小説・「ジェイク2」

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「皆さん、お待たせしました」
 エイティに手を引かれて元の部屋へ戻ると、「ほぉー」という感嘆の声がオレを出迎えてくれた。
 頼むからそんなに見ないでくれ。本当に顔から火が出るんじゃないかと思うくらいに恥ずかし過ぎる。
 中でも一番反応しているのは言うまでも無くクレアだった。
「まあまあ、思っていたよりも見られますわね。このお洋服を選ばれるなんてなかなかセンスが宜しいじゃないですの。これなら立派に私の偽者役が務まると思いますわ。あとは立ち居振る舞いですわね。ホラ、がにまたなんて絶対にダメですわ。しゃんと背筋を伸ばして下さい」
 このヒラヒラは本当にセンスが良いのか? と言いたいのをぐっと堪える。
 そのクレアはというと、バッチリと男装が決まっていた。
 普段は乗馬の時にはくという白のパンツルックに赤いジャケット。長い髪は一つにまとめて大きめのハンチング帽を被ってその中に収めている。
 一通りファッションショーが終わると「それでは」と船長が今後の事を話し始めた。
 この船は間も無くガリアンの島へ着くという。
 ガリアン達が押し寄せて来たらまずはオレが出て奴らを引き付けて出来るだけ時間を稼ぐ。
 その間にクレアの乗るボートを下ろすという段取りだ。
 ボートはホワイトスワン号の後方に左右に三艘ずつ設置されている。
 クレアには右舷側のボートの一つに乗り込んでもらうが、ダミーとして左舷側のボートを一艘先に下ろす。
 ただしボートを下ろし切るまでに数分掛かるから、オレが船首の方にガリアン達を引き付けるようにという支持だった。
 そんなにうまく行くのか? と思わないでもないけど、何とかなるだろ。

 かくてホワイトスワン号はガリアンの島へ。
 しかしそこは海が急に浅くなっていて、海岸まではまだ50メートルぐらいの距離がある。
 これ以上進むと船が座礁してしまうので、錨を下ろし停泊する。
 海賊船もホワイトスワン号の後方50メートル程の所で控えている。
「海賊船から小船が放たれました。その数7」
「海岸からも船が出ています。数は15」
 船員から次々と連絡が入る。
「数が多いわね。取り囲まれたら大変よ」
「取り囲まれたら、じゃなくて取り囲むつもりだろうよ」
「うまく行くかしら」
「それはボウズ次第だな」
 エイティとベアがやり取りしている後ろでオレは
「違います。何度言ったら分かるんですか? 背筋を伸ばして、あーもっとおしとやかに歩いて下さいな」
 クレアからありがたい御指導を仰いでいた。
 もう勘弁してくれ・・・

「この船は完全に包囲した。抵抗は止めて娘をこっちに差し出してもらおうか」
 ホワイトスワン号を取り囲む小船から男のダミ声が響いてきた。
「なあ、やっぱり無理だよ、こんな作戦」
「あら怖気づいたのですか? 男のくせに情けないですわ。少しは私を見習って欲しいものです」
 クレアは本当にやる気だった。この根拠の無い自信は一体どこからわいて出るんだか。
 デッキに出る通路には、オレとクレアの他にベア、エイティ、ボビー、クレアの侍女のマリーさん、そしてボートを下ろす係りの船員が5人潜んでいた。
 他の乗客は皆既に船室に避難してもらっている。
 デッキには海賊を迎え撃つ船員も出ているが、戦力としては当てにならない。
 小船からは前回と同様フック付きのワイヤーロープが投げ入れられ、それを伝ってガリアン達が今正にこの船に乗り込もうとしているはずだ。
「さあ、頑張って来て下さい」
 ドン、とクレアに背中を押されて、オレはデッキへと飛び出して行った。
「ワシらも行くぞ」
「うん」
 ベアとエイティがオレに続く。
「娘がいたぞ!」
「捕まえろ」
 既に乗り込んでいたガリアンに、早くもオレの姿を発見されてしまう。
「やべえ」
 えーと、船首の方へ行けば良いんだよな。
 既におしとやかに歩く、なんて頭の中から綺麗に消えていた。
 オレはガリアン達の様子を伺いながら船首へと走り出した。
 お嬢様を護る冒険者役のベアとエイティが追って来るガリアンと刃を交える。
 その騒ぎを聞き付けて、次々とガリアン達が集まって来た。
 足に纏わり付くスカートに苦戦しつつも、ガリアン達を引き付けながら船首を目指す。
「そっちへ行ったぞ」
「回り込め」
 良いぞ、ガリアン達は完全にオレをクレアだと思い込んでいる。
 クレアはどうなったと船尾の方を見ると、左舷側のボートがゆっくりと下ろされ始めていた。
「ボートが下りだしたぞ!」
 海上の小船に残っていたガリアンがその動きに気付いた。左舷側のボートの下に小船が集まり出す。
 しかしそっちはダミーだ。クレアは反対側のボートで脱出する手筈になっている。
 作戦はうまく行ったかに思えた。
 しかし・・・
「キャー!」
 絹を裂くような女の悲鳴がオレのいる場所まで届いて来た。
「クレアか?」
 しくじったのか? いや、こんな作戦最初からうまく行くはず無かったんだ。
 それよりクレアはどうなったのか、ここからでは正確な状況は分からない。とにかく早くクレアの所へ行かないと。
 ベアとエイティも異変に気付いたらしい。
 そしてそれはガリアン達も同様だった。
「本物の娘はこっちだー!」
 船尾の方から声が上がる。
「するとこっちは偽者か」
 ちっ、バレちゃ仕方ねーや。
 オレは帽子とカツラを脱ぎ捨てた。
 本当はスカートも脱ぎたかったけど、さすがにそれはマズイ。
「てめえら、邪魔だー!」
 今日3度目になるバスカイアーの呪文を放つ。
 女装させられた鬱憤が込められたその呪文は、目の前にいるガリアンのほとんどを行動不能に陥れてしまった。
「ジェイク、早く!」
 ベアとエイティが残りのガリアンを相手している間に、オレはクレアのいる方へと走り出した。

「こっちへ来ないで下さい。あっ、ダメです。来ちゃダメー!」
 頭の上から例の声が聞こえてきた。
「クレア!」
 なんとクレアはガリアンから逃げ回っているうちに、三本あるうちの中央、つまりは一番高いマストの上へ縄ばしごを伝って登って行ったのだった。
 クレアを追って、三人のガリアンがマストをよじ登って行く。
 今からオレが登り始めたところで間に合いそうもない。
 しかしこのままじゃクレアが捕まるのは時間の問題だった。
 成す術の無いままマストの上のクレアを見上げる。
「来ないで下さい」
 次第にガリアンに追い詰められていくクレアは、マストの一番上まで登り切ると、そこから帆が張られてある横げたへと這いつくばりながら進んで行く。
 なんて女だ、まったく。
 しかしクレアの逃避行もそこまでだった。
 ついにマストの横げたのその一番端へと追い詰められてしまったのだ。
 ガリアンは難なくマストを登り切ると、悠々と横げたを伝ってクレアへと近づいていく。
「来ないで、来ないでー」
 さすがのクレアもついに泣き声になってしまった。
 もうこれ以上逃げ場は無い。
 クレアの足元には何も無い空間だけが広がっていて、ちょっと外へ踏み出せばそこはもう海だった。
 海・・・そうか、海だ!
「クレアー、そこから海へ飛び込めー!」
 オレは遥か上空のクレアへ向けて思いっ切り叫んだ。
「えっ、何ですかー?」
「うーみーへーとーびーこーめー!」
 オレは船べりの外の海を指差し、飛び込むジェスチャーを見せながら必死に怒鳴った。
「ムチャ言わないで下さい。何メートルあると思ってるんですか!」
 クレアがこう言うのは当然だ。
 デッキからマストの先端まで優に30メートル以上、更に船べりから海面までは10メートルくらいはあるだろう。
 合計40メートル以上、いくら海でもそんな高さから飛び込んだらただじゃ済まないだろう。
 それでもオレは構わず続けた。
「クレア、オレを信じろ。必ず無事に受け止めてやるから」
「そんなの無理ですわ」
「オレを信じろ!」
 コクン、とクレアは頷くとおそるおそるその場に立ち上がった。
 下を見て海のある方向を確認する。
 背後には、ガリアンがもうすぐそこまで迫っていた。
「止めなお嬢ちゃん、こんな所から飛び降りたら間違いなく死ぬぜ」
 ガリアンはゲヘヘと下卑た笑い声を上げている。
「あなたに捕まるくらいでしたら死んだ方がマシですわ」
 ガリアンに背を向けたまま言い放つと、クレアは何も無い空間に足を踏み出した。

 落ちる。
 落ちる。
 落ちて来た。
 マストという支えを失ったクレアの身体がオレの目の前へと真っ直ぐに落ちて来ている。
 落下の風圧で被っていた帽子が飛ばされ、仕舞い込まれていた栗色の髪がバサリと広がる。
 良いぞ、うまい具合に落下地点は海になりそうだ。
 しかし、いくらなんでもあの高さから海面に激突すれば無事じゃ済まないだろう。下手すると死んでしまいかねない。
「クレアー!」
 オレは船べりを思いっきり蹴ると、落下してくるクレア目掛けて飛び付いた。
 しっかりとクレアの身体にしがみつく。
 柔らかな感触と女の子特有の甘い匂いが確かにオレの手の中に収まっている。
 しかしそれで終わりじゃあない。
 当然の事ながら、オレもクレアと一緒に海へ落ちようとしているからだ。
 自慢じゃねえけどオレは泳げない。
 だってそうだろ? 
 出来るだけ人前で肌を出さないようにしてきたんだ、泳ぎなんてした事もない。
 ここは船にとっては浅瀬かも知れないが、水深は10メートル以上あるはずだ。
 泳げないオレが沈んでしまえば溺れるのは必至。
 それでもオレは飛び出した。海に、いやクレアに向かって。
 間に合ってくれ。
 そう祈りながらオレが唱えた呪文は
「リトフェイト!」
 浮遊の呪文、リトフェイトだ。
 迷宮探索時に唱えておけばわずかにパーティを浮かせてピットやシュートなどのトラップを回避出来るのだが、こんな使い方もある。
 リトフェイトによる浮遊効果が発動される。
 オレとクレアは海面に激突するスレスレのところでその恩恵を受ける事が出来た。
 海面まであとわずか数センチのところで、ピタリと落下が停止したのだ。
 オレは今、クレアを抱きしめたまま海面の上に立っていた。
「クレア、大丈夫か?」
「・・・」
「おい、クレア」
「私、生きてますの・・・?」
「ああ、バッチリ生きてるぜ」
「怖かったですー」
 クレアはそこで初めて声を上げて泣き始めた。
 無理もない、怖くなかったはずがない。
 海上40メートルのマストの上から飛び降りたんだから。
「よく飛んだな」
 オレはクレアの頭をそっと撫でてやった。

「ジェイク、そのまま逃げなさい!」
 船べりから身を乗り出しながらエイティが叫んだ。
 そうだ、グズグズしてたら海賊の小船に捕まっちまう。
 しかし逃げると言ってもここは海の上だ。近くの陸地はと言うと・・・
「ガリアンの島しかねえか」
 オレはクレアの手を引いてガリアンがアジトにしているという島へと走り出した。
「ちょっと、正気ですか? どうしてそちらへ行くのです! お忘れですか、あそこはガリアンが巣食っている島なのですよ。そんな所へ自ら飛び込むなんて、それこそ捕まえて下さいと言っているようなものです」
 早くもクレアは復活したらしい。いつもの調子が戻ってきていた。
「分かってるって。でもな、隣の島までは何キロもあるんだろ。船ならともかく走って行くんじゃ遠過ぎる。確実にガリアンに捕まっちまうぞ。それよりあそこへ行ってどこか適当な所に隠れていよう」
「ですが・・・」
「オレを信じろ」
 コクンと頷くクレア。それで納得したのかもう何も言わなくなった。
 ただオレに手を引かれるまま海の上を走り続けている。
 変装の為にはいたヒラヒラのスカートが足に纏わり付いて何とも走り難い。
 それにここは水の上だ。陸地を走るのとはだいぶ感覚が違っていた。
「いたぞ!」
「逃がすな」
 早くもガリアンの小船が追いかけて来た。
 小船は手漕ぎとは言え、オレ達よりも遥かに速い。
 海岸まではあと30メートル程だが、とても逃げ切れそうになかった。
 こうなったら非常事態だ、「律」がどうのとか言ってる場合じゃない。
 オレは走りながらも呪文に集中すると、振り向きざまにラハリトの炎を放った。
 マハリトよりも強力、かつ結界の影響も受けない屋外となればその威力は絶大だ。
 炎は一瞬にして小船を包み込み激しく燃え盛る。
「もう一丁!」
 更に広範囲にラハリトの炎を撒き散らした。
 二艘、三艘と小船が次々と燃え上がる。
 ガリアン達は「うわー」と悲鳴を上げながら次々と海へ飛び込んで行った。
 どうやら追っ手は振り切ったようだ。
 オレとクレアは島の海岸まで辿り着くとそのまま砂浜を駆け上った。
「ハア、ハア・・・」
 オレが手を引くクレアの息が大きく乱れているのが感じられた。
 そしてそれはオレ自身にも言えたのだが、ここで弱音を吐いてる場合じゃない。
「クレア、もう少し」
「え、ええ」
 息も絶え絶えに砂浜を駆け抜けると、目の前にはうっそうとしたジャングルが広がっていた。
 取り合えずガリアンから姿を隠したかったオレ達は迷わずそのジャングルへと飛び込んで行った。

 後ろから追っ手が来ないか、進む先に危険は無いか。
 慎重に周囲の様子を確かめながらジャングルを進む。
「気味が悪いですわ」
 クレアの様子は不安気でどこか落ち着きが無い。
 ここで迷ったらシャレにならない、あまり深入りは出来ないだろう。
 最悪の場合はマロールで海岸まで戻る事も出来るが、何が起こるか分からない、呪文は出来るだけ温存したかった。
 クレアはこの通り、ただのお嬢様だ。戦力としては全く当てにならないからな。
 船は、南向きに進路を取ってこの島へと辿り着いた。
 だからオレ達は、島の北側から上陸したはずなんだ。
 太陽はだいぶ西に傾きかけている。
「もうすぐ陽が暮れるな」
「こんな森の中で野宿ですの?」
「うまく夜露を凌げる場所があると良いんだけどな」
「もう、最悪ですわ。何が『オレを信じろ』なんでしょう。その結果がこれですか。私はあなたのように神経が図太く出来ていないんですのよ。こんな森の中で眠れるはずありませんわ」
「それだけしゃべれりゃ大丈夫だな」
「まあ、何が大丈夫なんですか? だいたいジェイクがですねえ・・・」
「元はと言えばクレアがガリアンに狙われたからだろう」
「もう、何度言えば分かるのです? 呼び捨てにしないでと申しているではないですか」
 オレとクレアは意味の無い会話のやり取りを繰り返した。気を和らげるにはこれが一番だからだ。
 しかし、それが油断に繋がる。
 ガサッ。
 目の前で木の葉が擦れる音がしたかと思うと、オレの鼻先をビュンと何かが掠めていったんだ。
「!」
 間一髪でそれをかわすとオレの目の前には見慣れた昆虫がいた。
 いや、見慣れているのはその姿だけで、こんなデカイのを見るのは初めてだった。
 それは巨大なカマキリ。
「ジャイアントマンティスか!」
 何でこのカマキリはこんなにデカクなったんだ?
 カマをもたげて立ちはだかるその姿は遥かにオレの身長を超えていた。
 それにしてもヤバイところだった。
 あのカマに捕まっていたら、オレの首は今頃胴体から切り離されていたに違いなかったからだ。
「やっ、いやー」
 クレアはすっかり怯えてしまい、その場に立ち竦んでしまっている。
 逃げるのは無理、か・・・
 ガサガサと、その巨体からは想像もつかない速さで動き回るジャイアントマンティスが再度カマを振り回す。その狙いはクレアだった。
「クソッ」
 オレはクレアに飛びつくと、二人もつれ合ったまま地面を転がってカマをかわした。
 更に迫り来るジャイアントマンティス、もうやるしかねえ。
 昆虫は冷気に弱い。
 オレは瞬時にして魔法力を集中させると、マダルトの嵐をジャイアントマンティスにお見舞いしてやった。
 吹き荒れる吹雪の中でその動きを鈍くするジャイアントマンティス。
「クレア、逃げるぞ」
 もうこれ以上コイツ相手に呪文の消費は出来ない。相手が動けないうちに逃げるのが得策だ。
 オレはクレアの手を引くと来た道を引き返し始めた。
 このジャングルにあんな化け物がいると分かったからには、これ以上の深入りは禁物だろう。

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