ホークウインド戦記
〜約束の空〜

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24

 カント寺院三階にある大僧正の間。
 そこはかつて、ハヤテに対する裁判が行われた部屋だった。
 300年前の昔話とは言え、死んでいる間の記憶が途切れているハヤテにとっては、つい数日前の事のようにも思えた。
 忌まわしい記憶を振り払いながら、大僧正の間を目指して通路を走る。
 カント寺院に辿り着いてからここまで、人の気配は一切無かった。
 どうやら僧侶達は皆、ワードナ復活の報せを受けたと同時に寺院を捨てて逃げ出してしまったらしい。
 もっとも、ハヤテ達には余計な者がいない方が戦いやすいのだが。
 そして。
「ここだ」
 ハヤテが通路の一番奥にある扉の前で立ち止まった。
「ここにワードナがいるのか?」
「ハヤテあんちゃん、腕は痛む?」
「ああ。これ以上にないってくらいに傷痕がうずいている。この扉一枚の向うにヤツはいる。間違いない」
 左腕を押さえながら応えるハヤテに、鷹羽とフラムも思わず身体が震えそうになる程の緊張を覚えた。
 ついにワードナに追い付いた。
 しかしそれは、最後の戦いの時が来たという意味でもある。
「ワードナは大魔導師だ、強力な呪文を使ってくる。それとバンパイアロードの爪には気を付けろ」
 ハヤテは300年前の戦いを思い出していた。
 鷹奈を失ったあの戦いを・・・
「大丈夫だよ、二人ならやれる。それにアタシも頑張るよ」
「そうだなフラム。必ず勝とう。300年前の過ちは決して繰り返さない。鷹羽も行けるな?」
「あ、ああ・・・よし大丈夫だ」
 鷹羽にはまだ迷いがあるのか、その返事はあまり歯切れの良いものではなかった。
 しかしもうこれ以上はグズグズしていられないだろう。
 今この瞬間にもワードナが魔よけを手にして完全復活を成し遂げてしまうかも知れないのだ。
 それだけは絶対に阻止しなければならない。
「行くぞ」
 ハヤテが扉を開けると三人は一気に大僧正の間へなだれ込んだ。

 主を失ったその部屋はしんと静まり返っていた。
 床一面には机や椅子その他の調度品などが散乱し、この部屋であった混乱の様子がうかがえる。
 正面奥の台座の上には、左右に三対の翼を持つ女神像が祀られてあった。
 その前には背の高い宝冠と紫のローブを纏った老齢の男と、目にも鮮やかな蒼の衣装を身に付けた麗人が後ろ向きに立っていた。
 大魔導師ワードナと不死王バンパイアロードである。
 二人の後ろ姿を見た瞬間、鷹羽の心臓がドクンと跳ね上がった。
(何だこれは・・・私はこれを見た覚えがあるぞ)
 それは既視感と言って良いだろう。
 鷹羽の記憶の断片にある光景と、今目の前にある光景とがピタリと一致したのだった。
 しかし、憎い敵を目の前にして頭に血が上ったハヤテは、そんな鷹羽の動揺に気付かない。
「ワードナ、それまでだ」
 怒りのこもった低い声が大僧正の間に響いた。
 それに応えるように、女神像を見上げていたワードナとバンパイアロードがこちらに振り返った。
 300年前と何も変わらない瞳がハヤテ達を胡乱げに見詰めていた。
 そして。
 ワードナが無言のままゆっくりと左腕をもたげてハヤテへと差し出してきた。
 300年前のあの戦いでハヤテが斬り落とした左腕、今そこにはハヤテにも見覚えのある青白く輝く義手がはめられてあった。
 それに応えるように、ハヤテもワードナへ左腕を突き出した。
「うっ・・・」
「・・・」
 ハヤテとワードナのそれぞれの顔が痛みによって微妙に歪む。
 かつて、共に傷付け合った左腕同士が痛みの共鳴を起こしているのだ。
「なるほどな。キサマを死の眠りから呼び起こしたのは俺だったって訳か」
「ハヤテあんちゃん、それって・・・?」
 つまらなそうに吐き捨てるハヤテにフラムが恐るおそる聞いた。
「ワードナが傷付けた俺の左腕と、俺が切り落としたワードナの左腕とがお互いに呼び合ったってところか。つまらん小細工をしやがって」
「だから、ハヤテあんちゃんが墓所迷宮に下りたその日にワードナが復活しちゃったの? そんな事・・・」
「ワードナならそれくらいの事はやるだろうよ。だが・・・」
 ハヤテはそこで一旦言葉を切ると、忍者刀を逆手に構え戦いの態勢に入った。
「キサマの復活劇もここまでだ!」
 ワードナ目掛けてハヤテが真っ直ぐに走る。
 その姿は、獲物を捕らえんと空中から急降下する鷹のごとくだった。
 しかし二人の間にバンパイアロードが割って入る。
 バンパイアロードはハヤテが繰り出す忍者刀を華麗に爪で受け止めた。
「この死に損ないめが。ワードナ様にはむかうなどこの私が許さん」
「バンパイアロード、キサマにも色々と借りがあったな。この場で全部返させてもらうぞ」
「人間風情が何をほざくか」
 ハヤテとバンパイアロードは、互いに攻撃を繰り出しては受けるを繰り返す。
「鷹羽ねえちゃん、アタシ達も」
「ああ」
 フラムの呼び掛けでようやく我に返った鷹羽が刀を構えて動き出す。
 バンパイアロードの側面へ回ると奇襲を仕掛けた。
 しかしバンパイアロードは慌てない。
 正面のハヤテの攻撃を右の爪で弾きながら、脇から来た鷹羽の攻撃は左手の指で刀を挟んで受け止めてしまう。
「このぉ!」
 背後から短剣を突き出してきたフラムには、スラリと伸びた長い足がめり込んでいた。
「うっ・・・」
 フラムの小さな身体が吹っ飛ばされて床を転がる。
「ええい、目障りなヤツらだ」
 三人の攻撃を同時に受けきったバンパイアロードは一気に決着を付けんとばかりに呪文を放つ。
 マダルトの嵐が大僧正の間に吹き荒れた。
「散るんだ!」
 ハヤテが叫ぶと同時に跳躍し、呪文の効果範囲から逃れる。
 フラムは素早く物影に身を隠した。
 しかし、鷹羽の反応が遅れてしまった。
「うっ」
 マダルトの嵐に巻き込まれた鷹羽は、身体の周りに自らの気を張り巡らして少しでも呪文のダメージを軽減させる。
 しかし、そこを見逃すバンパイアロードではなかった。
「死ね」
 赤く伸びた爪が鷹羽を襲う。
 鷹羽も辛うじて反応するも、二の矢三の矢と繰り出されるバンパイアロードの追撃を受けるだけで精一杯だった。
「ふっ、300年前もキサマとはこうやって戦ったのだったな」
 バンパイアロードが昔を懐かしむようにもらした。
 300年前のあの戦いでは、ホークウインドの鷹奈がバンパイアロードを引き付けるべく一人で奮闘したのだった。
「300年前だと・・・」
「ああ。だが昔の方が手応えがあったがな。今のお前はハッキリ言って弱い」
「何を訳の分からない事を!」
 バンパイアロードの言葉に再び混乱に陥った鷹羽が刀を振り回す。
 しかし、ただ闇雲に刀を振るうだけでは不死王バンパイアロードを捉えられるものではない。
 バンパイアロードは余裕の表情で鷹羽の攻撃をあしらっていた。
「鷹羽、落ち着け!」
 見かねたハヤテが助っ人に入るも状況は変わらない。
 息の合わない二人の攻撃はバンパイアロードの身体にかする事すらなかった。
 グレーターデーモンとの戦いで見せた二人のコンビネーションが、まるで嘘のようだった。
「ふっ。これならワードナ様の御手をわずらわせる事もあるまい。さあワードナ様、今のうちに魔よけをその手に御取り下さい」
 バンパイアロードがワードナに呼び掛けると、大魔導師は満面の笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。
 ワードナがブロンズの女神像へと歩み寄る。
 青白い義手をはめた左腕が女神像へと差し出された。
 義手が女神像が首から下げたペンダントへと迫る。
 女神像が首から下げたそのペンダントこそが、ワードナが渇望していた魔よけなのだった。
 金銀をふんだんに用いて精巧に細工された台座に埋め込まれた赤い宝玉が妖しい光を放っている。
 勝利を確信したワードナの顔が大きくほころんだ。
「させるかー!」
 ワードナが魔よけを掴むのを阻止せんと、鷹羽が居合いによる一刀を放った。
 居合いの刃は真っ直ぐにワードナが伸ばした左腕へと迫る。
「!」
 それに気付いたワードナが寸前で腕を引いた。
 ワードナが避けた居合いの刃はそのまま空を突き抜け、女神像へと激突する。
 女神像の頭に被せてあったガラスのティアラが弾け飛び、そこに埋め込まれていた緑の宝玉が粉々に砕けた。
 そして・・・
 女神像に異変が起こる。
 無機質なブロンズの身体が徐々に生身のそれへと変わり、やがて生気を取り戻していったのだった。
 背中まで伸びた金色の髪に雪のような白い肌。
 淡い桜色のドレスを纏い、背中には左右三対六枚の翼がひるがえる。
 閉じられていた目がゆっくりと開かれた。
 薄いブルーの瞳が目の前の光景を捉えていた。
「あれは・・・まさか」
 女神像だったものに向けられたフラムの目がまん丸に見開かれている。
 否、フラムだけではない。
 その場にいる誰もが突然起こった信じられない光景に、ただただ呆然と見入るばかりだった。
「私はドリームペインター。夢を紡ぐ者と云われています」
 復活した女神、ドリームペインターが六枚の翼をはためかせて台座から浮かび上がった。

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