ジェイク3

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12

 全身がガタガタと震えだした。
 背中に冷たいものが伝い落ち、悪魔に内臓をわしづかみにされたように胸がムカムカする。
 口の中がからからに乾いて言葉も出ない。
 この女は今何つった?
 要するに「皆既日食の瞬間に生まれた女の子、それはオレだ。オレ一人を生贄にして儀式を執り行う」つもりらしい。
 冗談じゃない、そんなのゴメンこうむる話だ。
「ふざ・・・」
 思わずフレアに怒鳴り散らそうとしたオレの背後から伸びて来た二本の腕。
 エイティが後ろからオレを優しく抱き締めてくれていたんだ。
「大丈夫、私が君を護ってあげるから」
「エイティ・・・」
 不思議と心が落ち着いてくる。
 それは人のぬくもり。
 母親のいないオレがほとんど体験した事の無い柔らかな感触だった。
「フレア、ようやく合点がいったわ。あなたの様子がおかしくなったのは、あの星の部屋からよね。
 それまであなたは儀式なんて実行するつもりは無かった。生贄が揃う当てが無かったからね。でもそこにジェイクが現れた。皆既日食の瞬間に生まれたジェイクは、生贄としてこれ以上ない存在だった。
 フレアはその時から迷っていたのよね。儀式を行うべきか否か。書庫へ寄ったのも、儀式の手順か何かを確認したかったんじゃないの? そしてあなた達・・・」
 エイティは後ろにいる黒衣の戦士と魔法使いを指して続けた。
「共に活動してきた仲間達の姿を見て、儀式の決行を決意した。そんなところじゃないの? でも私をここへ連れて来たのは何故かしら? 用があったのはジェイクだけでしょ。人質にでもして、もしもの時の保険にでもするつもりだった?」
「くだらないおしゃべりはもういいわ」
 エイティの言った事はあらかた図星だったのか、フレアの顔が苦く歪んだ。
「もう一つ教えて。ジェイクは自分の誕生日も知らないの。皆既日食があったのはいつだったの?」
「それは・・・これから死ぬ者に教えたところで意味は無いわ」
 フレアの指がパチンと鳴ったのを合図に、黒衣の戦士と魔法使いが動き始めた。

 黒衣の女戦士、名前は確かセレッサだ。
 セレッサは真っ直ぐにオレ目掛けて突っ込んできた。
「危ない!」
 エイティがとっさにオレとセレッサの間に割り込む。
 とは言ってもエイティは愛用のスピアを取り上げられて丸腰だ。
 スピアで敵の剣を受ける事は出来ない。
「エイティ!」
 思わず叫んでしまった。
 セレッサの剣が伸びる。
 しかしエイティは冷静だった。
 短い呪文の詠唱から小さなかまいたちを発生させる。
 実際にエイティが使ったのは初めて見たけど、僧侶呪文の中にも攻撃用のものはある。
 エイティが唱えたのは、バリコの呪文だった。
 かまいたちには戦士一人を倒す程の威力は無かったけど、それでセレッサは意表を突かれた形になった。
 エイティは突き出された剣をサッと横に動いてかわすと、剣を持つセレッサの右腕に組み付き、そのまま手刀で剣を叩き落してしまった。
 素早くその剣を拾い上げ、セレッサの首元にピタリと当てた。
 こうなったらオレもいつまでも呆けていられない。
 一瞬でマハリトを唱え、呪文の詠唱に入っていた黒衣の魔法使い・ユーリーを威嚇する。
 これでユーリーの詠唱が止まった。
「しばらく黙ってろ」
 そのままバコルツを唱えてユーリーの呪文を封じてしまう。
「おとなしくしていてくれたら殺したりなんかしないから」
 エイティが剣を突き付け、セレッサとユーリーを部屋の隅へと追いやった。
 二人は抵抗を諦めたのか、コクコクと頷きながらその場に座り込んでしまった。
「よし、あとはフレアだ」
「ええ」
 オレとエイティは祭壇の前に立つフレアに対峙した。

「我々の、いいえ、私の崇高なる儀式の邪魔だては許さない」
「崇高なる儀式ですって? フレア、あなたがやろうとしている事は、ただの愚かな蛮行でしかないわ」
 エイティの叫びがこの狭い部屋に響いた。
「愚かなのはどちらか、身をもって知りなさい」
 フレアの全身が妖しく輝き、手のひらに収束された魔力が一気に解放された。
「うわー!」
 さっきエイティが放った何倍もの破壊力を持つかまいたちが、オレとエイティを切り刻む。
 バリコの上位呪文、マバリコだ。
「どこまでしのげるか」
 オレはすかさずコルツで呪文障壁を張って対応した。
 それで一旦は難を逃れる。
 しかしフレアの魔力はかなりのものらしく、かまいたちがバリバリと呪文障壁を切り崩していった。
「長くは持たないか」
 いつまでも守りきれるものでもない。攻撃は最大の防御だ。
「ラザリク!」
 天からの光の一撃とも云われる呪文ラザリク、効果範囲が極めて狭いのでめったに使う事はない。
 しかし相手がフレア一人だけならこれで十分だ。むしろそのダメージは、同レベルに属するラダルトをも上回る。
 ガガーンという轟音と共に、天からのいかずちがフレアへと降り注いだ。
 しかし・・・
 いかずちはフレアに命中する寸前で、何かに弾かれたように霧散してしまった。
「まさか・・・?」
 オレは続けてラハリトを放った。
 猛烈な勢いで燃え盛る炎がフレアに迫る。
 しかし、その炎もフレアに届きはしなかった。
 呪文無効化か? いや違う、もっと別の何か・・・
「呪文がダメなら!」
 オレの呪文が通用しないと見たエイティが、セレッサから奪った剣でフレアに斬りかかった。
 しかし、それもガツーンという鈍い音が響いただけで、フレアには届かず弾き返されてしまっていた。
「どうして?」
 エイティの額から一筋の汗が流れ落ちる。
「ふふ、あらゆる物理攻撃、そしてあらゆる魔法攻撃を弾き返す魔法の楯。あなた達は私に指一本触れる事が出来ないのよ。
 これで分かったでしょ、私にはむかうのが愚かな行為だと」
 勝利を確信したのか、フレアの顔には笑みが浮かんでいる。それは、オレの嫌いなあの月のように冷たい微笑みだった。
「さあ、これで終わりよ。いきなり殺したりはしないわ。だってジェイク、あなたからは生きたままこのナイフに血を吸わせなければならないから」
 フレアが祭壇から白く輝くナイフを取り出した。
「フレア、あなたは僧侶でしょ? 刃物の使用は戒律で・・・」
「最初に言ったはずよエイティ。私はあなた達冒険者とは違うの。聖職者は刃物を使えないなんてくだらない戒律に縛られたりはしないわ」
 フレアが再度マバリコのかまいたちを放った。
 もうコルツによる呪文障壁ではしのげない。
「うっ」
 オレもエイティもかまいたちに切り刻まれ、その場に崩れ落ちてしまう。
 その時、オレの意識が過去へと跳んだ。

『やったぞージェイク、ついにやった』
『ベイン、また何かやったのかよ? ったくしょうがねえ酔っ払いだな』
『違う。見つけたんだよ。失われた古代魔法ってやつをな』
『失われた古代魔法だ? 眉唾もんの話だな』
『これは本物だ。コイツはすごいぞ。なんたって相手がどんな防御呪文を張ったところで、それを完全に砕いてしまうんだからな。
 云わば、魔法の楯を砕く魔法の矢ってやつだ』
『へぇー、そいつはすごいな。ただし、それが本当なら、だ』
『疑うのか?』
『酔っ払いのたわごとは聞き飽きたよ』
『知りたくないのか? その呪文はだな・・・』
 まだベインが生きていた頃だった。
 いつものように酔っ払って帰って来たベインは、上機嫌でオレに話してくれたんだ。
 オレはいつものたわごとと聞き流していた。
 それでもベインは熱心にしゃべり続けた。
 ほとんどが自慢話だったけど、「失われた古代魔法」とやらにはオレも興味をそそられたりした。
 その呪文の名前は・・・

「ジェイク、逃げてー!」
 エイティの叫び声で意識が今に戻された。
 フレアがナイフを握り締めたまま、オレへと歩み寄って来たんだ。
「失われた古代魔法・・・」
 オレはゆっくりと立ち上がった。
「その呪文は・・・」
 意識の奥底から浮かび上がってきた呪文を、何の疑いも無く詠唱する。
 その詠唱に呼応するかのように、オレの両の手の中に急速に魔力が収束していく。
「今さら呪文なんて」
 フレアが更に一歩を踏み出す。
「魔法の楯を砕く魔法の矢」
 手の中に集まった魔力を弓矢に見立てる。左手の弓をフレアに向け右手で矢を引き絞る。
「その呪文は、アブリエル!」
 引き絞った弓矢を放つ要領で、右の手から魔力を解放する。
 放たれた魔力は一条の矢となって、フレア目掛けて飛んでいった。
 魔法の矢が魔法の楯に直撃する。
 閃光が走った。
「ま、まさか・・・」
 フレアの周囲にひびのようなものが走ると、ガラスが粉々に砕けるようにガラガラと魔法の楯が崩れ落ちる。
 魔法の矢はそれで消える事無く、フレアの身体そのものも射抜いてしまった。
 純白のドレスが血で赤く染まる。
「失われた古代魔法アブリエル、まさかそんなものが使えたなんて・・・」
 フレアの手からナイフが滑り落ちた。
 魔法の矢で射抜かれた傷口は右肩。出血はかなりの量だったが、フレアは左手で傷口を押さえながら、崩れる事無くその場に立っていた。
「フレア、今手当てするから」
「来ないで・・・」
 治療のためにエイティが駆け寄ろうとするのを、フレアは制した。
「まだよ。まだ終わっていない。こうなったら、私の血で神を呼び覚ましてみせる」
「フレア、お前まだそんな事」
「ジェイク、あなた程じゃないかも知れないけど、代々巫女の家系として受け継がれてきた私の血だってそれなりに生贄としての効果はあるはずよ」
 フレアの血が床に描かれた魔法陣に滴り落ちている。
 まさか、と思った瞬間だった。
 魔方陣がまばゆく輝き、この部屋にいるオレ達全員を包み込んだんだ。

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