ホークウインド戦記
〜約束の空〜

戻る


 一行は今、第七エリアの通路を進んでいた。
 次第に近付くワードナの気配。
 この通路でも魔物と出くわしかねない、慎重に周囲を警戒しながら、それでも確実にワードナとの距離を縮めていった。
 やがて。
 最後の角を折れたその先、通路の右手に扉が見えた。
 扉にはご丁寧に
「W*E*R*D*N*A」
 とこの部屋の主の名前が記してあった。
「よぉーし、ここだ」
 アイロノーズがその扉を食い入るように見入っている。
 いよいよだ。
 これ以上はない程の緊張感に襲われる。
 過去にもワードナに挑んだパーティはいくつかあった。
 それらはことごとく敗走させられたのだが、それと同時に貴重な情報を持ち帰ってくれたのだった。
 大魔導師ワードナ。
 不死王バンパイアロード。
 その僕のバンパイア。
 倒すべき敵の名前と特徴などである。
「いいか、部屋に踏み込んだらルシアンナは何も考えずにティルトウェイトをぶっ放すんだ」
「いいの?」
「ああ、もうここまで来たらケチる必要はねえからな」
「分かったわ」
 アイロノーズの指示を受け、ルシアンナは大きく頷いた。
「ウォーロックはジルワンでバンパイアロードを仕留めてくれ」
「ジルワン? ジルワン・・・あー、あの呪文か」
「大丈夫か?」
「滅多に使わん呪文だからど忘れしとったわい。ジルワン、ジルワンだったな」
 ブツブツと呪文の名前を繰り返すウォーロック。
「ジイサンは臨機応変に頼む」
「全力を尽くそう」
 ゆっくりと頷くルーン。
「オレ達はワードナを殺る。いいな」
「ああ」
「やりましょう」
 アイロノーズ、ハヤテ、鷹奈の前衛陣がお互いに視線を交わす。
 武器を構える者、呪文を唱えるために精神の集中を図る者。
 皆が最後の戦いに集中していった、その中で。
「あぁ、最後にラム酒を一口呑みたかったわい」
 今になっても酒に未練を覚えている者がいた。
 ウォーロックである。
「おかげですっかり酔いが醒めちまったよ。あれ? 手が震えとるわい」
 ブルブルと小刻みに震える自分の手を見詰めるウォーロック。
 決してワードナとの戦いを目前にしての武者震いなどではない。
 それはアルコール中毒者に見られる禁断症状だった。
「おい、大丈夫か、ウォーロック?」
「へっ? ああ、大丈夫さ。ジルワンだろ? ちゃんと覚えとるわい」
「ならば良いが」
 一抹の不安を感じながらも納得するアイロノーズ。
 そのアイロノーズがいよいよ扉に手を掛けた。
「良いな? 行くぞ!」
 バンっと扉が押し開かれた。
 
 それ程広くないその部屋は、いかにも魔導師の実験室といった趣だった。
 様々な魔道具が所狭しと並べられ、壁には大量の蔵書を押し込んだ巨大な書棚。
 部屋の奥に置かれた机の上には書きかけの書類が散乱し、人の頭程もある水晶玉が鎮座していた。
 その机に向かっていた人物が、椅子に座ったままの姿勢でゆっくりとこちらを振り返った。
 討つべき敵、大魔導師ワードナである。
 紫を基調としたローブと背の高い宝冠を身に付けた、白く長い髭が印象的な老人だった。
 ワードナの傍らには目に鮮やかな深い蒼の衣装をまとった男がいた。
 金色の髪をなびかせたその相貌は、この世の女性全てを虜にしてしまうのではないかと思える程に整っている。
 不死王バンパイアロード。
 そしてバンパイアロードの周りには、既にハヤテ達も何度か戦っているバンパイアが五体、突如現れた侵入者に対して長く伸びた爪をしならせている。
 アイロノーズが扉を開けた瞬間から、既に戦いは始まっている。
「遠慮無しにやらせてもらうよ!」
 先制攻撃とばかりにルシアンナがティルトウェイトを放った。
 数ある攻撃呪文の中でも最大の破壊力を誇る、魔法使いの切り札とも言うべき呪文が炸裂する。
 部屋の中の空気が一気に収縮し、その反動で起こった大爆発。
 轟音、振動、そして紅蓮の炎。
 地獄の業火がワードナらを包み込み、一瞬にして骨まで溶かす程の勢いで燃え盛っていた。
「ぐげげがぁぁ」
 五体いたバンパイアのうちの三体が既に灰と化していた。
 残りの二体が炎の中から飛び出してくる。
「彷徨える者共よ、闇に還るが良い」
 ルーンが高らかに叫ぶと同時に聖なる光がバンパイアを照らす。
 闇の魔力に操られたバンパイアの身体は聖なる光によって燃え尽くされ、塵となって地に沈んでしまった。
 これでバンパイアは全て葬った事になる。
 しかし。
 ティルトウェイトの大爆発を高度な呪文無効化能力で退けたワードナと、不死王の名に恥ずかしくない呪文抵抗力で抑え込んだバンパイアロードは平然としたままだった。
「あの爆発でも平気な顔をしているなんて、まさにバケモノだな」
「この程度で勝てる相手とも思っていません」
 ハヤテと鷹奈が動き出す。
 バンパイアロードはウォーロックがジルワンで仕留める手はずになっている。
 狙うはワードナただ一人である。
 が。
「ワードナ様には指一本触れさせはしない!」
 二人の目の前にバンパイアロードが立ちはだかった。
 蒼いマントをひるがえしたバンパイアロードが紅く伸びた爪を繰り出してくる。
 ハヤテは宙へ跳んでそれをかわし、鷹奈は刀で受け止める。
「ウォーロック、早くジルワンを!」
 アイロノーズが叫ぶ。
 ウォーロックは懸命に唱えるべき呪文の詠唱を続けていたのだが、どうにも集中しきれていないのが目に見えて明らかだった。
 肌身離さず持っていた酒が切れた事による精神的な不安定。
 それがウォーロックの集中力を著しく低下させていたのだった。
 ハヤテと鷹奈は何とかワードナに迫ろうとするも、バンパイアロードの鉄壁の護りの前に足止めをされていた。
 右でハヤテの忍者刀を受け、左で鷹奈に爪を伸ばす。
 バンパイアロードの爪を鷹奈がはじくと次の瞬間には蹴りが跳ぶ。
 その隙を突いたハヤテの一撃は、余裕を持ってかわされてしまう。
 攻防一体。
 ホークウインドと呼ばれ、数々の魔物を打ち倒してきた二人の攻撃を、バンパイアロードは苦も無く捌いている。
 アイロノーズも何とか戦いに加わろうと戦機をうかがうが、三者の動きを捉えきれないでいた。
「ウォーロック、まだか?」
 こうなれば頼みはウォーロックのジルワンである。
 不死の魔物を粉々に破壊してしまうこの呪文が決まれば、たとえ不死王と呼ばれる魔人でも確実に撃破出来るはずだ。
 と。
 呪文の詠唱を完成させたウォーロックの目がバッと開かれた。
「ホレ、ジルワンじゃあ!」
 ウォーロックの手から放たれた眩いばかりの聖なる輝きが、不死王の身体を四方八方から襲う。
 聖なる輝きに包まれた闇の魔人。
 その顔に、身体にわずかずつだがヒビが入る。
「やったか?」
 誰もがそう思った、が・・・
「フン!」
 バンパイアロードは気合と共に、ジルワンによる聖なる輝きを振り払ってしまったのだった。
 身体に入ったわずかなヒビも、驚異的な回復能力により瞬時に消えてしまう。
「ジルワンとはこしゃくなマネを。しかし、その程度の力量でこのバンパイアロードを仕留められるとでも思っていたのか!」
 ウォーロックの実力ならばバンパイアロードを仕留める事も可能だったはずだ。
 しかし、酒を切らして著しく集中力を欠いた状態では、呪文が不完全だったのだ。
 結果、ウォーロックのジルワンはバンパイアロードに退けられてしまった。
「呪文とはこう使うのだ」
 反撃とばかりにバンパイアロードが呪文の詠唱を始めた。
 その詠唱は一瞬で完成され、死の呪文が放たれた。
「ラカニト!」
 一定の範囲の酸素を消滅させてしまう呪文、ラカニト。
 生物は酸素が無ければ生きてはいけない。
 その酸素を奪って、相手を絶命させてしまう恐ろしい呪文である。
「!」
 散れ、とハヤテが身振りで合図する。
 呪文の効果範囲から抜け出るのが確実な対処法だろう。
 アイロノーズ、鷹奈、ルーン、ルシアンナが素早く反応してその場から避難する。
 しかし呪文を失敗した事で動揺したのか、ウォーロックの動きが遅れてしまっていた。
 今やウォーロックの周囲の酸素は完全に消滅してしまっている。
 酸欠状態に陥ったウォーロックが、口から泡を吹いてその場に崩れ落ちる。
「いかん!」 
 驚異的な鍛錬を積んだ忍者は、長時間呼吸を止める事など雑作も無い。
 ハヤテが無酸素状態のウォーロックの下へ駆け寄り、ぐったりとしてしまったウォーロックの身体を抱えて戻ってきた。
「容態は?」
 慌てた表情で、鷹奈。
「どれ・・・」
 ルーンが手早くウォーロックの状態を確認する。
 口元に手を当てる。呼吸は無い。
 胸に手を当てる。心臓も停止していた。
「・・・」
 言葉も無いまま、重々しく首を横に振る。
 一人の仲間を失った瞬間だった。

続きを読む