ジェイク3
10
奇妙な機械の顔の部分が真っ二つに縦半分に割れてそれぞれ横にスライドして開くと、ピストンやシリンダーが一斉に動き出した。
シュッシュッと蒸気を吹き出して、もしも車輪を付けたら今にも走り出すんじゃないかってくらいの勢いだ。
「貴様ら、一体何をした?」
「慌てるな、今に分かる」
詰問口調で詰め寄るベアを軽くいなすソロモン。とその時。
ゴゴゴゴゴ・・・・
「な、何の音?」
エイティがキョロキョロと周囲を見渡す。
地の底から響いてくる地鳴り、一瞬地震かと思ったが違うようだ。
「外だ」
次の瞬間には、オレ達は部屋の外へ飛び出していた。
「あっ!」
思わず言葉を呑む。
「川が・・・」
「水が・・・
「無くなってる」
これは一体どうなってしまったんだ?
さっきまであれだけの流れを見せていたこの川の水が、あっという間に消えて無くなってしまったのだ。
上流を堰き止めて下流から一気に放水すれば・・・
いや、それでもあれだけの短時間に全ての水を排水するなんて出来そうもない。
この神殿を訪れてから驚かされる事ばかりだったけど、今回のはさすがに度肝を抜かれた思いだった。
「皆さん」
フレアの声に皆一様に振り返る。
すっかり干上がってしまった川を眺めながら呆けているオレ達の後ろに、いつからいたのかエルフの兄妹が立っていた。
「さあ、道は出来ました。案内したいところがあります。付いて来なさい」
それは確かにフレアの声だった。
が、オレ達がさっきまで耳にしていたそれとはまるで違う。
太陽のような温かさなどまるで感じられない、月のような冷たい声でフレアはオレ達に命じた。
そう、命じたんだ。
「何を勝手に」
「ベア、落ち着いて」
憤るベアをエイティが止めた。
冒険者が迷宮内で最も犯してはならないタブーが仲間割れだ。
どんなに高レベルのパーティでも、一旦仲間割れを起こしてしまえばパーティとしての機能は崩壊してしまい、終には全滅に繋がる。
もしもここでオレ達とエルフが戦えば、人数の多いオレ達が勝てるかも知れない。
しかしだ。
ここへ下りて来た魔方陣の昇降機は、オレ達には操作出来ないだろう。
マロールで脱出も可能かも知れないが、もしここに転移呪文を封じる結界が張られていたらどうする?
オレ達は脱出の術無くこの神殿の地下に閉じ込められる事になるのだ。
地の利という言葉がある。
ここはエルフ達のホームグランド、言わば敵地だ。
右も左も分からない場所で、道案内を失う訳にはいかないんだ。
ベアもそれを十分承知しているから、この場はおとなしく引き下がった。
オレ達が追従の意思を見せたのを確認すると、フレアが先頭に立って歩き始めた。
ここに来るまではソロモンが前を歩いていたのにな。
フレアの後をオレ達が続き、ソロモンが最後尾から付いてくる。
これはもうパーティなんかじゃない、まるで囚人の護送だ。
別に武器を取り上げられた訳でもないし、後ろから剣を突き付けられている訳でもない。
しかし抗う事など出来ず、オレ達はただ、フレアに従うだけだった。
来た道を戻り、堤防から階段を使って川底へ下りる。
そこにはもう、水の壁は跡形も無く消えていた。
水そのものがなくなったんだから当たり前だよな。
フレアはオレ達を振り返る事なく、何の説明も無いまま下流だった方へ向かった。
オレ達も無言のままそれに続いた。
川に生息していたアリゲーターは何処へ行ったのか? 他にモンスターは潜んでいないのか?
こんな状況でも最低限の警戒は怠らない。それが冒険者ってもんさ。
やがて川の突き当りが見えた。
そこには鉄格子がはまっていて、ゴミや川藻が引っ掛かっている。
とにかくひどい臭いだ。
ここから水を抜いたにしては、その排水溝は小さ過ぎるような気もした。
結局、どうやってあれだけの水を一瞬にして抜いたのかは謎のままだった。
突き当りを左に折れると扉があった。
フレアが迷う事なく扉を開けて中へ入ると、全員がそれに続く。
この扉は水密扉にでもなっていたのか、こちら側が水で浸っていたような形跡は認められない。
所々に松明が燈り、視界だけは確保されていた。
そして・・・
フレアが立ち止まったのは、神殿の入り口にもあったような合わせ扉の前だった。
その扉に描かれている紋章は・・・月。
「ここは月の聖地。この神殿の御神体が祭られている、言わば、神の眠る場所です」
扉の紋章を見上げるフレアは、もうオレの知っているフレアじゃなかった。
その瞳には、まるで何の感情も宿っていないかのように暗く、そして冷たく輝いて見えた。
それにしても・・・
神の眠る場所、か。
この女、一体何を始めるつもりなのか。
オレ達はフレアの次の言葉をじっと待った。
「せっかく来ていただいたのですから、皆さんを神殿の神の元へ案内しましょう。ですが・・・」
フレアはそこで言葉を切ると、振り返ってオレ達を見据えた。
その緑の瞳が映し出すのは、エイティと・・・オレか?
ザワリ。
な、何だ? この背筋を冷たいものが走ったような嫌な感触は。
緑の瞳に射抜かれたオレは、まるでヘビに睨まれたカエルだ。
不味い、マズイ、まずい・・・
何だか分からねえけど、このままここにいたらとにかくマズイ。
オレの中の何かが、必死にサイレンを鳴らし続けていた。
「大丈夫よ、ジェイク」
オレの動揺を感じ取ってくれたのか、エイティがオレの肩にそっと手を添えてくれた。
「ボウズ、ワシらがついている。安心しろ。ワシらは仲間だ。そうだろ?」
エイティの反対側からベアがゴツイ手でオレの肩をポンポンと叩く。
「ああ、ありがとうな」
不思議だな、こうして二人と一緒にいると、さっきの嫌な感触がすぅっと消えていくような気がする。
「仲間? 仲間ねえ・・・」
フレアの表情が不敵にゆがんだ。
「その仲間にずっと騙されていたのも気付かないなんて。これだからドワーフは単純でおひとよしだと言うのです」
「どういう意味だ?」
「まあいいわ」
フレアはベアに答える事無く話を進めた。
「せっかくここまで来てもらったけど、残念ながらこの扉の奥へは限られた人しか入る事が許されていないわ。それは・・・」
フレアはそこで言葉を切ると、順にオレ達に視線を廻らせた。
「私、エイティ、そしてジェイク、あなたよ」
「!」
再度フレアの冷たい視線を浴びて、オレの心臓がドクンと跳ね上がった。
何だ、その人選は? その組み合わせが意味するところは、まさか・・・
「何故ワシは入れぬ? ドワーフだからか?」
「いいやドワーフよ。ここから先はオレですら入った事がないのだ」
それまで静観を決め込んでいたソロモンが静かに答えた。
「なんと。それでは一体・・・?」
この場にいる人間の顔を順に目で追うベア。
「分からぬ、何故だ?」
ベアはまだ、フレアがどういう基準でこの奥に進める者を選んだのか分かっていないようだ。
しかし、オレはもちろんだがエイティもフレアが選んだ基準についてとっくに気付いているはずだ。
答えは簡単・・・そう、あれだ。
「ちょっと待って。私達を分断してどうするつもり? それに私はこれ以上あなたに付いて行くつもりはないわ」
エイティがフレアに食って掛かった。
「拒否権は無い、と言ったら?」
「この場で一戦交えてでも」
エイティがスピアを構えた。
「ふっ、おとなしくした方が身のためよ」
フレアがパチンと指を鳴らした。
それに答えるようにオレ達の背後から音も無く現れたのは・・・
さっき倒したはずの黒衣のパーティだった。
なるほどな。
さっきの戦いで、ソロモンがこいつらを川へ投げ捨てたのはこういう訳か。
いくら流れに飲まれても、オレ達が川を渡ったあの部分は流れが途切れていたはずだ。
そこから反対側の堤防にでも上がってどこかへ身を隠し、ひっそりと後を付けてきたって寸法か。
「フレア様」
黒衣の戦士の一人がヘルメットを取ってうやうやしく頭を垂れた。
「ご苦労様、ファロン」
続いて残りのメンバーも皆ヘルメットを取ったり、フードを脱いだりして顔を見せた。
彼らの耳は全て、エルフの身体的特徴を表していた。
「どう、私と兄さん、そして彼ら五人。一度に相手出来るかしら?」
フレアの顔に冷酷な笑みが浮かぶ。
「貴様ら、グルだったのか。だからエルフは信用出来ないんだ」
喉元に剣を当てられたベア、そのまま武器を取り上げられた。
「さあ、あなたも」
黒衣の女戦士がエイティの喉元に剣を当てると、エイティもベアと同じようにスピアを手放した。
「エルフはソロモンとフレア、あなた達二人しか残っていないんじゃなかったの?」
「さすがにそれは嘘。でもね、私達エルフの数がめっきり減ってしまったのは本当の話よ。彼らはこの地に残ってくれた最後の仲間。同士なのよ。
兄さん、あれを」
エイティとの話をそこで打ち切り、ソロモンからあの太陽の石板を受け取ると、フレアは月の紋章の描かれた扉の四角い穴にそれを当てはめた。
ゴゴゴ・・・
重い音が地下の空洞にこだまして、目の前の扉が開いた。
「さあ」
フレアが先に入り、オレとエイティにも続くように目で合図する。
その緑の瞳は冷たく暗い、逃れる事の出来ない眼差しだった。
「エイティ、行こう」
「えっ、うん・・・」
オレから切り出して、フレアの後に続く。
ボビーもエイティの後に続こうとしたのをフレアに止められた。
「ウサギ君はダメよ」
フレアの言葉を受けて、黒衣の戦士の一人、確かファロンとか呼ばれた奴がボビーの両耳を掴んで持ち上げた。
「ボビーに乱暴しないで!」
強引にボビーを奪い返すエイティ。
「ボビー、ベアと一緒におとなしくしててね。お願い」
ベアにボビーを手渡す。
ボビーはクンクンと鳴きながら心配そうにエイティを見ていた。
「セレッサ、ユーリー、あなた達も来なさい」
女戦士と魔法使いもこちらの領域へと招かれた。
「兄さん、ファロン、ゴラウカー、アルマニアーはそのドワーフを連れて地上の祭壇へ戻って」
「分かった」
先へ進む事を許された者、その場に残される者。
ベアが一同に視線を廻らせた。
「これではまるで男と女に分けられたみたいだな。だがボウズは何故だ? どうしてそっちに・・・
まさか?」
「ようやく気付いたのかしら。これだからドワーフは」
「違うんだ、オッサン!」
「何が違うというの、ジェイク? 何も違わない。そうでしょ」
「やめろ!」
「あなたはこちらに入るべき人間なの。何故なら」
「黙れ!」
「何故ならジェイク、あなたは女だからよ」
「・・・」
オレの中で時間が止まった。
「まさか・・・」
ベアの視線がオレに突き刺さる。
ゴゴゴ・・・
重い音を残して、再び扉が閉ざされた。