ジェイク5
14
その魔物は、オレが今まで戦ってきたどのモンスターよりも巨大に思えた。
全身を覆う鱗はまるで爬虫類のよう、不気味な青白い輝きを放っていた。
肩から腕に掛けての盛り上がった筋肉の束は、この魔物の桁外れの力強さを物語っているのだろう。
頭部には、山羊のような角が後方へ、更には像の牙を思わせる鋭い角が横へ向かって伸びていた。
それぞれ四本ずつある手足の指には巨大なカギヅメ。
背中に生えたコウモリのような翼は魔族の象徴か。
ワニのような尻尾まで生えている。
オレにとっては初めて見る魔物だった。
それにも関わらず、コイツが何者かは知っていると直感的に思った。
「グ、グレーターデーモン・・・」
魔物を見上げるベアの声が恐怖に震えている。
相手はたったの一体しかいない。
それでも魔物が放つ驚異的なまでの威圧感にベアは完全に気圧されていた。
「グレーターデーモン? まさかコイツが・・・」
その名を聞いたエイティも、思わず言葉に詰まる。
やっぱりそうか。
オレ達の目の前にいるこの蒼く巨大な魔物こそが、悪名高きグレーターデーモンなんだ。
グレーターデーモン。
多くの冒険者がその犠牲になったと聞いている。
呪文による攻撃はほとんど効かず、その硬い皮膚は屈強の戦士の放つ渾身の一撃を難無く弾き返すという。
ラダルトをはじめとする強力な呪文を自在に操り、鋭いカギヅメによる一撃はプレートアーマーの装甲を紙のように引き裂く。
更に恐ろしいのは、この巨大な悪魔は他のどの悪魔よりも集団を好むという事だ。
次々と仲間を呼び寄せ、常に組織的な戦いを展開する。
一体でも手強いこの魔物が、倒しても倒しても際限なく魔界から次々にやって来るその様は、悪夢としか言いようが無いだろう。
こういった情報は、グレーターデーモンと戦いながらも奇跡的に生き残ったごくわずかな者達によって語られたものだ。
報告例は少ないながらも、その名を知らない冒険者はいないとまで云われている。
グレーターデーモンとはそういうヤツなんだ。
「はっはっは。キサマらの相手はこのグレーターデーモンだ。せいぜい足掻くがいいだろう」
アクバー公爵は捨て台詞を残すと、踵を返して行ってしまった。
その姿が向うに見える上り階段へと消える。
あの階段を上ればレマ城なのにな。
その前に立ちはだかるこの巨大な悪魔は、あまりにも堅牢な壁だった。
「ヤツはバケモノだ。まともに戦って勝てるはずがない」
どうやらベアはグレーターデーモンと遭遇した事があるようだ。
ヘビーアックスを両手にしっかりと握り締めながらも、足取りは少しずつ後退していく。
「ディルウィッシュ、ルアンナ・・・」
エイティが二人に視線を送る。
戦うのか、それとも逃げるのか。
その判断を問う為だ。
ルアンナはまださっきのショックから立ち直っていない。
ここは一時撤退かと思われたが・・・
「ヤツは一体しかいない。一気にたたみ掛ければ倒せるはずだ」
ディルウィッシュが言い放った。
エイティとオレがディルウィッシュに同意して頷く。
「正気か? ヤツはバケモノだぞ」
「どうしたんだよオッサン? らしくないぜ」
「ベア、私はやるから」
「勝手にしろ」
あれ程までに剛直だったベアが、ここまで臆するとは・・・
このグレーターデーモンという魔物は、一体どれくらいの力を秘めているのか?
「ルアンナ、立てるか」
「ええ、私は大丈夫」
ディルウィッシュがルアンナの身体を支えながらも、ルアンナ自身で立てるように促す。
「レマ城はもう目の前です。この場での撤退はありえません。ディル、エイティ、ジェイク君。私に力を貸して下さい。
ベアさん、無理にとは言いません。もしも貴方があの悪魔と戦いたくないのならば、この場で立ち去ってしまっても誰も貴方を責めないでしょう」
「女王よ・・・」
ルアンナの言葉に、ベアの表情にも迷いの色が見て取れた。
しかし、いつまでも迷っているヒマは無いんだぜ。
何故なら・・・
既に戦闘態勢に入っていたグレーターデーモンが、いきなりマダルトの嵐を放ってきたからだ。
今からコルツを唱えても間に合わない。
「散開!」
ディルウィッシュの号令と共に左右に散らばると、今度はこっちが攻撃態勢を取る番だ。
「ジェイク、アイツの呪文を何とかして!」
「ああ」
エイティに言われるまでもねえ。
ルアンナと二人でコルツを唱え、強力な呪文障壁を作り出す。
しばらくは持ち堪えてくれると信じているぜ。
「ついでに・・・」
オレは立て続けにバコルツを唱えた。
これはコルツとは反対に、敵の周囲に呪文障壁を作って、結果的に相手の呪文を封じる呪文だ。
効果の程は術者と被術者との力関係で決まる。
要は、オレの魔力がグレーターデーモンのそれを上回れば、ヤツの呪文を抑えられるはずなんだ。
グレーターデーモンが第二波としてラハリトを唱える。
が、呪文はオレの作り出した障壁に阻まれて発動する事は無かったんだ。
「ジェイク、よくやった。行くぞ!」
「ハイ!」
ディルウィッシュとエイティがグレーターデーモン目掛けて走り出す。
「いきなり倒そうとする必要は無い。まずは足を狙え」
ディルウィッシュの指示に従い、エイティはグレーターデーモンの右足に狙いを定める。
「こっのお!」
全体重を乗せてハルバードを振り下ろす。
ハルバードの斧の部分がグレーターデーモンの足の甲を切断するかに思えた。
しかし・・・
パッキーン!
砕けたのはハルバードの方だったんだ。
グレーターデーモンの硬い装甲は、エイティの繰り出すハルバードをいとも簡単に蹴散らしてしまったんだ。
「くっそぉ」
エイティは、残った槍の部分でグレーターデーモンに応戦するが、どうにも通用しそうにない。
一方ディルウィッシュも、エイティとは逆の左足に狙いを定めてマスターソードを振るうも、こちらも大したダメージを与えられずにいた。
グレーターデーモンが足元の砂をすくうように手を振り回した。
「うわっ!」
「きゃー」
二人同時に吹っ飛ばされる。
「ラダルト」
「ラハリト」
少しでも援護になればと、オレとルアンナで同時に攻撃呪文を放つも、異常なまでの呪文無効化能力を誇るグレーターデーモンには全く通用しない。
呪文によって生み出された氷と炎は、まるでお互いに相殺し合うように霧散してしまった。
打つ手無しと思った瞬間、全員の視線がまだ戦いに参加していないベアに集まっていた。
「オッサン」
「ベア、助けて」
「ワシは、ワシは・・・」
ベアの身体が小刻みに震えていた。
やがて
「うおおおおおおぉぉぉ!」
鬼気迫るといった表情で、雄叫びとも唸り声ともつかない奇声を上げながらベアが走り出した。
向かうはもちろんグレーターデーモンだ。
振り上げたヘビーアックスに、走って得たスピードとドワーフが生来持つパワーを込めて叩き込む。
ぐざ。
手応え有り。
ベアの放った一撃は、グレーターデーモンの右足のすねに深々と食い込んでいたんだ。
「オッサン、信じていたぜ」
「ふん、勘違いするなよ。ここで帰れと言われても帰り道が分からないだけだ。だったら目の前の階段から外へ出た方が良いだろう」
「理由なんかどうでも良いって」
そう、理由なんかどうでも良い。
大切なのは、ベア自身がグレーターデーモンに対する恐怖心に打ち勝ったって事なのさ。
「さあ、悪魔退治と行きましょうか」
「うむ」
「ああ、やるぜ」
エイティの掛け声に合わせて力強く頷くオレ達だった。
ベアの渾身の一撃を受けたグレーターデーモンは、思わずなんだろうけど片ひざ立ちの姿勢になっていた。
ここはチャンスとばかりにディルウィッシュのマスターソードが煌めく。
ズンという重い手応えと共に、グレーターデーモンの左足の腱を切断する。
さすがのグレーターデーモンも、両足を傷付けられては真っ直ぐ立っていられない。
両手を着いた四つん這いの姿勢となってオレ達を見下ろしていた。
「仲間を呼ばれる前に倒すんだ!」
ベアの号令に一斉に動き出す・・・が、その声はグレーターデーモンにも聞こえたのかも知れない。
悪魔の顔が一瞬だけニヤリと歪んだような気がした。
そして独特の韻律をもった遠吠えのような声を発する。
「しまった。ヤツは仲間を呼ぶ気だ。早く倒してしまうんだ」
ベアのヘビーアックスがグレーターデーモンの下腹に食い込み、ディルウィッシュのマスターソードは喉に突き刺さっている。
巨大な蒼き悪魔はそれでもまだ倒れる事無く、仲間を呼ぶ為の遠吠えを続けていた。
「いい加減にしてよね!」
エイティが既に槍の部分しか残っていないハルバードを、グレーターデーモンの口目掛けて放り投げた。
真っ直ぐな軌跡を描いて飛ぶハルバードは、見事にグレーターデーモンの口に吸い込まれ、ヤツの喉の奥を貫いた。
いくら鋼の装甲を誇ろうとも、身体の内側は弱い。
グレーターデーモンは悲鳴と共にその場に崩れ落ちていった。
「倒したか・・・」
誰もがそう思っていた。
しかしそれは間違いだったんだ。