ホークウインド戦記
〜約束の空〜
20
地下四階に上がるとすぐに
「うっ・・・」
ハヤテの顔が苦悶に歪んだ。
「ハヤテあんちゃん!」
「どうした? 例の腕の傷か」
フラムと鷹羽が心配そうにハヤテの顔を見る。
「ああ、今までに無いくらいに古傷がうずく。どうやらワードナはかなり近くにいるようだ」
辛そうに左腕を押さえるハヤテ。
地下七階で遭遇したバンパイアロードには、『自分もワードナも一度死んだ事で契約は期限切れだ』と啖呵を切ったのだが・・・
300年前ワードナの手によって刻まれた契約の証は、今もハヤテを苦しめ続けるようである。
「とにかく急ごうよ。ワードナはすぐ近くにいるんだよね。とすると・・・」
フラムが通路を歩き始める。
「気を付けて。ここは壁の位置が周期的に変わったり、突然背後に壁が出来たりしてとても迷いやすいから」
「それに、すぐ側にはワードナか。油断は禁物だな」
フラムと鷹羽がハヤテの前を行く。
ハヤテの傷は歩く度にズキンズキンと、ハヤテの左腕を締め付けるようにその存在を強烈に主張する。
それだけワードナがすぐ近くにいるという証なのだろうか。
周期的に回転する壁をいくつかやり過ごすと、やがて三人は少し開けた場所へ出た。
「あそこを見て!」
フラムが少し離れた場所を指差して叫んだ。
「何だあの光は?」
鷹羽がいぶかしげに目を細める。
そこには、闇に閉ざされた地下迷宮には似つかわしくない光が燦然と輝いていた。
「ワードナだ。ヤツがあそこにいるんだ」
「ハヤテあんちゃん・・・」
「二人とも、行こう。ワードナはここで止める」
「ハヤテ、腕は大丈夫か?」
「ああ、左腕の一本くらいはヤツにくれてやる覚悟だ」
ハヤテは早くも忍者刀を抜き、目の前の光へと歩み寄った。
光は迷宮の床面から放たれていた。
円陣の中に複雑に描かれた幾何学模様とルーン文字。
魔法陣である。
それを作ったのは果たしてワードナ本人なのか、それとも他の第三者なのか。
背の高い宝冠と紫のローブを身に付けたワードナは、眩いばかりの光を放つ魔法陣の中心に立ち、近付く者に気付く様子も無く一心に呪文を詠唱していた。
「ついに追い付いた。ワードナ、お前の復活劇もここまでだ」
ハヤテが魔法陣の中心にいるワードナを睨む。
しかしワードナは全く意に介する様子も無く、呪文の詠唱に集中しているようだった。
「いつまでそうしているつもりかは知らぬが、俺には関係無い」
ワードナが戦う態勢に入っていようがいまいがそんな事はハヤテの知った事ではない。
ハヤテは逆手に持った忍者刀を掲げ、ワードナへと跳び掛かった。
瞬間。
それまで無表情だったワードナの顔がニヤリと歪んだような気がした。
それと同時に魔方陣が更なる輝きを放つ。
そして。
ハヤテの目の前に、漆黒の毛並みをした馬に騎乗した悪魔の姿が現れたのだった。
悪魔は黒い身体に紅いマントをなびかせ山羊に似た頭部を持っていた。
黒色の騎馬はワードナを護るようにハヤテの前に立ちはだかる。
ハヤテ自身は初めて目にするその魔物は、魔界を自由に駆け抜ける漆黒の駿馬ナイトメアと、それを操る黒の乗り手のダークライダーである。
鼻息も荒くハヤテを見下ろすナイトメアと、冷酷な視線のまま馬上で長剣を抜くダークライダー。
「クソっ」
闇に染まった騎兵に阻まれて、ワードナへ近付く事すら出来ないハヤテ。
ワードナはそんなハヤテに侮蔑とも取れる笑いを残して、音も無くその場から移動を始めた。
それと同時に眩く輝いていた魔方陣が次第にその光を失っていき、辺りは静かな闇が支配する世界へと変わる。
「待て、ワードナ!」
ハヤテが叫ぶもワードナは振り向く事無く、再び闇の彼方へ消えて行く。
「ハヤテ落ち着け。まずはコイツらを倒すのが先だ」
どこまでも冷静な鷹羽が焦るハヤテの背後から声を掛ける。
「分かった。ここは頭を切り替えないとな」
鷹羽の一言に気持ちを落ち着け、目の前の敵に集中するハヤテ。
しかし。
「それじゃは鷹羽は・・・」
と言いかけて言葉が止まった。
今日これまでの戦いでは、ハヤテと鷹羽は全くと言って良いほど呼吸が合っていなかった。
初めて一緒に戦うのだからそれも当然と言えばそれまでなのだが・・・
そんな考えが一瞬ハヤテの頭をよぎると、鷹羽にどんな指示を出せば良いのか分からず、思わず躊躇してしまうのだった。
そこへ、動き出した漆黒の騎兵が二人を襲う。
魔界の騎手ダークライダーを乗せたナイトメアが、ハヤテ達目掛けて猛然と突っ込んできたのだった。
「危ない!」
後方からフラムが叫ぶ。
ハヤテと鷹羽は共に横に転がってナイトメアの突撃をかわした。
しかし漆黒の騎兵は追撃の手を緩めたりはしない。
馬体を反転させると再度ハヤテらへ襲い掛かって来る。
ダークライダーが馬上から剣を突き出してくるのを、ようやく体勢を立て直したハヤテが辛うじて忍者刀で受ける。
鷹羽も攻撃をと動くところへ、今度はナイトメアが前足を高く持ち上げて後ろ足で立ち上がる。
「なっ!」
想像以上の巨大な影が鷹羽の目の前にそびえ立った。
ヒーンというかん高いいななきを響かせながら、ナイトメアは振り上げた前足を鷹羽目掛けて下ろして来た。
ヒトの何倍にもなる馬の体重で踏み付けられたら、それだけでも大怪我をしてしまうのは間違いない。
横に転がってナイトメアの前足をすんでのところでかわす鷹羽だったが、更にダークライダーが剣を繰り出して追い討ちを掛けてくる。
「クソっ」
鷹羽は転がりながらも少しずつ体勢を立て直し、ダークライダーの剣を刀で受け止めては弾き返していた。
疾駆する駿馬に追い立てられ、更には馬上からの剣による攻撃。
人馬一体となった攻撃にハヤテと鷹羽はうまく立ち回れないでいた。
「二人とも、一緒にいたら馬に襲われちゃうよ。別々に逃げて!」
フラムの声がハヤテと鷹羽に届いた。
二人は目線だけで頷き合うと、それぞれ逆方向へと走り出す。
一瞬、ダークライダーがどちらを追うべきか躊躇したように思えた。
ハヤテと鷹羽は漆黒の騎兵を挟んで正反対の位置に立つ。
(俺から行くか・・・)
ハヤテが仕掛けようと動き出す、その寸前。
ナイトメアは鷹羽目掛けて走り出した。
しかし、今度は鷹羽も逃げなかった。
迫り来るナイトメアの脇へ回って、その前足に一刀を浴びせる。
ヒヒーンといななくナイトメア。
馬上からはダークライダーの剣が鷹羽を襲う。
しかし、その攻撃は鷹羽には届かなかった。
ナイトメアの後方から追い掛けるように走っていたハヤテが、ダークライダーと鷹羽の間に滑り込むように身体を割り込ませると、ダークライダーの剣を忍者刀で受け止めていた。
「鷹羽、無事か?」
「ああ。助かったぞハヤテ」
お互いに短い言葉を交わすと二人はまた別の方向へと跳んでナイトメアとの距離を取る。
ナイトメアは鷹羽の攻撃を受けて左の前足を痛めていた。これで機動力はかなり落ちたと思われる。
前足をかばうように歩きながら、その場でゆっくりと馬体を巡らすナイトメア。
やがてその首がブルルンと大きく振られるとナイトメアの口が大きく裂け、炎のブレスを四方へと吐き散らした。
「!」
まさか馬がブレスを吐くとは予想もしていなかったハヤテだが、距離を取っていたのが幸いした。軽く跳んでナイトメアのブレスをかわす。
反対側では、鷹羽がブレスをかわすと同時にナイトメア目掛けて走り出していた。
それに合わせてハヤテも援護に走る。
突進して来る鷹羽を迎え撃たんと、ナイトメアが再び後ろ足だけで立ち上がる。
それでも鷹羽は避けなかった。
棒立ちになったナイトメアが前足を振り下ろすより早く馬体の下を駆け抜け、全馬体重が掛かった両の後ろ足を一気に横薙ぎに斬る。
ブヒヒという鳴き声と共に、ナイトメアがバランスを崩して尻からドウと崩れ落ちる。
それと同時に馬上にいるダークライダーが鷹羽目掛けて苦し紛れに剣を振り回すのを、今度もハヤテが受け止めていた。
「うまいよ、二人とも。だんだん呼吸が合ってきている」
離れた場所からフラムの歓声が上がる。
その声は確実にハヤテと鷹羽の後押しになっていた。
「もう一度私が馬を狙う。ハヤテは乗り手の方を頼む」
「分かった」
鷹羽の指示と共に二人が飛び出す。
今やナイトメアは完全にしりもちを着いた状態で、もはや走り回る事など不可能だった。
鷹羽の刀がナイトメアの腹部にグサリと突き刺さる。
ナイトメアは悲鳴を上げながらしばらく足をバタバタさせていたものの、やがて力尽き息絶えてしまった。
一方、ナイトメアを乗り捨てたダークライダーは迫り来るハヤテに対して仁王立ちに構えていた。
しかし、馬を失った騎手などは既に恐れる存在ではなかった。
ハヤテはナイトメアが駆けるよりも速くダークライダーの目の前を駆け抜ける。
すると。
山羊のような形態をしたダークライダーの黒い頭がゴロリと転がり落ちたのだった。
「二人とも、ケガは無い?」
戦いが終わったのを見届けるとフラムが心配そうな顔で飛び出して来た。
「私は平気だ」
「俺もな」
鷹羽とハヤテは悠然と応える。
その様子にフラムはホッと胸を撫で下ろすのだった。
「それより急ごう。ハヤテ、腕の具合はどうだ?」
「もうほとんど痛みは無い。またワードナに離されたようだな」
ハヤテは左腕を見詰めながら、悔しそうに吐き捨てた。
「案内するよ。こっち」
フラムが走り出すのにハヤテと鷹羽が続いた。