ホークウインド戦記
〜約束の空〜
22
月明かりに照らされた城塞都市の中はしんと静まり返っていた。
永き眠りから復活した大魔導師が、封印されていた墓所を抜け出して街へと侵入したという噂は既に広まっているのだろう。
人々はみな家に引きこもり、じっと息を潜めていると思われた。
ハヤテ達はそんな城塞都市のメインストリートを寺院を目指して走り続けた。
道中いたるところに呪文の炎によって焼かれた建物の跡や、ワードナに抵抗しようとして殺された兵士達の亡骸なども見られた。
城塞都市に入ってから、ハヤテの左腕にある傷跡は今までになくその存在を主張し続けていた。
ワードナが近い事を肌で感じるハヤテだったが、もうそれを口にしようとは思わなかった。
わざわざハヤテが言わなくても、鷹羽もフラムも十分承知しているはずだから。
やがて三人が寺院の前まで辿り着く。
神聖なるカント寺院も今となっては復活した大魔導師によって踏みにじられているのだろうか。
逸る気持ちを抑えてハヤテが切り出した。
「鷹羽、それにフラム。二人はもうここまででいい」
「何を言うんだ、ハヤテ?」
「ハヤテあんちゃん・・・?」
不思議な物を見るような顔で鷹羽とフラムが応えた。
「俺はヤツに借りがある。だからヤツとはそのケリを付けなければならない。だがこれはもう巡回兵の仕事を超えている。二人ともこれ以上は・・・」
「何を言っているんだ」
ハヤテの言葉をピシリと遮る鷹羽。
「ここまで来たんだ、最後までやらせてもらうぞ。
それに、元々巡回兵の仕事にハヤテを巻き込んだのは私達だ。ここでハヤテだけに押し付けて帰るなんて出来るはずがないだろう」
「そうだよハヤテあんちゃん、そんなの水臭いよ」
「ワードナは強いぞ」
「それでこそ倒し甲斐があるというものだ」
「そうそう」
鷹羽とフラムがいたずらっぽく笑った。
こうなってはハヤテの方が折れざるを得ない。
「よし、行こう」
三人はお互いの意思を確認して寺院へと踏み込んだ。
寺院へ入ってすぐの一階部分は、多くの参列者を収容して儀式などを執り行う礼拝堂になっていた。
壁には何枚もの宗教画が飾られ、窓にはステンドグラス、正面奥には高さ2メートル程のカドルトの神像が祀られている。
そのカドルト神像の前に、一人の小男がたたずんでいた。
フラムと同じホビット族と思われるその男は、頭が禿げ上がり白い顎鬚をたくわえた老人の姿をしていた。
元は緑だったはずの衣服はよれよれに汚れていて、靴などは履いておらず裸足でその場に立ち尽くしていた。
「よう来たな、フラム・・・」
男がしわがれた声でフラムの名を呼んだ。
「ディンク! まさかこんな所で会うなんてね」
フラムの小さな身体がわなわなと震えている。
「知り合いか?」
ハヤテが小声で聞いた。
「アイツはね、アタシの半身なの」
「どういう事だ?」
「ハヤテあんちゃん、アタシ300年前にハヤテあんちゃんと会っていたんだよ」
「!」
フラムの告白にハヤテの身体がピクリと反応する。
「フラック。それがアタシの正体だった。アタシは昔ハヤテあんちゃんと戦ったの」
「フラック・・・そうか」
ひょっとしたらとは感じていた。
そして、やはりというのが正直な気持ちだった。
ハヤテには、ゴーレムと戦った時のフラムの動きに見覚えがあるような気がしていたのだ。
フラムが短剣を突き出す前に右肩を大きく後ろに引いたあの動き。
それはかつて戦ったフラックの動きとそっくりだったのだ。
「そして鷹羽ねえちゃんとも戦ったんだよ。でも鷹羽ねえちゃんは忘れちゃったみたいだけどね」
「ちょっと待て。フラックとは・・・それに私とも戦ったというのか?」
一人事態が飲み込めていないのは鷹羽だった。
「鷹羽ねえちゃん、今は説明している時間が無いよ。
アイツの相手はアタシが引き受ける。ううん、アタシがやらなきゃならないの。だから二人は早くワードナを追って」
「分かった。行くぞ鷹羽」
「おい、ちょっと・・・」
ハヤテが鷹羽の手を取って強引に走り出した。
礼拝堂の脇にある扉を抜ければ二階へと続く階段があるはずである。
「二人とも、無事でいてね。さてと」
ハヤテと鷹羽を見送ったフラムがディンクに向き直った。
「アンタともケリを付けないとね」
妖魔フラックはかつてワードナの地下迷宮で幾多の冒険者を抹殺してきた。
しかしワードナの死後はその姿を見た者はいなかったと云う。
フラックもまた、ワードナに忠誠を誓わされた存在なのだった。
ワードナが墓所迷宮の奥に封印された後も、ワードナの復活を恐れたフラックはその監視をしなければと考えた。
が。
魔物の姿で墓所迷宮の中をうろつくのはあまり好ましい話ではない。
そこでフラックは、人と融合して人間社会に溶け込むという方法を取ったのだった。
己の身体を分子レベルにまで分解して子を宿した母体へと潜り込み、そのまま胎児と融合する。
やがて産まれたフラックと人の子との融合体は、人間社会で一人の人として成長し、墓所迷宮の巡回兵の仕事に就いた。
一番最初にフラックが融合したのは、ドワーフの男の身体だった。
しかしドワーフの身体は重くて動き難く、かつてフラックだったモノにとっては扱い難い身体だった。
そしてそのドワーフの死後、フラックは再び別の人と融合した。
それは、ヒューマンの女だった。
女の身体は柔らかくしなやかで、かなり扱いやすいものだった。
ヒューマンの女としての生涯を終えると、次の融合先はホビットの男だった。
ホビットの身体は本来のフラックのものに近く、これはなかなか満足出来るものだった。
以後フラックだったモノは、ホビットの身体に融合してはその者としての人生を送り、また新たなホビットとして融合するという事を何代にも渡って繰り返したのだった。
その過程で一つの変化が起こっていた。
すなわち、フラックが持っていた「記憶」と「邪悪な感情」が分離してしまったのだった。
その結果、フラックの「記憶」を受け継いだ者と、フラックの「邪悪な感情」を受け継いだ者が産まれるようになった。
両者は同じフラックから分かれた存在ではあったが、常に対立し続けてきた。
「記憶」を受け継いだ者は「邪悪な感情」に飲み込まれるのを恐れ、「邪悪な感情」を受け継いだ者は「記憶」に支配される事を嫌ってきた。
やがて「記憶」のフラックはホビットの女として産まれてきた。
それがフラムである。
成長したフラムはやはり墓所迷宮の巡回兵となり、ワードナの監視を続けていたところで鷹羽と出逢ったのだった。
また、フラムより50年程早く産まれたのが、「邪悪な感情」を受け継いだディンクだった。
「邪悪な感情」を持つが故に、ディンクはあまり人間社会には溶け込めずに半ば魔物として生きてきたのだったが、今回ワードナの召喚に応じてフラムの前に姿を現したのだった。
こうして「記憶」と「邪悪な感情」は再び遭遇したのだ。
フラムとディンクは礼拝堂の中央で睨み合っていた。
短剣を構えるフラムに対してディンクは何も持たない無手の状態だった。
フラムには、早くディンクを倒してハヤテ達に追い付かなければという焦りがあった。
しかしディンクにはそのような束縛は一切無い。
ただ「邪悪な感情」が赴くままに、目の前の憎き「記憶」を抹殺するだけだった。
先に動いたのはフラム。
礼拝堂に並んだ椅子の間に身を隠しながらディンクへと擦り寄る。
それに対してディンクは軽く跳躍すると、椅子の背もたれの部分に着地する。
高い位置に就いたディンクからは、フラムの動きが丸見えだ。
獲物の位置を確認するとディンクが大きく飛翔する。
「うわっ」
椅子の間に潜んでいたが故に、フラムの動きが制限される。
上空から襲い掛かるディンクが手刀を放つのを身体を丸めて転がって避ける。
無手で戦い、なおかつ手刀を放つとは。
ディンクの戦い方はまるでニンジャそのものだった。
一方フラムは盗賊でしかない。
かつてフラックだったとはいえ、今ではその力は大きく減退している。
ニンジャ対盗賊では、両者の戦闘能力の差は歴然だった。
フラムに有利な点があるとすれば「若さ」という事になるのだろうが、ディンクは老人とは思えない程の身体能力を見せ付けていた。
より速く走り、より高く跳ぶ。
フラムも懸命に動き回ったが、ディンクの動きはフラムのそれを遥かに凌駕していた。
「このままじゃやられる」
逃げ回ってばかりでは勝ち目は無い。
フラムは反撃に転じる事にした。
上空から襲い来るディンクに対して懸命に短剣を振りかざす。
しかしディンクも戦い慣れていた。
フラムの短剣を確実に受け止め、弾き返し、そしてフラムの喉元へと手刀を伸ばしてくる。
フラムは倒れながらもその手刀を蹴り返す。
そのままの姿勢で礼拝堂を転がりながら逃げるフラムをディンクの蹴りが襲う。
一発、二発とディンクの蹴りがフラムの腹や背中をえぐった。
それでも懸命に逃げ回ったフラムがようやくの事で体勢を立て直す。
しかし。
「ヤツは?」
立ち上がったフラムの視界からディンクの姿が消えていた。
素早く視線を巡らせると、ディンクはカドルト神像の頭の上に立っていた。
完全に頭上を取られた形のフラム。
自分の有利を知ったディンクがカドルト神像から飛んだ。
今度こそ獲物を捉えんと手刀を放つ、その為に大きく右肩を引いた。
「右肩を大きく引く癖!」
かつてハヤテがフラックの癖を見切ったように、フラムも今またディンクが右肩を大きく引く癖を見逃さなかった。
上空から襲い来るディンクを迎え撃つように跳ぶと、突き出された手刀を潜り抜け、ディンクの喉元に短剣を突き立てた。
「ぐ・・・ぐぶ」
切り裂かれた喉から大量の血を吹き出しながら、ディンクの身体がズドンと落ちた。
「はあ、はあ」
肩を上下させて呼吸を大きく乱しながらも、フラムはカドルト神像の足元に着地する。
それは、フラックの「記憶」が「邪悪な感情」を制した瞬間だった。
「ハヤテあんちゃん、鷹羽ねえちやん、無事でいて・・・」
勝利の余韻に浸る間も無く、フラムは礼拝堂の脇にある階段を駆け上った。