小説・「ジェイク2」

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 真夏の暑い匂いをたっぷりと含んだ潮風がオレの鼻先を吹き抜けて行った。
 遠くから聞こえるのは「ミュウー」という海鳥のかん高い鳴き声。
 見上げる空は真っ青で、所々にモクモクとした白い雲が浮かんでいる。
 オレがいるのは洋上に浮かぶ帆船の甲板だ。
 その名を「ホワイトスワン号」という。
 真っ白な船体に広げられた帆も目にも清々しい白色。
 マストは3本。その美しい姿が白鳥を連想させるところからこの名が付けられたそうだ。
 帆船としては中型の方だと聞いている。
 オレは一人デッキの片隅に横になり、両手を頭の後ろで組んで枕代わりにしながら昼寝をしていた。
 海が運ぶ風のおかげで、蒸し暑い船室にいるよりはここの方がずっと気持ち良い。
 ウトウトとまどろんでいると、不意にオレの顔を一つの影が覆った。
「こんな所で寝てると日焼けしちゃうよ、ジェイク」
「んー、さっきまで日影だったんだよ、ココ」
 大きな帆が作り出す日影部分は昼寝には最適だったのに、いつの間にか進路がずれて日影から外れてしまったらしい。
 オレはうーんと伸びをしてからゆっくりと目を開いた。
 目の前には青い瞳に金色の髪の女の顔があった。
 エイティだ。
「女の子なんだから、日焼けには気を付けないと駄目よ」
「ほっとけ!」
 オレはそう吐き捨ててからゆっくりと身体を起こした。

 そう、エイティが言うように、オレの身体は生物学的には「女」に分類される。
 でもオレは産まれてから今まで「男」として生きてきた。
 何とも面倒くさい話ではあるとオレ自身思うけど、こればかりは譲れそうも無い。
 エイティと知り合ったのはこの春先だった。
 とある教会を探索するのに魔法使いの助っ人として頼まれたのだが、その最中にエイティはオレの秘密について気付いてしまったのだ。
 以来エイティは何かある度にオレに声を掛けてくれるようになった。
 それだけなら良いのだが、何とかしてオレを「女」にしようとしているんだから大きなお世話である。
 髪を伸ばすよう勧めてきたり女物の服を見せたり。時には女物の下着なんかを持ち出したりしてきたりする。
 その度にオレは「また今度」と逃げ回る事になるのだが・・・
 それでも今のところ、エイティには積極的にオレの正体を他の人間にバラしたりするつもりは無いみたいだけどな。
 生地こそ夏用に薄手のものになっているけど、オレが着ているのは相変わらずダボダボのローブ。その裾を軽く払いながら立ち上がる。
「その格好、暑くない?」
「慣れればどうって事ねえよ」
 時刻は少し前に正午を過ぎた頃、一日で最も暑い時間帯だ。
「でも、ここは暑いでしょ」
 エイティは、ツンツンとオレの胸をつついた。
 確かに・・・
 オレの胸周りには、いつもサラシが巻かれてある。
 最近になってかなり成長してきた女の部分を押さえつけて隠すためだが、これがなんとも暑苦しい。
 サラシを巻く前に汗止めのパウダーをたっぷりとはたき付けてあるものの、そんなものは気休め程度にしかなっていなかった。
 そんなオレに対してエイティはというと、薄い青を基調としたいかにも涼しげなワンピースを纏っていた。
 バルキリーのエイティは、戦地に赴く時にはスピアに胸当てを中心とした装備になるけど今は普段着だ。
 エイティは青い服を好んで着ている事が多い。
 自分の金色の髪にはこの色の服が良く似合う、のだそうだ。
 服がどうとか髪がどうとかってのは、オレにはいまいちピンと来ない話だった。
 オシャレの他に暑さ対策でもあるんだろう、エイティは長く伸びた自慢の髪を後頭部にアップでまとめていた。
 その毛先が海からの風に吹かれてなびいている。

 ところで、どうしてオレ達がこんな船旅をしているのかというと・・・
 事の起こりは10日程前の話だ。
 ダリア城下のグランタン酒場で食事をしていたオレ達に話し掛けてきたのは、いかにも田舎から出て来ましたといった感じのくたびれたオヤジだった。
 そのオヤジは、自分達の村の周囲にモンスターが出て困っている、だから腕の立つ冒険者を雇ってモンスターを退治したい、というような話を切り出してきた。
 その話を受けたオレ達は、ダリアの城塞都市に程近い港町カザックから船で三日、馬車で更に半日程掛けてオヤジの村まで出向いて行った。
 そこは四方を山に囲まれた小さな村だったのだが、行ってみて驚いた。
 何とそこでは、オークの群れとコボルトの群れが、それぞれの覇権を賭けて争っていたんだ。
 その数合わせて50匹以上。素人がどうにか出来る数じゃない。
 しかし所詮相手はオークにコボルト、オレ達の敵じゃない。
 オレがマハリトを2〜3発も放って脅かしてやればほとんどの奴は逃げて行ったし、親玉格のオークロードとコボルトキングは、エイティとオレ達のもう一人の仲間の戦士ベアが軽くあしらってしまった。
 わざわざ遠くまで出向いた割には何ともあっけ無く仕事は片付いてしまったんだ。
 報酬の方は一人500ゴールドといったところだけど、旅費滞在費などは全て相手持ち、おまけにこうして豪華な船旅まで楽しめたんだから悪い話でもなかった。
 いつかの教会探索の時みたいに只働きさせられたのに比べれば数倍マシだ。
 そして今はその帰りの船上で、今日の夕方にはダリアの城下町へ着く予定になっている。

「エイティさん、ここにいたんですか」
 声のする方へ目を向けると、そこには一匹の白ウサギがちょこんと後ろ足で座っていた。
 コイツは只のウサギじゃあない。
 首切りウサギとして有名なボーパルバニーなんだ。
 何故か人語を解するこのウサギと知り合ったのもやっぱり例の教会探索の時だった。
 名前はボビー。今は主にエイティが面倒を見ていて、とてもよくなついている。
 取りあえず寝首を掻かれる心配は無さそうだ。
 それでも好物は肉、ボーパルバニーとしての本能は失っていないらしい。
 ボビーは、長く伸びた前歯でちょっとした鍵をこじ開けたり、小さな身体を活かして隙間に潜り込んで調査活動をしたりといった特技を持っている。
 なかなか使えるウサ公なんだ。
「ベアの様子はどうだった?」
 エイティが優しく抱き上げてやると、ボビーはうれしそうにクンクンと鼻を鳴らしている。
「ダメですね、あれは。頭から毛布を被ってずっとブツブツ言ってます」
「あらそう」
 ドワーフ族であるベアは今回の旅にはあまり乗り気じゃなかった。
 そもそもドワーフは土の中での生活を好む。当然ベアも泳げないらしい。
 それだけならまだしも、産まれて初めての船旅に、すっかり船酔いしてしまっていたんだ。
 そんな様子からは、戦士としての剛健さは全く想像出来ない。
 ベアにとっては船旅を楽しむ余裕などこれっぽっちも無く、ただただ早く船が港に着く事を祈るのみといったところか。
 ちなみに、ベアはオレの正体についてはまだ気づいていない、と思う。
 オレが自分からしゃべるはず無いし、エイティもそんな事はしていないと言っている。
 何しろオレを「ボウズ」と呼ぶくらいだ。多分大丈夫だろう。

「よしっ、それじゃあちょっとオッサンの顔でも見に行くか」
 ベアの奴がぐったりしている姿なんてそうそう拝めるものでもないしな。
 オレはニヘヘと顔をゆがめて笑った。
「具合の悪い人をからかったりしたら駄目よ」
 早速エイティに釘を刺される。
「景気付けだよ。このクソ暑いのに頭から毛布被ってるなんて見てらんないだろ」
 ベアのいる船室へ向かうべく、クルッと踵を返して歩き出す。
 その時だった。
 マストの土台部分の影から突然オレの目の前に人が飛び出して来たのだ。
「おっと!」
「きゃっ!」
 オレはとっさに身体を捻ってかわそうとしたが時既に遅し。
 お互い短い悲鳴を上げながら激突してしまった。
 オレの方は何とか踏みとどまったけど、相手の方は弾き飛ばされてしまい、その場に崩れ落ちている。
「ゴメン、だいじょう・・・」
 とオレが謝るのを遮るかのようにかん高い声が響いた。
「ちょっと気を付けて下さいな! 一体どこを見て歩いておられるのですか!」
 言葉遣いこそ丁寧だけど、その口調はかなりキツイ。
「クレア様、大丈夫ですか?」
「ええ」
 御付の侍女さんだろうか、20代後半ぐらいの女の人に支えられながらクレアと呼ばれた少女が立ち上がった。
 年はオレと同じか少し上ぐらいか。
 黄色のサマードレスとそれに合わせた色のつば広帽。
 肩の下まで伸びた髪はふわふわとした栗色。
 瞳はそれより少し淡いブラウン。
 服も帽子も、ヒラヒラとしたリボンやフリフリのレースでたっぷりと飾り付けられてあった。
 その全身から「私は女の子よ!」というオーラが燦々と放たれていた。

「どうもすみません」
 見かねたエイティがクレアの前に出て深々と頭を下げた。
「あなたの弟さん?」
「いえ、この子は私の旅仲間でして・・・」
「そう言えば、全然似てないですわね」
 クレアはいかにも胡散臭い物でも見るようにオレの顔を覗き込んでいる。
「あなた達、お名前は?」
「私はエイテリウヌ。そしてこっちは・・・」
「ジェイクだ」
 エイテリウヌはエイティの本名だ。
「そうですか。私はクレアと申します」
「クレアさん、ごめんなさい」
「済まなかったな、クレア」
 エイティとオレは再度クレアに謝った。
 これで相手も許してくれるだろう、と思っていたのだが・・・
「ちょっとあなた、ジェイクと云いましたかしら? 気安く私の名前を呼ばないでくれます? それに私はあなたに名前を呼び捨てにされる覚えはありません。私の事は『クレア様』と呼んで下さいな」
「あっ?」
 な、何だこの女? 自分の事をクレア様と呼べだと・・・
 オレとエイティはお互い顔を見合わせてしまった。
 エイティの表情にも、困惑の色がありありと浮かんでいる。
「申し訳ありません」
 と言いつつ進み出た御付の侍女さんが説明してくれたところによると、こちらのクレア(様)は何とかって大公の一人娘、いわゆるお嬢様なのだそうだ。
 その大公様はこの船の船主にも多額の出資をしている。
 クレアはこの船の中ではいわゆる超VIPなのだそうだ。
 今は学校の夏季休暇を利用しての旅行中で、数日後にダリア城で開かれるパーティに出席する為にこの船に乗っているという事だった。
 ちなみにこの侍女さんはマリーという名前だそうだ。
 
 クレアは、マリーさんが説明している間もキツイ目付きでオレ達を、と言うか主にオレを睨んでいた。
 そんなクレアに違和感があった。
 クレアの首にはネックレスチェーンが掛けられていたのだが、肝心のペンダント本体が服の胸元に隠れている。
 これだけオシャレな女ならペンダントもちゃんと見えるようにするだろうに・・・
「ちょっとジェイク、どこ見ていらっしゃるのかしら?」
「えっ? 何が・・・」
「何がじゃありません。あなた今私の胸を見ていらしたわね! ああイヤらしい」
 クレアは両手を組んで自分の胸元をかばうと身体を横に捻った。
 どうやらオレの視線をかわそうとしているらしい。
「あっ、いやオレは別に・・・」
 ペンダントが気になっただけなんだけど、と言う暇すら無かった。
「だから男の子って嫌いなんです。言わせてもらいますけどね、私は男の子が大嫌いなんです。ええ、ちょうどあなたぐらいの年の子ですわ」
 クレアはオレに言葉を挟ませる隙を与える事無く捲くし立て続けた。
「男の子はみんな言葉遣いは乱暴で行動はガサツ。服なんかも着たきりだしろくにお風呂も入らないものだからとても嫌な臭いがします。
 ええそうですわ、子供っぽくてバカな事ばかりするくせに女に対しては変に威張りたがって、自分が何様だと思っていらっしゃるのかしら?
 そして一番許せないのが、いつもいやらしい事ばかり考えている事ですわ。あなただって今私の胸を見ていやらしい事を想像していたのでしょう? そうに違いありませんわ!」
 クレアのキツイ視線がオレに突き刺さる。
 これだけ言われると怒るというより呆れてしまって返す言葉も思いつかない。
 その上、だ。
「そうなの、ジェイク?」
「オレに聞くなよ」
 エイティまでオレの事をジト目で見るし。
 しかし、当たらずとも遠からずといったところかも知れない。
 お世辞にもオレの言葉は丁寧じゃないし、服は着たきりで風呂に入らない事もしょっちゅうだ。
 でもまあオレの場合は「いやらしい事を想像して」ってのは違うだろう。
 わざわざ想像なんてするまでもなく、普段から自分の身体を見ている訳だし・・・

「あら、ウサギですか?」
 オレに一通りの小言をぶつけて気が済んだのか、次にクレアが目を付けたのは、エイティの足元に控えていたボビーだった。
「あなた、お名前は確かエイテ・・・」
「エイテリウヌです。長いのでエイティと呼んで下さいな」
「そう。そのウサギはあなたのですの、エイティ?」
「はい、ボビーっていうんですよ」
 エイティがボビーを抱き上げクレアの目の前に差し出す。
 オレもエイティもてっきり「かわいいウサギですね」という言葉が返ってくると思っていたけど、これが見事に裏切られてしまう事になる。
「まあ、この船に乗ってから船室や通路がどこか獣臭いと思っていましたが、そのウサギのせいでしたのかしら。
 野ウサギを拾ってきたものですか? ノミなんか大丈夫かしら。そもそも動物を放し飼いにしているなんて非常識じゃないです事?」
「けものくさい、ですって?」
 クレアの強烈な口撃に、エイティのこめかみがピクピクと反応しているし、当のボビーはというと、すっかりへこんじまってる。
 ダメだな、こりゃ。
「ジェイク、もう行きましょう。これ以上この娘の相手してたらこっちがバカみたいだわ」
 怒りの収まらない様子のエイティは、ボビーを抱きしめたままツカツカと歩き出した。
「おいエイティ」
 オレがその後を追おうとした時だった。
「あらっ、あれ何かしら?」
 既にボビーにも興味を失った様子のクレアが遥か遠くの洋上へ視線を向けていた。
 オレもとっさにその方向を見やる。
 そこには黒い塊がポツンと一つ、洋上に浮かんであった。
 その塊は上部からモクモクと黒い煙を吐きながら、次第にこちらに近づいて来ているようだった。
「船だよ。最新式の蒸気船さ」
「でも様子が変よ。真っ直ぐこっちに向かって来るみたい」
 さっきあれだけ怒っていたエイティも歩みを止めて遠くの洋上を見詰めている。
 果たしてその蒸気船は、エイティの言うようにこっちへ真っ直ぐ突き進んで来ていた。
 そして・・・
 ズガァーーーン!
 突然打ち出された大砲がオレ達の乗るホワイトスワン号のすぐ脇の海面に着弾したんだ。
「海賊だー!」
 船員の怒声が響く。
 船内が一瞬にしてパニックに陥った。

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