ジェイク3
11
頭の中が真っ白になっていた。
どこをどう歩いたのか、どれくらいの時間が経っているのかまるで記憶が無い。
幸い、モンスターに襲われた、なんて事だけは無かったと思う。
『あなたは女』
フレアの言葉が浮かんでは消え、そしてまた浮かんできてはオレの心を締め付けてくる。
秘密が秘密じゃなくなったあの瞬間、驚きのあまりにオレの顔をただまじまじと見入っていたベアの瞳が思い出される。
「オッサン、怒ってるだろうな・・・」
誰に言うともなくつぶやいていたらしい。
「大丈夫よ」
隣にエイティがいた事さえ気付いていなかったのか。
エイティは、ずっとオレの手を握ってくれていたらしい。その感触がおぼろに右の手に残っている。
今はそれが少しずつハッキリしてきた。
そしてオレ自身の意識もだんだん覚醒してきていた。
オレの前にはフレアが歩いていた。
後ろからも足音がする。
確か一緒にここへ来たのは、黒衣の戦士の女と魔法使いの女の二人。
それにオレとエイティ。
つまりこの場にいるのは五人だけという事になる。
通路は狭く薄暗い。川からの湿気のせいかじめじめしていて、あまり気持ちの良い場所じゃないな。
所々に扉や分かれ道もあったけど、前を歩くフレアはそちらには目もくれないようだ。
「聞きたい事があるわ」
オレの手を握るエイティの手に力がこもったのが伝わってくる。
前を歩くフレアは、特に振り返るでも返事をするでもない、ただ黙って歩き続けていた。
エイティ、構わず話を切り出す。
「ジェイクが女の子だっていつ気付いたの?」
しばしの沈黙の後、フレアがあの冷たい声で答え始めた。
「最初に会った時よ」
「最初に会った時ですって?」
「ええ」
フフフと笑うフレア。
「自分の事を『オレ』なんて言ってるから一瞬『あれっ?』って思ったけど。うまく化けたつもりだったのかも知れないけど、エルフの目、いえ女の目はごまかせないわ。実際兄さんは気付いてなかったしね。同じ女だもの。分かるわ」
女の目はごまかせない、か。
そうかも知れない。
エイティや宿屋の女将のガーネットだけじゃない、過去にもオレの正体を見抜いたのはほとんど女だった。
女の勘、てヤツか。侮れないもんだな。
「エイティ、あなたは知っていたんでしょ?」
「そうだけど・・・」
「占いをした時気付いたの。私は『手の掛かる弟か妹がいるんじゃないの』と聞いたわ。その時あなたはジェイクをチラッと見ただけ。彼、いいえ彼女ね。その彼女を弟とも妹とも名言しなかった」
「それは、私とジェイクは別に姉弟でもなんでもないから」
「違うわ。あなたはとっさにジェイクの性別に触れるのを避けたのよ。それで大体の事は分かったわ。
ジェイクは仲間にまで性別を偽っている。でもエイティだけはそれを知っている」
「その通りね」
「その後、ジェイクが自分から兄さん達と一緒の部屋で寝るって言い出したでしょ。あれには驚いたわ。だって年頃の女の子よ。普通そんな事出来ないわ。これはよっぽどだなって思った。
私、何度かジェイクを『魔法使い君』て男の子を呼ぶみたいに呼んだの。覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ」
「その時のジェイクの受け答えもごく自然な感じだった。あなたが男として振舞っているのは別に昨日今日の話じゃないって想像がついたわ」
「ガキの頃から、いやものごころ付いた時にはもうこんなだったからな」
「でしょうね」
フレアは一人楽しそうに笑っている。
「もう一ついいかしら?」
「どうぞ」
「どうしてここには女しか入れないの?」
そう言えばそうだ。
オレはここに「女だから」という理由で連れて来られたはずだ。
何故女だけなのか、どうして男だとダメなのか。
「それはね、ここが月の聖地だから」
「それは聞いたわ。でもそれが何なの?」
「月は満ちては欠けるもの。でも、欠けた月もやがてまた満ちていく。
消失と再生のプログラム。月が象徴するもの、それは人の生死、そして復活。東洋では輪廻転生という思想があるの。
女は自らの体内に子を宿し、そして生み落とす。人が生まれ変わる為には、必ず母のお腹を経由しなければならない。
ここは月の聖地。子を成す事の出来る女にだけ許された聖域なの」
「それだけの事?」
「エイティ、あなたにとっては『それだけ』でしょうね。でもね、太古の人々はそう考えたの。例え死んでもまた新しい命となって生まれ変わる。満ちては欠け、欠けてもまた満ちる月のようにね。
太古の人々の思想を受け継ぎそれを次の世代に伝える。私達エルフはこうやって命を繋いできたのよ」
「納得出来ないわね。女は子供を生む為の道具じゃないわ」
「あなたに納得してもらう必要も無いわ」
エイティとフレアの話は平行線状態で終わってしまった。
二人の話をじっと聞いていたオレは、何となくだけど二人の意見とも分かるような気がしていた。
フレアは「人が生まれ変わる為には、必ず母のお腹を経由する」と言った。
確かにそうだ。
どんなに偉い人、反対に貧しい人だって、生まれたのは母親のお腹からだ。
オレ自身は親の顔も知らない。
だからそんな事は今まで考えもしなかったけど、生きているか死んでいるかはともかく、オレを生んでくれた母親という人がどこかにいたはずなんだ。
一方「女は子供を生む為の道具じゃない」というエイティの主張も分かる。
女という性を持っている以上、オレだって子供を生む事は出来るはずだ。
でも・・・
実際のところそんなの想像すら出来ないし考えたくもない。
女だから子供を生め? 冗談じゃない。
オレはゴメンだね。
「まあいいわ。最後にもう一つだけ教えて。私達をここに連れて来た目的は何?」
再度エイティが質問を繰り出す。
「それは・・・」
すると、それまでオレ達にずっと背中を見せていたフレアが、立ち止まってこちらを振り返った。
「この部屋にその質問の答えの全てがあるわ」
フレアの背後には扉が一つ。
そこには、地上の祭壇の扉にあったのと同じような山羊の頭をモチーフにした装飾が施されていた。
「ようこそ、儀式の間へ」
フレアが扉を開け中に入る。
「入れ」
後ろにいた黒衣の戦士に押されるように、オレとエイティもフレアに続いた。
「あっ!」
その部屋はそれほど広くはなかった。
床には小さいながらも魔法陣が描かれ、部屋の奥には、地上の祭壇とは比べ物にならないくらい小さな祭壇が安置されていた。
蓮の台座の上にはやはり女を象ったモノリスがあった。
しかし・・・
オレとエイティを驚かせたのはそんな事ではなかったんだ。
部屋の片隅には、十代後半と思われる娘が三人、後ろ手に縛られた状態で転がっていたんだ。
「この娘達・・・まさか、森の外れの村で行方不明になったって言ってた娘さん達?」
エイティの顔が青ざめる。
「心配しないで。殺してはいないから。ちょっと薬で眠ってもらっているだけ」
「フレア、あなた達が誘拐犯だったのね。どうして? 何の為にこんな事を?」
フレアに詰め寄ろうとするエイティの腕を黒衣の女戦士が抑える。
エイティは「離して」と身をよじったけど、やがて諦めたようだ。
「私の、いいえ、私達の目的は、すっかり衰退してしまったエルフ族の再興よ。その為にこの場所に眠る古き神を呼び覚ます事にしたの」
「古き神・・・?」
「呼び覚ます、ですって?」
オレとエイティは、フレアの言葉の内容に動揺していた。
何なんだよ、古き神って。それを呼び覚ますって・・・
「その神様とやらを呼び出せばエルフの数が増えるのか?」
「さあ、それはどうかしらね。でも太古の昔からこの地とエルフ族を護ってきたと云われている神様だから、何かしらのご利益はあるんじゃないかしら」
「見切り発車って事?」
「そうとも言えるかもね」
オレとエイティの追求を受けて、フレアはふっと漏らした。
「この部屋は、儀式の間。ここで神を呼び覚ます為の儀式を執り行うわ。私が巫女となって、ね。
儀式には生贄が必要なの。汚れを知らない純潔な乙女の血よ」
「何ですって・・・」
「ただね、ただ・・・」
フレアはそこで言葉を切ると眠らされている娘達へと視線を廻らせた。視線はそのまま虚空を彷徨い、そして再び緑の瞳がオレとエイティを見据える。
「儀式には九人もの乙女の血が必要なの。今ここにいるのが三人。エイティとジェイク、あなた達を生贄にしたとしても五人」
「生贄が揃うまで私達をここに閉じ込めるつもり?」
「それは無理なの。だって私達には時間が無いから。知ってる? 今晩は満月なのよ。
儀式を執り行うのは満月の夜じゃなければダメなの。そして、巫女の資格を有する者は一族の中でも二十歳未満の女じゃなければダメなの。
私は明日で二十歳の誕生日を迎えてしまう。他に適任者はいない。今日が儀式を行う最後のチャンスだったって訳」
「でもそれまでに生贄は揃わなかったんでしょ? 儀式は失敗ね」
「ええ、始めから無理なのは分かってた。さっき行った書庫で、私がこの儀式の事を知ったのが一月前。
私は兄さんを説き伏せたわ。『儀式をやろう』、『神を呼び覚ましてエルフの再興の力になってもらおう』って。兄さんは初めは反対していたけど、ついに折れてくれたの。
でも所詮は無理な話だった。衰退して数が少なくなった私達には、九人もの生贄を連れ去ってくるなんて出来なかった。それでも最後までやるだけの事はやろう、みんなでそう言って頑張ってきた」
「今からあと四人の生贄を連れて来るのはもう無理だ。儀式は出来ないんだったらオレとエイティ、それにあの娘達も解放してくれるんだろ?」
「ええ、初めはそのつもりだった。ここであなた達に謝って、その娘達を連れて帰ってもらおうと思っていたわ」
「おい、初めはそのつもりだったってどういう意味だよ? 儀式は出来ないはずだろ?」
興奮のあまりついつい声が大きくなる。オレの声はこの小さな儀式の間に木魂し、そして静まっていく。
フレアは一呼吸おいてから話を再開した。
「それがね、今日になって生贄が確保出来たのよ」
「どういう意味だ?」
「覚えてるでしょ。昇降機で下りてきた部屋にあった壁画。あそこには何て書いてあったかしら?」
「確か・・・『太陽と月を一つにする者は眠れる神を呼び覚ます』とか何とか。それがどうした?」
「太陽と月を一つにする、それはそう皆既日食の事よ。あの言葉の意味はね「皆既日食の瞬間に生まれた者が神を呼び覚ます』って事なの」
「それって、まさか・・・」
「今回の儀式に限らず、皆既日食の瞬間に生まれた子供、それも女の子は、幾多の魔術的儀式の生贄にされる事が多いらしいわね。普通の娘を生贄にした時の何倍もの効果を発揮するとか。
そしてジェイク、あなたこそが皆既日食の瞬間に生まれた女の子なの。あなた一人を生贄にすれば眠れる神は甦る。生贄は一人でいい。その生贄はこの場にいる。儀式は成立するわ」