ホークウインド戦記
〜約束の空〜
5
大理石張りの通路にコツコツと足音が響く。
地下十階、第一のエリアのこの通路は、ハヤテらにとっても通い慣れた道だった。
次の曲がり角までの距離も身体で覚えているくらいだから、たとえ目をつぶってでも壁にぶつかる事無く進めるだろう。
最初は右、次を左、もう一度左、最後に右。
短めに区切られた通路を四回折れると目の前に扉が現れた。
その扉も今までのような木材の切れ端を継ぎ合わせたようなチャチなものではなく、樫の木の一枚板を切り出して、表面には手の込んだレリーフが彫られているという豪華なものだった。
この扉の向うには、一行の到着を今や遅しと待ち構えている魔物がいるはずだ。
その魔物に出来るだけこちらの気配を感づかれないように、皆が呼吸を潜めて視線だけを交わした。
『いつでも行ける』
それを確認すると、アイロノーズが体当たりをするようにして扉を開け、そのまま全員が一気に玄室内になだれ込む。
うまく行けば敵の不意を突いて先手を取り、戦いを有利に展開出来るはずだ。
しかし。
「何処だ?」
玄室内には敵の姿が見当たらなかった。
アイロノーズがキョロキョロと視線を走らせる。
「上です! 避けて下さい」
侍として相手の気を捉える事に長けている鷹奈が叫んだ。
その声に反射的に全員の身体が動く。
パッと散開して無人になったそのスペースに舞い降りたのは、まるで人間の子供かと見間違える程の小男だった。
イヤ、男か女かすら分からない。そもそもそれに男女の違いといった概念があるのかすら定かではなかった。
緑を基調とした道化服にその身を包み、顔も道化の仮面で隠している。
地獄の道化師、妖魔フラックだった。
ハヤテらも何度か戦った事のあるこの魔物は、悪魔とも不死族とも違う、独自の存在として知られていた。
身体の小ささからホビット族との関係があるのではないかと噂もあったが、真偽の程は定かではない。
忍者を思わせるような体術を駆使して冒険者に襲い掛かり、手にした錫杖を振るえば相手に様々な状態の異常を発生させる。
マヒや石化はもちろん、その一撃が急所に決まれば瞬時に絶命させられてしまうだろう。
更にフラックは、体術だけではなく強力なブレスも吐いてくる。
その威力は熟練の戦士の体力を一瞬にして奪い取ってしまう程で、下手をすればパーティが壊滅してしまいかねない。
このフロアに出没する魔物の中でも、五本の指に入る程の危険な相手と言っても過言ではないだろう。
「マズイ奴がいたもんだぜ」
アイロノーズがアックスを握り締めた。
「援護を頼む」
それだけ言うと、ハヤテは文字通り風のように走り出した。
「私も続きます」
刀を構えた鷹奈がじりじりとフラックとの間合いを詰めていく。
アイロノーズは鷹奈の後方から、フラックの動きが止まるその時をじっと待つ。
元来ドワーフ族はあまり動きが俊敏なほうではない。
アイロノーズ自身が素早く動き回るフラックを捉えるのは難しいとの判断だ。
一方、後衛の三人は各々呪文を唱え始める。
ルーンがパーティの守備力を上げるバマツを。
ルシアンナがフラックの動きを少しでも鈍らせる為にモーリスを。
そしてウォーロックはいつでも攻撃呪文を放てるように神経を研ぎ澄ませていた。
ダメージを与えるというよりも、フラックがブレスを吐いたのと同時に呪文を放ち、相殺させてしまおうというのが狙いだった。
フラックの後方に回り込んだハヤテが一気に跳び掛かるのと同時に、鷹奈も正面から刀を振るう。
幾多の敵を仕留めてきた、ホークウインド得意の同時攻撃がフラックに炸裂しようとしていた。
しかしフラックはその道化師の仮面を歪める事など無かった。
まず鷹奈に向かって踏み込み、手にした錫杖で刀を弾く。
そのまま身体を反転させ今度はハヤテへ向かって飛び上がった。
空中で身体を回転させながら錫杖を振り下ろす。
ハヤテも身体を捻りながら何とかフラックの錫杖を受け流した。
両者の距離が離れて動きが止まる。
全ては一瞬の出来事。
フラックはまず鷹奈との距離を狭める事で、ホークウインド二人の攻撃が交錯する焦点を外したのだった。
同時攻撃もタイミングをずらせてしまえば容易に対処出来るという訳である。
言葉で言うのは簡単だが、瞬時にそれを判断し、そしてその通りに動いてみせるとは。恐るべきフラックの運動能力であった。
「んもう、ちょこまかしてんじゃないわよー!」
ルシアンナがフラック目掛けてラハリトを放った。
この程度の呪文でフラックを仕留められるとはルシアンナも思ってはいない。
少しでも足止めになればとの狙いだった。
しかしフラックは全く意に介する様子も無く、ヒラリと炎の嵐を掻い潜る。
そして道化師の仮面の口が大きく開く。
呪文のお返しとばかりにブレスをお見舞いしてやろうというのだ。
「いかん、ウォーロック!」
「わかっとるワイ」
アイロノーズが叫ぶと同時に、ウォーロックが呪文を発動させた。
フラックが吐いた高熱のブレスとウォーロックが放ったマダルトが激突する。
目も眩むばかりの閃光。
「ウォーロック、もっと魔力を上げなさいよ!」
「お前さんも少しは手伝わんかい」
魔法使いの二人が怒鳴りあっている。
「私がやります」
鷹奈だった。
構えた刀の刀身に自らの気を集め、フラック目掛けて一気に解き放つ。
放たれた気は風の刃となって、フラックに直撃。確実なダメージとなった。
道化の仮面を被ったフラックの顔色が変わる。
ブレスで戦いの主導権を握れなかったフラックが、再度肉弾戦を仕掛けてきた。
その狙いは、前衛陣の中で一番動きが鈍く御しやすそうなアイロノーズだった。
踏み出したと同時にアイロノーズに肉薄すると大きく右肩を後方に引き、そのまま錫杖を突き出した。
「ぐっ!」
避ける事も受ける事も出来ず、フラックが突き出した錫杖がアイロノーズの胸を深くえぐる。
アイロノーズの身体が後方へ飛ばされ・・・
受身を取る事もなく、ドスンという鈍い音と共に落下した。
アイロノーズはピクリとも動かない。
フラックの一撃を受けたアイロノーズの身体は石化させられてしまったのだった。
「これはいかん」
ルーンが動いた。
老体にしては信じられないような足取りでアイロノーズの下へ駆け寄ると、究極の治療呪文マディを唱えた。
温かい光が周囲を照らす。
「うっうぅ・・・」
マディの効果でアイロノーズの意識が戻り、顔色にも生気が宿ってきた。
「もう大丈夫じゃ」
「スマンなジイサン」
「なんの。これがワシの仕事だよ」
老体の顔がニッとほころんだ。
「そろそろケリを付けないとな」
ハヤテの視線は緑の道化服に注がれていた。
戦いが長くなればそれだけパーティの戦力を消耗する。
もうこれ以上はグズグズしていられなかった。
「私が囮に出ますからハヤテがヤツにとどめを」
「分かった。頼んだぞ鷹奈」
簡単な打ち合わせが済むと、鷹奈がフラック目掛けて飛び出した。
それを迎え撃つフラック。
鷹奈が刀を振るう。
フラックが錫杖で受ける。
鷹奈が返す刀で斬り付ける。
フラックが宙に跳んだ。
その瞬間だった。
空中で不安定な体勢になっていたフラック目掛けてハヤテも跳ぶ。
「でやぁー!」
ハヤテの忍者刀が煌めいた。
しかしフラックも即座に反応する。
身体を丸めて空中回転、体勢を立て直すと下から来るハヤテの攻撃を冷静に受け止めた。
空中での攻防の後両者が着地、そのまま互いに走り寄る。
と、フラックが先程アイロノーズにしたように、右肩を後方に大きく引いた。
ハヤテがそれに気付く。
次の瞬間、突き出された錫杖を身体を捻ってかわしたハヤテはフラックの後方に回り込む。
フラックは勢いよく錫杖を突き出した姿勢をまだ立て直せずにいた。
何とか顔だけでもハヤテに向けようと振り返りかけたのだったが・・・
「っ!」
その時にはもうフラックの表情が凍り付いていた。
ハヤテの渾身の一撃が目にも止まらぬ速さでフラックの首筋をすり抜けたのだ。
しばし時間が止まる。
そして・・・
ゴロンと胴体から切り落とされたフラックの首がハヤテの足元に転がっていた。
どんなに傷付けられてもその度に復活し、悠久の時を生きてきたと云われる妖魔フラックであったが、首を切り落とされてはしばらくは動けないはずである。
「さすがですね、ハヤテ」
「いや、鷹奈のサポートのおかげだ」
お互いの顔を見つめ合い、ほっと戦いの緊張から解放された一瞬だった。
「んー、見事なコンビネーションだったねぇ。さすがはホークウインドだよ」
感嘆の声を上げるのはルシアンナ。
「二人とも、よくやってくれた。にしてもジイサン、マディを使わせて済まなかったな」
アイロノーズは自分の戦いぶりを悔いていた。
「いや、まだ呪文の回数は残っている。なんとかなるだろう」
ルーンは飄々としたものである。
「勝利の後の一杯は格別よ」
ウォーロックは早くもラム酒のビンをあおっている。
皆が勝利の余韻に浸っていたのだが、それも一瞬の事である。
「まだ先は長いぜ。行くぞ」
アイロノーズが動き出した。