ホークウインド戦記
〜約束の空〜

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16

 ワードナの墓所迷宮地下十階。
 第四区画の北側、ゾンビと戦った場所のすぐ向うに外周通路へ出る扉はあった。
 その扉を抜けると、すぐ目の前には地下九階へと上がる階段。
 途中、ゾンビに襲われて若い命を散らした冒険者の下で、ハヤテ達は黙祷を済ませていた。
「今は遺体を回収して地上まで運ぶ余裕は無いが、必ず迎えに来るからそれまで待っていて欲しい」
 ハヤテ自身も一度死を経験しているだけにその想いは真剣だった。
 そして地下九階。ハヤテはもちろんだか、鷹羽もここから先は全くの未知の迷宮世界になる。
 いきなり現れた目の前の景色にハヤテと鷹羽は驚きの声を上げていた。
「これは・・・」
「参ったな・・・」
 真っ直ぐに伸びる通路はまあ良い。問題はその通路の両側に隙間無くズラッと無数に並んだ扉だった。
 その光景に目が眩みそうになる。
 これらの扉を一つひとつ調べていたら、どれだけ時間が掛かるか分かったものではない。
 それを思うと気が遠くなりそうだったし、早くワードナを捕まえねばとなればここで無駄な時間は掛けてはいられないだろう。
「ここはね、グルグルって渦巻きみたいな通路になってるんだ」
 フラムだけは一人落ち着いたまま、右手の人差し指をくるくる回して螺旋を描いてみせた。
「通路沿いには小部屋がズラリ。ここはお墓だからね、殉教者を埋葬する為の部屋だったんじゃないかな。もっとも、ワードナに付き従って一緒に死んだ人なんていなかったと思うけどね」
 フラムが手近な扉を開ける。
 なるほど、確かにそこには棺などは設置されておらず、丸っきりの空部屋だった。
「で、フラム。上への階段の位置は分かっているんだろうな?」
 念を押すような口調で鷹羽。
「心配無いって、鷹羽ねえちゃん。ここはね、メインになっているこの通路とは別にもう一本隠し通路があるんだ。それを見つけられないとここからは出られない。
 きっとワードナも今頃は道に迷っているんじゃないかな」
 フラムがエヘヘと笑う。
「ハヤテ、ワードナの気配は分かるか?」
「そうだな・・・」
 鷹羽に聞かれて、ハヤテは忍者装束の上から左腕にある傷痕を押さえた。
「その傷の調子でワードナが近くにいればすぐに分かるんだね」
 興味津々とばかりに、フラムが真ん丸い目をしてハヤテの左腕を見詰めている。
「そうだな・・・さっきよりもうずきが治まっている。距離が離れたか?」
「無理も無い。私達は一度ワードナが眠っていた玄室まで引き返したからな。その間にかなり距離を稼がれたのだろう」
「追いかけよう。フラムの言う通りなら、ワードナは隠し通路を見つけるのに手間取っているはずだ」
「そうだな。頼んだぞ、フラム」
「任せて!」
 フラムが通路を走り出したのにハヤテと鷹羽も続いた。
 三人はそのまま走り続け、やがて通路を右に折れた。
「あっ、あれ・・・?」
 フラムが立ち止まり、キョロキョロと視線を彷徨わせている。
「どうしたフラム?」
「えーと・・・ゴメン鷹羽ねえちゃん、ど忘れ」
 両手を合わせて謝るフラム。
「ど忘れ? まったくフラムは・・・なあフラム、ここに来るのはどれくらいぶりになるんだ?」
「えーと・・・ご、じゅうねん・・・ぶりくらい?」
 鷹羽の冷たい視線に萎縮したのか、フラムの返事は歯切れの悪いものだった。
「ん? 五年なのか十年なのかはっきりしろ」
「あっ、五年だよ五年。アタシまだ二十歳前だよ。十年前なんてまだ子供じゃない」
 アハハとごまかすように明るく笑うフラム。
「それにしても、だ。フラムはずいぶん昔からここに潜っていたんだな」
「うん・・・まあね。ずーっと昔から、かな」
(おや?)
 ハヤテにはフラムの表情にわずかに影が差したように思えた。
 しかしそれも一瞬の事。すぐにいつもの笑顔に戻る
 屈託の無いその様子にハヤテもそれ以上は気にしない事にした。
「それでフラム、ある程度は絞れるんだろ?」
「うん、そうだね。確か・・・」
 ハヤテに促されて、フラムは必死に記憶を辿っていった。
「最初の角を折れたこの通路なのは間違いないよ。それも右側」
 フラムは進行方向右側に並んだ扉を指差している。
「よし、そこまで絞れれば上等だ。あとは一つずつ調べていこう」
「うん。ハヤテあんちゃん、優しいから好きだよぉ」
 フラムが早速一つ目の扉から調べ始める。
「悪かったな、私は優しくなくて」
「そんなっ! 鷹羽ねえちゃんも好きだって」
 ハヤテと鷹羽はそんな屈託の無いフラムの様子に思わず笑っていた。

「あった。ここだよ」
 扉を調べ始めて程無くして、フラムが目的の部屋を探し当てた。
 その部屋の奥にはもう一つ隠し扉が有り、それを抜けると今までの通路とは別の隠し通路へと通じていたのだ。
「ようやく見つけたな」
「急ごう。フラム、階段は?」
「すぐそこ!」
 フラムが通路を走るのにハヤテと鷹羽も続く。
 そして。
 地下八階への階段はすぐに見つかった。
 三人はためらう事無く一気に階段を駆け上がった。
 
 地下八階は一面に闇に照らされた広大な空間が開けていた。
「うっ・・・」
 不意にハヤテが左腕に鈍い痛みを感じて顔をしかめる。
「ハヤテあんちゃん?」
「まさか、ワードナが近いのか?」
 三人が周囲の様子に神経を配る。
 すると・・・
「あれを見ろ!」
 鷹羽が何も無い遥かな虚空を指差した。
 そこはこの階層の中央部といった辺りだろうか、闇に紛れて何かが移動しているように思えた。
「あれは・・・ワードナ!」
 ハヤテが叫ぶ。
 周囲は薄暗く、目標まではかなりの距離があったが、闇夜でも遥か彼方まで見通すと云われる忍者の目には、それがはっきりと見えていた。
 紫のローブを纏い宝冠を被ったその姿は、記憶にあるワードナのものと一致している。
 ましてやそれはかつて鷹奈の命を奪った憎むべき相手である。
 見間違いなどあろうはずもない。
「行くぞ」
 焦るハヤテがワードナ目掛けて一直線に走り出そうとした。
「ちょっと待ってハヤテあんちゃん。ここからは行けないから」
 フラムがガバッとハヤテの身体にしがみ付く。
「どうしてだ?」
「ここには一面に地雷が埋められているの。もしも地雷を踏んじゃったらドッカーン! なんだから」
「道はあるのか?」
「こっち」
 フラムが壁沿いに走り出す。
「いい? 絶対にアタシの後から付いて来てよね。間違っても脇にそれたりとかしちゃダメだからね」
「分かった。フラム、頼んだ」
「うん」
 フラムが地雷原の中に足を踏み入れた。もちろん爆発などは起こらない。
 ハヤテと鷹羽も言われた通りにフラムの後に続く。
 地雷の位置をきちんと覚えているのか、それとも盗賊としての勘が瞬時に地雷を避けているのか。
 フラムは迷う事無く地雷原の中を進んで行く。
 その様子を見ていると、本当にここに地雷が埋まっているのかと、思わず疑いたくなるくらいだった。
 三人は必死で、だけど慎重に、地雷原の中を移動していった。
 しかしワードナとの距離は縮まりそうもなく、むしろ次第に離されているように思えた。
「フラム、急いでくれ」
「そんな事言われても・・・でもおかしいよ」
「どうした?」
「今ワードナがいる辺り、あそこら辺は全部地雷が埋まっているはずなんだ」
「本当か?」
 見るとワードナは遥か彼方の闇の中を、ゆっくりゆっくり移動していた。
 更におかしな事には、フラム達が地雷原の中の通路をクネクネと進んでいるのに対して、ワードナは一直線に進んでいるように思えたのだ。
「まさか、浮遊の呪文か」
 鷹羽がその可能性に思い当たった。
「そんなものがあるのか?」
「ああ。確か魔法使いの呪文体系に属しているはずだ。だが浮遊の呪文は今でも研究中だと思ったが。一般の冒険者は習得出来ないはずだが・・・」
「鷹羽ねえちゃんも覚えてないの?」
「無論だ。使えるものならとっくに使っている」
 侍である鷹羽は魔法使いの呪文も習得しているのだが、さすがに研究中の呪文はその範疇には無かった。
「昔地下迷宮にこもってありとあらゆる魔法を研究し尽くしたはずだ、ワードナならやりかねないだろうよ」
 ハヤテが苦々しそうに吐き捨てる。
 やがてワードナの姿が視界から消える。それと同時にハヤテの左腕のうずきも治まっていた。
「どうやらヤツは上の階へ移動したらしい。俺達も早く追おう」
「うん」
 フラムの先導で尚も地雷原の中を進む一行。
 やがて。
「もう少しだよ。ほら、あそこに入れば階段があるから」
 目の前には、石を組んで造られた壁で仕切られた一郭があった。
 ようやく地雷原を突破して扉をくぐる。そこはちょっとした広さの空間になっていた。
 部屋の奥には上への階段が見える。
「やっと着いたね」
 フラムがホッと安堵の声を漏らした。
 が、安心するのはまだ早かった。
 ぐらり。
 迷宮の壁が動いたかに思えた。
 いや動いたのは壁の前に鎮座していた岩の塊だった。
 いや只の岩が動くはずがない。
「ゴーレムか!」
 ワードナの置き土産がゆっくりと立ち上がり始めた。

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