ホークウインド戦記
〜約束の空〜
4
地下四階で乗り込んだ第二エレベーターの終点がここ、地下九階である。
その間、地下五階から地下八階には、打倒ワードナに必要なものは何も無い事も解明されていた。
呪文封じやダークゾーン、無数にあるワープポイントなどのトラップが点在しており、今ではそれらのフロアに踏み込む冒険者はほとんどいなくなっていた。
ワードナが潜む地下十階へは、エレベーターを下りてすぐの場所にあるシュートを利用するしかないのだが。
「厄介なヤツがいなければいいがな」
アイロノーズが扉に手を掛けたままの姿勢でぼやいた。
エレベーターを下りてすぐ左手にある玄室に問題のシュートはあるのだが、その玄室には必ずと言っていいほど魔物が待ち受けているのであった。
もしもここで大ダメージを食らうような事態にでもなれば、十階へ下りる事無く撤退してパーティとしての態勢を立て直さなければならない。
「ここで躊躇していても意味が無い。扉の向うに何がいようが倒すまでだ」
「だな」
ハヤテの言葉にアイロノーズが頷き、そのまま扉を押し開けた。
グェ、グググゲェ。
耳障りな鳴き声が玄室内に響いていた。
迷宮に棲み付いている翼竜、ワイバーンである。
その大きさは翼を広げれば優に3メートルを超えるほどだが、狭い迷宮の中では自慢の翼で大空を疾駆する事も適わない。
しかしながら、発達した後ろ足のカギ爪には毒が秘められているのが厄介な相手だった。
ワイバーンは玄室内に四体、獲物の到着を今や遅しと待ち構えていたのだった。
「とっととやっちまうか」
アイロノーズがアックスを振りかぶった、その時だった。
グゲェー! という雄叫びと共に、目の前の翼竜の群れが一瞬にして塵と化したのだった。
「うぃ〜、いっちょうあがりだ」
「ウォーロック!」
パーティの視線が一人の男に集まった。
ウォーロックである。
自称「酔っているほうが呪文の詠唱が早くて正確」なこの魔法使いが、一瞬のうちにマカニトの呪文を唱えてしまったのだ。
「ずるーい、わたしだって呪文使いたかったのに」
「ガハハ。次はお前さんにやらせてやるかな」
「本当? 約束だからね」
ルシアンナとウォーロックがそんなやり取りをしている一方で。
「ハヤテ、宝箱がありますよ」
「分かった」
鷹奈とハヤテは玄室の片隅に置き去りにされた宝箱に注視していた。
玄室に棲む魔物は、自らの所持品などを宝箱にしまって玄室に隠しておく場合が多い。
その中には、現在では生成が不可能とされる、古代魔法文明による品々なども含まれているのだ。
魔物が隠し持つ宝箱を開け中の品々を手にする事で、パーティの戦力強化に繋げるのである。
しかし。
「待ってくれハヤテ」
「ん?」
アイロノーズが宝箱に手を伸ばし始めたハヤテを止めた。
「お前さんの腕を信用しない訳じゃあないんだがな・・・今日のところは宝は無視していこうじゃないか」
「珍しいな。アイロノーズが宝を目の前にしてそんな事を言うなんて」
「まあな。考えてみて欲しい。オレ達の目的は何だ?」
「ワードナを倒す事です」
鷹奈が応えるのにハヤテも同意する。
「そうだ。決して財宝目当てなんかじゃねえだろう。まあ、みすみす宝を置いていくのもシャクだがな。しかしだ、もしここで宝箱の罠に引っ掛かったら・・・」
「ワシの呪文で治療する事になるがの」
ルーンが言葉を繋ぐ。
「ジイさんの言うとおりだ。だが肝心のジイさんがマヒでもしたらそれまでだ。
そうでなくても、毒ガスにでも引っ掛かったら解毒の呪文を六回も使う事になる。そうなったらとても先には進めねえ」
アイロノーズが自分の考えを説明する。
とにかくワードナの所へ辿り着くまで無駄な呪文は使いたくないという事なのだ。
治療呪文を使えるのがルーン一人というのがこのパーティの欠点でもある。
善のパーティならロードがそれを補う事も出来るのだが、あいにくロード職は善の戒律を持つ者しか就けない。
それならばビショップをとなるのだが、この職に就くにも戒律の制限がある。
善か悪の者でなければならないのだ。
また、転職すると五歳程年齢を取ってしまう為に、転職をするなら若いうちにというのが理想である。
もちろん、前衛の者がビショップに転職などという事はありえない。
今のメンバーでそれらの条件を当てはめてみると、ルシアンナが適役なのだが。
「女に年を取れだなんて、ふざけんじゃないわよ!」
と転職には頑として応じようとはしなかった。
結果として、パーティ内での治療回復呪文の担い手はルーン一人に依存している状態なのだった。
「分かった。全ては打倒ワードナの為に、だな」
ハヤテが宝箱から離れる。
「えー、開けないのぉ? もったいない」
「お前さんは黙っとれ」
「私はハヤテの意志を尊重します」
「そうしてもらうとワシも助かるかの」
といったやり取りの結果、パーティとしての方針が固まった。
宝箱は無視する、と。
「よおし、それなら行こうぜ。地下十階だ」
アイロノーズが玄室の片隅にある地下十階へのシュートに飛び込んだ。
そこは全くの別世界だった。
地下一階から九階までは、迷宮を構成する壁や床や天井には、荒く切り出された石材を無造作に組み合わせて使用されていた。
その表面は苔やカビなどに覆われて黒ずみ、いかにも地下通路といった雰囲気だった。
しかしこの地下十階は、それまでとはガラリとその趣を変えていた。
壁や天井は大理石造り。
まるで熟練の職人が丹精込めて仕上げたかのよう。
そこだけを見れば、まるでここは何処かの神殿の通路なのではないかと錯覚してしまうほどの出来栄えだった。
しかし、その通路に漂う空気は華美な神殿のものとは似ても似つかぬ程に濁っていた。
数々の魔物が放ってきた瘴気とも言うべき荒んだ空気が、たちまちのうちに一行を包み込む。
その魔物も今まで戦ってきたどの魔物よりも凶暴かつ邪悪となれば、このフロアの空気が荒むのも頷けるというものだ。
地の底から呼び出されたドラゴン。
極寒の地からやって来た氷の巨人。
冥界から迷い込んだ不死族。
そして魔界から召喚された悪魔。
精神的に強く鍛えられていない者は、このフロアに下りただけで意識を失ってしまうだろう。
もちろん、冒険者としての実力が無ければここで生き抜く事など不可能である。
地下九階のシュートで下りたその場所には、大理石の壁に金色の枠で象られた額が掛けられてあった。
それには、この迷宮の主であるワードナからの警告文が刻まれてある。
その文字が時々不思議な光を放って明滅している。
ハヤテらも初めてこのフロアに下り立った時には、そんな事にすら脅威を感じたものだった。
しかし幾度と無くこのフロアに足を踏み入れるうちに、そんな警告文などは誰も気にしなくなっていた。
また、その警告文が掲げられている壁のすぐ東側には、一瞬にして地上へ戻れる転移地点がある事も判明していた。
近衛兵の帰還用に設置されたとか、ワードナがこれを利用して地上を徘徊しているなどといった噂も流れたが、その真偽は不明である。
現在では、このフロアへ進入した冒険者の脱出用として広く利用されている。
そして更には、この地下十階は細かく区切られた七つの区画で構成されている事も判明していた。
クネクネとうねる通路と玄室。
そして玄室の中に次の通路への転移地点。
そして更なる通路の先にはまた玄室、と。
もちろん、各玄室には必ずと言って良いほど、ワードナが召喚した魔物が待ち構えているのだ。
つまり、ワードナの下へ辿り着くまでには、最低でも六回は魔物との戦いに勝利しなければならない。
更に運が悪ければ通路でも魔物と遭遇するかも知れないとなると、アイロノーズがしきりに戦力の温存、呪文の節約を説いてきたのも頷けるというものだ。
このフロアでは、どんなに熟練の冒険者でも用心し過ぎるという事はない。
ハヤテも今まで脱いでいた忍び覆面を被って少しでも防御力を上げているし、ウォーロックやルシアンナもローブのフードを被り直している。
後衛にいる者は魔物の直接攻撃こそ受けないものの、呪文や高熱のブレスを浴びればそれが致命傷になりかねないのだ。
各人の武器防具、呪文の残量、そして体調にいたるまで。
全てにおいて万全の状態である事を確認したらいよいよ通路を進む事になる。
今ならまだすぐ隣にある転移地点から地上へ戻れる。
しかし、そんな事を口にする者は誰もいなかった。
アイロノーズが最後の確認とばかりにパーティのメンバーの顔を見回した。
みんな良い顔をしている。
その様子に満足したアイロノーズは、ゆっくりと大きく一つ頷いてから通路を歩き始めた。
「鷹奈、行こう」
「はい」
ホークウインドの二人がその後に続いた。