ホークウインド戦記
〜約束の空〜

戻る


11

 穏やかな晩秋の日の午後だった。
 冬を間近に控えた野山の木々が、一枚また一枚と枯葉を落としていく。
「はっ!」
 気合のこもった女の声が周囲の静寂を破って響いた。
 女は刀を持っている。侍だ。
 発声と共に女侍が刀を振るうと、今まさに木の枝から離れたばかりの落ち葉が二つに分かれて宙を舞った。
 女侍の一刀が舞い散る落ち葉を斬ったのだ。
 侍としてかなりの技量でなければこんな芸当は出来ないだろう。
「よし」
 女侍は自分の剣技の冴えに満足し、刀を腰に収めた。
「鷹羽ねーちゃん、あぁ、やっぱりここだった」
 女侍の名前は鷹羽(たかは)といった。
 城塞都市を見下ろす丘の上、ここが鷹羽のお気に入りの場所だった。
 山の中を走り回ったり刀を振るったりと、侍としての鍛錬を鷹羽は主にこの場所で重ねてきた。
 名前を呼ばれた鷹羽が相手の姿を確認する。
 そこには、身長1メートルに満たないホビットの少女が息をはずませていた。
「なんだフラム、騒々しい」
「あのね鷹羽ねーちゃん、いいのが見つかったんだよ」
「いいの?」
「うん。忍者だってさ」
「忍者? 今の時代によくそのような者がいたものだな」
「なんでも寺院にながーーーい間収容されていたらしいよ」
「永い間寺院に収容とは穏やかじゃないな」
「先月収容期間が明けたばかりなんだって。他の奴らに取られないうちにあたし達がもらっちゃおうよ」
「使えるのか? そいつは」
「それは分かんないけど・・・でも忍者ってくらいだから、きっと只者じゃないはずさ」
「なるほど。よし、まずは行ってみるか」
 二人は連れ立って丘の斜面を下りて行く。
 向かうは城塞都市にある寺院だった。

 かつてこの城塞都市は、近隣諸国に恐れられた狂君主トレボーが統治していた。
 しかしそれも遥か昔の話である。現在は寺院の指導による穏やかな治世が布かれていた。
 カドルト神を祀ると云われる寺院は、負傷者の治療などはもちろん死者への蘇生術を得意としていた。
 寺院によって命を救われた者は数知れず、結果として寺院は多くの支持を集めていた。
 強大な君主がいなくなると、民衆からは寺院による指導を望む声が高くなり現在に至っている。
 城塞都市のメインストリートに面して建てられた寺院を鷹羽とフラムが訪れる。
 受付で用件を告げると係りの新米僧侶が案内してくれた。
 寺院地下の遺体収容所。
 多くの遺体が眠るこの場所で目的のものを探す。
「ありました。この御方ですね」
 白木で作られた棺の蓋には、収められている者の名前と収容された日付が記してあった。
「これって300年くらい昔だよね」
「そんなに収容されていたとは、この者、一体何をやったんだ?」
 棺を見て目を丸くするフラムと首を傾げる鷹羽。
 僧侶が棺の蓋を開けて遺体の様子を見せてくれた。
 遺体は遥か昔に死んだ人間のものなのに痛みや腐敗している箇所などもなく、綺麗に保存されていた。
 顔色こそ青白いが、それを除けばただ人が眠っているだけのようにも見える。
 寺院の遺体保存技術の高さ故だろう。
「蘇生させますか?」
「生き返る確立は?」
「まあ・・・八割方は間違いないでしょう」
「そうか。よし、頼む」
 鷹羽が告げると若き僧侶は深々と頭を下げた。
 ほどなくして大僧正らによる蘇生の儀式が執り行われた。

 初めに音が聞こえてきた。
 それは雨音か小川のせせらぎにも似て、気にもとめなければ聞き逃してしまいそうな程の優しい調べ。
 やがて人の囁き声だと分かる。
 声は時に高く時に低く。
 一定の旋律で唱えられ続けていた。
 それは死者の魂に語りかける音楽だったのかも知れない。
 周りが温かくなってきたような気がした。
 それは母のぬくもりに似て心地良い温かさ。
 そして光。
 それは暗闇の中にほのかに点るロウソクの灯のようなかすかな光。
 やがてその光が強く輝き始めた。
 それは命の躍動。
 ドクンと身体の中心が脈を打ち、全身に血液が周り始める。
 ゆっくりと目を開く。
 久しく忘れていた明るさが視界に滲んできた。
 気が付くと、見知らぬ男達が自分を覗き込んでいた。
「おお」
「生き返りましたな」
「蘇生術は成功しました」
「さすがは大僧正様であらせられます」
 歓喜の声が頭の上を飛び交っている。
 何がなんだか分からない。
 意識がある事は分かるし身体も少しなら動かせるようだ。
 しかし頭がぼおっとしていて回転してくれない。
「それでは我々はこれで」
 男達は波が引いたように周りから離れていった。
 一人残されたのかと不安になる。
 そこへ。
「目が覚めたようだな」
 話し掛けられた。女の声だと理解する。
 声の主へと視線を向けた。
 その顔を見た瞬間、再度心臓がドクンと跳ね上がった。
「た・・・鷹奈」
 ハヤテは全てを思い出した。
 自分の事を。
(俺の名前はハヤテだ)
 ここが何処か。
(ここは寺院の地下室)
 自分が今までどうなっていたのか。
(俺は永い間死んでいた)
 そして。
 愛する女について。
「鷹奈、鷹奈だろ? お前どうして・・・生きているのか?」
 頭が混乱する。
「鷹奈は死んだはずだった。そう、俺が灰を失くして・・・そうか、誰かが鷹奈の灰を集めて生き返らせてくれたのか」
「目覚めたばかりで記憶が混乱しているようだな。自分の名前は思い出せるか?」
「俺は・・・俺の名前はハヤテだ」
「うむ、そのようだな。棺にもそう記してあった」
「鷹奈・・・お前、やっぱり鷹奈なんだろ?」
「ハヤテよ、まずは落ち着いてくれ。すまぬが私は鷹奈とかいう者ではない。私の名前は鷹羽という。名前は似ているが別人だろう」
「タカハ? 別人? まさか、そんな・・・」
 ハヤテが鷹羽と名乗った女の顔を食い入るように見詰めている。
 間違えるはずがない。
 美しく伸びた髪。
 雪のように白い肌。
 切れ長の目に髪よりも濃い色のブラウンの瞳。
 そしてエルフ族の特徴でもある尖った耳。
 目の前の顔はどう見ても鷹奈に瓜二つ、いやまるっきり同じだと思えて仕方なかった。
 肖像画が残っている訳ではない。
 しかし、ハヤテの脳裏に刻まれた鷹奈の面影と目の前の女の顔とは驚くほどに一致したものだった。
「そもそも、お前は永い間この寺院で死の眠りに就いていたのだろう。お前が生きていた時代に私はまだ生まれてなどいなかったはずだが」
「俺は、どれくらい死んでいたんだ?」
「およそ300年だそうだ」
「そうか・・・」
 ハヤテに課せられた刑の期間は299年だった。
 期間満了とほぼ同時に蘇生させられたのは運が良かったのかも知れない。
「本当に鷹奈じゃないんだな?」
「くどい。私は鷹羽だ」
「そうか・・・それじゃあホークウインドという名前に聞き覚えはないか?」
「ホークウインド・・・?」
 最後の望みを託して、ハヤテはホークウインドの名を口にした。
 ハヤテと鷹奈はかつて多くの冒険者からそう呼ばれていたのだ。
「すまんが初耳のようだ」
 鷹羽がゆっくりと首を横に振る。
「しかし偶然にしては出来すぎだな。『ハヤテ』とは侍の発祥地ホウライの言葉で風を意味するものだろう。鷹の名前を持つ私と風の名を持つお前。私達の名前を繋げればホークウインドになる」
 偶然? 果たして偶然だろうか。
 300年の死の眠りから覚めてみたら鷹奈そっくりの女がいた。
 しかも鷹の名前を持つという。
 もしもこれが偶然じゃないとしたら、一体何がどうなっているのか・・・
 ハヤテは混乱していた。
「でも・・・」
 不意に鷹羽が言葉を繋いだ。
「ホークウインド。確かに初めて聞く名だが、どこか懐かしいような気もするな」
「お前は一体・・・」
「まあ待て」
 尚も詰め寄ろうとするハヤテを鷹羽が制した。
「とにかく落ち着こう。お前は永い眠りから覚めたばかりなんだ。色々な事を一度に考えると混乱するだけだ」
「そうだな」
 頭では分かっているものの、ハヤテの心は穏やかではなかった。
「いつまでもこんな所にいる訳にもいかないからな。ひとまず私達がねぐらにしている宿へ行こう。酒場のような騒がしい場所はまだ身体にも心にも堪えるだろう」
「すまない」
「今、連れが清算をしているはずだ。蘇生費用というのも結構バカにならないからな」
「それも、すまなかった」
「いや、いい。それより、フラムは遅いな」
 鷹羽がぼやいた、ちょうどその時だった。
「お待たせー。支払い済ませて荷物受け取ってきたよ」
 フワフワの赤毛に真ん丸い目をしたホビットの少女が飛び込んできた。
「ハイ、荷物はこれだけだって」
 ホビットの少女が差し出したのは、かつて鷹奈が愛用した脇差だけだった。
「ああ、すまない」
「ほう、それは侍が使う脇差じゃないか。忍者も使うものなのか」
「これは特別なんだ」
「少し貸してくれ」
 鷹羽はフラムから脇差を受け取ると鞘から刀身を抜いてじっと見入っている。
「うむ、いい刀だ。不思議と私の手にも馴染むようだ。まるで長年使い込んだ逸品のようだな」
 その姿にハヤテはますます混乱する。
 この女はホークウインドと聞いて懐かしいと言い、鷹奈が愛用した脇差を長年使い込んだ物のようだと感じた。
「一体どうなっているんだ・・・」
 ハヤテは混乱を振り払うかのように、大きく首を振った。

続きを読む