ジェイク5
13
「勝手に城を抜け出されては困りますな、女王陛下」
「アクバー公爵・・・」
その男は、丁寧ながらも棘のこもったような口調、かつ敵意のこもった冷ややかな視線でルアンナに対峙していた。
アクバー公爵、それが男の名だろう。
年齢は五十代の後半から、ひょっとしたら六十代か。
グレーの長髪をなびかせ、金糸銀糸で豪華な刺繍のほどこされた紫のローブをまとっていた。
魔法使いと見て間違いないだろう。
オレも同じ魔法使いとして何か感じるものがあった。
コイツは危険だ、と。
放つオーラだとか、秘めているであろう魔力とか。
目には見えないけれども、オレの直感が目の前の初老の魔法使いに対する警鐘を鳴らし続けていた。
アクバー公爵は、その手に一冊の本を持っていた。
何だ、あの本は?
赤い革の装丁で表紙に描かれているのは魔物の瞳か。
とてつもなく禍々しい気を感じてしょうがねえ。
この男は何であんな物を大事そうに抱えているんだ?
「女王ともあろうお方が城を捨てて勝手に逃げ出したとは。それにしても、よくまあおめおめと戻って来れたものですな」
「アクバー公爵、話を聞いて下さい」
「話ですと? 女王の職を辞するという話なら伺いましょうか」
「今はそのような事を話している場合では・・・」
公爵ってのがどれくらい偉いのか知らねえけど、いくら何でも女王に対する態度じゃない。
ルアンナに対する敵意、魔法使い、手に持った禍々しい書物・・・
オレの頭の中で、これらのキーワードが一つに結びついていった。
そう、この時オレには今回の事件の全貌が見えたような気がしたんだ。
「公爵、確かに私は一度城を離れました。それは女王としては許されない失態でありましょう。しかし私はこうして戻りました。私は女王としてレマ城を魔物の手から取り戻さねばなりません。どうかここを通して下さい」
「城の者は皆こう噂しておりますぞ。『女王が魔物を放って城を捨てた』と」
「そんな・・・」
「とにかく、今女王を城へ行かせる訳には参りませんな。どうかこのままお引取りを」
「ちょっとあなたねえ・・・」
アクバー公爵のあまりの不遜ぶりに、思わず飛び出しそうになるエイティ。
しかしそれをベアが押し止めた。
「エイティよ、ここはワシらの出る幕ではない。今はレマの人間に任せてしばらく様子を見よう」
「でも・・・」
納得しかねるといった表情のエイティ。
「オッサン、何とかならねえのかよ」
「うむ・・・」
ベアはそのままじっと押し黙ってしまった。
クソっ、ここまで来てしっぽ巻いて帰れるはずねえだろ。
あとは、もう一人のレマの人間に任せるしか・・・
「アクバー公爵!」
オレ達の視線が、レマの将軍ディルウィッシュに集まった。
ディルウィッシュはスッとルアンナの前まで進み出ると、公爵と間近に対面する。
「これは将軍。よくもこのような事件を起こしてくれたものですな」
「どういう意味です?」
「今回の事件の黒幕は将軍ではないのかね? 城の者は『将軍が女王を誘拐した』とも言ってますぞ」
「そんなバカな」
「公爵、断じてそのような事はありません。ディルは、いえ将軍は私の命を救おうと尽力してくれたのですから」
「それは、女王と将軍が結託してレマを滅ぼそうとしたという事ですかな?」
「なんという事を言うのです・・・」
言葉に詰まるルアンナ。
ダメだ、この男にこれ以上何か言っても無駄だろう。
何か無いか?
少しでも公爵を黙らせてこちらの反撃に繋がるような何か、何か・・・
と、オレの目に止まったのは、公爵の手にある本だった。
この際何でもいい、とにかく時間稼ぎだ。
「なあ、その本て何なんだ?」
「何だ小僧。無礼であろう」
しめた。
公爵がオレの話しに乗ってきたぞ。
「あんた魔法使いだろ? オレもそうなんだ。だから同じ魔法使いが持っているその本に興味があってさ。良かったら少し見せてもらえないかな?」
「何を言うか。これはお前ごときが理解出来るようなものではない」
急にアクバー公爵の顔色が変わった。
あの本がヤツの急所かも知れないな。
「頼むよ、ちょっとで良いから見せてくれよ」
「うるさい小僧。それ以上の無礼は許さんぞ」
「公爵、私からもお願いします。私も呪文を学ぶ者としてその書物を拝見したいですわ」
オレの意を感じ取ってくれたルアンナが話しを合わせてくれた。
公爵の顔が醜く歪む。
ここはチャンスだ、一気に押すしかねえだろ。
「なあ、女王様の命令なんじゃねえか。頼むよ」
「公爵、その本を私に差し出しなさい。レマの女王として命じます」
「ふっ、ふざけるな! 何が女王だ。この小娘が」
公爵の顔色が、怒りのそれに染まった。
「キサマなぞ、何の力も無いただの小娘ではないか。ルアンナ、お前にレマを好きなようにはさせんぞ。レマは私のものだ!」
公爵の化けの皮がボロボロに剥がれ落ちる。
ルアンナをキサマ呼ばわりし、レマ一国を自分のものだと主張するその態度。
公爵だか何だか知らねえけど、お前は欲にまみれた只のジジイだぜ。
「公爵! 女王に対して何という酷い事を」
ディルウィッシュは今にも剣を抜いて、公爵に飛び掛らんばかりだ。
「待ってディル。ここは私が。アクバー公爵、正気ですか? 貴方は御自分が何をおっしゃっているのか分かっているのですか?」
ディルウィッシュを制すと、ルアンナは公爵を諭すべく静かに言葉を紡ぐ。
「フン、正気も正気だ。正気でレマを我が物にしたいと思っている。その為にはルアンナ、キサマを城へ返す訳には行かないのだ」
「公爵・・・」
言葉を呑むルアンナ。
そんなルアンナに代わって公爵に噛み付いたのは他ならぬオレだった。
オレは公爵に対して自分の考えをぶちまける事にした。
「なあ、今回の事件を企てたのはアンタなんだろ? アンタが持っている本、それはおそらく『召喚の書』だ。魔界から悪魔族を呼び寄せてしまうという禁断の書物のはずだ。
いくらレマ城に呪文による侵攻を防ぐ結界が張られていても、内部で悪魔を召喚する者がいたら結界なんて何の役にも立たないからな。
アンタはそれを使ってレマ城内に悪魔の軍団を召喚した。目的はもちろん、ルアンナの抹殺さ。でもルアンナはディルウィッシュと一緒に転移魔法陣を使ってダリアへと避難した。ルアンナ達が援軍を引き連れて戻るのを恐れたアンタは、レマ城内の転移魔法陣を消滅させたんだろ。
アンタのミスは、山の麓にあった転移魔法陣の存在を忘れていた事さ。こっちにとっちゃありがたかったけどな。
オレ達が山道を登っていた時に、天候を悪化させて雷を発生させて、雪崩を起こしたのもアンタの仕業だろ? ルアンナが微妙に魔力を感じたって言ってたからな。魔法で天候を操るなんてかなりの腕だよな。
そしてオレ達が迷宮を上ってレマ城を目指していると知ったアンタは、その召喚の書を使って次々と悪魔を呼び出し、オレ達を襲わせた。それも全て失敗したとなると、あとは自分でやるしかない。この場でルアンナをはじめオレ達を皆殺しにするつもりでわざわざ出迎えに来たんだろ。他に何か付け足す事はあるかい?」
一気に捲くし立てるとあとはアクバー公爵の反応をうかがう。
「クックックッ。大したものだな小僧。ほとんどその通りだ。だが付け足す事が二つある。一つは、先代の国王を暗殺したのもこの私だという事」
「!」
公爵の告白にルアンナが声にならない悲鳴を上げた。
「ルアンナ、しっかりしろ」
ディルウィッシュがルアンナの肩をそっと支える。
「ありがとうディル。私は平気だから」
気丈にもそう応えるルアンナだけど、顔色が悪いぜ。
こんな形で親の死の真相を知らされたんだ、無理もないけどな。
「レマは山国だからな。国王一家が乗る馬車が崖付近に差し掛かった時に、雷を落としてやった。雷に驚いた馬が暴れ、馬車はそのまま崖下へ。誤算だったのはルアンナ、キサマがその馬車に乗っていなかった事だ」
「なんていうことを・・・」
「フン、まったく悪運の強い小娘だ。生き延びたばかりかその直後に女王の職に就くとはな。まあ良い。それも今日までだ。
そして付け足しの二つ目。ルアンナにはこの場で死んでもらおう。そしてこの事件の黒幕として将軍、キサマに罪を被ってもらうのさ。私は、レマ王家の転覆を狙って女王を誘拐し殺害した悪しき将軍を打ち倒した者として、また女王の意思を継ぐ者としてレマの指導者となる。レマは私のものだ」
アクバー公爵が高らかに宣言した。
「そんな事はさせないんだから」
怒りの形相でハルバードを構えるエイティ。
エイティだけじゃないさ。
ベアだってもうこれ以上は黙っているつもりは無いようだし、もちろんオレだってそうさ。
レマ城を乗っ取る為にルアンナの両親を殺し、今また悪魔達を召喚してまでルアンナの抹殺を企てた張本人をみすみす見逃すなんてマヌケな事をする訳がない。
コイツは、この公爵だけはこの場できっちりと倒さなければ、オレ達の気が済まないんだよ。
ディルウィッシュが、ベアが、エイティが。
それぞれの武器を構えてアクバー公爵との間合いをじりじりと詰める。
オレは、ヤツの呪文に対する警戒を怠らない。
何しろ魔法使いだからな。
公爵がまず唱えるのは、マダルトか、それともラダルト。
いや、いきなりティルトウェィトをぶっ放してくるかも知れない。
まずはきっちりとコルツを唱えて呪文障壁を作るのが先か・・・
しかし。
アクバー公爵が唱えたのは、それらのどの攻撃呪文でもなかったんだ。
「おっと、もう一つ付け足しだ。キサマらの相手をするのは私ではない。キサマらには最高の遊び相手を用意してやろう」
アクバー公爵が手にした書物を開き、静かに呪文を唱え始めた。
「イカン! ヤツに書物を使わせるな」
ベアがヘビーアックスを振り上げつつ、公爵に向かって走り出すが間に合わない。
公爵の手にある書物が眩いばかりに輝きだすと、ベアはそれだけで弾き飛ばされてしまった。
輝き続ける召喚の書が目の前の地面に光の魔法陣を描き出す。
その魔方陣が、更なる輝きを増した。
「我が召喚に応じよ!」
公爵が叫ぶと同時に、周囲の空気が大きくグニャリと歪んだ。
次の瞬間、オレ達の目の前には、蒼い身体の巨大な悪魔がその姿を現したんだ。