小説ウィザードリィ外伝4・「魔将の塔」
八幕・弁天酒場
一
その日の探索を終えた後、綱達一行は弁天酒場へと足を運んでいた。
いつもなら定宿にしている「松屋」にて夕餉を取るのだが、「たまには」と綱が提案したのである。
弁天酒場は緋連の街の北区の中でも特ににぎやかな大通り沿いにあった。
安い酒とうまい料理、そして人のいい亭主。
これだけの条件が揃っていれば流行らないはずはない。
「らっしゃい!」
一行が酒場の暖簾(のれん)をくぐるとそこには酒場独特のにぎやかな雰囲気に溢れいた。
「頭数が多いのですがね」
「ああ綱様、どうぞ奥へ」
「それでは」
亭主の案内で一行は店の奥の座敷へと通された。
ちなみに綱はこの酒場の顔なじみで、他の探索隊の隊長との会合などももっぱらここを利用する事になっていた。
綱は店の若い者に心付けを渡し、松屋の方へ「夕餉は不要」との使いに出てもらった。
座敷に上がると店の者が手早く机を二つ合わせて人数分の席を作った。
「さあ、座って下さい」
「はーい」
綱に促され、なみがはしゃぎながら席に着いた。
「沖田さん、羽織お預かりします」
「え?」
まりが沖田総司が着ている陣羽織に手を掛けている。
「ここはお酒を飲む所です。斬り合いをする所ではありませんからね」
「あー、なるほど・・・」
昨日の話を受けての事と沖田も合点がいった。
確かにここは斬り合いをして良い場所ではない。
「それではお願いします」
沖田は昨日と同じように陣羽織を脱いでまりに手渡した。
まりはそれを丁寧にたたんでから自分の道具袋へとしまう。
「まりちゃんまるで沖田さんの世話女房みたい」
なみがニヤニヤと笑いながら言った。
「そ、そんな事無いですよ! やだなあ、なみちゃん」
「そ、そうですよ。ねえまり殿」
慌てて応えるまりと沖田。
しかしまりの顔は真っ赤になっていた。
「いいからいいから。すいませーん、注文お願いしまーす」
そんな二人の様子に満足しつつ、なみは鼻歌を歌いながらお品書きに目を通していた。
二
「お姉ちゃん、行こうか」
「うん」
その日の探索を終えた沙羅と十六夜の姉妹は松屋の前に来ていた。
昨日の沙羅が静にした事を謝るためである。
人に謝るというのは勇気が要る。
二人は深呼吸をして気を落ち着けてから松屋の暖簾をくぐった。
「すいません、こちらに綱さんという方が泊まっていると思うんですけど・・・」
「綱様達でしたら今日はまだ戻っておられませんよ」
恐る恐る尋ねた十六夜に応対してくれたのは松屋の女将だった。
「先ほど使いが来まして。弁天酒場の方へ寄ってらっしゃるそうですよ」
「そうですか。ありがとうございました」
二人は女将に一礼してから松屋を出た。
弁天酒場なら知っている。以前大牙に連れて行ってもらった事があったからだ。
場所はここからは目と鼻の先である。
「お姉ちゃん、酒場へ行ってみよう」
沙羅と十六夜は弁天酒場へと足を運ぶ事にした。
沖田は陣羽織の下に着ていた鎖襦袢も脱いで座敷に腰を降ろしていた。
竜乃介や静も外せるだけの具足を外してくつろいでいる。
沖田はどちらかと言えば甘党で酒はたしなむ程度である。
一行の中で一番の酒豪はやはり竜乃介で、人間の呑む酒では物足りないと言いつつ豪快に酒を流し込んでいた。
綱もそこそこ行ける口で竜乃介と杯を酌み交わしている。
静も飲めないほうではない。
一方まりは全く酒を呑めなかった。
一口舐めただけでむせ返ってしまい、後は酒は止めてひたすら料理だけを口にしていた。
猫娘のなみは旬の魚を用いた料理をいくつも運んでもらい、ご機嫌な様子である。
沖田達の座敷が盛り上がりを見せていた調度その頃、沙羅と十六夜は弁天酒場に到着した。
「あのー、松屋の女将さんから綱さん達ががこちらに来ているって聞いて来たんですけど」
「はいはい、あーあ。あなた方は確か大牙さんの・・・」
「はい、娘です。で、綱さん達は?」
「綱様達でしたら奥のお座敷ですよ。その奥です」
大牙はこの酒場の顔なじみ客である。亭主は以前ここを訪れた事がある二人を大牙の娘として憶えていてくれた。
「ありがとうございます」
二人は亭主に一礼してから店の奥へと入っていった。
酒場の奥座敷には見覚えのある顔ぶれが並んでいた。不動組の面々である。
「あのー・・・」
十六夜が恐る恐る話し掛けてみる。
「あれー、十六夜さん。それに沙羅さんも。どうしたんですか?」
応対したのは十六夜とは同じ魔法使いという事で親交があるまりだった。
「ほら、早く謝りな」
「うん」
十六夜にせっつかれて沙羅が一歩前に出た。
不動組の面々の視線が皆沙羅に集まっている。
自分が謝るべき相手、静の顔を確認する。
「昨日は本当にごめんなさい」
沙羅はペコリと頭を下げた。そのままの姿勢で相手の返事を待つ。
「昨日はすいませんでした」
十六夜も沙羅と一緒に静に頭を下げた。
しばらくの後・・・
「いつまでもそんな所にいないで、こちらに上がって来られれば良かろう」
静はそれだけ言うとまた杯を口に運ぶ。
「二人とも、早く」
まりが二人の手を取った。
「でも・・・」
戸惑う沙羅と十六夜。
「静さんてあの通りぶっきらぼうなんです。あれでもう昨日の事は許してくれているんですよ」
「まり、聞こえたよ」
静に咎められてまりはペロッと舌を出して笑う。
そんなまりの表情で緊張が解けた沙羅と十六夜は「お邪魔します」と座敷に上がって行った。
三
座敷に上がった沙羅と十六夜は静のそばへ行き、改めて「ごめんなさい」と両手をついて謝った。
「二人とももう顔を上げて下さい。昨日は私も勉強させてもらいました」
静は手にしていた杯を置いて居ずまいを正した。
「沖田殿の指導では、あの突き技を使う時は相手に懐に入られないようにせよ、という事でした。あなたはそれを実践して私に見せてくれました。私にとっては良い経験です」
静の口調は思いの他穏やかだった。
「静さん、今日早速あの技で魔物を仕留めたんですよ」
「ええ、見事な腕前でした」
まりと沖田が今日の探索の時の様子を説明する。
「へえ、そうなんですかー」
「お姉ちゃん、あたし達も負けてられないね」
ついさっきまで神妙な顔をしていた沙羅だったが今ではそれもすっかり薄らいでいる。
その場の和やかな雰囲気に沙羅と十六夜もいつしか不動組の面々と打ち解けていた。
追加で二人の料理を運んでもらい、十六夜は少しばかりではあるが酒も勧められて口にしていた。
沙羅は「自分も酒を呑みたい」と言ったがこれは十六夜が頑として許さなかった。
以前大牙が沙羅に呑ませた事があったのだが、その時沙羅は酷い醜態をさらしてしまったのだ。
十六夜は沙羅に「絶対に呑むんじゃないよ」と念を押してからお銚子を持って綱と竜乃介の間へ座って二人に酌を始めた。
仕方ない、と沙羅はお銚子を一本持って沖田の隣に座った。
「はい、沖田は呑めるんでしょ」
「ええ」
沖田が差し出した杯に沙羅が酌をする。
「沖田さ、結構良い腕してるね。昨日のあれ、本気だったの?」
「もちろん本気でしたよ」
沖田は沙羅が注いでくれた酒をグッと呑み干した。
沙羅はすかさず二杯目を注ぐ。
「本気って、当ってたらあたし死んでたよ」
「でも当りませんでしたね」
沖田はフフと笑った。
「私達が探索している不動の塔には忍者がたくさん現れますが・・・あなたは明らかにあやつらとは違うようですね」
「沖田さん、不動の塔に出て来る忍者なんてほとんど忍者を語っているだけの偽者なんですよ」
横からまりが口を挟んできた。
「中には本物の忍者もいますけど、昨日まで野盗だったのがお金で雇われて取りあえず覆面だけして忍者の恰好をしているっていうのがほとんどなんです」
「ああ、なるほどー」
沖田はポンと手を打った。
「あたしは違うよ。子供の頃から師匠の所に預けられて・・・もう十年近く忍者として修行しているもん」
沙羅は得意気に言った。
「才能があったんですね」
「うん、私を修行してくれた師匠がね『沙羅はきっと名のある忍者の血を引いているに違いない』って言ってた」
「へえー、すごいですね」
「で、その名のある忍者とは?」
まりと沖田が興味深そうに沙羅の顔を覗く。
「うーん・・・それが分からないんだよね」
沙羅は首をひねる。
「なあんだ」
まりはガッカリと肩を落とした。
「ところで沙羅殿、あなた『侍が嫌いだ』と申しているそうですが・・・」
不意に沖田が話題を変えた。
「うん・・・」
沙羅の顔がにわかに曇り出した。
「何か理由でも?」
自分が侍である沖田はこれが一番気になっていたのだ。
「あたしさ、侍にお父ちゃんを斬られたんだよ」
「えっ? しかし昨日・・・」
沖田は怪訝な顔をする。
昨日十六夜と一緒に現れた人物は「沙羅の父親」と名乗っていたはずであるが。
「あたし、拾われっ子なんだよ。だからお父ちゃん、あっ、沖田が昨日会ったお父ちゃんね。そのお父ちゃんともお姉ちゃんとも血は繋がってないんだ」
「そうだったの・・・」
これはまりも知らなかった話である。
「もう十年も前の話だよ。前のお父ちゃんは侍に斬られて死んじゃった。斬った奴は誰だか分からないよ。あたしその後気を失っちゃったみたいだから。
それで気が付いたら神鳥様の境内で泣いてたの。そこをお父ちゃんとお姉ちゃんに拾われたんだ。十年前の神鳥様の祭礼の日だったな」
「・・・」
沖田とまりは言葉も無く沙羅の話を聞いていた。
しかし沖田の脳裏にはあの池田屋の二階での出来事が鮮明に甦ってきていた。
沖田は池田屋の二階座敷で押入れの中に隠れていた「さら」という名の娘の父親を自らの手で斬ったはずである。
これは間違いないと思われる。
しかしそれは沖田にとってはほんの数日前の出来事・・・
その後、あの娘がどうなったか沖田は知らない。
自分だけがこの世界に来たのか、それともあの娘も一緒だったのか、どこかではぐれてしまったのか皆目見当がつかなかった。
目の前にいる娘の名前も「沙羅」だ。
おまけに侍に父親を殺されたと言っている。
しかしそれは今から十年も前の話・・・
神鳥神社の縁日からの帰り道、沖田とまりはこの事について話し合っていた。
まりは「そんなはずはない」と言っていた。
確かにそうだろう。
そのはずである。
しかし・・・
一体何なのだ、この胸のわだかまりは?
目の前の「沙羅」は本当にあの「さら」とは何の関係も無いのか?
確かめるべきか? その方法は?
いや、今更そんな事を確かめて何になる?
沙羅は今や大牙や十六夜と実の親娘同様に暮らしている。
それを踏みにじる事が許されるのか・・・
沖田はグッと酒をあおった。
四
「初めはさあ、前のお父ちゃんを斬った奴を探そうと思って腕の立ちそうな侍を見つけては直接聞いていたんだよ。『あなた、人を斬った事ありますか?』って」
沙羅の話は続いている。
「そうしたら向こうは大抵「無礼者!」って怒ってあたしに斬り掛かって来るんだ。昨日の沖田みたいにね」
沙羅は沖田の顔を見詰めてクスッと笑った。
沖田は黙って苦笑いをせざるを得ない。
「でもさ、ぜーんぜん駄目なの。侍だなんて偉そうにして二本差しで歩いてるくせに、いざ刀を抜いたところであたしの相手になるような侍なんて一人もいなかった。『なーんだ』って思ったよ。侍なんてこんなもんかって。そうしたら面白くなってきてさ、街中で侍見つけたらちょっとからかってやろうって思うようになったんだ」
沙羅は本当によく喋る。
そしてその度に表情がクルクル変わる。
沖田は黙って、まりは時々相槌を打ちながら沙羅の話に聞き入っていた。
「色々やったよ。相手の足を引っ掛けてお城の濠に落としたり、それこそ昨日みたいに相手の得物を蹴飛ばしたり。中には出来そうな奴もいてね、そういう奴とはあたしも実際に刀を抜いて闘ったりもした」
「ちょっと沙羅さん!」
「もちろん斬っちゃいない。これは本当だよ。ただ相手の刀を受けるのにあたしも刀を使っただけ」
「そ、そうですか・・・」
まりはホッと胸を撫で下ろした。
「でさ、その度にお姉ちゃんに怒られてた。でもお姉ちゃんも本気で怒ってるんじゃないって分かってたからね。あたしは結局ずうっと侍相手に騒ぎを起こし続けてたった訳なんだ」
その十六夜はというと綱や竜乃介、静らと共に談笑していた。
なみはたくさん食べて満足したのか座敷の隅で丸くなって眠っている。
沖田の杯にはまりと沙羅が交互に酒を注いでいた。
いつもの沖田にはすでに多過ぎる酒量であったが、今日は何故かいくら呑んでも呑み足りない気分だった。
「でも昨日はお姉ちゃんにこってりと怒られたよ。相手が沖田達だったからかな。さすがに今他の塔の探索隊の人と揉め事起こしちゃやばいよね」
沙羅はアハッと笑った。
「でね、あたしもうこれからは侍相手に悪戯するの止めるよ」
「ええ?」
「何ゆえ?」
まりと沖田が同時に声を上げた。
「やだなあ、そんなに驚かないでよ。昨日さ、沖田に斬り掛かられたでしょ。間一髪かわせたけど、あれ本当に危なかった。あのまま続けてたらひょっとしたらあたしはもう生きていなかったかも知れないよ。侍にもこんなに出来る人がいるんだね」
沙羅は目を大きく見開いてまじまじと沖田の顔に見入っている。
「だからさあ沖田、今度はあたしと手合わせしてよ」
「沙羅さん、手合わせって・・・」
まりの顔には心配そうな表情がありありと浮かんでいる。
「手合わせったって木太刀だよ。真剣じゃないから安心して」
「そうですよね」
「どうかな、沖田?」
沙羅はグッと身を乗り出して沖田の返事を待っている。
その期待に満ちた瞳に見据えられては沖田も否やとは言えなくなる。
「良いですよ。ただし今すぐは駄目です。それぞれの塔の探索が終わった後という事ならどうですか?」
「良いの? 分かった、塔の探索が終わったらだね。あたし楽しみにしてるから!」
沙羅の顔がパッと輝く。
この娘のこの明るさには敵わない、沖田はそう思った。
一方まりの表情は依然として暗かった。
(沙羅さん、きっと沖田さんに気があるんだ・・・)
最近はこんな事ばかり考えているなと気付くとそんな自分に嫌気が差してくる。
(わたし、こんな嫌な娘だったかな・・・)
まりは一つ溜息をついた。