ジェイク3
1
森はどこまでも続いていた。
前を見ても後ろを振り返っても、ひたすら続く樹々の群生。
季節は秋。
紅や黄色に色づいた葉が一枚、また一枚と落ちて来て、地面に降り積もった枯葉を踏む度にカサカサと乾いた足音が静かな森に響いていく。
ブナ、カシ、クヌギ、ナラ・・・
葉っぱから樹の種類が分かるのはせいぜいそのくらいだけど、ここまで来るともうそんな事もどうでもよくなってくる。
どうでもよくなるくらいに周りは樹がびっしりと生い繁っているのだ。
はっきり言って、この景気はもう見飽きていた。
「なあ、道に迷ったんじゃねえか?」
オレは辛抱しきれなくなって、さっきから思っていた疑問をとうとう口に出してしまった。
「うむ、ワシもそろそろヤバイと思い始めていたところだ」
ドワーフの戦士・ベアが、オレに同意して頷く。
「そんな事無いわよ。きっとこの先に目指す神殿があるはずだわ」
不安気なオレやベアとは対照的に、バルキリーのエイティは黙々と道を進んでいく。
道と言ってもそれはほとんど獣道といっていいくらいのもので、わずかに人の出入りがあるのか草が踏み倒されているのが見てとれる。
樹々から長く伸びた枝と葉に阻まれほとんど日の光も差してこない森の中は、まだ昼間のはずなのに夕暮れ前のようにうっすらと暗い。
もう一昼夜この森の中で彷徨っているんだ、いい加減うんざりしてくるのも無理はねえだろ。
「今ならまだマロールで引き返せるからさ、今回は諦めて引き返そうぜ」
魔法使いのオレは瞬間移動の呪文・マロールを習得している。
この呪文を使えば自分がイメージしたポイントまで瞬時に移動して引き返す事も出来るのだが、その移動距離にも限度がある。
あまりにも森の奥深く入り込み過ぎてしまえば、たとえマロールを使っても出た先はまだ森の中って事もあり得る話だ。
連続マロールって手も無いではないけど、呪文の濫用は出来るだけ控えたい。
オレの勘が正しければ、そろそろその限界に達すると思われる。
引き返すなら今しか無い。
「だーいじょうぶよジェイク! まったく男のくせに気が小さいんだから」
先を歩いているエイティは、振り返ってオレの顔を見るなり肩をすくめてしまった。
ところで、エイティは今オレに対して「男のくせに」と言ったけど、生物学上オレの身体は「女」に分類される。
訳あって男と偽って生きているけど、エイティはそんなオレの正体を知っている数少ない人間の一人なんだ。
他の人にはオレが女だって事は秘密にするようにと頼んである。
だからエイティもみんなでいる時はオレを男として扱ってくれている。
時には素でオレの正体を忘れているんじゃないかと思う事も無いでもないけど、ひょっとしたら今のもそうだったのかも知れない。
いつかはオレを女にしようと本気でたくらんでいるらしく、何かある度に余計なお節介を焼いてくるのは勘弁して欲しい。
この夏にはとある理由で女装までさせられたんだからな。
アレには本当に参ったよ。二度とあんな恥ずかしい格好はしたくない。
「ボクがちゃんと道を覚えているから大丈夫ですよ」
エイティの足元にいるのはボーパルバニーのボビーだ。
ウサギのくせに人語を解するおかしなヤツだが、もうオレ達の誰もそれを不思議がる者はいない。
ボビーは自慢の鼻をクンクンと鳴らして匂いを嗅ぎまわっている。
匂いを嗅ぎ分け来た道を覚えたり、長い耳を澄まして周囲の様子を感知したり、こんな森の中を進むにはうってつけの道案内だよな。
ところでだ。
どうしてオレ達がこんな森の中を彷徨っているのかというと、事の始まりはエイティが仕入れてきた情報だった。
何でもこの森の奥に、古の神を祭った神殿があるというのだ。
何か珍しい発見でもあるかも知れない、ひょっとしたらお宝でも見つかるかもと妙にテンションの高いエイティに連れ出されたって訳だ。
ダリアの城塞都市から馬車で揺られる事二日、更には一日がかりで山を一つ越えてようやく森の外れの村まで辿り着いたんだ。
村の宿に一泊したオレ達は、宿の女将から妙な噂を耳にしたんだ。
最近、この村の若い娘が立て続けに行方不明になっているというのだ。
目撃情報などから、木の実を採りに森へ入ったところまでは分かっているけど、その先がまるっきり分からない。
道に迷ったのかモンスターに襲われたのか、あるいは森に潜む盗賊にでもさらわれたのか・・・
娘達の行方は依然として不明のままだという。
この話に大いに憤ったのはやっぱりエイティだった。
「私と同じ年頃の娘さん達が次々と行方不明になったとあってはさすがに放っておけないわ。どうせ初めから森の奥の神殿を目指すつもりだったんだし、何か手掛かりでも見付からないか調べてみましょう」
エイティは女将に向かって力強く宣言した、してしまった。
こうなったらもう誰もエイティを止められない。
オレ達は翌朝早く宿を発つと、森の中へと入ったんだ。
しかし・・・
この森はオレの予想なんかより遥かに広くて深かった。
途中いくつかの小川を渡ったり丘を越えたりはしたものの、全体的に道はなだらかだったのは幸運と言えるだろう。
しかし、行けども行けどもあるのは樹、また樹。
森が途切れる事はついに無かった。
結局その日は何も発見出来ずに野宿だ。
もう少し季節が遅かったら、寒さでとても野宿なんて出来なかっただろう。
そして一夜明けて今日だ。
イザとなったらマロールで引き返せばいいと軽く考えていたオレも、さすがに少し焦ってきた。
ベアに至っては「もともとドワーフは森は嫌いなんだ」と始終ブツブツぼやいている始末。
絶対に村の娘達を見つけ出すという使命感に燃えているエイティと、エイティに心底なついているボビー。
この二人、イヤ一人と一匹の足取りは今になってもまだしっかりとしていた。
しばらく歩いて・・・
「ちょ、ちょっと待ったエイティ。何か様子が変じゃねえか?」
さっきから何とも言えない違和感を感じていたオレは思わずエイティを呼び止めた。
それに対してエイティは「またぁ?」とばかりに呆れ顔だ。
「いや、ワシも先程からおかしな感じがしていたところだ。ここの空気は森の外れのものとは明らかに違うぞ」
「オッサンもそう思うか」
「うむ。空気が濃いな」
「何かいるかな?」
オレとベアはお互いに顔を見合わせて頷くと、周囲に対する警戒の色を強めた。
ベアはバトルアックスを両の手で握り締め、オレはいつでも呪文を放てるように精神を集中させていく。
「マジ?」
オレ達の様子に普通じゃないものを感じて、エイティの表情も急に険しいものに変わると、愛用のスピアを構え戦闘態勢に入っていた。
突然、ボビーの耳がピクンと動く。
「皆さん、伏せて下さーい!」
ボビーが叫ぶと反射的に身を屈める。
ビュンという空気の唸りと共に、オレのすぐそばにいるベアの頭上を何かが通過していった。
カーンという乾いた音が背後で響く。
地に伏せた格好のまま振り返ってそちらを見てみると、後ろの樹の幹に矢が一本突き刺さっていた。