ城三階からの階段を下りる。
 この階段は、ルアンナが居住空間にしている三階と、公務を執り行う二階とを行き来する時に普段から使用するものだそうだ。
 さっきの螺旋状の非常階段に比べてもずっと緩やかで、手すりなどにもこった彫刻が彫られてあったりする。
 そしてオレ達はついに二階へと下り立った。
 短い通路を抜けると一気に空間が広がる。
 玉座の間。
 レマの政治は全てここから動かされている。
 女王ルアンナを中心に各大臣達が議事を行ったり、女王に謁見を求める者が通されたりと、幅広い目的で使われる部屋だという。
 正面の奥には、昨日までルアンナが座っていた玉座が設置されている。
 しかし、今その椅子に座っているのは女王ではなかった。
「やはりここまで来たか」
 アクバー公爵その人だ。
 ったく、どうして物語の悪役ってのはこうも玉座にしがみ付きたがるんだろうな。
 昔読んだ、勇者が竜退治をする冒険譚もそうだったぜ。
 世界を闇に陥れた悪の竜の王が、勇者と戦って滅ぼされたのもやっぱり玉座の間だったよな。
「ようこそ、女王とその仲間の皆さん。いや、元女王と言うべきかな」
 公爵は「ふふっ」と歪んだ笑みを浮かべる。
「アクバー公爵、ルアンナは今もこの国の女王だ。貴方こそ、その椅子に座る資格は無いはずだが」
「将軍、女王によるレマの統治はもう昔の話なのだよ。今日からはこの私がこの国の王だ」
「そのような勝手は許しません」
「力のある者が国を統べる。そうは思わんかルアンナ?」
「話し合いの余地は無いようですね」
「残念だよ、元女王」
 ディルウィッシュとルアンナによるアクバー公爵の説得は、虚しく終わってしまった。
 予想通りの結果とは言え、ルアンナを見下した公爵の態度はあまりにも酷過ぎる。
「公爵、今回の事件では既に多くの血が流れました。レマの一般兵士の皆さん。先程の貴方が放ったという暗殺者。そして貴方に召喚された悪魔達。
 魔物に肩入れするつもりはありませんが、貴方がこのような事をしなければ流れる必要の無い血でした。私はレマの女王として、貴方を厳しく罰しなければなりません。覚悟は宜しいですね」
 ルアンナの言葉はあまりにも重い。
 今回の事件を悲しみ、そしてレマという国の行く末を案じる女王の言葉。
「私に勝てると思っているのかね、元女王」
「勝ちます。私とディルはその為にここへ戻って来ました」
「愚かな」
 アクバー公爵の手には、やはりあの本があった。
 召喚の書。
 魔界から悪魔を呼び出す禁断の書物。
 公爵が書物をかざすと、書物はひとりでにパラパラとページを捲られていく。
「グレーターデーモンをはじめとした強大な悪魔を倒してきたお前達だ、並みの悪魔では相手にならんだろう」
 公爵の言葉と共に召喚の書が輝く。
 そして床にはこの世界と魔界とを繋ぐ魔法陣が浮かび上がる。
 新たな悪魔を呼び出すべく魔方陣が燦然と煌めいた。
「出でよ魔界の王。我は汝の名を呼ばんとす。悪魔公デーモンロード!」
 アクバー公爵の声が玉座の間に響いた。
「悪魔公・・・」
「デーモンロード?」
 その名を聞いたオレ達に戦慄が走る。
 煌めく魔法陣の中に人影が浮ぶ。
 やがて魔法陣の輝きが鎮まった時、そこには金色に輝く男の姿があった。
 
 男は、パッと見には人間の成人男性と変わらないように思えた。
 背丈はディルウィッシュよりやや高いくらい。
 肩まで伸びた金色の髪が目に眩い。
 緩い弧を描いて頭部から伸びた角が、男が普通の人間ではない事を物語っている。
 上半身裸のその身体は鍛えられた筋肉の塊、それが濃い紫のマントに包まれていた。
 七分丈の下装束を穿き、ベルトから前後にそれぞれ足首くらいまでの長さの金色の布を垂らしていた。
 足元は、特に何も穿いていない。
「悪魔公なんて言うからどんなバケモノが出て来るかと思ったら、案外良い男じゃない」
 エイティの言う通り、男は金色の瞳を輝かせ、とても整った顔立ちをしていた。
 でもな、ヤツは只の男じゃないんだぜ。
「無理すんなエイティ、声が震えてるぜ」
「ジェイクだって、顔が引きつってるわよ」
 圧倒的な存在感と圧し掛かって来るような威圧感。
 離れていても感じる悪魔としての残忍さと魔力の高さ。
「間違いないようね。あれはデーモンロード。魔界の王、全悪魔を統べる悪魔公よ」
 魔界の王とレマの女王の視線がぶつかる。
 悪魔公デーモンロードが魔法陣から一歩を踏み出した。
 そして第一声。
「余を魔界よりこの世界に招き入れたのは其方か?」
 整った顔立ちにふさわしい美声だと思った。
 その低く冷たい声はオレの背中を悪寒となって駆け抜けて行く。
「おう、そうよ。私がお前をこの世に呼んだのだ。我が召喚に応じたからにはお前は私に使役されなければならぬぞ。まずはあの忌々しい小娘どもを殺してしまうのだ」
 たとえ悪魔公相手でもアクバー公爵の態度は相変わらずふてぶてしい。
 それを見たデーモンロードの眉がわずかに歪んだように思えた。
「ふっ、人間風情が余を使役するだと? 笑わせるな。我らが眷属を次々に召喚したのも其方であろう。悪魔との契約が只で済むと思っているのか?」
「どういう意味だ?」
「悪魔との契約には対価が必要だ。其方には対価を払ってもらわねばならぬ」
「対価だと?」
「その通り。レッサーデーモン、デーモンインプなどはともかく、ほうグレーターデーモンまで召喚したか。これは高く付いたな」
「な、何をする気だ・・・」
「仕方ない。お前の命一つで許してやろう。もっとも、お前の命ごときでは不足ではあるがな」
「ふ、ふざけるな!」
 それがアクバー公爵の最後の言葉だった。
 デーモンロードが右手で公爵の顔を鷲づかみにすると、公爵の身体がピクリとも動かなくなる。
 更にデーモンロードの手が輝いたかと思うと、アクバー公爵の身体はまるで水が蒸発するように希薄になり・・・
 やがてデーモンロードに吸い込まれるように消えていった。
「彼の者の肉体と魂を余の体内に取り込んだ。余の血となり肉となるのだ。誇りに思うが良い」
「何という事を・・・」
 ルアンナの肩が震えている。
 アクバー公爵は今回の事件の黒幕であると同時に、ルアンナの家族を殺した張本人でもあった。
 ルアンナにしてみれば、自分の手でという想いもあっただろうし、生かして捕らえて裁判に掛ける事で真実を知りたいという気持ちもあったはずだ。
 しかしそんなルアンナの想いは儚くも砕け散ってしまった。
「こうして魔界を離れて人間界まで来たのだ。このまま帰ったのでは余の気が治まろうはずが無い。ひとつ溜飲を下げさせてもらわねばな」
 悪魔公が歩き出す。
 その視線が捉えるのは、やはり女王ルアンナだった。
 約10メートル程の距離を置いて、デーモンロードとルアンナが対峙する。
「女王ルアンナとは其方か?」
「ええ、そうよ」
「ほう、なかなかの女ではないか。其方に余の后となる事を命ずる。ありがたく受けるが良い」
「后ですって?」
「余の后となり子を成すのだ。我らが魔族の血に其方ら人間の血が混ざる。その子は魔界、そして人間界の両方の覇者となろう。これは楽しみではないか」
「誰がアナタのような悪魔に魂を売るものですか!」
 たとえ魔界の王相手でもルアンナは決して怯む事は無い。
 何処までも清廉かつ気高く、表情は凛としていて美しい。
「余の后になる気は無いと?」
「もう一度言うわ。悪魔に売る魂は持ってなどいない」
「デーモンロード、キサマなんぞにルアンナは渡さん」
 ルアンナの言葉を受けて、ディルウィッシュがデーモンロードの前に躍り出る。
「ディル」
「ルアンナ、決してお前を悪魔などには渡しはしない。ルアンナは俺が護る」
「私は護られてばかりの女じゃないわ。貴方が戦うなら私も一緒に戦います」
「良い返事だルアンナ。さすがは俺が惚れた女だな」
「ディルもね。さすがは私が愛する男だけの事はあるわ」
 悪魔公を前にして、ディルウィッシュとルアンナの絆が確かめられたような気がした。
「よく言ってくれたわディルウィッシュさん! それでこそ男ってものよ。もう黙って見てらんないわ。ルアンナ、私も一緒に戦わせてもらうからね」
「ボクもやります」
「ワシも暴れさせてもらうぞ」
 エイティとボビー、そしてベアが一斉に動き出す。
「もちろんオレもだ。魔界の王と戦えるチャンスなんてもう二度とねえだろうしな」
 レマ城に上がってから、オレはずっと呪文の温存の為に戦いに参加出来なかったからな。
 おそらくこれが最後の戦いだ。
 ここは遠慮無しでやらせてもらうぜ。
 ディルウィッシュ、ベア、エイティ。
 ルアンナ、ボビー、そしてオレ。
 全員がデーモンロードに対して戦闘態勢を取る。
「愚かな。人間風情が余と戦うというのか」
 嘲り笑う悪魔公。
「人間は決して悪魔なんかに屈したりはしない!」
 ルアンナの魂の叫びが戦闘開始の合図となった。

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