小説・「ジェイク2」

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「何事だ!?」
 船室に続く通路から慌てて飛び出して来たのは、オレ達のもう一人の仲間のベアだった。
 ドワーフ故にオレよりも頭一つ分くらい背は低く、茶色で縮れた髪に髭面。
 普段はフルプレートで重装備を固めるのだが、今は鉄兜だけを被り手には愛用のバトルアックス。
 いかにも慌ててすっ飛んで来ましたと言わんばかりのスタイルだ。
 船酔いでへばっていたはずだが、非常時になるとすかさず熟練の戦士の顔になるのはさすがと言える。
 オレとエイティは、海賊船からの発砲があった事をベアに告げた。
「なんと・・・」
 驚きの余りベアの瞳が大きく見開かれる。そしてそのまま視線は海の上に。
 ベアと共にオレ達は改めて海賊船を注視した。

 その船は夏の陽光を浴びて全体が黒く輝いていた。
 船体の両脇には巨大な水車がそれぞれ取り付けられていて、その水車を蒸気の力で回して推進力を得る仕組みになっている。
 船体上部に設置された煙突からは真っ黒な煙を吐き続け、オレ達の乗る帆船の何倍ものスピードでこちらに迫って来ていた。
「総員非常配置!」
 船員達があわただしくデッキを走り回る。
「よし、ワシらも戦いに備えよう。エイティ、お前さんも武器を」
「了解」
 ベアの言葉に頷くと、エイティは荷物を置いてある船室へと走り出した。
「さ、クレア様も安全な場所へ」
「分かりましたわ」
 侍女のマリーさんに促され、クレアも船室の方へ移動した。
 さっき大砲が着弾した時には悲鳴を上げていたクレアだったが、今はもうだいぶ落ち着いた様子だ。
「ボウズ、いつでも戦えるな?」
「当たり前だ」
 視線は海賊船に固定したまま強く頷く。
 後方から近づいてきた蒸気船はあっという間に追い付くと、ホワイトスワン号の右舷に並走し始めた。
 その船はこちらの帆船よりも一回り小さめで、船尾に立てられた旗には黒地に白抜きのドクロマークが見える。
「ガリアンか」
 船員の一人が憎々しげに漏らした。
 ガリアン、それはこの辺りの海域で猛威を振るっている海賊団。
 辺境に住む蛮族達が武装して海に乗り出したとも言われているが、はっきりとした実態はつかめていないらしい。

「取り舵いっぱーい」
 海賊船から逃げるべく船首を左側に振る。
 しかし帆船の機動力は低く、その動きは緩慢だ。
 海賊船から放たれた小船が数艘、ホワイトスワン号の脇にピタリと寄せて来た。
「乗り込む気だ! 阻止しろ」
 船員達が一斉に動き出す。
 小船からは、フック付のワイヤーロープがホワイトスワン号の船べり目掛けて次々と投げ入れられた。
 その鍵爪は確実に船べりに食い込み、ガリアン達の進入路を作り出す。
「ロープを切れ!」
 船員の一人がナイフでロープを切ろうとするも、鉄の繊維で編まれたワイヤーロープはとても切れそうにない。
 頭にターバンを巻いた小柄な男達が、ワイヤーロープを伝って昇って来る。
 それを迎え撃とうと船べりから身を乗り出していた船員達に向かって小船から矢が放たれる。
「うわー」
 船員達は悲鳴を上げながら海へと落下していった。
 あっという間にワイヤーロープを昇りきったガリアン達が、次々とホワイトスワン号に乗り込んで来る。
 浅黒く焼けた肌や筋肉質の身体はいかにも海の男といった風貌で、蛮刀やレイピアなどの得物を軽々と振り回す。
 船員達も必死に応戦するも、所詮素人。戦い慣れたガリアンの相手にはならなかった。

「ボウズ、行くぞ!」
「おう」
 いよいよオレ達の出番だ。
 ベアは自慢の怪力でバトルアックスを振るい次々とガリアン達をなぎ倒していく。
 オレは呪文を放つタイミングを見計らう。
「よし、今だ! マハリ・・・」
「ちょっと待ってジェイク!」
 正に呪文を放つ寸前、スピア、胸当て、手甲、ブーツと装備を整えて戻って来たエイティがそれを制した。
「何だよエイティ?」
「炎の呪文なんか使っちゃダメでしょ」
「あっ・・・そうだった」
 通常、地下迷宮や建造物などには攻撃呪文、特に炎系の呪文による火災を防ぐために消呪効果のある呪文結界が張られているのだ。
 この結界のおかげで、燃え上がった炎は一定の時間が経つと自然に消えるようになっている。
 また炎が床や天井などに燃え移る事も無い。
 しかしここは船の上だ。当然そのような結界は存在しない。
 結界による歯止めを失った呪文は、迷宮内で唱えた時の数倍の威力を発揮する事もあり、下手をすれば船体に燃え移って火災になりかねない。
 ならばマダルトなどの氷の呪文か・・・
 いやそれもダメだ。
 氷系の呪文は、炎系の呪文よりも破壊力が大きい。
 火災の心配は無いものの、今度は歯止めを失った氷の嵐が船体そのものを破壊してしまうかも知れないからだ。
 結界の無い屋外ではこれらの呪文の使用は極力控えるというのが、魔法使いの間での不文律になっていた。
 まあ、そんなの忘れて使っちゃう事も結構あるけどな。
「めんどくせえなあ・・・」
 炎や氷のような物理攻撃以外の呪文、オレはとっさにバスカイアーを唱えた。
 これは敵に様々なダメージを与える呪文だ。
 軽いものでは睡眠や恐慌状態に陥るだけだが、重いダメージとなると一時的な神経麻痺や石化、更に運が悪ければ一発で即死する事もある恐怖の呪文なのだ。
 どんな効果が引き出されるかは正に運次第。
 オレの目の前のガリアン達は、ある者は麻痺しまたある者は石化しと、次々と行動不能状態に陥っていった。
 それでも、バスカイアーによるダメージを逃れたガリアンがオレ目掛けて襲い掛かって来た。
 しかしそこはエイティが立ちはだかりスピアを繰り出す。
 その先端は、正確に敵の急所を貫いていた。
「サンキュ、エイティ」
「なんの」
 ふわっと微笑むエイティ。
 オレ達のチームワークもなかなか様になってきたよな。

「何をしている? 早く娘を探し出せ!」
 首領格らしい男の声が響くと数人のガリアンが船室の入り口目掛けて動き出す。
「させるか!」
 オレは再度バスカイアーを唱え、そいつらを始末する。
 動けなくなったガリアンを、ホワイトスワン号の船員達が次々と海に放り込んでいる。
 船内にいるガリアンの残りはもうそれ程多くない。
「あとはお前さん方だけだ」
 ベアとエイティがじわりと追詰めていった。
「ちっ、いったん引けー!」
 首領格のガリアンは船べりから身を翻すと、蛮刀の背の部分をワイヤーロープに引っ掛けて、乗って来た小船へと一気に滑り降りて行った。
 残りのガリアン達も全て小船へ引き上げると、小船側からワイヤーロープが切り離されて、そのまま海賊船へと引き返す。
 オレ達は、まずはガリアンの襲撃を退ける事に成功した。
 それにしても・・・
 あの男が言っていた「娘」ってのは一体誰の事なんだ?

 ホワイトスワン号から離脱した小船を全て回収し終わると、海賊船は突然黒い煙を吐き出し始めた。
 巨大な外輪を逆回転させ少しずつ後退していく。
「諦めたのか?」
「分からないわ」
 オレ達は、じっと海賊船の動きに注意を払い続けた。
 海賊船はホワイトスワン号の後方まで下がってある程度の距離を確保する。
 そして再びズガアーーンという轟音。
 またも打ち出された大砲が、ホワイトスワン号の右舷の海面に着弾する。
 白い波柱が立ち上がり、帆船が大きく揺れるも被害は無い。
 船内からは「外れたぞ」とか「下手くそ」といった野次が上がる。
 海賊船は、再度大砲を放つ。
 その弾は今度はホワイトスワン号の左舷の海面に着弾、同じように巨大な波柱が上がった。
「ワザと外してるんじゃないの?」
「何でそんな事?」
「分からないけど・・・このまま真っ直ぐ進めって言いたいんじゃないかしら」
 エイティが言うのを受けて、オレは船首の方へ視線を移した。
 その遥か先には、波間にポツンと一つ島影が浮いているのが確認される。
「あの島へ行けって事かな」
「さあね。それは海賊に聞いてみないと分からないわね」
 エイティはおどけた調子で首を傾げてみせた。
 風はほとんど無いに近い凪状態。
 ホワイトスワン号はゆっくりとした速度で進んでいった。

「恐れ入ります。クレア様が皆様にお話があるそうです」
 クレアの御付の侍女のマリーさんだ。
「クレアがオレ達に話? 一体何の用で」
「それはクレア様から直接お伺い下さい」
 オレもエイティもそしてボビーも、クレアには良い思いをしていない。
 ただ一人事情の分からないベアが「取り合えず話を聞こう」と言い出して、オレ達はしぶしぶクレアの待つ船室へと案内された。
 
 そこはいわゆるVIP専用の部屋で、オレ達が利用している二等船室なんかとはありとあらゆる点で雲泥の差があった。
 二間続きの完全個室には豪華な調度品が整然と並べられ、バストイレ完備。
 いたる所に花や小物などが飾られているのはクレアの趣味なのだろうか。
 クレアは部屋の奥にしつらわれたソファにゆったりと腰を下ろし、優雅にお茶なんぞを楽しんでいた。
 その隣には恰幅の良い白髪頭の男が一人。着ている制服からするとこの船の船長だろう。
 どうやらクレアは、船長すら自在に操る力を持っているらしい。
 ったく、とんでもねえお嬢様だ。
「皆さん、よく来て下さいましたわ。話というのは他でもありません事よ」
 例の調子でクレアは勢い良くしゃべりだした。
「皆さん冒険者でいらっしゃるそうですね。先程の活躍ぶりは早くも船内で話題になっております。そこで皆さんにお願いです。どうか私のボディガードを勤めて下さいな」
「何で私達がそんな事を!」
 まださっきの事を根に持っている様子のエイティが反発した。
「落ち着いて下さい。あの者達の狙いはきっと私です。私を誘拐してパパから多額の身代金を請求するつもりに違いありませんわ。
 あなた方は冒険者、つまりは困っている一般の人々を助ける義務があるはずです。その為にダリア城はあなた方の様な冒険者を手厚く保護していますのよ」
「その通りだな」
 ベアが強く頷いた。
 ダリアの城塞都市はオレ達のような冒険者を優遇する政策を執っている。
 城が発行する冒険者カードを所持していれば、各種施設の利用や商品の購入などでかなりの便宜を図ってもらえるのだ。
 その代わりに、冒険者はモンスターや悪漢などから一般の市民を護らなければならない。
「それに、あいつらの狙いがクレアってのも間違いねえよ。さっき『娘を探せ』とか何とか言ってたしな」
 途中クレアが「クレア様とお呼び下さい」と言っていたがここは無視した。
「それじゃあベアもジェイクも引き受けるつもりなの?」
「ワシは構わんぞ」
「やるっきゃねーだろ」
 ベアとオレの返事を聞いてとうとうエイティも観念した。
「了解。それで、私達は何をすれば良いのかしら?」
「それについては私から」
 クレアの隣に座っていた男が口を開いた。
 この男、名前をスミスといい、やはりこのホワイトスワン号の船長に間違いなかった。
「この船は現在海賊船に追い立てられるようにして進路を南に取っています。このままだとあと1時間程でガリアン達がアジトにしている島に到着するでしょう」
 そうか、さっき見えた島はガリアンのアジトだったのか。
「ガリアンどもはおそらく、この船を自分達のアジトへ引き込んでからクレア様を奪いに来るものと思われます。今度は先程よりも更に人数を増やして来るでしょう。何としてもそれを阻止してクレア様をお守りしなくてはなりません」
 この船にはクレアのオヤジから多額の出資を受けているらしい。
 船長も必死な訳だ。
「そうは言ってもなあ・・・オレ達だけじゃとてもガリアンの侵入を防げそうもないぜ。数が違い過ぎる」
「何か手は無いかしら」
 オレ達は皆一様に思索にふけった。
「そうですわ、私良い事を思いつきました」
 クレアがポンと手を叩きつつ、弾んだ声で喋り出す。
「ジェイク、あなた私に変装して下さいな」
「何だって?」
 オレはもちろん、この場にいる全員の動きが止まった。
「見ればジェイクは私と背格好が大して変わりません。そこであなたが女の子の格好をして敵の目を欺くのです。私は念の為男の子の格好をして隠れていますから。
 他の乗客達も皆船室に退去させて被害が出ないようにして。あなたがガリアンを引き付けておく間に私は緊急時用のボートに乗せてもらってこの船から姿を消したいと思います。
 ガリアンの島から西へ進めばホラ、近くにダリアの直轄している島があるではありませんか。そこへ逃げ込めばきっと大丈夫ですわ」
 クレアは、いかにも名案を思いついたという顔で満足そうに作戦を披露ししてくれた。
 が、こんなムチャクチャな作戦に同意出来るはずがない。
「ちょっと待て! 何で女装なんだよ。そんなんでごまかせるはずねーだろ! 第一ボートで脱出なんかしたってすぐに捕まるのがオチだって」
 オレは必死になって抵抗した。
 だってそうだろ、女装だぞ、女装! そんなみっともない事出来るか。
「いや、面白いかも知れんぞ。脱出はともかく相手の油断を誘うぐらいは出来るかも知れん」
「ベア、冗談だろ?」
「ワシは本気だ」
「そうね、良いかも知れないわ」
「おいエイティ、お前何考えてんだ?」
「別に。良い作戦かもって」
 ベアもエイティもすっかりその気になったらしい。
「決まりですわね」
 クレアがにっこり微笑んだ。悪魔の笑みだ・・・

「あっ、これなんか良いんじゃない? こっちもかわいいわね」
「何でも良いから早くしろよ」
 結局女装させられる事になっちまった。
 クレアが「何でも好きに使ってくれて構いませんわ」と言って自分の衣裳部屋を提供してくれた。
 そこには、一体いつ着るんだと言わんばかりのドレス類が所狭しと収められてあった。
 赤、青、緑、白、黄色、紫、ピンク・・・
 あまりのまばゆさに目が眩む。
 しかもそこには帽子や靴などもドレスに合わせて各色揃えてあって、そこらの商店なんかより遥かに充実した品揃えになっている。
 女の服なんて分からないというオレに、エイティが見立て役を買って出てくれた。
 別室では、クレアも男の服に着替えているはずだ。
「胸は自前で行けるんじゃない? サラシなんて取っちゃいなよ」
「それはダメだって! それにあいつだって胸ペッタンコじゃねえか。必要ねーよ」
「あー、そんな事言って良いのかしら? クレアさんに言いつけてやろうかなー」
 ウフフと笑いながらあれこれと服を手にするエイティ。どうやらすっかりこの状況を楽しんでいるらしい。
 冗談じゃねーぞ、オイ。
 結局、エイティが選んだピンクのブラウスをサラシの上から着込む事にした。
 出来るだけ肌の出ないものをと頼んでみたけど、あいにく季節は夏真っ盛り。長袖の物は無かったので必然的に半袖になる。
 まあ、肩を出すよりはいくらかマシだ。
 もちろんこの服も首周り、肩、袖口、胸元、背中、ウエスト周り、裾とヒラヒラフリフリでたっぷりと飾り付けられてある。
 膝下ぐらいのスカートはブラウスよりも少しだけピンクの色合いが濃く、更にフリフリ度がアップしていて、歩き難い上に妙に風通しが良くて足元がスースーする。
 クレアの髪と同じ色のかつらを身に付けその上からこれもピンクの帽子を被る。やっぱり帽子にも大きなリボンが付いている。
 靴もそれらに合わせた女物、色はもちろんピンク。ハイヒールなんて履ける訳無いから踵は出来るだけ低い物にしてもらった。不思議とサイズはピッタリだった。
 鏡に映った自分の姿を見る。
 そこには確かに、全身ピンクの衣装で着飾った一人の女の子が存在していた。
 クレアの趣味なのは言うまでもないだろうけど、この服を選んだエイティもこういう趣味だったのか?
「かわいいじゃない、ジェイク。ついでにメイクもしようか?」
「それは勘弁してくれよ」
 すっかり上機嫌のエイティに対して、オレの気分は最悪だった。
 人生最大の屈辱だ・・・
 オレは大きく溜息をついた。

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