小説・「ジェイク2」

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 月の見えない夜空には真夏の星座群が静かに瞬いていた。
 ジャングルへ入り込んだオレ達は、日が暮れる前に小さな洞窟を発見してそこを今夜の宿とした。
 当然クレアはごねたが、今はそんなわがままを聞いてやる余裕は無い。
 枯れ枝を集めてハリトで火を付け暖を取る。
 腹が空いたけど食べるものは何も無かった。しかし水だけは近くにチョロチョロとした小川があったのでそれで喉を潤した。
 日暮れの頃には東の空にあった星座が今は西の空へと傾き始めている。
 もう少しすれば夜が明けるだろう。
 クレアはこの洞窟に腰を下ろすと間も無く深い眠りに落ちてしまった。
 無理もねえよな。
 いきなりガリアンに襲われて、マストの上からダイビング。更にはジャングルを彷徨って巨大なカマキリに遭遇したんだ。
 ずっと気張っていたものがプツンと切れたんだろう。
 オレはというと、熟睡は出来なかった。
 うつらうつらとまどろんだ程度だったけど、不思議と眠くはない。
「呪文、大丈夫かな」
 もう少し熟睡すれば少しは呪文の力も回復するのだが、この状態ではそれも当てにはならない。
 今日、いやもう昨日になるのか、その戦いを振り返ってみる。
 ラハリトとリトフェイトが属する4レベルとバスカイアーとマダルトが属する5レベルの呪文の消費が激しかったが、他はまだ大丈夫だ。
 ラダルトやティルトウェイトが属する6、7レベルの呪文が丸々残っているのが心強かった。

 ふと眠っているクレアへと視線を移した。
「あれ?」
 クレアの首から下がっていたネックレスチェーン、その先に付いているペンダントがオレの目に飛び込んできた。
 船でお嬢様ドレスを着ていた時には胸元に隠れてあったあのペンダント。それが今は服の上へと飛び出していた。
「何だ、コレ・・・」
 思わずそのペンダントに見入ってしまう。
 大きさは手の平にすっぽりと収まる程。
 金、銀を用いて精巧に細工された台座の中央部に宝玉が一つ埋め込まれてある。
 ダイヤでもない、ルビーでもない、サファイアでもない・・・
 オレにはその宝玉の正体は分からなかった。
 しかしこれだけはハッキリと言える。
 このペンダントはとんでもない魔力を秘めている、と。
 オレは思わずクレアににじり寄り、そのペンダントに手を伸ばしていた。
 魔法使いとしての探究心がそうせずにはいられなかったんだ。
「ん、んん・・・えっ? キャー」
 パチーンと頬を叩かれた。
 オレの動きに妙な気配を感じたのか、目を覚ましたクレアの一発だった。
「今何をしようとしていましたの? 私が眠っているのを良い事に何かいやらしい事をしようとしていましたわね。その手は何ですの? 今私の胸を触ろうとしていたんでしょ!」
「いや違う、オレは・・・」
 女だから変な事なんてしない、って喉元まで出掛かったのを何とか飲み込んだ。
「もう、だから男の子って信用出来ないんです。一瞬でもあなたを信じた私がバカでしたわ」
 一眠りしてすっかり回復した様子のクレアだ。
「正直に白状して下さいな。ジェイク、あなたは私が眠っている間に何かいやらしい事をしたんじゃないでしょうね?」
「違うって。オレはただそのペンダントが気になって・・・」
「えっ?」
 小さな焚き火に照らされたクレアの顔色が変わった。
 怒りから驚きに。そして恐れに・・・
「触りましたか?」
「いやだからオレはクレアの身体になんか触って・・・」
「そんな事を聞いているのではありません。ジェイクはこのペンダントに触ったかと聞いているのです!」
 クレアの様子がおかしい。何をそんなに慌ててるんだ?
「なあクレア、そのペンダントって」
「クレア様と呼びなさいと・・・あー、もう呼び方なんてどうでも良いですわ」
 クレアは諦めたとばかりに溜息をついた。
「オレは触ってねえよ。いや、本当は触ろうとしたんだ。あっ、触るったってペンダントにだぞ、変な場所じゃねえからな。でもその直前にクレアに引っ叩かれた」
「本当に?」
 クレアはまだオレに疑いの眼差しを向けていた。
 オレはただ「うん」と頷く事しか出来ない。
「まっ、そうですわね。見たところケガなどもしていないみたいですし」
 クレアは首から下げたペンダントを外すと「触らないように」と注意しながらオレへと差し出してみせてくれた。

「これは我が家に代々伝わる物なのです。不思議なんですけど、私の一族以外の者がこのペンダントに触れると、その人に災いが降りかかると云われているのです。
 私は、このペンダントを10歳の誕生日にママから譲り受けましたの。でも私は時々これをそこらに置きっ放しにしていたりしましたわ。そうしたら大変、これを片付けようとした侍女が触った瞬間、手に火傷をしたり傷を負ったりなんて事がしょっちゅうでしたの。
 私は怖くなってママにその事を言いましたの。そしたらママは『これは魔法のペンダントだから無闇に人に見せたり触らせたりしてはダメだ』と私に教えてくれました。
 ええ、手にケガをするくらいならまだ軽い方なんです。その昔、私のご先祖様の時代にはこれを盗もうとした泥棒などは屋敷を出た直後にカミナリに撃たれて即死したとか、触れた瞬間に原因不明の死を遂げたとか。
 もうそのような怖い言い伝えがこのペンダントには数え切れない程あるのです。だからジェイクが不用意にこれに触っていたら・・・」
「オレも死んでいたかも知れない?」
 クレアはコクンと頷いた。
「だから私はこのペンダントをいつも首に掛け持ち歩いていたのです。そこらへ置いておいて誰かがうっかり触ったりしないように。
 幸いなんですけど、このペンダントが私の手に渡ってからは死者を出すような事はありませんでしたわ。ですから私もこのペンダントにそのような恐ろしい呪いが掛けられているのかどうか・・・実際のところは分かりかねますの。だってそうでしょ。試しに誰かに触らせてみて人体実験、なんて出来るはずもありませんし。
 でもですわ、悪い事ばかりでも無いのです。私は子供の頃とても身体が弱くてしょっちゅう病気ばかりしていましたの。でもこのペンダントを身に付けるようになってから自分でも驚くほど身体が丈夫になりましたの」
「そもそも何なんだ、それは?」
「遠い昔、地下迷宮の奥深くに立てこもった大魔導師が持っていたものだと云われています。そんな話は眉唾だと思いますけど」
「大魔導師だって・・・?」
 それはオレ達冒険者、とりわけ魔法使いの間ではあまりにも有名な伝説だった。
 
 ワードナの魔よけ。
 大魔導師ワードナが狂王トレボーから持ち去った物だとか、いやワードナが自ら古代魔法を駆使して作り出した物だとか。
 結局真偽の程は分からないし、そもそもそんな物が実在するなんて誰も信じていなかった。
 クレアの持つこのペンダントがワードナが持っていた「魔よけ」だというのか?
 確証は何も無い。しかし、このペンダントがオレの想像以上の魔力を秘めている事だけは間違い無いだろう。
 そこでハッと思いついた。
 ひょっとしたらガリアンの狙いもこの魔よけなんじゃねえのか。
 超絶的な魔力を持つ魔よけを手にし、その力を自在に操る事が出来れば世界を支配出来るかも知れない。
 いかにも海賊連中の考えそうな事だ。
「ところで、どうしてこのペンダントがクレアの家に伝わっているんだ?」
「これはあくまで言い伝えですけど・・・
 その昔私のご先祖様はジェイクのような冒険者だったそうなのです。そのご先祖様が例の大魔導師の潜む地下迷宮を探索して、ついには大魔導師を倒してそのペンダントを手に入れたのだとか・・・
 ああ、くだらないなんて笑わないで下さいね。私だって馬鹿馬鹿しいと思いますけど。でもでもこれは、私の家に代々伝えられているお話なのです」
「笑わねえって」
 オレは真剣な顔で頷いてみせた。
 ワードナの魔よけ。
 もしもこれが本物なら、何があってもガリアンに渡す訳にはいかないんだ。

「なあクレア、落ち着いて聞いてくれ」
 オレはクレアにそのペンダントの正体が「ワードナの魔よけ」に間違いないと伝えた。
 魔法使いの間に伝わる逸話や魔よけが持つ恐るべき力、そしてガリアンが狙っているのもきっとその魔よけだろう、と。
「ただのペンダントでは無かったのですね」
 クレアは魔よけを両の手の中でしっかりと握り締めていた。
「その魔よけはクレアにしか扱えない。だからクレアがしっかりと持っていないとダメなんだ。ガリアンはまたその魔よけを狙って来るだろう。奴らから魔よけを護らないと」
「・・・」
 クレアの表情がキュッと固くなるのがハッキリと見て取れた。このお嬢様にとっては、ガリアンに襲われた記憶は余りにも鮮明で生々し過ぎるのだろう。
「大丈夫だって。オレが付いててやるから」
「わ、私は別に。それにジェイクになんて頼らなくたって自分の事は自分で何とかしてみせます」
「ったく、かわいくねえ女だなあ。今までさんざん・・・」
「何ですって!」
 クレアがオレを睨む。
「あっ、ごめんクレア。言い過ぎた・・・」
「あ、いえ・・・私もごめんなさい。大きな声を出して」
 クレアはそこで一旦言葉を切ると、すぅと呼吸を整えた。
 言おうか言うまいか。
 オレの顔をチラリと見たり自分の手元に視線を落としたりしながらしばし逡巡している様だったが、やがて決意しましたとばかりに言葉を発する。
「それで・・・あのー、付かぬ事をお聞きしますが、男の子から見まして私ってやっぱりかわいくない女ですか?」
「あっ!?」
 何だ、やぶから棒に?
 突然の質問に思わずドギマギしてしまう。
 そりゃ女の子に「かわいくねえ」なんて言ったのはまずかったけど、この質問はどういう意味なんだ?
 まともにクレアの顔を見る事が出来ない。
 それでも出逢ってから今までのクレアの色々な表情が頭の中で浮かんでは消える。
 怒った顔や拗ねた顔がほとんどだったかな。それでも時折見せる笑顔はなかなかのものだったんじゃねえのか。
 男から見てってのは何だけど、どちらかというとクレアは・・・
「かわいい方だと思うよ。別にお世辞でも何でもなくて」
 オレは思った事を素直に口にしていた。
「ふふ、ありがとう。私も自分の容姿には多少なりとも自信がありますの」
「自分で言ってりゃ世話ねえな」
「そうですね。でもね、私が聞きたいのは、私の性格についてです。ちょっと長くなりますけど、私のお話聞いてもらえますか?」
 構わねえよとオレが促すと、クレアは淡々と話し始めた。

「私のパパは大公で、それなりの資産家だというのは知ってますわよね。政界にも財界にもそれはそれは強い影響力を持っていらっしゃいますわ。家にはお手伝いの侍女が何人もいます。私はそんなお家に産まれたのです。『大公様のお嬢様』私はいつもそう呼ばれてきました。
 パパもママもとても忙しい人でした。私の相手はいつも侍女達でしたの。パパもママも、私が欲しい物は何でも買ってくれましたわ。お洋服に靴、帽子。バッグにアクセサリー。乗馬を始めたいと言ったらポンと馬を一頭買ってくれました。
 でも・・・どんなに物を買い与えられても嬉しいのはその一瞬だけ。すぐにまた寂しく物足りなくなってしまうのです。そうしたらまたすぐ他の物をおねだりして。今にして思えば、ああやってパパとママの気を引こうとしていたのですわね。
 
 もちろんお友達はたくさんいますわ。私は6歳からクスト寺院系の学院に通っております。男女共学ですが、クラスは分かれてますのよ。ご学友達からも仲良くしていただいています。でも心から親友と呼べる人はいませんの。皆様私を『大公様のお嬢様』としか見て下さいませんもの。
 社交界にも友達はいますわ。パーティなどでいつも顔を会わせてはおしゃべりをします。皆公爵様や伯爵様の子息の方達です。そこでも私はやっぱり『大公様のお嬢様』です。
 時には男の子から言い寄られたりもしましたわ。『大公様のお嬢様』の婿になれば将来は約束されたようなものですから。でもね、男の子の偽りの笑顔の下に隠された、私を値踏みするようないやらしい目付き・・・私はあれが大嫌いです」
「寂しかったんだな?」
 クレアはコクンと頷くとまた話し始めた。
「どこへ行っても誰と会っても、何をしても私はいつもいつだって『大公様のお嬢様』なんです。
 お嬢様、お嬢様。いつも私は『大公様のお嬢様』です。
 本当の私はどこにいるのでしょう? 自分でも分かりませんわ。
 いつからでしょう、私がこんなかわいくない性格になってしまったのは?
 ある日パパとママが話しているのをこっそり聞いてしまいましたの。『昔は優しい子だったのに』って・・・
 ショックでした。
 本当の私になりたい。
 本当の私の姿を誰かに見つけて欲しい、見て欲しいのです・・・」
 クレアはそこで言葉を切ると、あとはじっと顔を伏せてしまった。
 泣いているかと思ったが声は掛けられなかった。

『本当の私はどこにいるのでしょう?』
 クレアの言葉がオレの頭の中で反芻される。
 本当の自分、本当のオレ。
 それは一体どこにいるのか?
 女の身体を持つオレが本当のオレなのか?
 それとも男として生きてきた時間こそが本当のオレなのか?
 ホワイトスワン号の船室で、女の服を着て鏡に映った自分の姿を思い出す。
 そこにいたのはピンクのブラウスにピンクのスカート姿の一人の女の子だった。
 果たしてそれはオレの真の姿なのか、それとも偽りの姿なのか?
 それともサラシで胸を覆ってダボダボのローブで体型を隠したいつもの格好がオレにとっての真の姿なのか?
 分からない。
 本当のオレはどこにいるのか? 本当のオレとは何者なのか?
 いつまで経っても答えの出ない堂々巡り、思考の迷宮に陥ってしまったようだ。
 出口はどこだと探せば探すほど、どんどん深みにはまってしまう。
 オレもクレアもあとは言葉も無く、ただ時間だけが過ぎて行った。

「あー、ジェイクさん。こんな所にいたんですね。探しました〜」
「ボビー! おめえどうしたんだよ?」
 東の空がうっすらと白み始めた頃、オレ達が隠れていた洞窟の入り口付近にちょこんと座っているボビーの姿があった。
 トテテと走り寄るボビーをひざの上に抱き上げる。
「ボビー、良かった。無事だったんだな。どうやってここまで来たんだ?」
「ボクは多少なりとも鼻が利くんです」
 ボビーはクンクンと自慢の鼻を鳴らしてみせた。
「そのウサギさん、おしゃべり出来るんですか?」
 クレアが不思議そうにボビーを覗き込んでいる。
「ああ、コイツは人間の言葉が分かるんだよ」
「そうなんですか。あのー、私にも抱かせてもらえます?」
 クレアの言葉にボビーがピクンと反応する。
 何しろ初めて会った時「獣臭い」とか言われたからな。コイツはコイツなりにシックだったんだろう。
 でも。
「ホラ、大丈夫だよボビー」
 クレアにボビーを渡した。
「うわー、あったかーい」
 クレアに優しく頭を撫でられて、キョロキョロしていたボビーも落ち着きを取り戻していった。
「あの時はごめんね、ひどい事言って。私の事嫌いになりましたでしょう? 本当にごめんなさい。
 あなたはボビー君ていうのね。私の名前はクレアです。宜しかったら私のお友達になって下さいませんか?」
 ボビーは返事をする代わりにクレアの手のひらをぺろぺろとなめ始めた。
「うふふ、くすぐったいです」
「気を付けろクレア。ボビーを怒らせると指の一本や二本噛み切られるぞ」
「まあ! でも大丈夫みたいですわ。それにしても、立派な牙ですのねえ」
 もう大丈夫だ。
 今のクレアはもうあの時のような高飛車なだけのお嬢様じゃない。
 心の中に溜まっていたもやもやを全て吐き出したクレアは、これから少しずつ本当の自分を取り戻していくだろう。

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