小説ウィザードリィ外伝4・「魔将の塔」

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十四幕・魔将(下)

 ノブナガが放つ気の刃は確実に沖田総司らを傷付けていった。
 中でも最も損傷を受けたの竜乃介だった。
 普通の攻撃ならば盾で受け止めてしまえるのだが、この「気」による攻撃はそれが出来ない。
 竜乃介が構える盾を貫通して竜乃介自身に傷を与えてしまうからだ。
 身の軽い沙羅やなみは軽く身体を捻っただけで気の刃をかわしているが、その他の者達は必死になって逃げ回るしかなかった。
 治療の呪文が使える綱と静が傷を負った者の治療に専念するも、このままではあっという間に呪文を使い果たしてしまいかねない状況である。
「このままでは駄目です。接近戦に持ち込みましょう」
「分かった、あたしが囮になるから沖田は奴の懐に飛び込んで」
「はい」
 沖田と沙羅が簡単に打ち合わせをする。
 自慢の跳躍力を生かし、沙羅がノブナガの頭上から襲い掛かる。
 大牙も脇から槍を繰り出した。
 死霊の塔探索時に何体もの敵を倒してきた必殺戦法である。
 ノブナガは上から来る沙羅に気を取られ、村正を自分の頭上へと振るった。
 しかし沙羅はそれに素早く反応し、空中で身をひるがえしてノブナガの一刀をかわす。
 ノブナガは大牙の突き出した槍を辛うじて左手で払ったもののこれで体勢を崩し、沖田に備える事が出来ないでいた。
 沖田はノブナガの隙を見逃す事なく上段から斬りかかる。
 決まったかに思えたのだが・・・
 ノブナガはわずかに後方に飛んで沖田の間合いを外すとすかさず村正を振るった。
 沖田もこの反撃を読んでいた。放たれる気の刃を的確にかわす。
 沖田ほどの熟練の侍になれば、ノブナガの振るう村正の軌跡を見切ってしまい、そこから放たれる気の刃をかわすのはそれほど難しい事ではない。
 しかしそれはノブナガにも言える事であった。
 ノブナガは続く沖田の攻撃を見切り、的確に村正で受ける。
 一見互角に見える両者の応酬だが、沖田の剣を自分の剣で受ける事が出来るだけノブナガのほうが有利であると言えるだろう。
 しかし・・・
 次のノブナガの攻撃は「気」を使ったものではなく、通常の剣術だった。
 これを難なく沖田が受ける。
「そうか、気の刃を飛ばすためには『ため』が必要なんだ」
 修道僧として武術に長ける大牙である。
「という事は、ためを作らせないように攻撃し続ければ良いんだね」
「そういう事よ」
 沙羅と大牙は顔を見合わせて頷き合うと得意の同時攻撃に入った。
 ノブナガの前から大牙が、後ろから沙羅が、そして脇からは沖田が一斉にノブナガに踊りかかった。
 三人による同時攻撃を全て受けるのは無理と判断したノブナガは、脱出口を上に求めた。
 その場に高く跳躍して攻撃をかわすと村正を逆手に持ち替える。
 落下と同時に村正を振り下ろし、そのまま村正を床に突き刺した。
 空中で気の「ため」を完了させたノブナガは床に突き立てた村正から衝撃波としてその気を八方に放った。
「うわっ!」
「きゃっ!」
「むむっ!」
 至近距離から衝撃波を受けた三人が一斉に弾き飛ばされる。
 ノブナガは床から村正を引き抜くと、また悠然とそれを構えた。

「何かないかな・・・あいつを仕留める決め手みたいなの」
 ノブナガの放った気による衝撃波を受けた沙羅だったが、反応の良さと忍者特有の体術で損傷を最低限に押さえていた。
 沖田と大牙は強く床に叩き付けられている。
「何か・・・何か。そうだ」
 妙案を思い付いたという表情で沙羅は十六夜達の所へ戻った。
「沙羅、大丈夫?」
「うん、それよりもお姉ちゃん! 大爆発の呪文(ティルトウェイト)使えるでしょ。あれでノブナガを仕留めてよ。うまく行けばあの女も一緒に始末出来るかも知れないよ」
 沙羅は後方に控えている黄泉御前へと視線を向けた。
 黄泉御前はノブナガの働きに満足し、切り落とされた右手を気にしながらも顔には冷たい笑みを浮かべている。
「でも・・・転移の呪文を残しておけってお父ちゃんに言われてるし」
 大爆発の呪文と転移の呪文は共に魔法使いの呪文の最高階級に属している呪文である。
 十六夜はその両方を習得しているが、その使用回数は一日に二回まで。
 死霊の塔で一度転移の呪文を無駄に消費してしまったので、十六夜はこの階級の呪文をあと一度しか使えないのである。
 ここで大爆発の呪文を使ってしまえば転移の呪文の分の魔力は残らなくなってしまう。
「大爆発の呪文ならわたしも使えます」
 沙羅と十六夜の話を聞いたまりが名乗り出た。
「わたしは転移の呪文は習得していませんが、大爆発の呪文なら使う事が出来ます。一回きりの切り札です。十六夜さんの魔力は脱出の時まで温存させておいて下さい」
「まりちゃん、出来る?」
「やってみます。でも実戦で使うのは初めてなんです。沙羅さん、時間を稼いで。それとノブナガと黄泉御前を出来るだけ近付けて下さい」
「爆発の中心地にあの二人を巻き込んだ方が衝撃が大きいからね。沙羅、頼んだよ」
「分かった。やってみるよ」
 沖田と大牙はまだ倒れたまま。
 竜乃介は負傷して後方に下がっているし、静は怪我人の手当て。
 今現在満足に動けるのは沙羅のみである。
「まりちゃん、落ち着いてやれば出来るからね」
「はい」
 まりは呼吸を整えると大爆発の呪文の詠唱に入った。
 
 沙羅は再びノブナガの目の前に踊り出た。
 しかし今度はまりが呪文の詠唱を完了するまでの時間稼ぎ、深入りせずにうまく相手を引き付けておくだけでいい。
 ノブナガの剣を見切ってかわすだけなら沙羅は誰よりも自信があったし、敵が隙を見せればもちろんそこを突いて攻撃も出来る。
 この役目は沙羅には適任と言えるだろう。
 沙羅は出来るだけ黄泉御前を背にして闘うようにしていた。
 こうすればノブナガが放つ気の刃をかわしても仲間達には被害が及ばないし、うまく行けばその刃で黄泉御前を傷付けられるかも・・・という思惑があったからだ。
 ノブナガもそれを承知しているのか気の刃を放つ事無く、ただ村正を振るっているのみである。
 ノブナガの剣をかわし、そして攻撃し、沙羅は次第にノブナガを黄泉御前の近くへと移動させていった。
 そして。
「沙羅、お父ちゃん達を連れて下がって!」
「分かった!」
 十六夜がまりの呪文の完了を告げると沙羅は全力でノブナガの下を離脱し、まだ倒れている大牙と沖田を両肩に抱え上げた。
「う、沙羅殿・・・」
「沖田、歩ける?」
「ええ。なんとか」
 ようやく意識を取り戻した沖田とまだ意識の戻らない大牙を沙羅が呪文の効果範囲の外へと運び出す。
 それを確認した十六夜が
「まりちゃん、今!」
 と合図を出した。
「ハッ!」
 まりは気合と共に大爆発の呪文をノブナガと黄泉御前へ向けて放った。

 ノブナガと黄泉御前の周囲の空気が急激に圧縮されていき、やがてそれが爆音と高熱の炎と眩い光をともなって激しく炸裂した。
 まりが放った大爆発の呪文は間違いなくノブナガらを巻き込み炎に包んでしまった。
 塔の床や壁などには消呪効果が施してあって炎が燃え移る事は無いものの、もしもそれが無かったらこの天守閣は焼け落ちてしまうのではないかと思われる程の炎がまりの目の前に広がっている。
「まりちゃん、すごい・・・」
 沙羅が呆然と呟く。
 まりの放った呪文は沙羅の想像以上の威力であったが、それと同時によく先程黄泉御前が放った大爆発の呪文に自分達が耐え切れたものだと思わずにはいられなかった。
 敵が使えば恐ろしい呪文も味方が使えればこれほどに頼もしいものとなるのである。
 やがて呪文による炎が沈静化していく。
 ゴウゴウと燃え盛る炎は急激にその勢力を衰えさせ、そして消滅してしまった。
 しかし・・・
 炎が消えた後にはノブナガと黄泉御前が、呪文を受ける前と何ら変わらぬ様子で存在していたのだった。
「そんな、馬鹿な・・・」
 信じられない、といった表情の沙羅、それに対して十六夜はこの事態をある程度予想していたようであった。
「やはり通用しない、か」
「おぬしらがしてのけた事くらい、わらわが出来ないと思っていたのかえ?」
 黄泉御前はくっくと笑う。
 先程十六夜とまりで呪文障壁を張り巡らせたように、黄泉御前もまた呪文障壁を作り出して大爆発の呪文に耐えたのであった。
 しかし両者の魔力の差がこれ程までに大きいとは。
 まりと十六夜は二人掛りで四重の呪文障壁を作って、それでも若干の負傷者を出したというのに、黄泉御前は一人で完璧な呪文障壁を作り、無傷で切り抜けたのだ。
 その間にノブナガは「気」の充填を完了させてしまっている。
 妖刀村正によって更に増幅された気の刃がまり目掛けて放たれた。
 大爆発の呪文を初めて唱えたまりは未だ意識が朦朧としていて、自分に向けられた気の刃に全く反応出来ないでいた。
「きゃあーーー!」
 朱に染まるまりの身体。
 刃の直撃を受けたまりは、その反動で後ろに弾き飛ばされてしまい、そのまま床に叩きつけられた。
「まりちゃん!」
「まり!」
 誰ともなくまりの名を叫ぶ。
「静さん、お願い!」
 十六夜が静の名を呼んだ。
 治療の呪文を扱えるのは綱と静であったが、同じ女子という事で十六夜はとっさに静を指名したのだ。
 静がまりに駆け寄って着物の前を開け傷の程度を確認する。
「大丈夫。傷は浅いし急所も外れている」
 まりの胸元には気の刃による傷があり、そこからかなりの血が噴き出ているものの、それは致命的なものとはならなかったようである。
 静が治療の呪文を唱え、まりの傷をふさいでいく。
 その様子にホッとした十六夜、
「あら? これは・・・」
 ふと気付き、まりの傍らに落ちている物を拾い上げた。
 それは真っ二つに割れた朱塗りの櫛。
「ああ、この娘が沖田殿から買ってもらったものです」
 静が応えた。
 そう、それは神鳥神社の祭礼の日に沖田がまりに買い与えたものであった。
 それ以来まりはその櫛をいつも自分の懐にしまい込んでいたのだが。
「もしかして、このせいで・・・?」
 ノブナガの一刀を受けた割にはまりの傷は思いのほか浅かった。
 この櫛が少しでもその衝撃を和らげたのだろうか?
(まさか、ね)
 そう思いながらも十六夜は、二つに割れた櫛を自分の懐にしまい込んだ。

「まりの容態は?」
「ええ、命に別状はありません」
「良かった」
 静の返事にホッと安堵する沖田。
「それでは静殿、引き続きまりをお願いします。私は沙羅殿を手助けしないと」
「それなら私も」
「いえ、癒しの術の使い手のあなたが倒れてしまっては後が大変です」
 沖田はそれだけ言い残すと再びノブナガへと向かって行った。
 現在は沙羅が一人でノブナガの相手をしている状況である。
 竜乃介、大牙、まりが負傷。
 綱と静は怪我人の手当て。
 なみは盗賊なのでほとんど戦力にはならない。
 手にした神器を大事そうに抱えながら、綱の後ろに付き従っている。
 十六夜はまだそれほど傷は負っていないものの、魔法使いの呪文は通用しそうにない。
「もうあの二人に賭けるしかないね」
 十六夜が吐き捨てた。
 こんな時に何も出来ない自分が歯がゆい。
 それでも自分に出来る精一杯の事を、と考えを廻らせ、後方から支援の呪文を唱え続ける。
 それはわずかな効果ではあったが、味方を有利に、敵を不利に導いていく。

 沙羅は得意の接近、離脱戦法を取りながらノブナガに対峙していた。
 それにしても・・・
 先程から沙羅はずっと動き続け、闘い続けているのである。
 しかもほとんど手傷を受けていない。
 驚異的な体力と反射神経の成せる業である。
「沙羅殿、無事ですか?」
「沖田、あんたこそもう平気なのかい?」
「ええ」
「ならあいつを倒すの手伝ってよ」
「沙羅殿は少し下がって休んでいてください。ここは私が」
 沖田は沙羅を制すると、スッとノブナガの前へ進み出た。
「信長公!」
 沖田の大音声が響く。
「信長公、いい加減に目をお覚まし下され! 私が歴史上の伝説として知る貴方はもっと誇り高きお方であらせられますぞ」
 ピクリ。
 わずかにノブナガが反応を見せた。
「信長公!」
 再度ノブナガの名を呼ぶ沖田。
 すると・・・
「お前はわしを知っておるのか・・・?」
 抑揚の無い声ではあったが、初めてノブナガが口を開いた。
「私は貴方より三百年程後の時代よりこの世界へ参りました。貴方の事は歴史上の英雄として伝え聞いておりました」
「三百年とな・・・」
 仮面のせいでノブナガの表情は読み取れないが、先程まで感じられた「全身から発する殺気」のようなものが今は薄らいでいる。 
「ならば聞こう。あの後・・・本能寺でわしが光秀に襲われた後、天下はどうなった? 誰が天下を取った?」
「私が伝え聞く限りでは、まず太閤殿下が信長公の後を継ぎ、その後は家康公が天下をお取りになられました」
「太閤・・・?」
「豊臣秀吉公であらせられまする」
「そうか、猿めがな」
 沖田の答えに頷くノブナガ。
「お前の知る歴史では、わしは本能寺で死んだ事になっているのであろうな」
「いかにも」
「しかしわしは生きておる。あの女のおかげでな」
 ノブナガが黄泉御前を指して言った。
「あの日・・・
 光秀に本能寺を襲撃されたわしはもはやこれまでと自害するつもりでおった。しかし突然めまいがしたかと思うと、わしは気を失ってしまった。気が付いたら目の前にあの女がおった。
 女は言った、『自分に忠誠を誓えば命は助ける』と。更には『いつかは共に天下を取ろう』とも言ったわ。
 始めはそのような話に聞く耳を持たなかったが・・・女は妖しの術を使ってわしを惑わし、操り、苦しめた。不本意ではあったが、わしは女の軍門に下ったのだ・・・」
「おしゃべりが過ぎるわ、ノブナガ!」
 黄泉御前が一喝し、ノブナガの話を遮った。
「完全に心を操ったと思っておったが・・・同じ世界の者と逢って意識を取り戻し掛けたようじゃな。じゃが・・・わらわにはむかう事はまかりならぬ」
「ぐ・・・ぬおう!」
 黄泉御前が短い呪文を唱えると、ノブナガは苦しみ悶え始めた。
「ほっほっほ。苦しい思いをしたくなければ早くあやつらを殺してしまえ」
 ノブナガに術を掛けながら高らかに笑う黄泉御前。
 しかし次の瞬間、その表情が凍り付いた。
「何をするのじゃ!」
 依然悶えながらも、ノブナガが村正を振りかざし黄泉御前へと迫って行く。
「女・・・今までの借りは返させてもらうぞ」
「止めんか、ノブナガ・・・うわぁー!」
 黄泉御前の言葉はそこで切れた。
 気の刃ではない村正の本身による一刀が黄泉御前の首を斬り落としていたのだ。
 どす黒い返り血を浴びたノブナガの全身が「ぬらり」と輝いている。

 自らの手で黄泉御前を斬って捨てたノブナガ、その足元には首の無い御前の亡骸が転がっていた。
 跳ばされた首は遥か後方に落ちている。
 首と胴との切断面はまるで鏡のようになめらかで、それだけ村正の斬れ味の鋭さを物語っている。
「信長公」
 これでノブナガも黄泉御前の呪縛から解放される、沖田はそう安堵していた。
 しかし。
「まだだ。油断するな、沙羅」
「お父ちゃん」
 意識を取り戻した大牙の忠告。
「奴の殺気はまだ完全に消えていない。それどころか徐々に増えているようだ」
「え?」
 沖田と沙羅が再びノブナガに対峙する。
 ノブナガは村正を手にしたまま、その場に立ち尽くしている。
 相変わらず仮面で隠された表情は読み取れないものの、肩で大きく息をしているその様はまるで鬼神のようであった。
 ノブナガが再び村正を上段に構える。
「いかん!」
 沖田と沙羅は気の刃に備えてかわす体勢に入っていたのだが、ノブナガはそれを放ってはこなかった。
 振り上げた村正を気合と共にただ振り回すのみ。
 それは剣術も何も無い、ただ血に餓えた妖刀の暴走に身を任せているだけなのである。
 しかもそれは普通の刀ではない。
 黄泉御前の首を何の抵抗もなく斬り跳ばした事からも分かるように、村正の斬れ味は沖田の持つ菊一文字などとは比較にならないのである。
 村正の切っ先がわずかにかすっただけでも命に関わる傷を負うだろう事は容易に想像出来る。
「信長公、御気を確かに!」
 ノブナガの暴走を食い止めようと沖田が叫ぶ。
 しかしノブナガはそれには応えずただ村正を振り回し続けていた。
「信長公!」
 再度沖田がノブナガの名を呼んだ。
 すると。
『わしをころせ』
「何と?」
 それはノブナガが直接喋ったものではなかった。
 ノブナガの意識の声が直接沖田の頭の中に届いたのだ。
「沖田、今何か聞こえた?」
「ええ、『わしをころせ』と」
「あたしにもそう聞こえたよ」
 沙羅にもノブナガの声は届いていた。
「信長公、何故貴方を殺さねばならないのですか?」
『わしの心はもうわし自身のものではない。もうわしの行動も自分で止める事すら出来ぬ。わしはもうすぐ人ではなくなってしまうだろう。
 頼む。わしが魔物になる前にわしを殺してくれ。これ以上生き恥を晒したくはない・・・』
 ノブナガの声はそこで途切れた。
 黄泉御前による心の呪縛、手にした妖刀の暴走。
 それらのものがノブナガの精神を蝕み、ノブナガを人ではないものとしようとしている。
 魔物となって生き恥を晒すよりはこの場で殺して欲しい、それがノブナガの願いだった。
「分かりました信長公。その願い、この沖田総司が聞き入れましょう」
 ノブナガは既に人としての意識を失い、妖刀の命じるままに血を求める魔物に成り下がっている。
 ならばその魔物を討つまで。
 沖田の心は決まった。

 ノブナガの太刀筋は「気」を操っていた時と同一人物とは思えない程乱れていた。
 もう筋も何もない、ただ闇雲に手にした刀を振り回しているだけなのだ。
 これがごく普通の刀なら簡単に応じる事が出来たであろう。
 最悪、「肉を斬らせて骨を絶つ」といった闘い方もあるのだが・・・
 ノブナガが振り回しているのはただの刀ではない。
 妖刀村正。
 恐ろしいまでの斬れ味を誇る魔剣なのである。
 かすっただけで致命傷になる事はもちろん、振り回される事によって生じる剣圧だけでも相手を傷付けてしまう。
 ノブナガと対峙している沖田の陣羽織は、村正から放たれる剣圧だけでもうズタズタになりかけている。
 沙羅の方も少しずつ動きが落ちてきていた。
 相手に決め手を与えられないまま闘いが長引けばそれだけ不利になるのは明白である。

「あの刀を何とかしないと駄目かもね」
 離れた場所で戦況を見詰める十六夜。
 自分にはもう何も出来ない、沙羅を助けてあげられない。
 それが何とも情けなかった。
「沙羅さん、あれ出来ないですか・・・」
「まりちゃん?」
 いつの間に意識を取り戻していたのか、静に抱かれたままのまりが口を開いた。
「まりちゃん、あれって?」
「いつかの、静さんの槍を蹴飛ばした時の・・・」
「あの時の蹴り技の事ね」
「はい」
 まりと静が見詰め合って頷く。
 そう、沖田と静が三段突きの修練をしていた時、突如その場に飛び込んで来た沙羅が静の懐に潜り込んだかと思うと、身体を回転させて静の槍を蹴飛ばした事があった。
 その時の様子はまりもしっかりと見ていたのだ。
 あの技をノブナガに対して決める事が出来れば・・・
「でも相手はそこらのぼんくらじゃないよ。いくら沙羅だって・・・」
 躊躇する十六夜。
 しかし静がきっぱりと言い放った。
「いえ、沙羅殿ならきっと出来ますよ。実際に得物を飛ばされた私が保証します」
「よし、沙羅に賭けよう」
 決意した十六夜、沙羅に向かって叫ぶ。
「沙羅! あいつの刀、蹴っ飛ばせるかい?」
「お姉ちゃん・・・うん、やってみる!」
 十六夜の顔を見詰めて大きく頷いた沙羅、そのままノブナガの目の前に踊り出た。
「沖田、あいつの刀はあたしが何とかするから。後は頼むね」
「沙羅殿・・・分かりました」
 この場は沙羅に任せると腹を括った沖田、菊一文字を構えたままの姿勢で数歩後ずさりする。
 好機はそう何度も無いはずである。
 その時を逃さずにノブナガを仕留めてしまわねばならない。
 沖田は神経を集中させながら、じっと「その時」を待つ。

 黄泉御前を斬る前と後では、ノブナガの動きは明らかに違いが見て取れる。
 どちらかと言えば以前の方が型にはまった動きだった為に対応し易かったのであるが。
 今のノブナガは気の刃こそ放って来ないものの、動きに流れが無く先の展開を読み辛い。
 それでも沙羅は持ち前の反射神経でノブナガの攻撃に反応し、懐に潜り込む隙を伺っていた。
(右、左、また左・・・)
 まともに打ち合うつもりは無い、とにかく相手の隙を捉えて懐に潜り込む事だけに集中する。
 懐に潜る事さえ出来れば、あとは思いっきり足を蹴り上げるだけである。
 鬼気迫る勢いで村正を振り回すノブナガ。
(足元、正面、振り上げた、今!)
 ついにその時が来た。
 ノブナガが村正を上段に振り上げた隙を見逃す事無く、沙羅はノブナガの懐に潜り込む。
 振り下ろされる村正に狙いを定めて身体を後方に回転させた。
 沙羅の右足は寸分の狂いも無く、村正を握るノブナガの右手を蹴り上げていた。
 ノブナガの手を離れた妖刀が弧を描いて宙を舞う。
「沖田ー!」
 まだ空中に逆さの体を残した姿勢のまま、沙羅は沖田の名を叫んだ。
 その呼び掛けよりも早く、沖田が沙羅の脇を駆け抜け、菊一文字をグイッと突き出した。
「ハァッ! ハッ! ハーッ!」
 必殺の三段突きがノブナガの喉をえぐる。
「どうだ?」
 空中回転した沙羅が着地した時には既に、沖田の菊一文字がノブナガの喉に深々と食い込んでいた。
 沖田はノブナガに突き刺した菊一文字を引き抜くと、返す刀で最後の一刀を浴びせた。
「あ、ああぁ・・・」
 喉をえぐられた為に悲鳴すら上がらない。
 ノブナガは仮面の隙間から血の泡を吐きながら、その場に崩れ落ちて行った。
『これで、人として死ねる・・・』
 沖田と沙羅の脳裏にノブナガの最後の言葉が木霊していた。

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