ホークウインド戦記
〜約束の空〜
14
それから三日経ち、その日がやって来た。
ワードナが封印されているという墓所迷宮に、ハヤテらが巡回兵として下りる日である。
集合時間までまだ間がある事を確認すると、ハヤテはいつものように城塞都市を見下ろす丘で最後の鍛錬に取り組んでいた。
鍛錬とはいっても身体を温めてほぐす為に軽く走る程度なのだが。
体力面はずいぶん回復したと思われる。
しかしイザ魔物との戦いとなると、やはり実戦の勘は鈍っていると言えるだろう。
最近では、墓所迷宮のあちこちで魔物の姿を見るようになったとの報告が相次いでいるらしい。
それがワードナ復活の噂の根拠になっているようだ。
本当にワードナは復活するのか?
イヤそれ以前に魔物を目の前にした時に昔のように戦えるのか?
不安は尽きないものの、今となってはそうも言っていられないだろう。
カラーンと刻を告げる寺院の鐘が鳴っているのがハヤテの耳に届いて来た。
「そろそろ時間か」
ハヤテは集合場所になっている街外れへと向かった。
「ハヤテあんちゃん遅いよー」
「すまん、遅れたか?」
「いや、時間どおりだ」
「待たせて悪かった」
集合場所には、すでに出発の準備を終えたフラムと鷹羽の姿があった。
鷹羽とは三日前に気まずい雰囲気になってからほとんど言葉らしい言葉も交わしていなかった。
ハヤテにしてみれば、鷹羽の中にどうしても鷹奈の面影を重ねて見てしまうのが負い目になっていた。
一方鷹羽にしてみると、あの時の『300年前に死んだ恋人ではない』という一言はあまりにも無神経過ぎたと気に病んでいたのだった。
しかしいつまでもそんな事も言っていられないだろう。
墓所迷宮とはいえ迷宮は迷宮。
パーティのメンバー同士のコミュニケーションは必要不可欠だ。
「俺達三人だけなんだな」
「そうだが・・・何か?」
「今更だが、治療呪文が使える者がいないんだなと思って」
魔法使いの呪文は侍である鷹羽がある程度は習得していた。
しかし、忍者のハヤテと盗賊のフラムは、呪文は一切使えない。
この三人だけのパーティとなると、僧侶不在のため治療回復呪文が全く使えないのは言うまでもない。
「平気だよハヤテあんちゃん。別に魔物と戦う訳じゃないんだし。それに傷薬に毒消し、気付け薬なんかは一通り買ってあるからさ」
フラムが腰に下げた道具袋をパンパンと叩いてみせた。
「それに、墓所迷宮に下りているのは我々だけではないからな。何かあっても他のパーティと助け合う事も出来るだろう」
「そうなのか?」
鷹羽の言葉にハヤテは不安を感じざるを得なかった。
魔物と戦う訳じゃないとフラムは言うが、魔物の目撃情報があるのもまた事実なのだから。
それでも大丈夫なのだろうか?
それとも迷宮の本当の怖さを知らないだけなのか。
かつてハヤテがワードナの地下迷宮を探索した時とは違い、今はずいぶん楽観的過ぎるように思えた。
「あー、全員揃っていますね」
ハヤテがそんな事を考えていると、背後から不意に男の声で話し掛けられた。
見ると、青いローブを着た中年の男だった。魔法使いらしい。
「ああ、これで全部だ。お願いする」
「では参りましょう」
鷹羽と魔法使いが頷き合って、一行は墓所迷宮へと下りて行った。
ワードナの墓所迷宮地下1階へ下りたところで中年の魔法使いが説明を始めた。
「皆さんには地下十階の巡回をお願いしますよ。私がマロールでそこまでお連れします。迎えは二十四時間後です。交代の者を連れて行きますから引継ぎをして下さい。それでは行きますよ」
こちらの返事を待つ事なく、魔法使いが転移の呪文を唱え始める。
ハヤテも過去に何度か体験した独特の浮遊感に包まれる。
久しぶりのその感覚に、ハヤテは一瞬めまいを覚えそうになった。
そして・・・
次に気が付くと一行は墓所迷宮の奥深くに移動していたのだった。
「はい到着です。おや、おかしいですね?」
「どうかしたか?」
首を傾げる魔法使いに鷹羽が何事かと訊ねた。
「ええ、私が昨日お連れした皆さんがいらっしゃらないようです。あなた方と交代で地上へ連れて帰る予定でしたが」
「言われてみれば確かに姿が見えないな。巡回に手間取っているのではないのか。少しばかり待ってやったらどうだ」
「そんな。私はこれでも忙しいのですよ。遅刻したのはあちらの責任。約束の時間にこの場にいないのならそれまでです。
あなた方はくれぐれも遅刻など無いように。明朝迎えに来ますので」
魔法使いは渋い顔で、面倒事はゴメンだとばかりにさっさと引き上げてしまった。
「なんだいアイツ、感じ悪いね」
「寺院付きの魔法使いだ。身分は高くて身なりも立派なものを着ているかも知れないが、確かにあの横柄な態度は気に喰わんな」
フラムと鷹羽はさっさと帰ってしまった中年の魔法使いの言動に憤慨していた。
「それより、この場に来なかったという連中が気になるな。何か事故にでも巻き込まれていなければ良いが」
ハヤテが周囲の様子を探るように視線を巡らした。
目に見える範囲には、特に怪しいモノは無いらしい。
「この階層を巡回するのが我々の仕事だ。そのついでに探してやろう。その前に」
鷹羽はそこで言葉を切ると額に右手の人差し指を当て軽く精神を集中さると、短い呪文の詠唱を完了させた。
目の前の空間にこの階層のマップが浮かび上がる。
そこには、同じ地点を中心とした大きさの異なる正方形が幾重にも重ねられたような図形が表示されていた。
「この中央にあるのがワードナが封印された玄室だ。その周りを第一から第四までの区画が囲んでいる。私達が今いるのがここだ」
鷹羽がマップの右上の辺りを指した。玄室の外側、第三区画の北東の角である。
「第四区画の外側に更に外周通路がある。構造は単純だから迷う心配はないだろう。
私達はまず第四区画に出てそこを一周。次に外周通路、戻って第三、第二、第一の順で各区画を巡回する。質問は無いか、ハヤテ?」
「ずいぶん詳しいんだな。以前にもここを訪れた事が?」
「私はそれ程でもない。以前にもここの巡回兵として三度程来た事があるだけだ。むしろ・・・」
鷹羽はそこで言葉を切ると視線をフラムへと向けた。
「アタシは結構来てるよ。他のパーティの手伝いもしたし、全部の階層を一通り歩いているからさ」
「そういう事だ。私よりもフラムの方がずっとここに詳しい」
「分かった。仕切りは二人に任せる。取りあえず俺は黙って付いて行くだけだな」
墓所迷宮は初めてとなるハヤテである。ここは鷹羽とフラムに道案内を頼るしかない。
「よし、それじゃあ行こう。第四区画への扉はすぐそこだ」
鷹羽を先頭にハヤテ、しんがりをフラムという並びで第三区画を南へ進んだ。
この墓所迷宮は、かつてのワードナの地下迷宮を改造したものだと云う。
鷹羽やフラムは知らないだろうが、かつてワードナの地下迷宮を探索したハヤテにとっては、ここはまるで別の迷宮と言って良い程にその印象が違っていた。
まず構造が全く違う。
一体どうやってこれ程の改造を行ったのか?
何人の人夫を投入したとしても、単純に人力だけでは不可能だろう。
まさか魔物を使役して労働力にした訳でもあるまい。
大掛かりな魔法による工事とでも説明されれば納得いくのかも知れないが、そもそも呪文を一切使えないハヤテにはピンと来ない話だった。
壁や天井などは、大まかに切り出した石材を組んで使われているようだ。
どこにでもある普通の石で、特に高価なものではなさそうだ。
地下特有の温度と湿度のせいでいたる所にカビが生えていてる。
所々に松明による照明が設置されていて、そこに薪をくべるのも巡回兵の仕事の一つのようだった。
鷹羽が松明の燃え具合を確認しては新たな薪をくべていく。
二人ともこの閉鎖空間に慣れているのか、特に怯えたり戸惑ったりといった様子も無く、淡々と巡回兵としての職務をこなしているように思えた。
眠っていた間の記憶は無いが、ハヤテ自身も300年ぶりとなる迷宮に次第に身体が馴染んでいくのを感じていた。
ここの空気には死者による生者への怨念が色濃く渦巻いているように思えた。
死者とはもちろんこの墓所に封印されているワードナである。
死してなお漂うワードナの怨念が、この空間を強力に支配していると言って良いだろう。
程無くして、進行方向左手に扉が一つ。
「ここが第四区画へ出る扉だ」
鷹羽が簡単な説明と共に扉を開けた。
それと同時に
「うわあぁぁぁぁー・・・・・」
闇の向うから、男の悲鳴が聞こえてきたのだった。
いや悲鳴と言うよりは断末魔の叫びと言った方が正解かも知れない。
「な、何? 今の」
「どっちだ?」
声は迷宮の壁に反響して、どちらから聞こえたのか判別がつき難かった。
「慌てるな二人とも。ここはグルリと一周している。右へ行っても左へ行ってもあまり変わらない。私達は私達の仕事をこなすんだ」
あくまで冷静に、鷹羽が場を鎮める。
しかし内心焦っているのは鷹羽も同じだった。
「何が起こったんだ・・・」
鷹羽は勘を頼りに第四区画の通路を北へ進んだ。