ホークウインド戦記
〜約束の空〜

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15

 異変を感じたハヤテ達は、第四区画を北へと走った。
(さっきから妙に左腕がうずく。まさか・・・)
 ハヤテが自分の左腕を押さえる。
 その箇所には、かつてワードナによって刻まれた血の契約の傷痕が今も残っているのだった。
 この時代に生き返ってからついさっきまでは、そのような感覚は無かったはずだ。
 しかし、ここへ来てにわかに古傷がうずきだした。
 これは何を意味しているのか。
「気付いているか?」
「鷹羽ねえちゃん、どうしたの?」
「血の臭いだ」
「確かに」
 通路のカビ臭さに混じってむせるような血の臭いが次第に濃くなってきた。
 かつてワードナの地下迷宮において、多くの返り血を浴びたハヤテにとっては馴染みの臭いだった。
 区画の通路を左へ曲がる。
 程無くして。
「あっ!」
 フラムが叫んでいた。
 一行の視界に飛び込んで来たもの、それはどす黒い血の海に沈んだ数人の男女の姿だった。
「酷いな」
 鷹羽が慎重に倒れている者達へと近付く。
 装備品などから、戦士が三人、盗賊、僧侶、魔法使い。
 そのうち僧侶は女で残りの五人は男だった。
「この人達ひょっとして」
「俺達と交代する予定だった巡回兵だろう」
 ハヤテが全員を調べて回ったが、その首が横に振られた。
「ダメだ。生存者はいない」
 見れば皆まだ二十歳前と思われる。
「初心者パーティだったのだろう。稼ぎと手柄を求めて墓所迷宮の巡回兵に志願したはずだ。それがこんな姿に」
「かわいそうだね」
 鷹羽とフラムも暗鬱とした表情で、今となっては物言わぬ若き冒険者らを見詰めていた。
「気落ちしている暇は無いぞ。この連中をこんなにしたヤツらがまだ近くにいるはずだ」
 ハヤテが早くも忍者刀を抜き、戦闘態勢に入っていた。
「えっ? 何かいるの」
「しっ、フラム、静かに」
 鷹羽がフラムを黙らせじっと耳を澄ます。
 すると。
 ズズズ、ズズ・・・
 闇の中で何かを引きずるような音がしていた。
 やがて松明の灯りの下にそれが姿を現した。
 腐り果てた動く死体。
「ゾンビか!」
 敵の姿を確認すると、ハヤテが文字通り風のように動き出していた。
 かつてはハヤテもワードナの地下迷宮でも何度も倒してきた低級な不死の魔物、それがゾンビだ。
 多少力はあるもののその動きは鈍く、少し修行を積んだ冒険者なら難なく始末出来る相手である。
 ゾンビは全部で七体、今にも腐り落ちそうな腕をゆっくりと振り回しながら、新たな獲物を求めて蠢いていた。
 まずは一体目の胴を真っ二つに切断し、更に手足を斬り落としていく。
 相手は不死の怪物だ、首を刎ねたくらいではその動きを止める事は出来ない。
 身体をバラバラに破壊してしまうのが確実な対処法だろう。
 ハヤテに遅れるなとばかりに、鷹羽とフラムも戦線に参加していた。
 こちらも手早くゾンビ達を始末していく。
 しかし、ハヤテが三体目を始末したところで、既に倒したゾンビの骸を踏んでしまったのだった。
「しまった!」
 足を取られて思わずバランスを崩すハヤテ。
 そこへ身体を二つに裂かれて転がっていたはずのゾンビが腕を伸ばしてハヤテの身体にしがみ付き、マヒ性の毒が秘められた爪を突き立ててきた。
「うっ・・・」
 毒はあっという間にハヤテの身体に回ってしまい、痺れて動かせなくなる。
「ハヤテあんちゃん!」
「世話の焼ける」
 二人の声は辛うじてハヤテの耳に届いたものの、それ以上はどうにも出来なかった。
 鷹羽がハヤテの身体にしがみ付いたゾンビを引き剥がして始末している間に、フラムが気付け薬をハヤテに与える。
「すまない」
 神妙に頭を下げるハヤテ。
「あの程度で不覚を取るとは。やはりまだ勘が戻っていないのか?」
「まあまあ鷹羽ねえちゃん。ハヤテあんちゃんだって頑張ってるんだから」
「うむ・・・そうだな。次は気を付けてくれ」
 フラムに取り成されて、鷹羽も語気を静めた。
「それにしても、やはりあの噂は本当だったのか」
「まさか本当に魔物がいるなんてね」
 鷹羽とフラムが今はもう動かなくなったゾンビの残骸を眺めている。
「確かめたい事があるんだが」
 ようやく痺れから解放されたハヤテが立ち上がった。
「確かめたい事って?」
「頼む、ワードナが封印されている玄室に案内してくれ」
「まさか・・・ワードナが復活したのか?」
「確かめなければならない」
「分かった。こっちだよ」
 ハヤテのただならぬ様子を察してフラムが走り出した。

 第一区画の更に内側、この階層の中心部に小さな玄室が一つあった。
 ワードナが封印されているはずの玄室である。
 300年前、アイロノーズらによって倒されたワードナの骸はこの場所に葬られたという。
 そして、その入り口は強固な魔法によって封じられていたはずなのだが・・・
「見て! 入り口が・・・」
「開けられているな」
 普段は巧妙に隠されていてパッと見ただけではその存在すら気付かないはずの入り口が、今はすっかりと開け放されていたのだった。
「調べてみよう」
 ハヤテが玄室の中に踏み込む。
 それ程広くも無いその部屋の奥には、石で造られた棺が一つ。
 しかし、その蓋は開いたままだった。
 ハヤテが慎重に棺の中を覗き込む。
 空だった。
 その中にあるべきモノが、無くてはならないモノが無いのである。
「ハヤテあんちゃん・・・?」
「どうした? ワードナはそこにいるんだろ?」
 フラムと鷹羽も玄室の中へ入って来た。
 ハヤテは二人の姿を見ると無言のまま首を横に振った。
「!」
 二人が慌てて棺の中を覗き込む。
「そんな」
「まさか」
 棺の中を隅から隅まで見回しても、何度目をこすってみてもそこにはやっぱり何も無かった。
 ワードナの遺体はこの場から綺麗に消えて無くなっていたのだった。
「まさか、本当にワードナが復活しちゃったの?」
 怯えた表情でフラムが聞く。
「分からない。誰かが遺体を持ち出しただけかも知れない」
 鷹羽は断定を避けた。が、そんな説に何の根拠も無い事は鷹羽自身が一番感じているのだった。
「ワードナは復活したと思う。これを見てくれ」
 ハヤテは自分の左腕を差し出し、忍者装束の袖をまくって見せた。
 鷹羽とフラムの視線がハヤテの腕に刻まれた傷痕を捉える。
「あんちゃん、これは何?」
「これは昔ワードナに付けられた傷痕だ。ヤツとの契約の証だと言っていた。ただのハッタリだと思っていた。だが・・・」
 ハヤテがそこで言葉を切る。
 三人がじっとハヤテの傷を見ていると、その傷がボワンと禍々しい光を放ったように思えた。
「この傷、まさか」
「ああ、おそらくワードナの復活に反応しているのだと思う」
「それじゃあやっぱり・・・」
 重い沈黙が玄室内を支配した。
「整理しよう。つまりはこういう事だな」
 沈黙を破るように、鷹羽が静かに言葉を紡ぐ。
「どうやったのかは知らぬ。だがヤツは復活してしまった。そしてここから抜け出した。さっきのゾンビはおそらくワードナが呼び出したものだろう。あの巡回兵達はその犠牲になった・・・」
「ちょっと待って鷹羽ねえちゃん。それじゃあワードナはさっきの場所に?」
「すぐ近くにいたはずだ。あの近くには地下九階への階段がある」
「という事はワードナは・・・」
「地上を目指しているんじゃないのか」
「何のために?」
「魔よけだ。ヤツは魔よけを求めて彷徨い出したんだ」
 ハヤテが最後を締めくくった。
 そして導き出された結論に全員の背筋が凍り付く。
 復活したワードナが魔よけを求めて地上を目指している。
 それは300年前、この地を治めていたトレボー王が最も恐れたシナリオであった。
「どうする? ハヤテ」
「まずは地上へ知らせなければ。上との連絡方法は?」
「そんなものは無い。明日の朝になって迎えが来るまで、上に知らせる事など無理だ」
 鷹羽はあくまで冷静さを失わずに、事実のみを伝える。
「そんなグズグスしてられないよ」
「クソっ! 何のための巡回兵なんだ」
 苛立ちまぎれにハヤテが玄室の壁をガンと殴ると、パラパラと石の壁の欠片が崩れ落ちた。
 今現在何も出来ない事もそうだが、さっきすぐ近くにワードナがいたかも知れないのだ。
 何故あの時に少しでもワードナの気配に気付かなかったのか。
 もし気付いていれば、あの場で即刻ヤツを始末出来たかも知れないのに。
 それを思うとハヤテは自分の不甲斐無さにこそ怒りを感じていた。
 こうなったら・・・
 地上と連絡が取れないのなら、やるべき事は一つである。
「ワードナを追うぞ。俺達がヤツを仕留める」
 ハヤテが決然と言い放った。
「おもしろい。だがこの墓所迷宮は罠だらけだ。それはワードナだけじゃなく私達にも障害となるぞ」
 巡回兵には、それぞれ担当する階層のマップが支給される事になっている。
 そのマップには、各所に仕掛けられた罠とその回避法などが解説されている。
 しかしハヤテ達には今いる地下十階のマップだけが与えられていて、それ以外の階層のマップは持っていなかった。
 当然、罠に関する情報も無い。
「それはアタシが何とかするよ。盗賊はそれが仕事だからね」
 フラムが小さな胸を叩く。
「決まりだな」
「行こう」
 三人はお互いの顔を見て頷き合うと、今はもう主のいない玄室を後にした。
 
 ワードナが眠っていた棺の脇の床に、今はもう目的を終えて光を失った魔方陣が存在した事に、ハヤテらが気付く事は無かった。

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