小説ウィザードリィ外伝4・「魔将の塔」
六幕・接近
一
その日の探索を終えた綱一行は緋連の街への帰途についていた。
「静殿、先程の突き技を教えるというお話ですが今からでどうでしょう? 幸いまだ陽も高い事ですし」
沖田総司は自分の後ろを歩く静に提案した。
季節は夏、辺りが夕闇に包まれるまでにはまだ一刻ほどあるだろう。
「構いませぬか?」
「ええ、私は構いませんよ」
「お願いします、沖田殿」
静は深々と頭を垂れた。
「皆さんは先に戻っていて下さい」
「そうさせてもらいます」
綱、竜乃介、なみの三人は立ち止まる沖田と静に一礼してその場から立ち去った。
しかしまりだけは立ち去りがたそうにその場に残っている。
「まり殿、どうされました?」
「あの・・・」
まりは何やら言い難そうにしていたが、やがて意を決して切り出した。
「わたし、見ていても良いですか?」
「でも、これは剣術の修練ですよ。まり殿は魔法使いですから・・・きっと見ていても退屈です」
「平気です。わたし見ていたいんです」
沖田に懇願するまり。
「別に構わないわ。見ていたいんだったらそうすれば良いでしょう」
静は抑揚の無い口調でそれだけ言うと街道を外れた草原の方へと歩き出した。
「それでは行きましょうか」
「はい」
応えるまりの声が明るく弾んでいる。
「静殿ー」
「静さん、待ってー」
沖田とまりは静の後を追った。
「あの娘ったら・・・」
先を歩く静は向こうを向いたままクスッと笑っていた。
「それでは沖田殿、よろしくお願いします」
静は草原の中で振り返り、沖田に一礼した。
「はい。ですがその前に・・・まり殿」
沖田は静を軽く制してからまりを呼んだ。
「何ですか?」
「大した事ではないのですが・・・」
沖田はそう言いながら鎖襦袢の上に羽織っていた陣羽織を脱ぎ始めた。
「これを預かっていて欲しいのです」
「はい・・・」
沖田の下へ駆け寄ったまり、不思議そうな顔をしながら差し出された陣羽織を受け取った。
「でも、どうしてこれを脱ぐんですか? 塔の探索の時には身に付けていたのですから邪魔になる訳ではないですよね」
「その陣羽織は言わば死装束なんですよ」
「ええ!?」
涼しげに応える沖田。
それに対してまりは驚きの表情を隠せないでいた。
受け取った陣羽織と沖田の顔とを交互に見比べている。
「死装束ってどういう意味ですか?」
「我々侍はいざ闘いとなればいつ討ち死にしてもおかしくはないでしょう。だからこうして死装束を纏って戦地に赴く訳です」
「そんな・・・」
沖田の言葉にまりは愕然となっていた。
「分かります、沖田殿」
離れた場所で沖田の話を聞いていた静が頷いている。
「私も武人です。いざという時は命を捨てる覚悟は出来ています」
「静さんまで・・・」
困惑した表情のまり。
「あくまで覚悟の話です。別に進んで命を捨てたりはしませんよ。まり殿、そう心配しなくても大丈夫です。そして・・・」
沖田はそこで言葉を切るとにっこりと笑った。
「今は修練の時間です。静殿とは殺し合いをするのではありません。だからそれを脱いだのです」
「分かりました。これはお預かりいたしますから」
「はい、お願いします。それでは静殿」
沖田は静の下へ歩み寄った。
沖田を見送ったまりは少し離れた所にある木陰へと移動した。
手にした陣羽織をじっと見詰めるまり。
それにはあちらこちらに染みになった血の痕や縫い合わされた箇所などが見受けられた。
「大切なものなんですね」
まりは預かった陣羽織を丁寧に折りたたむと自分の道具袋の中へ大切にしまい込んだ。
二
「私の繰り出す突き技は、三回を合わせて一本となります」
沖田は愛刀の菊一文字を音も無く抜くと、誰もいない空間へ向かって自らの刀を向けた。
ハァ、と呼吸を整えると大きく踏み出す。
軽快な足捌きと同時に発せられる気合。
そして目にも止まらぬ速さで刀が三度突き出される。
両手に構えられた刀の先端が差しているのは人の首の高さである。
もしも実際に人間に対して今の突きを繰り出していたならば、間違いなく相手を絶命させていただろう。
「刀と槍とでは勝手が違うかと思いますが。出来ますか、静殿?」
「やってみます」
静は長槍を真っ直ぐに構えると、沖田を真似て突きを三度繰り出してみた。
しかしその突きはどこかぎこちない。
「足運びと突きの繰り出しが揃っていないからです」
「はい・・・難しいですね」
「最初から出来る人はいません。修練あるのみです」
静は黙って頷くと再び槍を構える。
「こうですか?」
今度はゆっくりとした動作で槍を操る。速さを押さえ、まずは型を確認するのである。
「踏み出しはもっと大きく。二度目の突きと足の運びが揃っていませんよ!」
沖田の檄が飛ぶ。
「はい」
繰り返し繰り返し、一つ一つの動きを確かめるように槍を繰り出す静。
「槍を突き出す方向が定まっていません。それでは相手に見切られてかわされてしまいます!」
沖田の指導にも更に熱が入る。
静も必死に付いて行く。
次第に動きを速くしていく。やがて静の三段突きは少しずつ形になってきた。
そのまま半時(約一時間)程稽古に没頭する。
陽はいつしか西の山裾へ掛ろうとしていた。
「今日はこれくらいにしましょう。ずいぶん上達しましたね」
「ありがとうございました」
額にびっしょりと汗をかいた静が沖田に頭を下げる。
「後は自分で修練を積み、必ずやこの技を物にしてみせます」
静の表情に自信が見て取れる。
「そうですね。そうそう、最後に一つだけ注意しておきたいのですが」
「何でしょう?」
「この技には欠点がありまして。それは・・・」
沖田は再び自分の刀を構えるとそれを自分の目の前に突き出した。
「相手にかわされた時の事です。相手が後ろに下がってかわしてくれれば問題無いのですが」
「はい」
静も沖田を真似て突きの姿勢を取る。
「もしも相手がなみ殿のように素早く動き回り、突きをかわしてこちらの懐に飛び込まれてしまうと非常に危険なのです」
沖田はそこまで説明すると刀を鞘に収めた。
「なるほど」
静は今一度突きを繰り出した自分の体勢を確認してみる。
その時だった。
「こんな風にかい?」
正に突然、一陣の影が音も無く飛び込んで来たかと思うと槍を構えたままの静の懐に潜り込んだのだ。
突然現れたその影は静の目の前で勢いよく後方に回転したかと思うとそのままの体勢で静が手にしている槍を大きく蹴り上げてしまった。
「・・・!」
静の手を離れた槍は大きく弧を描いて静の前方約三間(約6メートル弱)の所に突き刺さっていた。
「何者!?」
沖田が再び刀を抜いて構える。
「あんただったんだね。不動組に入ったっていう侍は」
「あなたは、神社の境内で・・・」
「そう。憶えていてくれて嬉しいね」
沖田の目の前で不敵な笑みを浮かべる少女。それは数日前に神鳥神社の境内でぶつかった沙羅その人であった。
三
「不動組に入った侍ってどんな奴か、一度会ってみたくてずっと探してたんだよ。それがあんただったとはね」
沙羅は沖田の顔をまじまじと見詰めていた。
「あんた・・・あー、いつまでも『あんた』じゃ何だね。取り合えず名前教えてもらおうかな」
「あなた、少々無礼ではないですか? いきなり現れて静殿の槍を蹴飛ばしておいて。それに人に名を聞く時はまずは自分から名乗るものでしょう」
沖田は依然刀を沙羅に向けたままである。
その顔には強い警戒の色がありありと浮かんでいた。
「ちょっと、大丈夫ですか? 静さん、沖田さんも」
異変に気付いたまりが慌てて駆け寄って来た。
「私は平気です。しかし静殿は・・・」
沖田に指摘されまりが静の様子を見てみると、静は呆然とした表情でその場に立ち尽くしていた。
「あなた・・・死霊の塔探索隊の沙羅さんですよね」
「うん、そうだよ」
沙羅は何事も無かったかのように平然としている。
「あたしは沙羅。これで名乗ったよ。今度はあんたの名前を教えてよ」
「私は沖田総司といいます」
「へー、沖田って名前か」
憮然としている沖田に対して沙羅は悪びれる様子も無い。
「沙羅殿、あなたは侍を嫌っているそうですね」
「そんな事まで知ってるんだ。ひょっとしてあたしって有名なのかな?」
いたずらっぽい笑みを浮かべる沙羅。
「わたしが沖田さんに教えてあげたんです。この前の神鳥様の祭礼の日に」
「あんた確かまりちゃんだっけ。それじゃあの時あんたも一緒にいたんだ?」
「ええ、まあ・・・」
快活な沙羅の調子にまりもすっかり気圧されてしまっていた。
「沙羅殿、あなたが侍を嫌っているのは分かりました。ならば何故侍ではない静殿の槍を蹴り飛ばしたのですか? 私の刀を狙えば良かったでしょうに」
沖田は依然抜いた刀を沙羅に向けたままである。
場合によってはこのまま斬る事も辞さないつもりだ。
「んー、最初はそのつもりだったんだけどね・・・沖田がさっさと刀をしまっちゃったから」
アハハと笑う沙羅。
「ちょっとあなたねえ!」
「沙羅殿、無礼にも程がありますぞ!」
まりと沖田がグッと沙羅に詰寄った。
「お待ち下さい、沖田殿。まりも・・・」
そんな二人を止めたのは静だった。
「沙羅殿に槍を蹴飛ばされたのは全ては私が未熟故の事。もしもこれが実戦だったならば、私は間違いなく沙羅殿に殺されていた事でしょう」
静の顔は青く沈んでいた。
そのまま一礼して歩き始める。地面に突き立っている槍を抜くと、あとは振り返る事無くその場を離れる。
「静さん!」
「静殿・・・」
まりと沖田の呼びかけに応える事も無く、静は緋連の街への道をとぼとぼと歩いて行った。
「あー、悪い事しちゃったかな・・・」
沙羅が頭をかいている。
「悪い事しちゃったかな、ですって? 武人にとって得物を蹴飛ばされるなどとはこれ以上無い屈辱ですよ。もう一度聞きます。何故静殿の槍を蹴ったのですか?」
沖田の声が怒りに震えている。
「いつものいたずらのつもりだったんだよ。だから、ごめん。ごめんてば・・・」
「私に謝って済む事ではありません」
「うわっ! ちょっと、沖田!」
沖田の様子にただならぬものを感じた沙羅。
「ちょっと沖田さん、押さえて」
まりは今にも沙羅に飛び掛らんとしている沖田を懸命に押さえている。
「まり殿、放して下さい。このまま許す訳には」
「ちょっと沖田さん!」
強引にまりを振り払うと、沖田は沙羅に向かって菊一文字を振るった。
「ひゃ!」
間一髪、沙羅は後方に飛んで沖田の刀をかわす。
両者の距離が開き、しばしの間の睨み合いが続いた。
そこへ・・・
「ちょっと待って下さい! お願い待ってー」
「御免、御免下され!」
「お姉ちゃん、お父ちゃんも・・・」
慌てて走り込んで来たのは十六夜と大牙だった。
「十六夜さん・・・」
「まり殿、お知り合いですか?」
「ええ、同じ魔法使いの・・・」
まりが簡単に沖田に説明する。
「私は大牙といいます。こいつの父親です。娘の不始末、本当に申し訳なく・・・」
沖田とは初対面の大牙、深々と頭を下げる。
「まりちゃんごめんね。うちの馬鹿が・・・」
十六夜は沙羅の耳を掴んで思いっきり引っ張って行く。
「お姉ちゃん、痛いってば・・・」
「うるさい!」
沙羅が抗議するも十六夜はその手を離そうとはしなかった。
「こいつにはきつく言って聞かせます。後ほど綱殿の所にも謝りに行かせますので」
「お願いします。是非静さんに謝って下さい」
大牙に懇願するまり。
「分かりました。分かったな、沙羅!」
「分かった、分かったから・・・」
そこでようやく十六夜が沙羅の耳を放した。
「それでは御免」
「本当にごめんね。ほら、あんたも!」
「ちょ、お姉ちゃ・・・」
十六夜が沙羅の頭を上から押さえつけて三人でもう一度頭を下げてから、大牙親娘は沖田とまりの下を去った。
街道沿いの木陰には大牙親娘を待つエルフの男女の姿があった。
大牙親娘がそのエルフの二人連れと合流する。
一行は改めて沖田達にお辞儀をしてから緋連の街へと帰って行った。
四
緋連の街への道すがら、沙羅は十六夜にこってりとお説教を喰らっていた。
「ちょっと目を離した隙にこの騒ぎ。だいたいあんたはねえ・・・」
(今日のお姉ちゃんは荒れてるなあ。こりゃ長くなりそうだ・・・)
十六夜に怒られるのはいつもの事だった。
沙羅はそれほど気にするでもなく十六夜のお説教を黙って聞いていた。
大牙と飛鳥、そして花梨は二人の後ろを歩いている。
こちらも特に話す事はない。
沙羅が十六夜に怒られるのは「いつもの事」と心得ているからである。
(それにしても・・・)
一応は十六夜の話を聞いている振りをしながらも、沙羅は先程出会った沖田の事を想い出していた。
(あたしを抜き打った時のあの太刀捌き、あれ本当に危なかったなあ。どうやらそこらのぼんくら侍とは違うみたいだね。でも・・・)
沙羅はそこで小さく「クスッ」と笑った。
(やりがいのありそうな奴だったね。こいつは楽しみだよ)
何故か自分の胸が高鳴っているのを沙羅は感じていた。
一方。
最後に残された沖田とまりは、沙羅達から遅れて二人で緋連の街への帰途についていた。
陽はすっかり西の山に沈んでしまい、辺りは夕闇に包まれ始めていた。
二人の間の空気は重く会話もほとんど無かった。
しかしまりには気になる事があった。
意を決して沖田に話し掛ける。
「ずいぶん怒ってましたね、沖田さん」
「ええ・・・」
沖田は何か考え事をしているかのようだった。
「やっぱり失礼ですもんね。怒って当然ですよね」
「それもあるのですが・・・」
沖田はそこで言葉を濁す。
「ただ者ではないですよ、あの娘・・・」
「沙羅さんですか?」
「はい。近づいて来る気配に全く気付きませんでした。私も、そしておそらく静殿も」
そう、沖田も静も沙羅の急襲には全く気付かずにいた。これは事実である。
「わたしは離れた場所で見てましたから。ものすごい速さでした。街道の方から走ってきたかと思ったらあっという間に静さんの・・・」
「そうです。そして静殿の槍を蹴飛ばした時のあの動き・・・」
沖田の脳裏にその時の光景が甦る。
突然現れた沙羅が静の懐に潜り込む。次の瞬間、後方に回転しながら静の槍を蹴飛ばしたのであった。
「並みの体術ではないですね」
「確かにそうですね」
その様子はまりも見ていた。
もっとも、遠目で見ていたまりには沙羅の動きを捉える事は出来ていなかったのだが。
「それにね、あの時私は本気で沙羅殿に斬り付けたのですよ。それもかわされてしまいました」
「本当に斬るつもりだったんですか?」
「ええ」
平然と応える沖田にまりは少しだけ背筋が寒くなった。
「確かに沙羅殿の非礼は怒って当然でしょう。しかし、あの時私が怒ったのはもっと別の事だったのかも知れません」
「別の事?」
「油断していた自分です。いくら沙羅殿の身のこなしが優れているとは言えそれを感じ取れなかったのは油断に他なりません」
「ご自分に厳しいんですね」
「静殿も言っていたでしょう。『自分が未熟だった』と」
「それはそうですけど・・・」
まりはどこか釈然としないものを感じていた。
「まり殿、先程預けた陣羽織、あれを出して下さい」
「あ、はい」
まりは自分の道具袋の中から、丁寧に折りたたまれた陣羽織を取り出すと沖田に手渡した。
沖田はそれを受け取るとサッと鎖襦袢の上から羽織る。
「修練だから、などと言って油断していると足元をすくわれるという訳です」
沖田はにっこりと笑った。
(何故こんな状況で笑えるのだろう?)
まりには沖田という人物が不思議でならなかった。
「静さん、大丈夫でしょうか?」
その場の雰囲気に居心地の悪さを感じたまりが話題を変える。
「きっと大丈夫だと思いますよ」
「どうしてそう言い切れるのです?」
「何となくです。私は静殿と出会ってまだ日が浅いのですが、まあ静殿は強い人と思います。大丈夫ですよ」
「そうですね・・・うん、静さんならきっと大丈夫」
まりはわざと明るい声で応えてみせた。
「あの・・・」
「何ですか?」
「えっと、ですね」
「はい?」
まりにはもう一つ気になっている事があった。
さっきからそれを沖田に聞こうかどうしようか迷っていたのだが・・・
(もしも・・・静さんじゃなくてわたしが沙羅さんに襲われていたら、同じように怒ってくれましたか?)
「いえ、何でもないです」
しかしまりは、喉元まで出掛かっていたその言葉を飲み込んでしまった。
「そうですか」
「はい、何でもないです」
その後は取りとめも無い会話が続いた。
緋連の街の灯りはもうすぐ目の前である。