小説ウィザードリィ外伝4・「魔将の塔」
四幕・それぞれの闘い
一
前日の快晴はいずこかに過ぎ去り、緋連の街は静かに降り注ぐ小ぬか雨にしとしとと濡れていた。
出立の用意を整えた沖田総司が松屋の玄関へと出ると、既に支度を終えた静、なみ、まりが待っていた。
「沖田さん、その恰好で行くのですか?」
「ええ、女将さんがすっかり綺麗にしてくれましたので」
笑顔でまりに応える沖田。
そのいでたちは新撰組揃いの陣羽織の下に鎖襦袢といった池田屋へ斬り込んだ時の恰好そのままの姿である。
完璧とは行かないまでも陣羽織に付着していた血は綺麗に洗い落とされ、切りさかれた箇所も丁寧に縫い合わせてある。
細やかな心配りをしてくれた女将の人となりが伺える。
「沖田さん、これ着ていって下さいね」
まりは沖田に菅笠と蓑を差し出した。
「こんなものでごめんなさい。緋連では差し傘は身分の高い人しか使えないんですよ」
「いえいえ、これでも十分ですよ」
沖田は慣れた手つきで蓑を着込み菅笠を頭に被った。
「私のいた世界にも同じ物がありましたので」
「そうなんですか、良かったです」
同じように菅笠に蓑姿のまりはほっと胸を撫で下ろした。
やがて綱と竜乃介も姿を現した。
「それでは行きましょうか」
全員の用意が整ったところで綱が出立の号令を出す。
雨降る緋連の街に不動の塔探索隊の姿が溶け込んでいった。
一方。
「お姉ちゃん、早くー!」
「ちょっと待ってよ沙羅」
「早くしないと不動組の連中が行っちゃうよー」
西区の長屋には姉の十六夜の支度が整うのを今や遅しと待っている沙羅の姿があった。
探索用の黒い着物は普段着同様膝くらいまでの丈しかない。
手甲に脚絆(きゃはん)を身に付け背中には忍者刀、懐には飛び道具の四方手裏剣を忍ばせている。
髪の毛はいつものように側頭部で二つに結んであった。
沙羅はいつもこのように髪を結っていた。
亡くなった父親がいつもこのようにしてくれたからだ、といつか十六夜に話した事があったのだが・・・
「落ち着け、沙羅」
既に支度の終わっている大牙が沙羅をたしなめる。
「だってぇ・・・」
不動の塔探索隊に新しく入ったという侍、沙羅はそれがどんな奴なのか早く見てみたかったのだ。
相手によってはいつものようにちょっとからかってやろう、そう思っていた沙羅は身体がうずうずしてしょうがなかった。
そんな沙羅の気持ちなどお見通しの十六夜はわざと支度を遅らせていたのだが。
「あたしちょっと先に行ってるから。お父ちゃん達はあたしに構わず死霊の塔へ行っててよ」
そう言うと沙羅は雨の中を勢い良く飛び出して行った。
「おい、沙羅!」
制止する大牙の言葉は沙羅の耳には届いていなかった。
二
各塔への道は緋連の街の北区側の街外れから伸びていた。
沙羅がその場に辿り着いた時には、小屋(とは言っても支柱に屋根を掛けただけのものだが)にエルフの男女が二人でいるだけだった。
「沙羅、遅いですよ」
「大牙さんと十六夜は?」
この二人は死霊の塔探索隊の仲間である。
男の方は飛鳥(あすか)という名で弓使い、女の方は花梨(かりん)という名で僧侶職に就いている。
年は共に二十一。
恋仲の二人にとっては雨の中で一緒に他の仲間を待つ事ぐらいは別段苦にもならないのだろう。
「あー二人とも、不動組の連中見なかった?」
沙羅は他の隊の事をよく「不動組」、「幻術組」というふうに呼んでいた。
しかし自分の隊の事を「死霊組」と呼ぶ事はない。「死霊」という言葉がやはり気味が悪いからだ。
沙羅は死霊の塔探索隊の事を単に「あたし達」と言うだけである。
「私達が来た時には既にここを立ち去ってしまったようですね」
飛鳥は道に残っている足跡を指して言った。
西洋風の靴の他にわらじの跡がくっきりと残っている。
靴の方は主に幻術組のものだがわらじの方は不動組のものだ、そう思った沙羅は足跡を追う事にした。
「お父ちゃんに『先に行くように』って言っておいてー」
それだけ言い残すと沙羅はまた雨の中を走り出した。
三本の塔への道は途中で枝分かれしそれぞれに繋がっている。
一番東が幻術の塔。
中央が不動の塔。
そして一番西が死霊の塔である。
沙羅は途中の枝道を無視して真っ直ぐ不動の塔へと向かった。
沙羅にとってはそれ程長い距離ではない。目指す不動の塔はあっという間に視界の中である。
不動の塔はどちらかと言うと城のような外観をしていた。
地上四層、そのうち最上階は天守閣になっている。
その入り口に立つ沙羅。
中の様子を伺いながらゆっくりと扉を押し開けた。
入り口の近くに何者かがいるような気配は無い、沙羅は音も無く建物の中へ身を滑り込ませた。
入った所のすぐ脇にはびっしょりと雨に濡れた数組の蓑と笠が置いてあった。
まだ脱ぎ捨てられてからそう時間は経っていないだろう。
その周りには清められた石が六つ、環状に配置してある。
これは聖石を用いた簡易的な結界である。
この結界を解けるのは術を施した者かそれよりも魔力の高い者だけで、こうして結界の中に荷物を置いておけば野盗などに荒らされる心配が無いという訳である。
ちなみに術を施したのは綱であった。
もちろん沙羅がこの結界を破れるはずもなかったし、またその必要も無かった。
塔の入り口から伸びる通路にも濡れた足跡が残っていたが、それは入ってすぐの所にある突き当りを右に折れていた。
「深入りは禁物か・・・」
沙羅はハァと溜息をつく。
「遅くなるとお父ちゃんが本気で怒るな」
沙羅は不動の塔探索隊を追うのを諦めて建物の外へ出ると死霊の塔へと走り出した。
沙羅の足ならばあっという間に死霊の塔へ辿り着けるはずである。
しかし、沙羅があともう少しその場にとどまっていたなら、事態は違ったはずである。
何故なら・・・
「もーう、なみちゃん本当にうっかりさんなんだからー」
「短剣など途中で拾った物を使えばいいだろうに・・・」
「何言ってるの! 得物はやっぱり使い慣れた物でないと」
綱達一行が入り口へと引き返して来たのだった。
理由は猫娘のなみが蓑と笠を脱いだ時に一緒に置き忘れてしまった愛用の短剣を取りに戻って来たからである。
何やら文句を垂れているのはまりと竜乃介だった。
静はいつものように黙って付き従い、綱と沖田は「やれやれ・・・」と顔を見合わせていた。
綱が例の結界を解くとなみはそこから自分の短剣を拾い上げた。
「あったあった。さーあ皆さん、気を取り直して行きましょーう」
「とんだ時間の無駄だったな・・・」
ご機嫌ななみとは反対に竜乃介はまだ不機嫌のままである。
綱が再び結界を創り終わった後、一行は塔の内部へと入って行った。
三
不動の塔一階の中央部にある階段から二階へと上がる。
「これが問題の鉄格子」
盗賊のなみが目の前に立ちはだかる鉄格子をゴンゴンと叩いてみせる。
全体に黒塗りのその鉄格子はいかにも無骨かつ重そうで、とてもこじ開ける事など出来そうにない。
鉄が持つ特有の冷たさがこの黒い物体をよりいっそう不気味な物に感じさせる。
鉄格子の先には三階へ続くと思われる上り階段が見えている。
「この鉄格子を開ける鍵とか仕掛けのつまみみたいな物はまだ見つかっていないのよねえ・・・」
はぁ、と溜息をつくなみ。
「それならぶっ壊せばいい」
言うや竜乃介が自らの全体重を乗せた体当たりを鉄格子にぶちかました。
ガツーン! と激しい音が鳴る。
しかし黒い物体には何の変化も見られないまま、一行の行く手を遮っていた。
「止めろ竜。中途半端に壊したりしたらもしも鍵を見つけたとしてもかえって開かなくなるやも知れぬ」
「うむ・・・」
綱が制止すると竜乃介はおとなしく引き下がる。
「あれは何なのですか?」
沖田が鉄格子の上の方を差している。
その先には白くて丸い金属制の薄い板状の物が掛けられてあった。
「ええ、時計の文字盤のようなのですが・・・」
噂には聞いた事はあったのだが・・・沖田は西洋式の「時計」という物を今まで見た事がなかった。
その文字盤には西洋の数字が「12・1・2・・・11」と、ぐるりと書かれている。
「しかし肝心の針が有りません。針が無くては時刻を示す事が出来ないでしょう」
綱は重々しく首を横に振った。
「綱様、この階の見取り図はまだ半分ほどしか出来ていません。まずはこれを完成させてしまいましょう。そうすればどこかで鍵が見つかるかも知れませんし」
見取り図の作成を担当しているのはまりである。
まりはまだ半分ほどしか埋まっていない見取り図を手に、周囲の状況や方角などを確認している。
「そうですね。ここはまりの言う通り、この階の探索を進めてその見取り図を完成させてしまいましょう」
一行は鉄格子の前から移動を始めた。
一階と違って二階の通路は短い間隔ですぐに突き当たりに当たってしまう。
それはつまり見通しが良くないという事である。
物陰に何者かが潜んでいるかも知れない、自然に歩みは慎重になる。
いくつかの小部屋を確認し、何度目かの突き当りに差し掛かった時だった。
「待って、この先に誰かいます・・・」
なみが小声で注意を促した。
一行に緊張が走る。
なるほど・・・
角を曲がったすぐそこに、何者かが抜刀して潜んでいるようである。
沖田にもその気配がはっきりと感じられていた。
「一人、ですね」
「どうです沖田さん、やってみますか?」
「私一人で、ですか?」
「ええ」
「相手を斬って良い、という事ですね」
「無論です」
深々と頷く綱、沖田は菊一文字をすらりと抜いた。
刀を下段に構えながら沖田はゆっくりと歩き出す。
「うおぉー!」
敵は沖田の姿を視界に捉えると気合と共にいきなり斬り込んで来た。
それをさっとかわした沖田、すかさず距離を取る。
相手は袴も付けない着流し姿の侍だった。
野武士と呼ばれる浪人者で緋連の街には居場所が無い為にこの塔に居着いているのである。
じっと睨み合う両者。先に動いたのは沖田だった。
天然理心流の極意は「突き」にある。
中でも沖田の突きは独特で、一度ならず二度、三度と立て続けに突きを繰り出すのが最大の特徴であった。
沖田の剣を受ける相手にしてみれば、自分の刀の間合いの外から目にも止まらぬ速さの突きが繰り出されるのである。
それを三度ともかわしきるのは至難の業と言えるだろう。
「やっ、やっ、やー!」
正に一瞬の出来事、沖田が踏み込んだと同時に繰り出された突きは正確に野武士の喉を貫いていた。
野武士はその場にバタと倒れる。
沖田は野武士の着物で刀を拭うと音も無く鞘に収めた。
「すごーい・・・」
後ろで見ていたまりがパチパチと小さく手を叩いている。
「まり、あんたって分かり易い娘だねえ・・・」
「えっ?」
まりが振り返ると静が口を押さえて笑っている。
かぁーと顔が赤くなると同時に、「静さんがこんな風に笑っているのを初めて見たような気がする」とまりは思った。
何事も無かったかのように戻って来た沖田だったが・・・
「ゴホっ・・・」
突然に咳をしてしまった。
「沖田さん、昨夜も時々咳をされていたようですが・・・」
「何でもありませんよ」
「無理は良くないですよ。西洋から来た良い薬がありますから、後で差し上げましょう。それでは行きましょう」
綱は先駆けを務める竜乃介に進むように促した。
「沖田さん、大丈夫ですか?」
「まり殿も心配しないで下さい」
心配そうな顔をしているまりを制して沖田も綱の後に続いて歩き出した。
咳をした時に口を押さえた沖田の手には、わずかながらに赤いものがこびりついていた。
四
死霊の塔は古い寺院風の造りとなっていた。
なんとも言えない重苦しい雰囲気の中には常にお香の臭いと強い死臭が渦巻いていた。
不動の塔と違って、死霊の塔では侍や忍者に出遭う事はほとんどない。
ここでは人魂や悪霊の類から妖怪変化、更にはかつての戦で打ち死にした者や死にきれなかった者の骸などが敵として現れる。
いわゆる「死に損ない(アンデッド)」である。
本来ならばそれらの魂を鎮める為に塔全体が巨大なお墓、もしくは慰霊碑の役割を果たすはずなのだが、今では単に死に損ない達の巣と化していた。
「いつ来ても辛気臭い所だよねえ・・・」
沙羅はうんざりだとばかりに嘆息する。
「誰かさんが侍を見るたんびに頭に血が上るからな。不動の塔の探索には不向きだろ。そのせいで我々がこの塔の担当になったって訳だ」
ガハハと大牙が笑う。
「本当にねえ・・・」
十六夜もたまらず苦笑する。
「お姉ちゃんまで。はいはい、みんなあたしのせいですよ」
沙羅は顔を膨らませてみせる。厳しい修行を積んだ忍者とは言え、このあたりは十七歳の少女である。
大牙親娘と行動を共にするのはエルフの弓使い飛鳥と、同じくエルフの僧侶花梨である。
二人は親娘のやり取りにクスクスと笑っていた。
「でも結局不動組に新しく入ったっていう侍には会えなかったんでしょ?」
「うん・・・」
花梨の問に力無く頷く沙羅。
「まったく・・・『侍嫌い』なんだったら相手にしなければ良いだろうに」
「雨の中笠も被らないずに走り回って、ねえ」
「お父ちゃんもお姉ちゃんもうるさいなあ。ただ顔を見てみたかっただけだよ。それに、忍者は雨で濡れるくらいどうって事ないの」
大牙と十六夜に責められてますます仏頂面になる。
しかし実際のところ・・・
沙羅が「不動組に新しく入った侍を見てみたい」と思ったのは事実であった。
十代の少女が持つ特有の好奇心、それが沙羅の行動の原動力である事は間違いないだろう。
五人で構成された死霊の塔探索隊は先頭を大牙、その後ろに沙羅。
そして十六夜、花梨と続いてしんがりを飛鳥が務めていた。
やや変則的な隊列の組み方ではあったが、後方からの奇襲にも備えた編成と言える。
また忍者や弓使いなどはどちらかと言えば正攻法よりも奇襲的な闘い方を得意とする。
力任せで直線的な不動の塔探索隊よりも柔軟性があるのが特徴である。
一行は現在死霊の塔の三階部分を探索していた。
死霊の塔は他の塔よりも一回り小さい造りになっている。必然的に探索も他の隊よりも進んでいた。
先頭を行く大牙が通路と部屋とを隔てる扉を開けた。
突然一行を襲う強烈な死臭。
「何かいるぞ!」
大牙の言葉に全員が戦闘態勢に入った。
部屋の中で一行を待ち構えていたのは、いわゆる「死に損ない」の骸の集団であった。
身に付けている具足や衣服から戦士と魔法使いと思われる。
戦士が四人、魔法使いが三人。
しかも戦士の方は顔が人間のそれではなかった。
リズマンと呼ばれるとかげが進化した種族。緋連の街中でも割と頻繁に見られる種族ではあるが、人間よりも力も体力も遥かに強いのが特徴である。
「数が多いな。十六夜、適当に何か唱えてくれ。俺達は魔法使いをやる」
「了解」
多少的確さを欠く大牙の指示ではあったが一行にはこれで十分なのである。
大牙と沙羅が素早く左右に散るのと同時に十六夜が呪文の詠唱に入った。
後方では飛鳥が弓に矢をつがえている。
花梨は万一の場合に備えて治療や回復に備える訳である。
棒術を得意とする大牙が操るのはとんぼ斬りと呼ばれる長柄の槍である。
ぐいっと突き出されたその槍は的確に魔法使いの胸を突き刺していた。
沙羅は忍者刀を抜くと逆手に構え、音も無く魔法使いの懐に飛び込んでいた。
忍者刀が弧を描く。次の瞬間、魔法使いの首は胴体から切り離されてゴロリと床に転げていた。
残りの魔法使いは飛鳥の放った三本の矢を受け既にその動きを停止していた。
大牙と沙羅が引き上げた後、十六夜が放ったのは火炎の呪文であった。
死に損ないの骸には比較的効果がある、とされている呪文で十六夜が得意とするものの一つである。
火炎の渦はとかげの戦士を巻き込み、ごうごうと燃え盛る。
四人の戦士のうち三人までは炎の中で崩れ落ちていた。
しかし、十六夜の呪文に耐えた一人が剣を振るって炎の中から飛び出して来た。
骸の戦士はそのまま花梨へと襲い掛かる。
「しまった・・・」
慌てて飛鳥が弓を引くも間に合わない、戦士は剣を振り上げたまま花梨へ飛び掛って行った。
しかし花梨は逃げようともしない。
じっと精神を集中させ短い詠唱を終えると「エイッ」と骸の戦士に手をかざした。
骸の戦士の動きが止まる・・・そして骸は糸の切れた操り人形のようにその場にドサッと崩れ落ちていた。
既に骸の戦士は単なる骸でしかなくなっている。
「解呪の法(ディスペル)か・・・手間掛けさせて悪かったね、花梨」
「ううん、たまには私もおいしい所を貰わないとね」
骸の戦士を仕留めそこなった事を詫びる十六夜、花梨は何事も無かったかのように美しく伸びた金の髪をかき上げている。
解呪の法。
邪悪な闇の力によって生まれた死に損ないの魔物の呪いを解き、成仏させる呪法である。
僧侶や君主それに司教職など、聖職者が身に付け得る能力であるが、その技術においてはやはり僧侶が抜きん出ていると言える。
生粋の僧侶である花梨が所属する大牙の部隊が死霊の塔攻略の担当になった大きな理由の一つでもある。
「最初っから花梨に任せてお姉ちゃんは引っ込んでれば良かったんじゃないの?」
「ええ、ええ。どうせあたしは腕の悪い魔法使いですよ」
「花梨もそう思うでしょ?」
「えっ・・・それはその・・・」
「一度はっきり言ってやったほうが良いよ、うん」
「沙羅、あんた言わせておけば!」
沙羅、十六夜、そして花梨の場違いなくらいに明るい声が塔内に響く。
大牙と飛鳥は「女三人寄れば、だな」と顔を見合わせて笑っていた。